いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
妙と徼と玄と玄
昨日ご紹介した『老子』に出てくる単語を、解釈しやすくなるように、別な言葉で置き換えてみます。
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。
同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。
「妙(みょう)」 → あるがまま・ワンネス・抽象
「徼(きょう)」 → 幻想・ストーリー・分離・具体
「玄(げん)」 → 空(くう)
「玄之又玄」 → 無
なので、上記の文を起こし直すと、
「あるがまま(ワンネス)」も、「幻想(分離)」も、どちらも同じところから生まれているよ。
その同じところっていうのが「空(くう)」で、「空」のさらに奥深くにある「無」から、全てのものが創出されるんだ。
という感じになります。
で、さらに補うと、
「あるがまま」というのは、事象に対しての意味づけ・価値付け・判断・分離・名付け等が、なされていない、「そのまま」のことです。
ですが、人は通常、事象を切り分け、それらに対し、様々な意味や価値、判断や名付けを行って日常を送っています。
この2つの差に、「起こっているけど、起こっていない」があります。
仮に「失恋」を例にとってみましょう。
まず、出来事自体に「失恋」という名称が与えられています。
そして、「何時何分に、どこそこで」というように、出来事を定める時空間も切断されています。
さらに、「いやなこと」や「悲しいこと」などという価値や意味が与えられ、
"(/へ\*)"))ウゥ、ヒック 告らなきゃよかった…… などの判断が生まれます。
上記の出来事がたしかに起こりました。
しかし、「妙(あるがまま)」の世界では、「何々が起きた」と言うことができません。
というのも、「妙(あるがまま)」は、事象に対しての意味づけ・価値付け・判断・分離・名付け等が、なされていないのですから、そこでは、「告白する側」の人も、「告白される側」の人も、切り分けられていません。時空間の分離もありません。「告白」や「失恋」という定義もありません。
失恋は、「わたし(徼)」という分離・観念の中で「起きたこと(そう定義づけされたもの)」なのであって、
「わたし(徼)の消えた、存在の総体(妙)」に、その感覚を持ち込むことができません。
持ち込むことはできない、とはいえやはり、「妙」と「徼」は、同時並行。
あるがままという妙の中で、徼という夢が、あるがままに展開しています。
なので、「起こっている(徼)けど、起こっていない(妙)」。
いやはや、「妙」って、妙ですね(笑)
「玄」については、またあらためて。
【トークライブ・インフォメーション】
*****
平日のお話会「月イチ☆」、東京開催は明日19:30から!
当日会場受付、また、日付違いチケットでの振替入場も承ります。
平日のお話会「月イチ☆」(東京)
10月22日(木)19:30~21:30(19:00会場)三鷹産業プラザ 7階 701会議室[詳細・お申し込み]
平日のお話会「月イチ☆WEST」(神戸)
10月28日(水)19:30~21:30(19:00会場)兵庫県民会館 3階 304会議室[詳細・お申し込み]
平日のお話会「でら☆月イチ」(浜松)
10月29日(木)19:00~21:00(18:30会場)浜松市福祉交流センター 21会議室 [詳細・お申し込み]
*****
梅田の蔦屋書店さんにて、新しい試みにチャレンジします!
大阪、梅田駅直結にするルクア イーレの9F 、梅田蔦屋書店さんのお誘いを受け、朝のお話会を開催する運びとなりました。
リアル書店さんのスペースをお借りしてのイベントですので、「人生を変える本との出会い」をテーマに、僕がオススメする書籍の魅力や、精神世界の勘所などのお話をする予定です。
開催は平日の午前中ですので、参加できる方も限られるかとは思いますが、よろしければ遊びに来てください。
雲黒斎トークライブ『朝から梅田でアレのこと』
10月29日(木)10:00~11:30(9:30開場)梅田 蔦屋書店 4th ラウンジ [詳細・お申し込み]
*****
久しぶりに札幌へ参ります!
今回は「黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか?」の、質疑応答リアルタイムバージョンをお送りいたします。
黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか?
