いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
すでにそうであるもの
先日コメント欄に、こんなご質問をいただきました。
「すでにそうであるもの」を「イエス」といって受け入れると、あなたの深淵にある新たな次元が開かれます。その次元は外的状況にも、思考や感情で絶え間なく揺れ動いている内的状況にも、依存していません。 : エックハルト・トール
エック卿の仰る「すでにそうであるもの」とは何を指すのでしょう?なかなか捕らえにくいのですが・・・。
「すでにそうであるもの」は、文字通り、「すでにそうであるもの」のことです。
目の前に、某かの事象があるとして。
僕たちは、その事象に『解釈(観念・判断・観点・見識・意見・意味・価値・ジャッジ・批判等)』を付け加えて世界を捉えています。
そして、自身が保有している『解釈』こそが、その人における『事実』『認識』『現実』として浮かびあがっているんです。
たとえ話を始める前に、今日はまず、下の動画をご覧ください。
この動画は、昨今話題の「3Dプロジェクション・マッピング」。
白塗りの男性に、様々な映像が投影されていき、本来の姿にはない表情を見せてくれます。
僕たちは日常的に、このプロジェクション・マッピングと同じように、様々な『解釈』を事象に投影して、世界を見ています。
ある人に対しては、「あの人は、こういう人」というマッピングを、ある物に対しては「これは、こういう物」というマッピングを。
木彫りの人形に「ありがたさ」や「神聖さ」をマッピングして「仏像」と捉えるように、はたまた金属片や印刷物に「価値」をマッピングして「貨幣」と捉えるように、僕たちは様々なシチュエーションで『解釈』を活用しています。
言ってみれば、僕たちの人生は『マインド・マッピング』の世界。
神道において、「現世」を「うつしよ」と読むのは、そのためです。
これを踏まえて、先のエックハルト・トールさんの言葉を見てみましょう。
「すでにそうであるもの」を「イエス」といって受け入れると、あなたの深淵にある新たな次元が開かれます。
その次元は外的状況にも、思考や感情で絶え間なく揺れ動いている内的状況にも、依存していません。
これは、
「いま目の前にある男性の姿は、コンピューターで作られたデータが投影されているものだ」という事実を「イエス」といって受け入れると、「白塗りの彼(“素”の姿)」という世界が開かれます。
白塗りの彼の存在そのものは、投影されている映像に、依存していません。
と言い換えることが出来るでしょう。
ハートの奥底には、なんの色も付いていない、純粋な「光」があります。
ハートを閉ざして生きれば、光は遮られ、人生は「お先まっくら」になります。
しかし、少しでもハートを開けば、そこから光は漏れだし、心の中にある様々なマインドが、そのままフィルムやデータの代わりとなって、目の前にある事象に投影されます。
そこに何が映し出されるかは、その人が抱えているマインド次第。
人それぞれ、別なデータを映し出しているので、ひとつの事象に対しても、認識のされ方は、人それぞれです。
何かを「美しい」と捉えたなら、その何かに「美しさ」があるのではなく、その人の中にある「美しさ」が、その何かに投影されたのです。
何かを「醜い」と捉えたなら、その何かに「醜さ」があるのではなく、その人の中にある「醜さ」が、その何かに投影されたのです。
心に「ポジティブ」なマインドがあるなら、世界に「ポジティブ」がマッピングされます。
心に「ネガティブ」なマインドがあるなら、世界に「ネガティブ」がマッピングされます。
心にどんなマインドもなければ、世界は「あるがまま」の姿で光を浴びます。
色即是空。
僕たちが生きる「色(しき)」の世界は、マインドや観念という「色(いろ)」がマッピングされた世界です。
「空(くう)」は、文字通り、マインドや観念が「からっぽ」な、素(す)の世界です。
その世界は、マッピングが消えたときに、はじめて明からになります。
そして、そこにマッピングがあろうがなかろうが、僕たちは「空」という舞台に立っている事実は変わりません。
「空」は、解釈が付け加えられる前の世界ですから、それを捉えることは不可能です。
だって、「わかりました!『空』って、こういうことだったんですね!」となったのなら、そこには「こういうこと」という『解釈』が生まれてしまっているのですから。
*****
さて、今晩はアウルズ・エージェンシーさん主催による『ザ・パワー・オブ・ザ・ハート』の発売記念パーティ。
書籍版の翻訳を担当された山川紘矢・亜希子ご夫妻ほか、いろいろなゲストが登場するそうです。
忘年会にはちょっと早いかもだけど、「ハート」をテーマに語りながらのひととき。
よろしければご参加ください。
ザ・パワー・オブ・ザ・ハート ナイト(ブッフェ & 飲み放題2時間つき)
11月30日(月)19:00スタート @代官山「晴れたら空に豆まいて」
[詳細・お申し込み]
12月11日(金)には、文京区にて同テーマのお話会の予定です。
あの世に聞いた、ハートの仕組み
12月11日(金)19:00スタート @文京区スカイホール(文京シビックセンター26階)
[詳細・お申し込み]
【その他、12月のトークライブは、下記のとおりです】
平日のお話会「月イチ☆」、12月開催分、受付開始いたしました!
