うろ覚えライフ。

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森山加代子さん

2020年03月11日 | 芸能ログ

 ここの記事を書き始めたのって、当然まだブログタイトルが「生きたまま極楽」の頃、もう一年以上前の、森山加代子さんが亡くなられた2019年3月初旬の直ぐ後くらいで、昭和の人気歌手·森山加代子さんは僕が幼少時に好きだった芸能人で、多分、僕が生まれて初めて憧れた女性有名人なんじゃないかと思うくらいの人で、僕の5歳6歳7歳当時頃の自分の生活や夢中になって見てた当時のテレビ番組を思い出して、郷愁気分で森山加代子さんのことを何か書こうと、一年以上前に書き始めたけど頓挫して、しばらく放っといてまたやっぱり書こうと続きを書き出したけど、また頓挫して放っておいて、やっぱり続きを書いて仕上げようと、またまた書き始めた。 で、亡くなられて一年少し経ってるし今回はここでこの記事を仕上げてしまおうと思ってる。

 森山加代子さんが2019年3月に亡くなられて、それを知った当時、直ぐにこのブログを書こうと、タイトル入れて何行か書いたもののそこから続かず、そのままほったらかしになっていた。

 森山加代子さんという往年のヒット曲歌手には思い入れが強かったので、ブログに書きたかったのだが、何か途中でストップしてしまった。まぁ、僕の健康上の理由もあるし、ブログ書く意欲とかモチベーションが減退してるというのもあるだろう。

 森山加代子さんというと代表曲は「白い蝶のサンバ」だろう。この曲のリリースと大ヒットが1970年で、僕は中学三年生のときで、印象的に記憶してるのは、この70年の五月終わりか六月初め頃に行った中学の修学旅行で、多分、三泊四日の三日目の訪問先の宮崎か鹿児島の土産物センターみたいなビルの二階の広い休憩場で、そこの隅にジュークボックスが置いてあり、クラスメートの女の子の一人が「白い蝶のサンバ」を掛けた。

 まぁ、何でもない一シーンだが、何故かこの場面をよく覚えている。特別、中三時の僕がこの女の子のことを好きだった訳でも何でもない。申し訳ないのだが名前すら覚えてない。ただ、小学生のときからクラスが一緒だったと思う。中学三年間で一緒のクラスだったこともあると思うが、中三時に同じクラスだったかどうかはよく覚えていない。

 「白い蝶のサンバ」はテンポが良くて、歌う森山加代子の声も好きだったから、僕自身もこの曲がヒットした70年71年とこの歌がかなり好きだった。でもこの時代の僕はビートルズや当時ヒットしてた洋楽ポップスに熱中してたから、レコード盤を買って来て何度も何度も聴くほどではなかったな。

 余談だけど、多分この旅行中に何処かで流れてて知ったんだろうけど、クラスメートのHM 君に曲のことを聞いて、旅行から帰って来て、修学旅行に持って行ってた小遣いが残ってたからそのお金で、近所のアーケード商店街に当時あったレコード屋で、中山千夏が歌う「止まらない汽車」というシングルレコードを買った。「白い蝶のサンバ」も好きな歌だったけどレコードは買ってない。

 往年の人気女優で才媛の中山千夏は歌手でもあって、中山千夏の代表曲というと69年リリースして大ヒットした「あなたの心に」なのだが、僕は中山千夏の歌というと「止まらない汽車」が一番好きだ。どうしてか今でも久しぶりに「止まらない汽車」を聴くと、胸がキュンとなるような感慨を覚える。特別、この歌にまつわって何か当時好きだった女の子の思い出とか何とかのエピソードがある訳でも何でもないんだけど。歌詞の内容とかイメージかな?

 「あなたの心に」は歌詞が恋愛の具体的な思いを歌ったラブソングだけど、「止まらない汽車」の歌詞って抽象的って言うんじゃないけど、ファンタジーなイメージを歌ってる歌詞だし。困難も待ち構えてるだろうけど未来を見据えて旅立つ少年少女のカップルみたいで。後々、映画館で何回も見た「小さな恋のメロディー」のラストシーンにも、ちょっと似てるようなファンタジーぽさ。ま、シチュエーションはちょっと違うけどね。

 この中学の修学旅行の直ぐ後くらいに、家でテレビで見た確か「シャボン玉ホリデー」の中でゲスト出演してた中山千夏さんが、番組内で「止まらない汽車」を歌ってたというおぼろな記憶がある。