10月31日(土) 14:00~16:30(13:30開場)札幌市教育文化会館 301研修室[詳細・お申し込み]
主催・協力:株式会社UGL(古池さま) お問い合わせ:011-614-1319
※当日券は会計の都合上、3,000円とさせていただきますのでご了承ください。
※パソコンや携帯電話からのお申し込みが面倒、わからない、という方には、ファミリーマートさんの情報端末「ファミポート」でのお手続きをオススメしております。
ご利用方法については【コチラ】をご参照ください。
*****
久しぶりに、阿部敏郎さんとのトークイベント『阿雲の呼吸』を開催します。
開催は、11月7日(土)13:00~16:30
第一部・雲 黒斎ソロ講演 【気丈の「空」論】
第二部・阿部敏郎ソロ講演 【♪もしも本音が言えたなら】
第三部・阿雲の呼吸 【道なき未知の道しるべ】
という、三本立てでお送りします。
明日10月22日(木)から阿部さんのブログ「リーラ」にて、受付開始予定です。
←押しているけど、押していない。「いや、そこは押してよ!」(使い回し)
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。
同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。
「妙(みょう)」 → あるがまま・ワンネス・抽象
「徼(きょう)」 → 幻想・ストーリー・分離・具体
「玄(げん)」 → 空(くう)
「玄之又玄」 → 無
なので、上記の文を起こし直すと、
「あるがまま(ワンネス)」も、「幻想(分離)」も、どちらも同じところから生まれているよ。
その同じところっていうのが「空(くう)」で、「空」のさらに奥深くにある「無」から、全てのものが創出されるんだ。
という感じになります。
で、さらに補うと、
「あるがまま」というのは、事象に対しての意味づけ・価値付け・判断・分離・名付け等が、なされていない、「そのまま」のことです。
ですが、人は通常、事象を切り分け、それらに対し、様々な意味や価値、判断や名付けを行って日常を送っています。
この2つの差に、「起こっているけど、起こっていない」があります。
仮に「失恋」を例にとってみましょう。
まず、出来事自体に「失恋」という名称が与えられています。
そして、「何時何分に、どこそこで」というように、出来事を定める時空間も切断されています。
さらに、「いやなこと」や「悲しいこと」などという価値や意味が与えられ、
"(/へ\*)"))ウゥ、ヒック 告らなきゃよかった…… などの判断が生まれます。
上記の出来事がたしかに起こりました。
しかし、「妙(あるがまま)」の世界では、「何々が起きた」と言うことができません。
というのも、「妙(あるがまま)」は、事象に対しての意味づけ・価値付け・判断・分離・名付け等が、なされていないのですから、そこでは、「告白する側」の人も、「告白される側」の人も、切り分けられていません。時空間の分離もありません。「告白」や「失恋」という定義もありません。
失恋は、「わたし(徼)」という分離・観念の中で「起きたこと(そう定義づけされたもの)」なのであって、
「わたし(徼)の消えた、存在の総体(妙)」に、その感覚を持ち込むことができません。
持ち込むことはできない、とはいえやはり、「妙」と「徼」は、同時並行。
あるがままという妙の中で、徼という夢が、あるがままに展開しています。
なので、「起こっている(徼)けど、起こっていない(妙)」。
いやはや、「妙」って、妙ですね(笑)
「玄」については、またあらためて。
【トークライブ・インフォメーション】
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平日のお話会「月イチ☆」、東京開催は明日19:30から!
当日会場受付、また、日付違いチケットでの振替入場も承ります。
平日のお話会「月イチ☆」(東京)
10月22日(木)19:30~21:30(19:00会場)三鷹産業プラザ 7階 701会議室[詳細・お申し込み]
平日のお話会「月イチ☆WEST」(神戸)
10月28日(水)19:30~21:30(19:00会場)兵庫県民会館 3階 304会議室[詳細・お申し込み]
平日のお話会「でら☆月イチ」(浜松)
10月29日(木)19:00~21:00(18:30会場)浜松市福祉交流センター 21会議室 [詳細・お申し込み]
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梅田の蔦屋書店さんにて、新しい試みにチャレンジします!
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開催は平日の午前中ですので、参加できる方も限られるかとは思いますが、よろしければ遊びに来てください。
雲黒斎トークライブ『朝から梅田でアレのこと』
10月29日(木)10:00~11:30(9:30開場)梅田 蔦屋書店 4th ラウンジ [詳細・お申し込み]
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久しぶりに札幌へ参ります!
今回は「黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか?」の、質疑応答リアルタイムバージョンをお送りいたします。
黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか?