毎年恒例となった、気持ちばかりのクリスマスプレゼントをご用意してお待ちしております。
さらに、17日(木)の浜松では、なんと、スペシャルゲストに阿部敏郎さんをお迎えして、『阿雲の呼吸スペシャル』を開催!
平日のお話会「月イチ☆」(東京)
12月21日(月)19:30~21:30(19:00会場)@三鷹産業プラザ 7階 701会議室[詳細・お申し込み]
平日のお話会「月イチ☆WEST」(大阪)
12月18日(金)19:00~21:00(18:30会場)@大阪産業創造館 会議室A・B[詳細・お申し込み]
平日のお話会「でら☆月イチ」阿雲の呼吸スペシャル(浜松)
12月17日(木)19:30~21:30(19:00会場)@アクトシティ浜松 研修交流センター 401会議室[詳細・お申し込み]
*****
※パソコンや携帯電話からのお申し込みが面倒、わからない、という方には、ファミリーマートさんの情報端末「ファミポート」でのお手続きをオススメしております。
ご利用方法については【コチラ】をご参照ください。
←あなたには、どんな世界が映っていますか?
「すでにそうであるもの」を「イエス」といって受け入れると、あなたの深淵にある新たな次元が開かれます。その次元は外的状況にも、思考や感情で絶え間なく揺れ動いている内的状況にも、依存していません。 : エックハルト・トール
エック卿の仰る「すでにそうであるもの」とは何を指すのでしょう?なかなか捕らえにくいのですが・・・。
「すでにそうであるもの」は、文字通り、「すでにそうであるもの」のことです。
目の前に、某かの事象があるとして。
僕たちは、その事象に『解釈(観念・判断・観点・見識・意見・意味・価値・ジャッジ・批判等)』を付け加えて世界を捉えています。
そして、自身が保有している『解釈』こそが、その人における『事実』『認識』『現実』として浮かびあがっているんです。
たとえ話を始める前に、今日はまず、下の動画をご覧ください。
この動画は、昨今話題の「3Dプロジェクション・マッピング」。
白塗りの男性に、様々な映像が投影されていき、本来の姿にはない表情を見せてくれます。
僕たちは日常的に、このプロジェクション・マッピングと同じように、様々な『解釈』を事象に投影して、世界を見ています。
ある人に対しては、「あの人は、こういう人」というマッピングを、ある物に対しては「これは、こういう物」というマッピングを。
木彫りの人形に「ありがたさ」や「神聖さ」をマッピングして「仏像」と捉えるように、はたまた金属片や印刷物に「価値」をマッピングして「貨幣」と捉えるように、僕たちは様々なシチュエーションで『解釈』を活用しています。
言ってみれば、僕たちの人生は『マインド・マッピング』の世界。
神道において、「現世」を「うつしよ」と読むのは、そのためです。
これを踏まえて、先のエックハルト・トールさんの言葉を見てみましょう。
「すでにそうであるもの」を「イエス」といって受け入れると、あなたの深淵にある新たな次元が開かれます。
その次元は外的状況にも、思考や感情で絶え間なく揺れ動いている内的状況にも、依存していません。
これは、
「いま目の前にある男性の姿は、コンピューターで作られたデータが投影されているものだ」という事実を「イエス」といって受け入れると、「白塗りの彼(“素”の姿)」という世界が開かれます。
白塗りの彼の存在そのものは、投影されている映像に、依存していません。
と言い換えることが出来るでしょう。
ハートの奥底には、なんの色も付いていない、純粋な「光」があります。
ハートを閉ざして生きれば、光は遮られ、人生は「お先まっくら」になります。
しかし、少しでもハートを開けば、そこから光は漏れだし、心の中にある様々なマインドが、そのままフィルムやデータの代わりとなって、目の前にある事象に投影されます。
そこに何が映し出されるかは、その人が抱えているマインド次第。
人それぞれ、別なデータを映し出しているので、ひとつの事象に対しても、認識のされ方は、人それぞれです。
何かを「美しい」と捉えたなら、その何かに「美しさ」があるのではなく、その人の中にある「美しさ」が、その何かに投影されたのです。
何かを「醜い」と捉えたなら、その何かに「醜さ」があるのではなく、その人の中にある「醜さ」が、その何かに投影されたのです。
心に「ポジティブ」なマインドがあるなら、世界に「ポジティブ」がマッピングされます。
心に「ネガティブ」なマインドがあるなら、世界に「ネガティブ」がマッピングされます。
心にどんなマインドもなければ、世界は「あるがまま」の姿で光を浴びます。
色即是空。
