其の壱の続き
■「70歳から90歳までの戦争体験論というのは益よりも害の方が多い」と指摘されている世代は、1906年~1926年、つまり明治39年から大正15年までの間に生まれた人ということになります。『日本人の全世代読本』を参考にしてどんな人たちがたいのか少し拾ってみます。
明治44年 岡本太郎(画家),北林谷栄(俳優),古田紹欽(仏教学),武谷三男(物理学),秦野章(参議員),石津謙介(服飾),鹿内信隆(フジ・サンケイ)
明治45年 矢野健太郎(数学),桜内義雄(衆議員),糸川英夫(組織工学),関根正雄(旧約学),福田恒存(評論),木下恵介(映画)
大正2年 林健太郎(歴史),金田一春彦(国語),森繁久弥(俳優),家永三郎(日本史),丹下健三(建築),吉田秀和(音楽)
大正3年 三木鶏郎(音楽),丸山真男(思想),南博(心理学),木下順二(劇作),猪木正道(政治学),松村達雄(俳優)
大正4年 柳家小さん(落語),飛鳥田一雄(社会党),山本夏彦(評論),串田孫一(随筆),市川昆(映画)
大正5年 小坂徳三郎(衆議員),会田雄次(文化史),五味川純平(小説),斉藤茂太(精神),林雄二郎(未来工学)
大正6年 千秋実(俳優),浜口蔵之助(作詞)
大正7年 田中角栄(首相),中曽根康弘(首相),鶴見和子(社会学),高橋圭三(司会),高峰三枝子(俳優),鳩山威一郎(参議員),
藤原てい(作家)
大正8年 やなせたかし(漫画),水上勉(作家),野村芳太郎(映画),金子兜太(俳句)
大正9年 長谷川町子(漫画),土居健郎(精神),川上哲治(野球),楢崎弥之助(衆議員爆弾男),森光子(俳優),大竹省二(写真),
安岡章太郎(作家)
大正10年 竹内均(地球物理),江戸家猫八(芸人),谷川健一(民俗)
大正11年 山田風太郎(作家),大森実(記者),邦光史郎(作家),水木しげる(漫画),三浦綾子(作家),丹波哲郎(霊界俳優),中内功(ダイエー),石井好子(歌手)
大正12年 司馬遼太郎(作家),千宗室(茶道),田英夫(参議員),船越英二(俳優),三波春夫(歌手),外山滋比古(英文),小林桂樹(俳優),村上兵衛(評論)
大正13年 竹下登(首相),高田好胤(薬師寺),吉行淳之助(作家),安部晋太郎(衆議員),草柳大蔵(評論),吉本隆明(評論)
大正14年 江崎玲於奈(物理学),永井路子(作家),桂米丸(落語),田中小実昌(作家),杉本苑子(作家),辻邦生(作家),森本哲郎(評論),うらべまこと(服飾)
大正15年 三浦朱門(作家),松谷みよ子(児童文),多胡輝(心理),井上光晴(作家),山岡久乃(俳優),石井ふく子(テレビ),小松方正(俳優)
■因みに、松本清張さんは明治42年(1909)生まれです。戦争体験をどこかで書いていそうな人達を列挙してみたのですが、ジャーナリストや作家名が随分落ちているのは全体的な世相を追った本だからでしょうが、どこかでこうした人達が語った戦争体験を耳にしたり読んだりしているような気がします。貴重な体験談となっている場合も有るように思えますが、こうして並べてみると、何処か共通しているトーンのようなものが出て来そうな気もしますなあ。
■岡崎・中嶋対談に戻ります。日本が知的な分野で中国に負けるのではないか?という話題が続きます。
岡崎 ……アメリカ人が30半ばの日本人と中国人のインテリと議論をして、中国のインテリのほうがはるかに話が面白いとなったら負けです。私はそうなる危険がかなりの確立であると思います。……例えば、戦争前に日本のインテリは林語堂とか宋美齢に欧米でインテレクチュアリーに負けたわけです。もちろん状況は違いますが、外国に出しても、誰とでも堂々と渡り合える人材が育ってほしいと思います。
中嶋 林語堂などを見ると、実に国際的ですが、日本は夏目漱石にしても、森鴎外にしても、あくまでも国内の人で、国際性をもちえませんでした。それだけに、日本の新しい世代には国際性を期待したいものです。