10月31日(土) 14:00~16:30(13:30開場)札幌市教育文化会館 301研修室[詳細・お申し込み]
主催・協力:株式会社UGL(古池さま) お問い合わせ:011-614-1319
※当日券は会計の都合上、3,000円とさせていただきますのでご了承ください。
※パソコンや携帯電話からのお申し込みが面倒、わからない、という方には、ファミリーマートさんの情報端末「ファミポート」でのお手続きをオススメしております。
ご利用方法については【コチラ】をご参照ください。
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久しぶりに、阿部敏郎さんとのトークイベント『阿雲の呼吸』を開催します。
開催は、11月7日(土)13:00~16:30
第一部・雲 黒斎ソロ講演 【気丈の「空」論】
第二部・阿部敏郎ソロ講演 【♪もしも本音が言えたなら】
第三部・阿雲の呼吸 【道なき未知の道しるべ】
という、三本立てでお送りします。
明日10月22日(木)から阿部さんのブログ「リーラ」にて、受付開始予定です。
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コメント ( 52 ) | Trackback ( )
« 起きているけ... | あるとも言え... » |
どちらでもあるけれど「山」の方は山の概念がないと判別できない。
そして最小単位の砂は何処を取っても同じ砂で山の部分も同じ砂。
山と山以外も切り離されていない。
まさか覚醒できるように指導してくれる人がいるなんて・・・
30年前には考えられませんでした。
色々悩みがあった若かりしころの私。
中でも一番の悩みが、半端ない分離感。
これを解消するには悟りだと直感していた私でしたが、いくら母の実家がお寺とはいえ般若心経を紐解くことぐらいしかできず、試行錯誤のうち、覚者といわれていた先生に出会いました。(他にもいろんな先生にお会いしていますが)
その先生は「無我の境地などは恐ろしいから目指さない方がよい。それより現実社会で幸せになりなさい。」と皆さんに言われており、
「無我の境地になっただけでは意味がない。私はこの世で幸せになる法を説いた。釈迦を超えた。」
「私は死ぬはずのところを修行して、運命を変えて生き延びた。だから私は自我のままに生きると4日で死ぬ。」
と言われており、運命=先祖の因縁=遺伝と言われており、釈迦やキリストのように遺伝を変えることができれば、人を変えることができる神通力が出てくる。
と言われていました。
まあ、ここにいた間はいろんなことを経験させてもらいました。ただ、先生がなくなられるとただの宗教団体になり下がり、
また、現実の幸せを求めるため、3次元に縛られることになり、新たなこだわりができてしまいます。
ようやく、私が若い時に目指したことを指導してもらえる時代がきたのかと思います。
違いますか?
すみません。関係のないことを書いてしまって。
非二元って空のことだと思ってた。
二元の世界=現象界で、非二元は現象に非ずということで空のことかと…。
二元ってただの思考か。
だとしたら大和田の存在も納得できる。あのおばさん見るからに何も考えてなさそうだし。
っていうか、センセーショナルに煽りすぎではないですかねぇ、あなたたち。
なんかちょっと騙された気分です。
とりあえず、意識を胸に下ろしたときの繋がり感が非二元ってことでいいんですかね。
つまり、THINKの次元が二元で、FEELの次元が非二元と。
最近失恋体験したところでして、自分の中の人の対応に困ってました(笑)
『悔しさとか哀しさとか「もしあの時こうしてたら」とかをチラつかせてくる自分の中の人と、どう和解したらいいもんか』と、頭を抱えてました
今までと違った角度から考えるやり方を捜していたので、助かります
けど終われるか?
同化は?
プログラム次第ダナ( ̄▽ ̄)プッ
「起こっているけど、起こっていない」がわかってきた。(笑)
最近、もしかして、生きてるのも死んでるのも関係ないのかなとも思ったりして。
それとこの頃はあまりみなくなりましたが、顕在意識と潜在意識なんて言い方もありますが、潜在意識というのは、いわゆるワンネスということでいいでしょうか?