僕たちが生きる「色(しき)」の世界は、マインドや観念という「色(いろ)」がマッピングされた世界です。
「空(くう)」は、文字通り、マインドや観念が「からっぽ」な、素(す)の世界です。
その世界は、マッピングが消えたときに、はじめて明からになります。
そして、そこにマッピングがあろうがなかろうが、僕たちは「空」という舞台に立っている事実は変わりません。
「空」は、解釈が付け加えられる前の世界ですから、それを捉えることは不可能です。
だって、「わかりました!『空』って、こういうことだったんですね!」となったのなら、そこには「こういうこと」という『解釈』が生まれてしまっているのですから。
*****
さて、今晩はアウルズ・エージェンシーさん主催による『ザ・パワー・オブ・ザ・ハート』の発売記念パーティ。
書籍版の翻訳を担当された山川紘矢・亜希子ご夫妻ほか、いろいろなゲストが登場するそうです。
忘年会にはちょっと早いかもだけど、「ハート」をテーマに語りながらのひととき。
よろしければご参加ください。
ザ・パワー・オブ・ザ・ハート ナイト(ブッフェ & 飲み放題2時間つき)
11月30日(月)19:00スタート @代官山「晴れたら空に豆まいて」
[詳細・お申し込み]
12月11日(金)には、文京区にて同テーマのお話会の予定です。
あの世に聞いた、ハートの仕組み
12月11日(金)19:00スタート @文京区スカイホール(文京シビックセンター26階)
[詳細・お申し込み]
【その他、12月のトークライブは、下記のとおりです】
平日のお話会「月イチ☆」、12月開催分、受付開始いたしました!
毎年恒例となった、気持ちばかりのクリスマスプレゼントをご用意してお待ちしております。
さらに、17日(木)の浜松では、なんと、スペシャルゲストに阿部敏郎さんをお迎えして、『阿雲の呼吸スペシャル』を開催!
平日のお話会「月イチ☆」(東京)
12月21日(月)19:30~21:30(19:00会場)@三鷹産業プラザ 7階 701会議室[詳細・お申し込み]
平日のお話会「月イチ☆WEST」(大阪)
12月18日(金)19:00~21:00(18:30会場)@大阪産業創造館 会議室A・B[詳細・お申し込み]
平日のお話会「でら☆月イチ」阿雲の呼吸スペシャル(浜松)
12月17日(木)19:30~21:30(19:00会場)@アクトシティ浜松 研修交流センター 401会議室[詳細・お申し込み]
*****
※パソコンや携帯電話からのお申し込みが面倒、わからない、という方には、ファミリーマートさんの情報端末「ファミポート」でのお手続きをオススメしております。
ご利用方法については【コチラ】をご参照ください。
←あなたには、どんな世界が映っていますか?
コメント ( 38 ) | Trackback ( )
« 空間からは逃... | お待たせしま... » |
YES YES YES ・・・・
AND THANK YOU
ありがとうございます。(*^-^*)
消せない色なんてないんですよね~
心の中にある様々なマインドを、
従者にするという理解で、よろしいでしょうか?
すでに、『解釈』が生まれていますが、
お話は、[象]の全体を良く説明されています。
山の中腹で、休んでいたのですが、
霧が晴れた気がします。
かたじけない。
ありがとうございます。
今日の記事でもいっぱい気づきがありました。
私は今まで「すでにそうであるもの」に「イエス」と言ったことがあまりありません。むしろ、現状をどうすれば変えられるかと考え実行してきました。
でも、出来事は神様のメッセージと思っていたので、いつもお導きに感謝はしていました。
私は、理論理屈で、力技で、理性的に仕事もやってきました。その点、普通、女性はハートフルですよね。私は男性的なんだと思います。
7月ごろ初めてエックハルトトールの本を読んだとき、自分の頭の中は思考だらけだと気づき、しかもずっと、引き寄せなどをやってきたために、その思考のほとんどがポジティブで、思考を楽しんで、思考と同化していることもわかりました。
以前より、たまーに、突然「今ここ」状態になるときがありました。すると、ポジティブな思考が「え?何?この状態。何?このいい感じ。やった。やった。すごい。すごい。」と騒ぎ出します。おかげで、今ここ状態は2~3時間で消え去っていました。
東京でのハートのお話し、聞きたかったですが、仕事さぼって東京まで行くことはできませんでした。
12月の大阪での月一お話会では、是非ハートのお話をお願いいたします。m(_|_)m
あの~、今日の記事の12月18日のお話会は京都でなくて大阪ですよね?