■こうして対談は終るのですが、林語堂などと言われても、誰だ?と言われそうですから、困ってしまいますなあ。最近、新渡戸稲造さんの『武士道』に注目が集まったことが有りましたが、あの本は明治33年(1900)に米国のフィラデルフィアで出版されたもので、飽くまでも欧米人に理解し易く武士道を語ったものですから、日本人が熟読するのは少々問題が有ると思います。但し、原文の英語は格調高い立派なものなので、日本人が書いた英文の見本としてなら大いに研究する価値はあるようです。岡倉天心なども活躍しましたが、どちらにしても日本が世界に語らなければならなくなった時代よりも前の人達です。
■林語堂さんは、1895年10月10日福建省生まれです。日清戦争から清朝崩壊、中華民国の建国を経験しながら、リベラル派の知識人として活躍した人です。学生運動を支持したり軍閥を批判する熱烈な文章を新聞や雑誌に発表して20年代から有名になっていた林さんは、魯迅達との交流も深めますが、ユーモアを使った風刺小説などを書くようになって魯迅とは別れます。1936年(昭和11)に家族と供にアメリカに渡ってチャイナの民俗・歴史・文化を英語で紹介し続けたのでした。彼の本は米国人にチャイナに対する好印象を植え付ける役目を果たして、それに従って米国内の日本に対する印象がどんどん悪化することになったようです。日本語に翻訳された作品も多いので、一冊くらいは読んでみるべきでしょうなあ。
■日本人が日本を上手に海外に向って語る技術を磨かねばならないのですが、それを今までに持たなかったという歴史を最初に学ばねばなりません。外から文化の良いトコ取りに努力した見事な歴史は持っていますが、こちらから発信することなどまったく考えたことがないというのが日本の歴史なのです。特定の信仰宗教団体などが、海外での熱心な布教活動などをしていますが、それだけに頼っているわけにも行かないでしょう。日本国内で歴史教科書問題一つ片付けられなければ、若い世代が胸を張って海外で日本を語ることなど出来ませんなあ。
おしまい。
■「70歳から90歳までの戦争体験論というのは益よりも害の方が多い」と指摘されている世代は、1906年~1926年、つまり明治39年から大正15年までの間に生まれた人ということになります。『日本人の全世代読本』を参考にしてどんな人たちがたいのか少し拾ってみます。
明治44年 岡本太郎(画家),北林谷栄(俳優),古田紹欽(仏教学),武谷三男(物理学),秦野章(参議員),石津謙介(服飾),鹿内信隆(フジ・サンケイ)
明治45年 矢野健太郎(数学),桜内義雄(衆議員),糸川英夫(組織工学),関根正雄(旧約学),福田恒存(評論),木下恵介(映画)
大正2年 林健太郎(歴史),金田一春彦(国語),森繁久弥(俳優),家永三郎(日本史),丹下健三(建築),吉田秀和(音楽)
大正3年 三木鶏郎(音楽),丸山真男(思想),南博(心理学),木下順二(劇作),猪木正道(政治学),松村達雄(俳優)
大正4年 柳家小さん(落語),飛鳥田一雄(社会党),山本夏彦(評論),串田孫一(随筆),市川昆(映画)
大正5年 小坂徳三郎(衆議員),会田雄次(文化史),五味川純平(小説),斉藤茂太(精神),林雄二郎(未来工学)
大正6年 千秋実(俳優),浜口蔵之助(作詞)
大正7年 田中角栄(首相),中曽根康弘(首相),鶴見和子(社会学),高橋圭三(司会),高峰三枝子(俳優),鳩山威一郎(参議員),
藤原てい(作家)
大正8年 やなせたかし(漫画),水上勉(作家),野村芳太郎(映画),金子兜太(俳句)
大正9年 長谷川町子(漫画),土居健郎(精神),川上哲治(野球),楢崎弥之助(衆議員爆弾男),森光子(俳優),大竹省二(写真),
安岡章太郎(作家)
大正10年 竹内均(地球物理),江戸家猫八(芸人),谷川健一(民俗)
大正11年 山田風太郎(作家),大森実(記者),邦光史郎(作家),水木しげる(漫画),三浦綾子(作家),丹波哲郎(霊界俳優),中内功(ダイエー),石井好子(歌手)