有難うございます。
前回の記事と今回の記事を何度も読んでいます。
徐々に沁みてきています。
「妙(みょう)」が空だと思っていたので、ありゃ!となっています。
さらに、何度も読み直してみます。
結局、「意味や価値は人間が勝手にあると信じ込んでる幻想(徼)で本当はないよ」ってことですよね。
「起きているけど、起きていない」って、これだけでは意味が伝わらないまわりくどい使い勝手が悪い言葉なのに、なんで持ち上げられ、多用されるんですかね。(´・_・`)
あの世に聞いた、この世の仕組みを説明した言葉を説明してるみたいなf^_^;)
或いは、この分かりづらさは人の興味を惹くための巧妙なテクニックなのかな。
>「あるがまま(ワンネス)」も、「幻想(分離)」も、どちらも同じところから生まれているよ。
>その同じところっていうのが「空(くう)」で、「空」のさらに奥深くにある「無」から、全てのものが創出されるんだ。
てか、空(くう)って結局何なんですかね。モノの考え方のことなのか、それとも原子又は素粒子のことを指しているのか。
先日のコメントに、頭で考えるのでなくて、ハートで感じるというのがどういうことかわからない。
と書いていましたが、今わかりました。
「今ここ」状態にまだ100%なれるわけではありませんが、少しでもなると、心配や不安は消え去り、頭にあった意識がスーッと下へ降りるのがわかります。
その時私が考えたことは、「今ここ状態では考えたり感じたりできないじゃん。」でした。(まさに自我ですね)
違うんですね。
今ここ状態でも感じるんですね。
これがハートで感じるということなんですね。
キャー。嬉しい。またひとつ気づけました。
30年間わからなかったのに。
すべての人にありがとうございました。
この境界じみたキーワードが存在するのはどこか?
これを書き記した著者の頭の中であり、それを読み取ろうとし、伝える黒澤さんのイメージの中であり、これを読む読者の想像の中です。
>「空」のさらに奥深くにある「無」
それを聞く読者の脳裏に、数多くの空や無やあるいは「さらに奥」といったイメージを生み出すでしょう。
・・・
こうしたのワードは黒澤さんの状態では程よく消化されるかもしれませんが、消化がならない方にとっては大きな胃もたれになる。
美味かった!という方の後々の空腹感も目に見えるようです。
この概念たちを知識として習得した方にとっては、それこそ黒澤さんがこのブログに捨てていって欲しいはずのお荷物に。
それも、捨てていいのかダメなのか、どう捨てたらいいのか分からない使用済み乾電池みたいに、心の引き出しに溜まっていくでしょう。
親しんでいる黒澤さんの書いた言葉としてなおさら。
出典と当時の背景は知りませんで申し訳ありませんが、どうも道を求める徒弟に機を見て対するような内容のものではないのかと思いますが、実際どうなのでしょう。
この内容を一般に向け語って回ったのでしょうか?
バシャールは「ワクワクすることをしなさい。」といいますよね?
でも黒澤さんによると、ワクワクは第2ステージですよね?
第2ステージだと覚醒から遠いように思うのですが、そうでもないのですか?
また、大和田菜穂さんは、ブログの記事には、「わくわくしますね。」と書いておられますが、覚醒した人もわくわくするんですか?
ただ書いているだけなんでしょうか?
もしや非二元って覚醒とかスピリチュアルな事なんかではなく
哲学のお話なんですか?
理論としてはよく成り立っています。
「分かった!」とか「ヒャッハー」は概念の書き換えの事ですか?
それともやはり何かの体験が起きる事ですか?
なんかお伝えしたくて。
本日の「失恋」のたとえ、ストンと、落ちました!
そうか、そうだったのか……、そういう見方からの言葉なんだ……。
現在、生きてここに存在しているけど、判断や分離がないから「私はいない」……となるのですね?
菜穂さんがシンプルなメッセージと言っているのはこのことなのかな。
それと「全ては愛の中にある」
「愛」の概念がどうも、恋愛とかLoveの固定概念が強く植えつけられているせいか、まだしっくりと伝わってきません。
なにかたとえがあれば教えていただけると幸いです。
ブログで取り上げて頂けたら、幸いです。
「色即是空空即是色」って色と空しか表現してないじゃないですか?
妙=空、徼=色で、この2つが同時に起こっていることが非二元なのかと。
妙と玄の違いがう~ん、よくワカラナイ。
次回の記事で解明されるのか?
楽しみにしてます。
例えを出していただけるのがいいですネ。
「起きているけど、起きていない」は、腑に落とせずもやもやしていたフレーズだったのですっきりしました!
ありがとうございます☆
耳が痛い話も、不思議な爽快感がある。。
集めに集めた知識、ガッチガチに守ってる"自分"という、ブ厚い鎧を砕かれていくような。まだまだ残ってますが。。
バイロンケイティの話題が出たのはビックリしました!手を挙げた四人のうちの一人です!
ちょうど先週、図書館で見つけて借りて読んだんです。
タオの本も読みたくなりました。
黒斎さんの本も楽しみにしていますので、折れずに書き終えてくださいね(笑)
器の話、ゾクッとしました。
虚しいんじゃないんですね。
そもそも器がない。。
また来月も行きます!