楽しみにしています。
何でか分からないけれど・・・。
そして、このタイミングで黒斎さんが
まさに同じ事を言っているなんてー。
黒斎さんの注釈が入ると、より分かりやすくなりました。ありがとうございます。
ちなみにエックハルトが動画で言っていた内容で、一番黒斎さんの最近の記事と重なってるなぁと思っていた部分・・・↓(以下大体抜粋)
「思考を通して自分、他人を知ることは出来ません。
あなたが”形のない次元に根を下ろした時”初めて
自分自身、他人を知る事が出来るのです。
”形のない次元に根を下ろす”とは自分自身を
ただ在るもの
として、あるいは
ただ在るものが存在するための「空間」
として認識する ということです。
ただ在る状態 とはどんな形であれこの瞬間が
とる形の事をいいます。
この瞬間は、常にある形をとって、
あなたの前に現れてきます。
(例えば人が沢山いる部屋とか)
そしていつでも、今この瞬間が連続して存在し、
そこに現れるものが変わっているのです。
「今この瞬間」というのは深層レベルでいうと
”意識そのものである空間とひとつであること”です。
それが時間や形を超越した本当のあなたなのです」
この認識、視点を、どうやって魂に刻み付けられるのmでしょうかね・・・。(~_~;)
観照して思考との一体化から切り離す
と言っていることと同じようなものかしら?
「わかる」も「わからない」も
それぞれに対する意味づけがなくなると、
どちらもなにかのエネルギーの動きしか
感じられなくなるし
どっちだってよくなる という
思考を超越した感覚がありますね
今まで映画のスクリーンと映像の例えばかりで耳タコでしたが、今日の動画で目からウロコポーロでした!
なるほど、そういうことか。
ありがとうございました♪
って、解釈が入らないありのままってことなんですね。
道に落ちている石ころを解釈しないで見た時、その次元ですね。
なんだ、全然難しくない、みんな自然にやってることじゃんヽ(*´∀`)ノ
もうすでにそうあるのだから
そう受け入れるだけでいいのに
あまりに単純すぎて
つまんなすぎてね 笑っちゃうね。
場所は京都かと思いきや、会場は大阪産創館。
多分、平日のお話会「月イチ☆WEST」(大阪)
の間違いなんでしょうが、大阪か京都かどっちですか。
黒沢さん。
幸せも解釈?色の世界で観ているものなのでしょうか?
あるがままを観るって難しい。
間髪入れず解釈が始まる。
だからいつも、ここからだと色の世界に居ます。
でも、同時に空にも居る。居るというよりそれそのもの。でも、私という感覚があり、いつも色から捉えています。
人間の「わたし」という色に染まっているとき、解釈をつけていたとしても、空はいつも今この毎瞬、捉えているこの全てで、「わたし」が見つけられていなくても、これ全部なんですね。
そうすると、この毎瞬存在するものだけが全てで、過去や未来には色しか見つけられないけど、過去も未来も今現れて解釈されているもの。空でもある。
そんな感じ方が馴染んではきましたが、やっぱり私は「わたし」側に偏っています。
なんか文章にすると何度も同じこと言ってるだけですね。
黒澤さんは、人間なのにマッピングされていても空でもあることをどう捉えているんですか?
人間の機能があって色をつけないって、どんな感じですか?
どんな感じか答えて貰ったら解釈になってしまいますね(笑)どうしよう~
ご指摘ありがとうございました!
インフォメーションを上書きで入力し、ついつい見落としておりました。大変失礼いたしました。
ご連絡を受け、早速修正させていただきました。
12月は大阪での開催予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
これ以上でもこれ以下でもないけど…幸せとか不幸せとかでなく
ただある。ほどけていて心地のよい広がっている溶けている感じ…
非二元もワンネスも観点の違いだと私なりの解釈をしています。
わたしがいなければ…ひとつのエネルギーなら…ジャッジのしようがない。
この状態で今が永遠に続いていく…
安心と感謝と今の暖かい感じがこれからも変わることなく続いていく…
何もしないけど 色々な事は起きている。洗濯も掃除も料理も子育てもご近所付き合いも…幻の中でただ起きている。
何事にも誰にもジャッジすることなく時間ではなくただ流れていく…
1番そばに見える「わたし」というものにはなるべく素材のいいものを無理のない範囲で選んで食べさせてあげたい。
出来る範囲で美しく清潔にしてあげたい。
色々な場所に連れていってあげたい。
いい音楽を聴かせて…ひとりの人間を堪能してみたい。
わたしという意識にとって「わたし」はとても大切だから…
17日の浜松楽しみにしています。
>エック卿の仰る「すでにそうであるもの」とは何を指すのでしょう?なかなか捕らえにくいのですが・・・。
黒澤さんはこれら言葉を聞いて、
>「すでにそうであるもの」は、文字通り、「すでにそうであるもの」のことです。
とまずは読者の問いにそのように返答をしましたね。
皆さんは「すでにそうであるもの」をどのようにフォーカスしましたか?