大正12年 司馬遼太郎(作家),千宗室(茶道),田英夫(参議員),船越英二(俳優),三波春夫(歌手),外山滋比古(英文),小林桂樹(俳優),村上兵衛(評論)
大正13年 竹下登(首相),高田好胤(薬師寺),吉行淳之助(作家),安部晋太郎(衆議員),草柳大蔵(評論),吉本隆明(評論)
大正14年 江崎玲於奈(物理学),永井路子(作家),桂米丸(落語),田中小実昌(作家),杉本苑子(作家),辻邦生(作家),森本哲郎(評論),うらべまこと(服飾)
大正15年 三浦朱門(作家),松谷みよ子(児童文),多胡輝(心理),井上光晴(作家),山岡久乃(俳優),石井ふく子(テレビ),小松方正(俳優)
■因みに、松本清張さんは明治42年(1909)生まれです。戦争体験をどこかで書いていそうな人達を列挙してみたのですが、ジャーナリストや作家名が随分落ちているのは全体的な世相を追った本だからでしょうが、どこかでこうした人達が語った戦争体験を耳にしたり読んだりしているような気がします。貴重な体験談となっている場合も有るように思えますが、こうして並べてみると、何処か共通しているトーンのようなものが出て来そうな気もしますなあ。
■岡崎・中嶋対談に戻ります。日本が知的な分野で中国に負けるのではないか?という話題が続きます。
岡崎 ……アメリカ人が30半ばの日本人と中国人のインテリと議論をして、中国のインテリのほうがはるかに話が面白いとなったら負けです。私はそうなる危険がかなりの確立であると思います。……例えば、戦争前に日本のインテリは林語堂とか宋美齢に欧米でインテレクチュアリーに負けたわけです。もちろん状況は違いますが、外国に出しても、誰とでも堂々と渡り合える人材が育ってほしいと思います。
中嶋 林語堂などを見ると、実に国際的ですが、日本は夏目漱石にしても、森鴎外にしても、あくまでも国内の人で、国際性をもちえませんでした。それだけに、日本の新しい世代には国際性を期待したいものです。
■こうして対談は終るのですが、林語堂などと言われても、誰だ?と言われそうですから、困ってしまいますなあ。最近、新渡戸稲造さんの『武士道』に注目が集まったことが有りましたが、あの本は明治33年(1900)に米国のフィラデルフィアで出版されたもので、飽くまでも欧米人に理解し易く武士道を語ったものですから、日本人が熟読するのは少々問題が有ると思います。但し、原文の英語は格調高い立派なものなので、日本人が書いた英文の見本としてなら大いに研究する価値はあるようです。岡倉天心なども活躍しましたが、どちらにしても日本が世界に語らなければならなくなった時代よりも前の人達です。
■林語堂さんは、1895年10月10日福建省生まれです。日清戦争から清朝崩壊、中華民国の建国を経験しながら、リベラル派の知識人として活躍した人です。学生運動を支持したり軍閥を批判する熱烈な文章を新聞や雑誌に発表して20年代から有名になっていた林さんは、魯迅達との交流も深めますが、ユーモアを使った風刺小説などを書くようになって魯迅とは別れます。1936年(昭和11)に家族と供にアメリカに渡ってチャイナの民俗・歴史・文化を英語で紹介し続けたのでした。彼の本は米国人にチャイナに対する好印象を植え付ける役目を果たして、それに従って米国内の日本に対する印象がどんどん悪化することになったようです。日本語に翻訳された作品も多いので、一冊くらいは読んでみるべきでしょうなあ。
■日本人が日本を上手に海外に向って語る技術を磨かねばならないのですが、それを今までに持たなかったという歴史を最初に学ばねばなりません。外から文化の良いトコ取りに努力した見事な歴史は持っていますが、こちらから発信することなどまったく考えたことがないというのが日本の歴史なのです。特定の信仰宗教団体などが、海外での熱心な布教活動などをしていますが、それだけに頼っているわけにも行かないでしょう。日本国内で歴史教科書問題一つ片付けられなければ、若い世代が胸を張って海外で日本を語ることなど出来ませんなあ。
おしまい。