うろ覚えライフ。

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真樹日佐夫先生逝く‥

2012年01月04日 | 格闘技ログ

○真樹日佐夫氏死去(作家、真樹道場首席師範)

 

  真樹 日佐夫氏(まき・ひさお、本名高森真土=たかもり・まつち=作家、真樹道場首席師範)2日午後5時34分、急性肺炎のため神奈川県内の病院で死去、71歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。

 漫画原作者の故梶原一騎氏の実弟。空手家としても活躍し、80年真樹道場設立。主な著書に「凶器」「兄貴―梶原一騎の夢の残骸」。「ワル」など漫画原作や映画プロデュースも手掛けた。

 

訃報:真樹日佐夫氏が急性肺炎で死去

 

    1月2日(月)、漫画原作者・小説家で、世界空手道連盟・真樹道場宗師の真樹日佐夫氏が急性肺炎のため、死去した。享年71歳。

 関係者によると、真樹氏は2日の午後、神奈川県の逗子マリーナで自身が保有するヨットに乗船しようとした際に倒れて意識不明となり、そのまま県内の病院に搬送され、17時34分に息を引き取った。真樹氏は年末から体調を崩して声が枯れており、本人も周囲も風邪だと思っていたという。

 真樹氏は故梶原一騎氏の実弟で知られる。漫画原作者として『ワル』を手がけ、作家として高森真士(たかもり しんじ)というペンネームで活動し、『凶器』で1968年にオール讀物新人賞を受賞。近年では『サンデージャポン』のサンジャポファミリーとしてVTR出演し、『作家生活50周年記念パーティー』には約1000人の関係者が参加した。

 また真樹氏は1980年に真樹道場を設立。2008年からは格闘技イベント『四角いジャングル』シリーズを定期的に開催し、昨年10月のGRABAKA主催興行では真樹日佐夫プロデュース試合としてミノワマンvsボビー・オロゴンを実現させた。

 葬儀・告別式は家族や親族による密葬として行われ、一般には、有志が集まりお別れ会の開催が計画されている。

 

 

 

 ショックだなあ。真樹日佐夫先生は、ある意味、僕の恩師の一人でもあります。勿論、僕は実際に、真樹日佐夫先生にお目に掛かったことは一度だってありません。が、師である、という気がしてなりません。それは少年時代から、当時熱中愛読していた漫画群の中で、真樹日佐夫原作の漫画作品にもいっぱい触れ、もろもろ、熱狂していたからです。僕の少年期、そして成人してからも愛読し続けた、「ワル」シリーズ。オリジナル「ワル」や「新書ワル」~「ワル」正伝を、繰り返し何度も読みました。「けものみち」も忘れられない劇画作品ですねえ。また、僕は30歳から空手を習い始めましたが、真樹先生の、高森真士名義の小説作品、「ザ・カラテ」や「新宿魔拳街」シリーズや「決闘者」といった、武道・武術格闘アクション小説も愛読しました。真樹日佐夫先生の市街地路上での突然の暴力ざたに見舞われた場合、どう対処すればいいか、という護身法解説の指南書、「ケンカのバイブル」も何度も繰り返し読みました。雑誌の真樹先生のエッセイもよく読んだ。ご自身の武勇伝、護身術、突如の喧嘩ざたの戦い方の指南。漫画も小説もエッセイもどれも面白かった。どちらかというと血湧き肉踊る関係の熱血系で、読むと、何か身体の中に生き生きと元気が出て来た。映画作品もオリジナルビデオ作品も、漫画作品や小説ほどは熱中しなかったけど、面白く、何本も見ています。