僕は僕のボキャブラリーから「あるがままのもの」と捉えたいと思います。
そして、エックハルト・トールが述べたことの意味合いは以下のようなものだと推定します。かなりざっくりですが。
(さむの意訳)
あるがままのものを、ただあるがままに受け入れること。
そうあるものを、そうあるままに。
変えようとせず。抵抗しようとせず。
そこに外部にも影響されない、自身のマインドにも影響されない、あなたの深いところにある新しい次元の意識が発見される。
僕は以上のように文章を読み取りました。
エックハルト・トールさんのことは名前を聞いたことがあるぐらいにしか存じませんでしたが、勝手にすみません。
(´;ω;`)ユルスノダ
・・・
以下は改めて黒澤さんの視点とその展開です。
まず3Dプロジェクション・マッピング動画や仏像や貨幣などを例に取りながら、
人は某かの事象に「解釈」を加えて見ているのだ、と読者に提示しました。
そのことを黒澤流で「マインド・マッピング」という新しい言葉で表現したり、「現世」を「うつしよ」と読む神道的世界観への繋がりなども示しました。
そして、
それらを踏まえてエックハルト・トール氏の言葉を再度見るように促し、彼の言葉を下記のように例えて言い換えました。
「CG映像が投影されてる」という事実をイエスと受け入れると「投影されてない素の姿」という世界が開かれる。
素の姿そのものは投影された映像に依存していない。
そのように例えたのち、
美しさや醜さ、ポジティブやネガティブなどを例に取り、
マインドが目の前の事象に様々なものを投影すること、
何もマインドがなければ世界はあるがままであること、
などを提示し、
それから今まで述べてきたことを踏まえ、色即是空について黒澤流の解釈を述べて幕を閉じます。
・我々の生きる「色(しき)」の世界が、マインドや観念という「色(いろ)」がマッピングされた世界だということ。
・「空(くう)」はマインドや観念が「からっぽ」な、素(す)の世界であり、それはマッピングが消えたときに、はじめて明からになる、ということ。
・そもそも、そこにマッピングがあろうがなかろうが、我々は「空」という舞台に立っている事実は変わらない、ということ。
・「空」は、解釈が付け加えられる前の世界であり、それを捉えることは不可能だということ。
・「空」をわかるとは矛盾であり、「空とはこういうこと」という「解釈」が生まれてしまっていること。
・・・
皆さんは「自分の見解」や「黒澤さんの見解」をそれぞれ整理出来ましたか?
もしくは途中からごっちゃになりましたか?(笑)
もしごっちゃになったり、分からない部分をもっと分かろうとしたりするなら、それもマインドの性質です。
少し思考に偏重してしまったということですね。
それはエックハルト・トール氏の言葉を借りて言うなら、
「外的状況や、思考や感情で絶え間なく揺れ動いている内的状況に依存」したのです。
一方、
自分の見解と黒澤さんの見解の異なる部分や、また意を同じくする部分などに気付きながらも、あるいは、分からなかった部分に気付きながらも、
それらをそうあるままにし、ただ受け入れた方はいますか?
その方は氏の言うところの「あなたの深淵にある新たな次元」から見ているのかもしれませんね。(u_u*)ウンウン
(;・∀・)マ, マジデ? ( *´艸`)イヤ, イッテミタダケ
私の中に世界があるのか。
後者の方だと何も怖くないね( ^ω^ )
私はこれ系の解釈がシンプルで一番好きです。
意味や価値は人間が勝手に決めてるだけで本当はそんなものはない。だから常識に捉われず楽しく生きればいい。
でも、
「空」が、解釈の付け加えられる前の世界なら、どうして前の記事で「空間を命として捉えさせた」のでしょう??(´・_・`)
何か意図があったのでしょうか?