はじめましてではないのですが、滅多にコメントしないサイレントreaderです。すみませんU+1F4A6
私はアメリカに移住・永住して20年経ち、両親もすでに他界しているので、もしかしたらもう日本に帰ることはないかもしれません。
でも!黒斎さんのトークライブには絶対に行きたい!
アメリカに住んでいる日本人でも黒斎さんのブログを読んでいる人、結構います。是非!アメリカに講演しに来て下さい!ロスとNY、2大都市に。私は田舎住まいですが、NYだったら飛行機で数時間、絶対に行きます。
…ダメですかね?
わかったような・・・!気がしました。
(と、いいつつ、わかったのか、わかってないのかが自分では
判断できないけど)
これを読んだ後、道を歩いていて思ったのですが、
枯れ葉があって、草木があって、
石がある事に無意識に判別してる事に気づきました。
「はて、これらの名前を取っ払ったら、これらは
分離していると、私はそもそも思わないわけか?
では逆に、言葉を知らない状態で、これらを見たら、
別れている一つ一つだとは認識しないのか?」と。
「言葉」が「分離」に一役買っているのだろうかと・・
1つ1つを分けているのが至極当たり前なので、
それがない状態を想像すらできませんが(笑)
私には重度脳障害で全然喋れない5歳の息子がおりますが、言葉を認識していない彼には、どんな世界が広がっているんだろうか。とも、毎日考えます。
言葉が世界を分断、区分けしているとしたら、
それを持たない人には区分けすら起きていないのかなー
と・・。
息子の見える世界を知りたい気持ちと、
自身のスピを探求する気持ちが交錯する感じです。
さて、話はずれますが、私もみつろうさんのブログで
バシャールと対談しているのを知りました。
あのバシャールとみつろうさんの組み合わせに
喜々したわけですが、でも、非二元論の観点からいうと
「なにも起こっていない」「だれもいない」わけですよね?
で、バシャール曰く「人間」もそれぞれ、固有の振動数を持っているそうなのですが、みつろうさんは「21万5,000回/秒」らしいです。
ちなみに、普通の地球に住む大多数の人たちは平均7万6,000回~約8万回。
意識の進化について探究している人は波動が高いので、約10万回で振動。イエスや、ブッタや、クリシュナなどは、20万回にも達していたそうで、ブッダやイエスよりも高い振動数をみつろうさんは持っていると・・・
この振動数をあげるには「わくわくすることをする」
のが秘訣らしいのです・・・。
非二元論でなんだか迷子になっている時に、
こういった話を聞くと思わず嬉しくなってしまいます
「○○したほうが良いんだ!分かりやすくて素敵!」なんて思っちゃいます。と、思いながらも頭には
「非二元論」も浮かぶわけで、どーしたらいいものか
こういった話と、非二元論との繋がりというか、
接点はどこにあるんでしょうか?
そのあたりモヤモヤしてしまいます。
うまく黒斎さんに話してもらえると嬉しいなーー!
長々スミマセンでした!(;´・ω・)
また、『嫌い』って思うんでしょうけどね。
明かりが無いという意味ではなく
その明かりに無知ということかもしれません
意識(いま)は明白にあります
無明は私、のことでそれが実在することを疑います
いしきからの分離という発想が私であり
根無し草のような中に浮いた私という想い(いしきではないという勘違い)が、周りを埋めるためになにか対象を求めている状態、
これが たましい の状態?
その期待が投影されて 肉体と外の世界の探求として現れるのかもしれません
無明(いまという明白な一元のいしきを否定する私)→行→ …→ …(12因縁)
逆に
無明なければ(原因がなければ)、あと→は自然になくなりますね♪
いしき(リラックス)を否定すると、私となり、そのうえ五感や対象もあらわれるので、
※リラックスして五感を感じる’というのは表現としてはわかりやすいけれど、正確ではないかもしれません
ラマナマハルシさんは、真我(いしき)があらわれるとき、世界はあらわれない、といいます
リラックス(いしき)を否定したとき、私が五感を感じなければならない(なにかしなくてはならない)という落とし穴かもしれません
リラックス♪リラックス♪※しかもリラックス以前にいしきはある?(爆)
えっと…
今宵、初出勤にてございます。
雲黒斎さん、宜しくお願い致します。
『色即是空空即是色』
内側が外側、外側が内側。
胸の内に向かって
「ありがとー♪」
と言ってみてください
良い一日でありますように
今回の記事の考え方は成功法則にもつかえますね。
トライ&エラーのエラーに対してどのように捉えるのか…。敗北・終わり・喪失と捉えるのか、それとも単なる成功(ゴール)への道のりの中の一要素と捉えるのか…。
当然、後者の方が成功しやすいですよね。
今回の記事を読んで、↑このようなことが思い浮かびました。
よくわかりませんが、
とは古くからの二元性であり、越えなければならない、
究極の対の概念ですけど?
