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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

クールビズ2011。 coolbiz

2011-06-18 19:54:21 | 日記
 (1)仕事(employment)は「誰」のためにするのかと考えさせられることが、震災前のいまだ電力供給不足が社会問題視されることのない時にあった。

 憲法が保障する文化的な生活(極めて抽象的ではあるが)、生存権が目安となってそれを実現維持するための資金獲得、担保が到達点ではあるが、その手段としての仕事、職務は顧客の投資が支えるものだから、顧客サービスへの企画、計画、宣伝、商品化が目的、手段でもある。自分のためのものであっても、他人(顧客)のためのものであるサーバント(servant)だ。

 仕事、職務は、投資者としての他人の目(関心)、耳(理解)、口(意見)に組織的により高い注意と自己評価が求められる。管理強化は自由を必要以上に束縛し、活力を損なって窮屈だし、逆に放漫は仕事の高質性、向上性にブレーキをかける印象は持たれる。

 (2)そこで冒頭の話。ある市の区役所を訪ねた時にあるセクションでひとりジーンズにポロシャーツスタイル(今のクールビズ先取りか)の職員がいて、これがしかも手持ち無沙汰で空(くう)を見てぼんやりしている。
 誰もがそれを気にしている様子もなくそれぞれの仕事をしているのだが、やはり不自然に映って事(こと)の事情はわからないが行政サービスとしての職場環境が適正に維持されていない、放置されている感慨を国民投資者に十分与えるものだった。

 格好よりは中身だと言っても、総じてやはり格好も中身もが求められるのは、基本のサーバント・パラダイム(servant paradigm)だ。
 個人的には好きではないが(だから最近は極端に少なくなってきた)かっては事業の象徴(特徴)としてのユニフォームが取り入れられていた。見るからに自由を束縛して活力を損なう印象だ。
 大学のような中身至上主義のところでも、ジーンズスタイルでまるで学生に合わせて教育する教員には違和感はある。

 (3)ところが、けっして、わかりやすく男性の場合、スーツ、ネクタイスタイルが正式(formality)などというルールはなくて、日本の場合、近代化ルネッサンスにあわせた欧米スタイルを象徴として取り入れたものにすぎない。製造業では、仕事に適応性のあるユニフォームは健在だ。

 日本伝統を継承すれば、正装として和服もあり夏はゆかた、実際キャンペーンとして季節的に和服でビジネス対応をする企業もある。どうにも現代社会構造の活動には不都合は多いのだが、さすがにジーンズにポロシャーツのような違和感はない。

 (4)今夏は、電力供給不足対策として国をあげての室温高めのクールビズだ。サービス業でもポロシャーツにチノパン、短パン、サンダルスタイルも公然だ。
 実際、物理的にどれ程の冷温効果のあるものなのか不明なのだが、多分気分的な解放感が大きいはずだ。

 仕事は「身」を入れてやればエネルギー(人間エネルギーは太陽の「1万倍」をつくりだすという)が必要だし、どんなスタイルでも「熱く」なる。けっして、スーツにネクタイスタイルそのものが「暑さ」に抵抗している文化とは思わない。

 クールビズという語感、感触に左右される効果不明の節電キャンペーンよりは、「身」を入れた仕事で電力供給不足の夏を忘れるのはいかがだろうか。
 首相の、一に雇用、二に雇用のキャンペーンの担保はどうなったのか、寒気がしてくる。

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