雲黒斎さんは言ってないかもしれませんが、スピリチュアルでたまに「この世は自分(神)が創ったゲームで、楽しむために記憶を消して生まれてきている」なんて話を聞きます。
私はこういう話が嫌いですf^_^;)
自分を神や人間と捉えてる時点でもの凄い違和感があります。
まぁ気休めや心の支えを探してる人にはいいかもしれないけどf^_^;)
・ファンタジースピリチュアル
・リアルスピリチュアル
とかって、分ければいいのに(笑
「第4の壁」みたあなことをして、笑わせ
(?)てあげたいのですが
その一連の経過の中にとても興味深いものを感じたので、誠に勝手ながら投稿の題材にさせて下さい。
以下、返答などを強いている訳ではありませんので、すみません、どうぞお気を楽にして読み飛ばしてやって下さい。
・・・
トール氏の語る言葉に興味をお持ちなのですね。
それとも、「黒澤さんが語る、トール氏の言葉」の方に興味がありましたか?
あるいは、その違いには特に関心は無かったですか?
真理を求める方々に共感するところはすごくあります。
僕自身もその一人でした。
スピリチュアルなことに興味を持つ人なら誰しも、幾多の情報の中に響くものを感じる人物やメッセージとの出会いがありますね。
時に誰かの言葉が鏡となることがあります。
自分の姿を鏡に映して確かめるように、誰かのメッセージを鏡として、それに感応した自身の内にある真実性を映し出す(または映し出したい)、ということがあるでしょう。
そんな過程には十分すぎるほど共感するものです。
どのようにスピリチュアル関連のことを捉えておられるかは分かりませんが、先日の質問コメントとお礼のコメントを拝見する限り、とても真摯に向き合っていらっしゃるのでしょう。コメントに誠実さが滲み出ている気がします。
僕はそのような共感を持つ一方、
見解の異なることもあります。(否定ではなく発見です。)
冒頭に「一連の経過の中にとても興味深いものを感じた」と書いたのはそのうちの一つです。
結論を言います。
「質問から返答まで、一連の経過の全ては、あるがままのものとは別のものだ」ということです。
始めから最後までです。それが僕の見解です。
まず始めに、
エックハルト・トール氏の言葉は、あるがままのものではなく、あるがままのものの「一部」です。トール氏のフィルターを通し、トール氏のボキャブラリーの中にある言葉や概念でマッピングされたものです。
二番目に、
そのマッピングされた「あるがままの一部」は、翻訳者のフィルターを通して世に出ます。翻訳者の持っている世界観の中に収まるようパッキングされ、また語感やら言い回しやら、色々と脚色されて出荷されます。
三番目に、
その脚色され、パッキングされた「あるがままの一部のようなもの」に、今度は黒澤さんのフィルターが掛かりました。黒澤流の切り口で調理され袋詰めされたものに、色々な例え話がセットで付いてお得になりました。
四番目は最後です。
そうして出来上がった「あるがままの一部のようなものバリューセット」を食し、それについて色々と味の感想を考えるでしょう。それらは全て読者の思考とイメージの中で展開している、お得なランチなのです。
果たして、読者の全てはそのランチタイムで一体何を食べたのでしょうか?
話を戻します。
「一連の経過の全ては、あるがままのものとは別のものだ」
このことに、今なら気付けるでしょうか?
気付いていないとダメな訳ではありません。
気付いていればそれらから如何様にも自由になれるというだけの話です。
・・・
黒澤さんに質問し回答を得たことで、その胸に抱いた思いはどのように達成出来たでしょうか。
概ね、トール氏の語る言葉そのものに興味の主軸があったとしますと、
シンプルに彼の言葉の指し示すものを理解したかったという思いがありますね。
もちろんその意味するところを直接的に経験したいとの思いもあるでしょう。
あるいは、潜在的には、
彼の言葉の意味するところが本当に真実であるかどうか、自分の中で確信を得たいと感じている部分もあるかもしれません。
いずれにせよ、
なぜ知りたいのか。なぜもっと分かりたいのか。
説明が難しい、何か本能的な気持ちですね。
そうやって人は求めて歩き続けます。
しかし、
それはトール氏の言葉を借りるなら、
「すでにそうであるものを「イエス」といって受け入れ」…てはいない、
と言えるでしょう?