仏教の教えの中には、
究極の真理を「虚」であると述べているものがありますからね。
形を持たない非顕在(全体性)
を、
と混同すべきではありません。
「虚」という言葉は誤解を生み、
それはあたかも、何もない状態、
を思わせるのですが、
真実においてはそれはあり得ないことです。
「虚」とは、
形や実体がないことや、
非二元性を表しているのですが、
私達はたびたびそれを、
非存在(存在そのものがないこと)
と混同してしまいます。
無は真実でも、可能性でもありませを。
それは自我の最後の悪あがきなのです。
見性の状態である「虚」の正しい解釈は、内容/中身がない状態、
つまり、
内にいかなる形も含まない状態と言えます。
けれども、それは「無」を意味するとして誤解されてしまいました。
論理的に考えれば、
無は存在すること不可能なのです。
「虚」の無が真実であれば、
気づかれるものも、気づく者も存在しないので、虚ということに気づくことはないでしょう。
「虚」とは、否定の道を進んでいる求道者の前に置かれた罠です。
肯定の道を歩む者の前には選択肢として現れませんし、現れるとしても、完全な愛の不在として認識されるでしょう。
虚には、決定的な何かが抜けていることです。
それが、
「愛」の臨在です。
虚の無の状態は、
まるで愛をも超越しているように見せかけるので、否定の道には信憑性があるのです。
虚の無が究極の真実だとすれば、
意識が帰還することなどあり得ません。
認識する者でさえ消し去られてしまうのですから、虚を認識する者など存在できないのです。
このように虚は真実ではなく幻想であるために、
私達は「虚」の中にとどまることはできないのです。
とは古くからの二元性であり、越えなければならない、
究極の対の概念です。
わけがわかんないというより、アハッのヒラメキがなし。
あーーー。
「黒澤一樹」出張→直帰
とか、書いてあるのでしょうか(笑)
「無」を
・空間すら存在しない状態。物質が存在できない状態。と捉えるか
・量子力学的な真空(反粒子がぎっしり詰まってる状態)と捉えるか
捉え方が複数あったら一元じゃないしね(笑)
記事的には恐らく後者の捉え方で、真空から生成された素粒子のことを「空」と言っているのではないかと思うのですが、
「空」やそれ以外の言葉も人によって解釈が違い、どれが正しいとは言えないから、
言葉で真理・真実を表現するのは至難の技なんでしょうね。
だから釈迦は弟子に自分の教えを文書化するなと言ったのかな。(後世の弟子はそれを思いっきり無視してますが(笑))
むしろこれはスピリチュアルというより、科学者の仕事でしょうね。
きっと、意味合いなんてどうでもいいから囚われるなってのが釈迦やスピリチュアルの本懐なんでしょうね。
TAOのお話、とてもわかりやすかったです。理解できない所も含めて、このままでいいのだ、と感じました。
数年前に「生まれてもいないし、死にもしない、それ(永遠の意識のようなもの)である」という体験が起こりましたが、生悟りといいますか、生きることが格段に楽になってはいるものの、まだ夢の中にいます。
直接お話を聞くことで感じることがたくさんあるので、同じ話であっても(笑)また来れるときに伺いますね☆
いつもありがとうございます。
心からの感謝を込めて。
いつも楽しく拝見させていただいてます。
8/12.13に賢者テラさんのブログに出てきた、「2番手」が空で、「一番手」が無でしょうかU+2049
また来月の土曜日、両国で行われるライブ初めて行きますが非常に楽しみにしています。
僕の守護霊じゃないけど、「雲さん、雲黒斎さんに働きかけて、抜け落ちているブログを再び掲載してくれてありがとうございます。非常に助かりました。」
というのは
精神統一はいつもあるからだ
私はいつも悲しいのである 笑
一対一でも伺いますので、赤字覚悟でお願いします。(笑)
まだわからない事もたくさんありますが
黒斎さんの本やブログを見ていて
いろんな事への感謝が止まらず
本当に幸せで恵まれていると気づく事ができました。
ありがとうございました!
