うろ覚えライフ。

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バトルロワイヤル化するTwitter

2012年12月02日 | 時事社会ログ

○バトルロワイヤル化するTwitter なぜ”マス”メディアに変貌したのか

 

  Twitterはソーシャルメディア「だった」

 2009年ごろのTwitterを振り返った。炎上とはほど遠い、内輪のサロン的な空間だったと書き、「そう。かつて、Twitterはソーシャルメディアだったのだ」と思わせぶりな文章で締めたが、尻切れトンボで申し訳なかった。前回を読まれていない方は、読んでから戻ってきていただけるとありがたい。

 ソーシャルメディアの定義はまちまちだが、ここでは、ユーザーの発言と交流によって成り立つオープンなメディアというイメージで定義したい。ユーザー同士が対等に話し合え、そこから何らかのアウトプット、「メディア」が生まれるという意味だ。

ソーシャルメディアとしてのTwitterに助けられたことが筆者にも何度かあった。休日に原稿を書きながら、思いついたネット論などをTwitterに“だだ漏れ”し、読んでいる人から意見をもらって自分の考えを修正したり、Twitterで政治家に直接話しかけて“取材”したり――。ソフトバンクの孫正義社長は以前、Twitterを「外脳」と評したが、Twitterによって脳が拡張されたような感覚を、筆者も感じていた。

誰でも発信・交流でき、意見を言い合い、みんなでより良い答えを探していける。インターネット的だなぁ、楽しいなぁ、なんて思っていたのだった。

 だが、Twitterがソーシャルメディアだった時代は短かった。芸能人や有名人、新聞、テレビといった“マス”側の参加が増えるにつれ、マス情報を受け取るために、まるでメールマガジンを受信登録するような感覚で、受け身でTwitterに参加する人が増えてきた。

2011年の東日本大震災も大きなきっかけになった。電話がつながりにくくなった震災時、情報インフラとしてTwitterが注目を浴び、政府や自治体が次々に、情報発信のためのアカウントを設置。その情報の受信と、友人や家族などごく親しい人との交流だけを目的に、Twitterに参加する人も増えた。

「公式RT」の推奨も、Twitterの受け身化に一役買ったと思う。震災以前は、他人のツイートを自分のフォロワーにも見せたいと思った場合、手書きで「RT」と書いた上で元のツイートを引用し、意見や感想を付ける「非公式RT」を使うのが主流だった。

だが、震災をきっかけに、「公式RT」がTwitter運営側から推奨された。公式RTとは、ボタン1つで他人の発言をRTできる機能だ。ツイート主の言葉は編集なしに転載され、元発言が削除されればRT先も削除される仕組みなので、非公式RTでありがちだった、元ツイートの内容が歪めて転載されたり、ツイート主が後で間違いに気づいてもRT先の内容が消せないといった問題を解決できた。

 公式RTは、情報を正確に伝える手段としては優れていたが、交流や意見交換には向いていない。非公式RTの場合、RTした人が元ツイートに意見や感想を付け加えることが多く、議論や交流につながりやすかったが、公式RTはただ黙ってボタンを押すだけなので、発言主はRTした人の意見や意図を知りようがなく、ただ自分の言葉が拡散されていくのを見るだけになる。公式RTの普及でTwitterは、人をハブにした拡声器のような、小さなマスメディアのようなものに近づいていったと思う。

 失われた「Twitterの文脈」

 

“Twitterの文脈”も通じなくなっている。09年ごろまでは、発したつぶやきの影響範囲はTwitterユーザーでほぼ完結していたので、たとえ発言が炎上状態になっても、話題はTwitterの中で閉じるか、せいぜい、2ちゃんねるに飛び火するぐらいまでで収まった。Twitterは一過性のつぶやきという認識は何となく共有されていたので、1つの発言が長くくすぶり続けることもあまりなかった。

だが「Togetter」「NAVERまとめ」といった、Twitterの発言を第三者がまとめられるツールが普及。その場限りでつぶやいたつもりだった発言が第三者にピックアップされてまとめられ、Twitterに参加していない人にも発言を参照されるルートが増えた。炎上したツイートを、ネットメディアがニュース記事化するケースも激増。結果、Twitterの場の雰囲気と切り離された外部サイトやニュース記事で発言が切り取られて一人歩きし、Twitterを使っていない人からも袋だたきに遭うようになってしまった。