やはりそれは、
「外的状況」や、「思考や感情で絶え間なく揺れ動いている内的状況」に依存している訳です。
・・・
ちなみに、
スピリチュアルマスター、メッセンジャーについて、
悟りでないものを悟りの一端であるかのように匂わす者については、巷の霊感商法とやっていることに殆ど変わりないと思います。
違いは、売っているのが形ある壺か、形なき概念か、という点だけです。両者とも黒澤さんが言うところのマインド・マッピングされたものを販売しています。
僕はそのようなスピ業者には割と辛口ですが、かといって彼らやスピリチュアルを否定をしている訳ではありません。
(「否定」について。否定もまた囚われの一つですが、その中でも自他に対してダメージを及ぼす性質を持つ部類のものと言えるでしょう。ただ、囚われること自体を否定するなら、それも招く結果は同じになります。長くなりそうなので別の機会にでも。)
様々な案内人の開催する催しは、おしゃべりの場として、コミュニティーとして有意義なものでしょうし、幾つかのベクトルを持ったメッセージには有用だと感じるところはもちろんあります。
また、ダミーであってもそれで目の前の苦難から取り合えず救われる人もいますので、そうした意味においても一概には掃いて捨てられないものだと感じます。
本題のトール氏については殆どと言っていいほど知らないのですが、ここで取り上げられた彼の言葉には成る程、多くの示唆が含まれているように思いました。
・・・
以上、
今回黒澤さんへの質問コメントを起点として僕なりにトール氏の言葉を掘り下げてみました。
色々と問い掛けた形になっていますが、一つ一つ返答を問うた訳ではなく、お返事には及びません。それらはきっかけ作りとしての言葉運びですので、どうぞお気になさらないで下さい。
あれやこれやと申し上げましたことを改めてお詫び致します。
あなたの真摯な思いに呼応したと思うのは…僕の勝手な妄想ですね。
色々とどうもすみませんでした。どうぞお許し頂ければ幸いです。
(タイトルを「エッグチーズバーガーのセットで」にしようと思ったのですが益々怒られそうなので止めました。)
色々ありましたが今は結婚もしてとても幸せだと感じているのですが、ずっと夢をみているような感覚は変わらず気持ち悪くて仕方ありません。解離性なんとか?というこんな症状の病気があるとも聞いたのですが、このような感覚はやはりおかしいのでしょうか?
と言った瞬間 「これ」は被造物なのね
だって 創造主ということばを
人間がそうしゃべるずっと前から
それはすでにそうであったのだから
興味深く本やブログを見させていただいてます。
よくよく、話を聞いてみての思うところは、
「人生は悟ることが本当に目的なのか?」
と思い至りました。
人生の綺麗なところ、汚いところを
まざまざと経験して解脱に至るとして、
期中に悟りが必要か。
あえて賽の河原にとどまった地蔵菩薩(鬼子母神)のように、あえて人生の苦を身にまとい
現世に生まれてくると選択した者からすれば、
悟りというのは重要ではない気がします。
なので私は赴くまま雲のごとく
その汚い事や、綺麗な事をあえて自我の欲求の
まま、人間らしく進もうと思いました。
それが私の悟りとです。
とはいえ私は宗教家でもスピリチュアルオタクでもなく、一介の凡百なサラリーマンなので
それが正しいかどうかはわかりませんか(笑)
何となく分かった。
どんな状況にいたとしても、幸せなんですかね。
いま、いることが幸せそのもの。
強風が吹こうが、暖かい環境に身を置いていようが、何もかもが幸せ。いろんな環境で、幸せを感じる。それだけな気がしました。いま、ここにある。
つらいと思うのは、私たちの思考・記憶がそうさせてるだけ。結局、どんな環境にいたって関係はないということだろうと。
このブログを、見だしてそう思いました。
今
必要なものはすべて
そろっています。
そして不必要なものは
ありません。
解釈抜きに素直に出来事に「イエス」という。
そこでハートから素の光を生きられる。
言うは易しですね。解釈する「私」よりいま目の前で起こることを信頼してみよう。
と「私」と言うフィルターは解釈しました^ ^
クリアな解説ありがとうございます。
最後の質問のお答え、聴いている時は、なるほどと思ったのですが、後で?となりました。
狭い解釈で苦しんでいる時、今まで捨ててきた解釈を採用してみましょう。
というようなアドバイスがあったかと思いますが、
それでは、またまた解釈が増えるばかりで、
その解釈が落ちる方向と、
逆ベクトルになったしまうのでは?
上記アドバイスは、
ほんとに苦しんでいる時の、
その場しのぎ的なもの、
でしょうか?