 僕は30歳で始めた空手道場通いを、行ったり行かなかったりですが十年間続けていて、その間も、その後の、身体を悪くするまでの2、3年後までも、武道・武術オタクで、晩や深夜の公園グランド独り練習や、あらゆる格闘技関係の雑誌や書物を読んで行く、格闘技漫画も見つけたら全部読む、という感じで、その道オタク業を続けていましたけど、当時、真樹先生の書かれたものは見つければ何でも読んで参考にしていました。例えば、劇画作品「ワル-正伝」(『新書ワル』)での登場人物、空手の達人でありドス使いの殺し屋、角帽マサの使う空手ワザ、「内回し足刀蹴り」や「底足外回し受け」という足ワザは初めて知るワザで、漫画絵の動きどおり真似て、何度も何度も練習しました。これは使えそうな気がして、これを取り入れたコンビネーションを深夜のグランドで独り、黙々とトレーニングしてました。角帽マサの使うワザは、骨法のあびせ蹴りのような、前転かかと蹴りやタンブリングなどもありましたが、これはあまり実戦的でないので練習はしませんでしたけど。でも、前転かかと蹴りはちょっと練習してみたりしてましたね。極真空手の胴回し回転蹴りに似てますけどね。角帽マサの殺しの得意手は、ドス+カラテだったので、僕も真似して、左手に特殊警棒を持って足技と混ぜて使うコンビネーションを考えて練習しました。深夜のグランドで独り黙々。だいたい僕は脳味噌が幼稚な上に被害妄想ぎみなので、こういう練習も独り積んでいたんですね。しかし、「内回し足刀蹴り」は街中で暴漢に襲われ、相手に刃物や木刀を構えられた場合、それを弾き落とすのに非常に有効な気がしていたので、是非マスターしたいと、このワザの練習は相当行いましたね。

 僕が中学生から高校生の時代に連載されていた、真樹日佐夫原作で石井いさみ作画の「のら犬の丘」は素晴らしい青春漫画作品でした。青春漫画の名作と言いたい。僕の中学生時、週刊少年サンデーに連載されていた、ドストエフスキーの「罪と罰」を下敷きにした梅本さちお作画の漫画、「飛べない翼」は長らく、実兄である梶原一騎作品とばかり思い込んでいましたけど、真樹日佐夫原作作品でした。空手の達人、真樹日佐夫氏はカッコ良かったですねえ。数々の武勇伝もだけど、そのたたずまい、執筆する作品の内容、言動。シビレルくらいカッコ良かったなあ。お兄さんの梶原一騎氏同様、多少キナ臭い雰囲気は、まあ、ありはしましたけど。イケてたおじさんでした。還暦にして毎日二時間はみっちり空手の稽古を行う姿勢。真樹道場入門に当たっては都内道場で一番練習がキツイと覚悟せよ。タバコも酒もコーヒーも毎日メチャメチャ多飲するが、その毒を全部稽古の汗で流しきる、という姿勢。カッコ良いねえ。ちょっと真似できない。僕は大山倍達よりも梶原一騎よりも真樹日佐夫が好きでファンでした。早稲田中退学歴の真樹先生は実はかなりアタマの良い方でもあったし。その無頼の男イズムがシビレルくらいカッコ良かったんですねえ。

 それからね、僕、すっごい若い頃ね、羽田空港で働いていて、当時住んでた川崎から通勤してて途中蒲田乗換えで、空港での仕事は交替制で、遅番や夜勤の時は早めに出て蒲田界隈で時間潰したり、退社後は職場の先輩たちとよく蒲田の歓楽街で飲み食いしてたから、真樹日佐夫作品の漫画や小説には蒲田界隈が舞台でよく出て来るんで、後々読んだとき何か懐かしくてね。それも何かね、思い出みたいに残ってる。多分、真樹日佐夫さんは幼・少年期、蒲田界隈で過ごしているんでしょうね。

 このBlogも、最近は、ここ一年、もうちょっと前からか、昭和に活躍した有名人・文化人たちが、言葉は悪いが続々と、現世を退場して行ってしまったいる訳で、何というか記事内容がお悔やみ訃報記事ばかりになってしまっている。まあ、Blogタイトルそのものに「極楽」なんて着いちゃってるから、何なんだけども、本当にお悔やみBlogみたくなってしまっている。僕が書き込む訃報有名人たちはみんな、僕が少年期・青年期、30代と、元気バリバリだった頃にメディアで接した有名人たちで、まあ、ある意味、僕の人生を作ってくれた人たちとも言える。そういう意味では、その死は感慨深く重く、そして寂寥感がある。いや、寂しいですねえ。その一言に尽きますよ。

 

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