筆者も2010年、ツイートが炎上した経験があるが、本格的に燃え上がったのはTwitterの外だった。Twitterで問題の発言をした直後、「ちょっと言い過ぎたかな」と思って反応を注視していたが、ネガティブな反応はなく安堵していた。だがその発言を基に2ちゃんねるにスレッドが立って炎上。発言の翌日以降に、筆者のアカウントに罵詈雑言が殺到し、元発言の公式RTが激増した。その炎上の様子は、エロチックな文体で電子書籍『AiRtwo』に寄稿しています(※ステマ)。

 マスになると同時に、プライベートになっていた

 Twitterでの有名人や情報の受け取られ方がマスメディアに近づく反面、一般の人はTwitterをよりプライベートなSNSとして利用し始めた。iPhoneの普及に連動し、「スマホで使いやすいSNS」としてTwitterを利用する若者が増加。mixiのアカウントを交換する代わりにTwitterでフォローし合い、個人的な連絡にも活用し始めた。

その結果として相次いだのが、若者の発言の炎上だ。店の店員の若者が、来店した芸能人を名指しで中傷したり、“犯罪自慢”をしたり――。知り合いだけに見せるつもりで、プライベートな感覚で書いた中傷や反社会的な内容は、本人の想定を超えた広い世界に公開されており、大炎上につながった。

利用者の低年齢化も進んでおり、有名人に心ない言葉を投げつけるアカウントを見に行くと、高校生や中学生のアカウントにぶち当たることが増えてきた。ネットで見知らぬ人と対するときの礼儀や態度を身に付けていない一部の若年層が、誰とでも交流できるツールを十分な準備なく手に入れ、不適切な使い方をしてしまっている面もあるのだろう。

 今のTwitterは、マスでありながら同時に、プライベートなものでもある。有名人を罵倒するユーザーの態度は、そんなTwitterの今を反映しているのだと思う。テレビを見るような感覚で芸能人Twitterをフォローし、ニュースをRTする。テレビ番組の感想を友人と語り合う感覚で、芸能人を名指しで批判する。彼らのタイムラインでは、友達など「仲間」「内輪」と認める相手に対しては、温かい言葉をかけるなどとても優しいのだが、芸能人をTwitterで中傷・罵倒することに対してはまったく気がとがめない様子だ。

おそらく彼らに悪気はなく「いつもどおり、友達と芸能人について話していただけ」、「偶然Twitterがあったので、Twitterで感想を言っただけ」なのだと思うが、そんな人が数百人、数千人と有名人を名指しで非難すれば、相手の心を殺すことができる。

 バトルロワイヤルTwitter

 今のTwitterは、マス側・発信者側にいる人にとっては、徒手空拳のバトルロワイヤル状態だ。多くの人に情報を発信できる一方で、いつどこで、何がきっかけで批判・中傷されるかわからない。1つの発言が文脈から切り離されて切り取られ、Twitterのみならず、2ちゃんねるやニュースメディアを賑わすため、発言も慎重にならざるをえない。「優しい場所」だったあの日のTwitterは、もうここにはない。

先日、元AKB48の前田敦子さんがTwitterを始めたが、早速、中傷やひわいな言葉などが大量に投げつけられていた。アイドル生活で鍛えてきた精神力の賜物なのか、“中の人”でもいるのだろうか、あっちゃんは今のところ気にせずTwitterを続けているようで、さすがだなぁと感心する。

筆者も発信側の端くれだが、気の小ささと打たれ弱さには自信があるので、炎上を招かないよう最近は、できるだけ何も言わないようにしている。意見が割れそうなことは言わないし、思考のだだ漏れも書かない。

ただ、気になるニュースをつぶやいたり、テレビ番組の感想を(できるだけ無難に)書いたり、自分が書いた記事を告知するぐらいにとどめている。何かつぶやこうとフォームに入力までしても、結局「ツイート」ボタンを押さずに消してしまうことも多い。発信側にいながら、全力で受け身を取っている。

ただ考えてみると、女性や有名人が自動的にチヤホヤされた3年前のTwitterは、外野から見るといかにも内輪っぽくて気持ち悪かったかもしれない。内輪感が消えた今のTwitterは、飾らない本音に接することができる貴重なメディアともいえる。

とはいえ、発言が炎上するとすごく疲れるので、筆者はこれからもできるだけ、沈黙を保っていきたいと思っています。Twitterで黙っちゃう人が増えるのはもったいないよなぁ……と思いながら。

 

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Twitterツイッター100%活用ガイド  (技評ベストムック)

