旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

西岡武夫 享年75歳 其の弐

2011-11-08 13:03:17 | 政治
■「三権の長」問題は江田五月参議院議長が2011年1月に、菅再改造内閣で法務大臣に就任して世間を驚かせたことがありました。第2次田中角榮改造内閣で中村梅吉元衆議院議長が法務大臣に就任したことはありましたが、参議院議長の入閣は前例が無かったようです。そもそも党の綱領も原理原則も持たない民主党なのですから、健康と年齢の問題が無ければ「どじょう演説」以上の立派な政治家としての矜持を示す名演説が聞けたかも知れませんし、格の違いを見せ付けて代表に当選していたかも知れません。どうやら打診を受けた御本人も本気で立候補を考えたことがあったようですから、野田ドジョウ首相としては出馬を見送って貰って有り難かったに違いありません。西岡参院議長の死去に際して野田ドジョウ首相が談話を発表しました。

西岡武夫参院議長のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を表します。西岡武夫氏は、昭和38年以来、衆院議員として11回、参院議員として2回当選され、この間、文部大臣、参院議院運営委員長、参院議長などを歴任され、教育分野をはじめ国政全般に多大な貢献をなさいました。特に、参院議長として、難しい議院運営や、参院改革の議論などにおいて優れたリーダーシップを発揮され、わが国の東日本大震災からの復旧・復興に向けて今後もさらなるご活躍が期待されていた中で、突然の訃報に接し、誠に残念であり、深い悲しみの念を禁じ得ません。ここに心よりご冥福意をお祈り致します。
2011年11月5日(土) 産経新聞 

■あの「ドジョウ演説」をした同一人物が書いたとは思えない型通りの面白くも何ともない事務的な文章であります。さり気無く原発事故対応を巡って菅アルイミ前首相に何度も辞職を迫った話は省かれているのが印象的ではありますが……。個人的に西岡議長の言動が気になって、今年の3月から報道記事をストックし続けておりました。自分の死期を悟った上での発言や行動だったとしたら、軽薄な「クールビズ」騒ぎを一顧にせず国会内でネクタイを決して外さなかった西岡参院議長は本当の侍だったのかも知れませんぞ。経歴を見ても菅アルイミ前首相とは対照的な地道で一途な生き方が浮かび上がりますからなあ。

■衆院11期、参院2期。早稲田大を卒業後、長崎新聞の論説委員などを経て63年の衆院選旧長崎1区で初当選。76年にロッキード事件を批判して自民党を離党して新自由クラブの結成に参加し幹事長に就任。80年に自民党に復党して竹下、宇野内閣で文相、党税調会長や総務会長などを歴任。政治改革をめぐり93年に再び自民党を離党し、94年の新進党結成に参加。98年の自由党結党には副党首として参加。98年の長崎県知事選に出馬して落選。01年参院選の比例代表で当選。03年の民主、自由両党の合併で民主党入り。

■西岡議長の追悼でもあり、もしかすると民主党(政権)への追悼になるかも知れませんが、今年3月から10月27日までの西岡言行録を振り返ってみようと思います。話は桃の節句3月3日から始まります。


政府・与党が平成23年度予算案を予算関連法案と切り離して無理に衆院を通過させたことで国会運営が滞り……
「憲法に違反する。議長の判断を認めるわけにはいかない!」民主党の羽田雄一郎参院国対委員長は2日の記者会見で、同党出身で本来は身内の西岡武夫参院議長を痛烈に批判した。西岡氏が同日、1日に衆院を通過した予算案を衆院通過から1日遅れで受領したためだ。
西岡氏が異例の対応をとったのは、民主党が予算関連法案を予算案と同時に通過させなかったからだ。赤字国債を発行するための特例公債法案など歳入に関わる予算関連法案は予算案と同時に参院に送るのが慣例だが、関連法案の衆院再可決に必要な3分の2の議席確保にめどが立たないため、野党説得の時間稼ぎという意味もあって関連法案の送付を遅らせたのだ。
結局、西岡氏は予算案を宙に浮いたままにしておくことは避け、2日に受領することで妥協を図ったが、同党の参院幹部は敵か味方か分からなくなった西岡氏に不満をぶちまけた。
「菅さんよりも、西岡さんの方が、先に辞めなければいけなくなるんじゃないか」…… 

■大震災・原発事故の前、この頃は外国人からの政治献金疑惑で「菅辞めろ!」の声が党の内外で高まっていたことを思い出します。本当にあの未曾有の大災害と大事故を天佑神助と大喜びした日本人は菅アルイミ前首相ただ一人みたいなものでしたなあ。

最新の画像もっと見る