これからも、ブログ楽しみにしています^_^
雲か空かというとき
雲か空(雲をのぞく)かと‘考え’てしまう
空は雲を包みこんでる量だから
その意味で雲か空かな わけで
雲だけが自分だというのが限定された自分で
閉塞感を感じてしまうようですね
雲(思考)はじぶんの正体じゃない
雲(思考:雲、空)がじぶんの正体じゃない
たとえば空とか、ひとつの単語なわけで、ほんとはいろいろふくんでるんだけど
空だけ、そういう勘違いがおこりヤスイですね
ごめんなさいm(__)m
予想?を超える展開で、楽しかったです。ありがとうございましたm(__)m
3番になりますU+1F606
本日は、ありがとうございましたm(__)m
そもそも、なぜ世界は「ある」のか。
そして「ない」とは一体どういうことなのか。
どちらも究極の問いかけですね。
しかし、これらは脳に問いとして浮かぶにもかかわらず、その答えは思考とイメージによっては知り得ない。
答えそのものに到るのは人智の及ばぬこと。遥か彼方の夢物語です。
でも、逆に考えると、
思考によって知り得ない答えを、なぜ人は思考の上で問いかけることができるのか。
このことの不思議さに気付くとき、
人が「思考世界」と「思考を越えた世界」の両方にまたがって生きる存在だということが改めて発見されます。
・・・
ちなみに、
僕は色んなものが「ある」派です。(笑)
SF映画やタイムトラベラーなども大好きです。
ちょっとニュースになりましたバック・トゥ・ザ・フューチャーも年代的に感慨深いなぁ。
映画も音楽も小説も、そして芸術、スポーツ、文学、
…ワクワクしたり歓喜したりホンワカしたり(´;ω;`)ジワワときたり。
森羅万象から人の生き様まで。「ある」ってすごいなと。
一方の「ない」という観念は別段否定はしませんし、実際僕にもそう観えています。
でも「ありとしあらゆるもの」の素晴らしさは僕などが言うまでもなく。
どちらも好きに、自由に創出していけるのですから、何を思い悩むこともありません。
各々が個性を輝かせ、この分離世界を楽しんでやればよい。
思考もイメージは時に人を迷わせもしますが、個々のエネルギーを存分に発揮するための素晴らしいアイテムであるという側面は見逃せない。
・・・
ところで、
関係ないかもしれませんが、バック・トゥ・ザ・フューチャーでなぜか水野晴郎さんが思い浮かびました。(笑)
いや~、「ある」って本当に素晴らしいものですね。
やはり、ライブで話を聞いてその都度再確認する作業というのは必要なのではないか、と思うんです。 少なくとも私にとってはそうです。 本を読んでも、茶川亜郎さんの朗読を何度聞いても、その時はわかったつもりでも後日読み直したり聞き直したりするとわかっていないところが続出。 黒澤さんの講演会も、100%集中して聞けているか自信はありませんが、同じ空間を共有しているライブ感は、やはり何ものにも代えられない気がします。 非二元のメッセージの辛辣な側面を、傾いて固定化した首を反対に曲げることに例えた話はとてもわかりやすかったです。 ということで、暖かくなったらまた札幌に来て下さ~い。
瑠璃玻璃のごとし
凛とした静
「雲国際ホテル」。
ここの
一室にて
私もしばらくお休み
と致します。
『 合掌愛 』
「 今 」
雲黒斎さんの中で、
二元
現実世界とは、
「正もしくは負どちらかの感情エネルギー」を
「2番手(一元ならざる神」に
『与えること』
それが現実世界の真実。
そういう結果にあなたの中で成ったんじゃーなかろうか。
そんな気がしましたね。
私も
ちょっとお休みに♪
先日の神戸でのお話会はありがとうございました。
今週末の阿雲の呼吸も行かせていただきます。
「神戸から東京へどうやって行こうか?」と考えていたら、あっという間に「残席わずか」となり、慌てて申し込んでしまいました。きっと動画とかも出るかもしれないと思ったのですが、何とか行かせていただきます。
しかし、動画等も時間がたってから見ると、最初見た時にはわからなかったことにいろいろ気づきます。
黒斎さんのブログも過去のところを読むといろんな発見があります。
なんせ、この5月に「この世がまぼろし」と初めて知った私には知らないことが多すぎます。