ビジネスで成功している人の「ツイッター」活用術

ソーシャルメディア炎上事件簿


 

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たけし総選挙斬り

2012年12月02日 | 時事社会ログ

○ビートたけし 民主党のマニフェストを「レバ刺し」に喩える

 

   政治家たちが繰り広げる選挙戦にメディアの注目が集まるが、ビートたけし氏は「イライラする」ときっぱり。11月30日配信の『メルマガNEWSポストセブンVol.42』では、選挙戦をたけし節で斬りまくった。

 世の中、すっかり選挙モードに入っちまったけど、オイラは選挙戦を見てるといつもイライラするんだよ。「今回の闘いに負けるわけにはいきません!」とか「絶対に勝ち抜くぞ、オー!」とか威勢よくやってるけど、本来議員たちが一番気合いを入れて戦うべきは、自分たちの政策をいかに実現するかという国会の場であるはずだろ。

 そっちのほうはテキトーにやってるくせに、選挙ばかりに本気になりやがってさ。選挙で勝っただ負けただのってやってるのは、結局政治家たちの私利私欲のためばっかりで、国民のことなんかまったく考えちゃいないのがバレバレなんだよ。

 だから民主党が図々しくまたマニフェストを作ってるのには笑っちゃうよ。それってレバ刺しで食中毒を出した店が、「今度は新鮮なレバーを出しますんで食いに来てください」といってるようなもんでさ。まったく信用できないし「誰が食うかバカヤロー」って感じだよな。

 そうすると、石原サンと橋下サンが組んで出した新しい店は、過激なメニューが並ぶけど、実際のところは旨いかマズイかわからない新店かな。一方の自民党の店は、古くさい味付けで代金もボッタクリで高いけど、まァとんでもないことにはならない老舗って感じでね。結局選挙に行く人たちは、新規店に挑戦する気があるか、いつもの店でいいやって守りに入るかの二択に近いことになっちまうのが寂しいとこだよな。

 

 


 うまいっ! さすがっ! って感じ。確かにっ! も、かな。民主党が政権取る時の選挙で書いたマニュフェストは、できようができまいが、とにかく大衆の喜ぶことを全部書いとけ。そうしたら国民は民主候補にいっぱい票入れるぞ、くらいの気持ちで作ったもんなんだろうけど、あれは全部、単なる「理想」でしたね。そうしていざ政権取って政権の座に着いたら、どうしていいか解らず、官僚をコントロールするどころか、官僚に一から教えてもらってお勉強して、結局、官僚が色を染め直して、民主党という名前の第二自民党を作り上げた。そうして官僚の言うとおりにこれまで自民党がやって来た政治と、たいして変わらぬ政治をまた続けて行くことになった。そんなところかな。しかし、民主党が前のマニュフェストで書いたことを何一つ実現できなかった、というのは、プロの政治家として「できない」は「やらない」ということと等しくなるから、これは国民に対する「詐欺」ですよ。「コンクリートから人へ」も「子供手当て」も「事業仕分け」もみんな、一生懸命やってるふうを演じるパフォーマンス詐欺。本当に、民主党が今度の選挙でまた「マニュフェスト」と言うのは、たけしさんの仰るように、笑い話か国民を馬鹿にした話ですね。だいいち「あれ」で、みんな、選挙で政党が作った「マニュフェスト」なんて信用しなくなっちゃったんですから。

 

 何だか、どの党が政権取ろうが、結局、官僚が自分たちの良いようにやるだけのような気がする。先ずないだろうが、仮に共産党でも社民党でも少数政党でも政権の座に着いたとしても、いざとなると結局、どうしていいか解らず、官僚頼りとなり、また官僚が都合の良い、官僚の政治が行われる。そんな気がする。民主党のこの三年間はそれを証明しただけではないのか。もう二、三十年も前から言い続けている、「官僚をコントロール」なんて本当にできるのか?? できない気がするんだけど‥。

 

 とにかく日本の社会が最悪状況で、これからさらにさらに悪くなって行きそうな事態ですよ。問題山積もいいところ。社会は閉塞感一色。これからの政治に期待できるのか? 大衆の絶望を廃して、国民に希望を与えてくれ。

 しかし、まあ、ビートたけしさんもセレブ側の人ですけどね。

 

間抜けの構造 (新潮新書) [単行本] ビートたけし

下世話の作法 (祥伝社黄金文庫) ビートたけし

アウトレイジ ビヨンド(北野武監督)

 

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