 中山千夏の歌の話ばかりを書いた。森山加代子だった。

 幼少時の僕が生まれて初めて憧れた、テレビの中の綺麗なお姉さんが、多分、森山加代子さんじゃないかな、と思う。森山加代子さんが当時歌った歌「じんじろげ」や「パイのパイのパイ」「月影のナポリ」とかいう歌は、僕はまだ五歳とか六歳くらいだったけど、幼児ながら印象深く覚えて記憶したと思う。小学校高学年になっても、こういう歌は覚えていた。

 子供の頃は、「じんじろげ」などの森山加代子の歌う歌はどれも好きだったなぁ。五歳·六歳·七歳頃だから、まだはっきりした恋愛感情で森山加代子さんに憧れてた訳でもないんだろうけど。「じんじろげ」なんて意味が全く解らない歌詞だったが別に意味を知りたいとも思ってなかったかな。

 森山加代子とセットで坂本九も好きだったなぁ。テレビの世界では坂本九と森山加代子はコンビとして見てた。僕の四、五歳から七、八歳頃の歌番組ではこの二人はよく一緒に出てたしね。坂本九の「上を向いて歩こう」は大好きな歌だったし、坂本九の出演する映画は当時住んでた家の斜め前の映画館によく見に行ってたし。

 1961年に坂本九と森山加代子が共演した「悲しき60歳」という映画が公開されてるんだが、多分僕はこの映画は見ていないと思うが、主題歌は何となく覚えてた。多分、当時テレビの歌番組とかバラエティーで流れてたんだろう。中一のときの男子クラスメートのN 君が、小さい頃S 町のパチンコ屋でよく掛かってたって「悲しき60歳」の歌のサビを歌って見せたのを記憶している。

 年取ってからネット動画に誰かが上げた映画動画で「悲しき60歳」を途中まで見た。数年前の話だ。内容は初めて見る感じだったけど、子供の頃、テレビ放映する映画で見てるかも知れない。1961年は五歳だから映画館に行ってはないな。五歳で生まれて初めて映画館で見た映画は東宝の「モスラ」だけだもんな。

 「悲しき60歳」は坂本九がメインボーカルだけど名義はダニー飯田とパラダイスキングで1960年8月のリリースなんだな。60年なんて俺は四歳じゃないか。♪ヤムスタパーヤ ムスターパン、ってサビのフレーズは何となく記憶してた。実際の歌詞は♪ヤムスタファーヤ ムスターファ なんだな。この時代流行してた欧米のヒット曲の日本語歌詞カバー。

 1960年6月「月影のナポリ」リリース、60年8月「メロンの気持ち」リリース、61年1月「じんじろげ」リリース、61年5月「パイのパイのパイ」リリース。これらの曲はみんな欧米洋楽ポピュラーの日本語歌詞カバーで、この時代の大ヒット曲ですね。僕は60年4歳、61年5歳のときで、大人が見てるテレビの歌番組と周囲の大人たちが鼻歌で歌ってて、幼児なりに覚えて行ってたんでしょうね。これらの曲はみんな部分部分を記憶してましたね。(『じんじろげ』は中村八大さんの作曲)。

 60年から62年くらいまでは森山加代子さんは日本の歌謡シーンでトップを行くような売れっ子だったけど、63年頃からテレビであんまり見なくなったかなぁ。しばらくヒットがなかったのか見なかったけど、70年の「白い蝶のサンバ」が大ヒット。本当に1970年の前半はいつでも何処でも「白い蝶のサンバ」が流れてましたね。

 森山加代子さんは本当に5歳6歳頃、好きでしたねぇ。男性歌手の坂本九ちゃんとかも好きだったなぁ。学校大嫌いで登校拒否児童だった僕が毎朝大泣きして「学校行きたくない」と訴えてた。無理やり母親に連れられて学校行ってからも学校で泣いてた。懐かしい。小さい頃の僕は本当に泣き虫で、毎日のようにビエ~ンって泣いてましたね。

 あの時代の加代ちゃんや九ちゃんの出演してた歌番組の、「明治屋マイマイショー」とか記憶してます。ダニー飯田とパラダイスキング。

 当時の貸本漫画で人気のあった江波譲二の「トップ屋ジョー」のレギュラーのヒロイン、加代ちゃんは森山加代子さんに因んで着けたヒロインの名前でしょうね。

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トップ屋ジョー (第1巻) (貸本劇画傑作選 (4)) (日本語) 単行本 江波 譲二 (著)

 


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