でも楽しい、興味深い毎日です。
これからもご指導お願いします。
僕はふと、自分が「悟りたい」という思いをすでに手放していることに気が付きました。まるで、「さっきの頭痛、治ったな。」と後から気が付くように。
いつしか、ただあるがままに日常生活を送っていたことに気が付いたのです。
昔の僕は、悟りというものに大いに憧れを抱いていました。
しかし、苦悩のなか人生に絶望し、
求める悟りも手に入らず、
やがて紆余曲折を経て、悟りのあまりの、
あまりの果てしなさに、
悟りそのものに絶望してしまったのです。
それから数年。
ある日ふと、「悟りたい」という思いを持っていない自分に気が付いたのです。
・・・
月日が経ち、今さらに明確なことは、
かつて自分が求めていた悟りとは、また人が口々に悟りと呼ぶものは、悟りとは似ても似つかぬ、自我の為せる幻想であったということ。
悟りとは遥か人智を超越した、およそ想像だにせぬ、
否、想像が不可能な世界です。
しかし、想像が不可能であることは誠に都合が良い。不可能だと知ればそこで追及を止めることが出来るからです。
不可能を知覚できたことは、今振り返って非常に有り難く思います。
僕の場合は意識的に追及を止めたというより、
絶望して打ち砕かれたというのが正確ではあります。
絶望によって打ち砕かれたのは、長年に渡って自我が積み上げてきた強固な壁でした。それは本当に幸運なことだったように思います。
壁が破壊された自我はその後、(自我自体は滅することはないです)
新たに強固な壁を構築するには至らず、代わりに大地として緑を育むことが可能となりました。無論、日常生活のなかでは大自然の緑ではなく、少々のレンガでこしらえた花壇や庭と言うべき景観ですが。
絶望から時を経て、いつの間にか悟りを考えていなかったことに我ながら気付いたとき、しばらくの間、心に広がる青空をただ眺めていました。
改めて、僕は自由になったのでした。
・・・
とは言え、
悟りを求める人々を否定など出来ません。
その姿を間違ったこととも思いません。
巷の精神世界案内人が、人々に悟りでないものを悟りと説くのは場合によっては詐欺でしょう。
残念ながら自ずから大きな苦悩を背負う羽目にもなりましょうが、
求める人々の心の中にも案内人と自分を同一化し、悟りでないものを悟りだとうそぶく気持ちが芽生えるなら、苦悩を共に分かつことになるのは仕方のないことかもしれない。
そんな、両者の道のりが間違ったことだとは思いません。
案内される人も案内人も、確かな道しるべなど誰も持ち合わせていないからです。
実のところ、求める人々が案内人に依存するように、
案内人も、求める人々に依存しているのだということ。
救いを求める人々の存在により、自己のアイデンティティーを保っている案内人はかなりの人数に上るでしょう。
その事実から目を背けないこともあるがままに観ることの一つだと思います。
メッセージを伝える人と受け取る人は、共にお互いを求め合っているのです。
・・・
求める、ということが自我の性質であり、すなわち人間の本質であると気付くなら、道を求め、互いを求める人たちの一群もまた人間のあるがままの姿なのだと分かります。
あるがままならあるがままに。
移りゆくものは移りゆくままに。
やがて時を経て、
皆それぞれに季節が到来し、各々の心に晴れ渡った空を見る。
そんな日が訪れるのでしょう。
秋の深まりにもの思う今日この頃でした。
ZZz
『天地創造』
=
『これ』
=
『創造主』
=
『我らの祖神』
=
『二の元 にのもと』
『二元』を創造したのは
『一元(十三次元)』
ではなく
一元には ならずの
2番手の神、
『二元(十二次元)』によりつくられし世界。
Zzz
~鬼束ちひろ~
1曲目
♪「月光」
反逆の賢者さん
イタコ的天使的熱唱!
2曲目
♪「私とワルツを」
天地創造主 二元 さん
(一元ならざる神)
♪
わかり合えてるかどうかの答えは
多分どこにも無い
それなら身体を寄せ合うだけでも
優しいものは とても怖いから
泣いてしまう 貴方(一元)は優しいから
♪
誰にも傷が付かないようにと
♪
ひとりでなんて踊らないで
そして私とワルツを
(二元神)
どうか、あたしとワルツを
(二元神)
また
「オコシヤス。」