学生のころから、ふと手にする本は自己啓発本ばかりでした。なぜかは分かりませんでしたが、いつも自分を変えたい、変わらなきゃ、と思い続けていました。
でも、長年つきあってきた性格はそう簡単にかわってくれませんでした。そして、年もかさね、30代後半にはいり結婚を真面目に考えていますが、自分の中でストンとくる人に会えないとばかり思っていました。
そんな時に友だちのつてで、「スピリチュアルな感性をお持ちの方」とお会いできる機会がありました。
私の全てを見透かされているようでした。
人と知り合いたい、付き合いたいと思っている(振る舞っている)のに、自分の心は閉ざしてしまっていること。なんとなく自分でもうっすら感じていましたが、なぜ自分がそんなにも人を警戒してしまうのかわかりませんでした。
すると私の前世の話をしてくださり、今まで何度も自殺を繰り返している、人に裏切られたこともあるし、親に捨てられたこともあるようだ、だから、今、必要以上に人を警戒して遠ざけ、自分が傷つかないようにしていると言われました。自殺した過去がショックだったわけではありません(よい気はしませんが)。その話を聞いてよくよく考えると、自分の考え方に凄く通じる部分があったのです。
かなりの部分で悲観的。そして、必要以上に自分の悪い状況を想像してしまい、ある程度の悪い出来事には対応できるように?事前に頭の中でシュミレーションをしている感じです。
そしてそれは、もう一つ意味があって、その悩みを話すことで(「思い癖」で読んではっきり思いましたが)すねていたら、やさしい声をかけてもらえた」という勘違いをしている自分もみえました。
実は前日、こんなこと今までなかった気がしますが、不安で不安で、焦って、周りに置いていかれる気がして本当に一睡もできませんでした。そのときに「あの世に聞いた、この世の仕組み」を一気に読み終えました。最後は黒斎さんと守護霊さんとの会話が自分との会話に思えて涙が出ました。
「もう悩むのはやめよう!」って本気で思いました。でも、エージェントって強いのですね。私の決心なんかすぐに食われてしまう。なんとか勝ちたくて、偶然一緒に購入していた「思考は現実になる」も読みました。もう、自分が自分であることを受け入れたい。でも、どこかに矛盾があるのです。
悩む=答えをもっていない=答えをもっていないという思い癖=幸せになれない。これをやめたいのです。
それと、私は私であることを、ありのままの自分をそのまま受け入れる、ということが分かりそうでどこか繋がらないのです。私のままでいていい→つい悩んでしまう自分を、自分として受け入れていい? ということでしょうか。でも、これだと、結局悩んでいる自分が終わりません。
「思考のすごい力」もちょっとみてみました。私は昔から自分の中に二人の感覚があるような気がしていました。一つはこうやって、頭の中であれこれ話して考える自分。そして、もう一つは何も言わないけど、なにか自分の中にあるもの。その程度の感覚でしたが・・・。
でも、後者がこの本によると潜在意識ということなのだと思います。人生の中の大部分を支配している部分。そして、私よりもそっちが強いことも分かっていました。ただ、この本には潜在意識の書き換えは難しいとありました。じゃあ、どうすればいいのでしょう。わからないのです。
私は今までずっと心の片隅にこの課題があり、ここ数年はとても顕著に感じるようになりました。
変わりたい。
変わろうとしてはいけない?そのままの自分を受け入れる?
潜在意識の書き換えは困難?
ぱっと解き放たれたような目覚めをし、至福の感覚を得た経験もない。そんな幸せな感覚の中で生きてみたいのです。その感覚は、もっともっと、今以上にもっと苦しまなければ手に入れることはできないものなのでしょうか。
・・・そのままの自分でいてよいというのは、悩み、考え、ふさぎ込んでしまう私も含めて、「よい」のですか?
悩むこと=自分が幸せではないと思い込んでいる=幸せになれない、 ここに戻ってしまうのです。
どう解釈し、進めばよいですか。
ぜひ、教えてください。どうかよろしくお願い致します。
ー
昨年鑑定された
前世は知りませぬけれども、
スピの大御所
阿部敏郎さんのリーラに「大空さん」というお方がいらっしゃいます。
広大なる御方です。
その大空さんの、ブログにまず、『コメント』してみて!
きっと心からの返事を、真正面から向き合いお話しくださいます。
第一歩はそれから
だと私は、感じましたよ (^^)
tomoさん
黒澤さんへ宛てたコメントなのに横からすみません。もし良かったら少しの参考になればと思います。
>私のままでいていい→つい悩んでしまう自分を、自分として受け入れていい? ということでしょうか。でも、これだと、結局悩んでいる自分が終わりません。
それで大丈夫です。終わっていきます。
しばらくして変化の兆しが現れます。時間はかかりますが、その方向で悩みはやがて終焉します。
なぜか。
どんな自分であれ「自分を受け入れる」という心のアクションは、自分が頭で想像するより自身の精神にとってとても深い愛を与えるアクションなんです。
ほんの少しだけ、今の自分に出来るだけの小さな小さなアクションで構いません。
その愛の力ゆえに悩みを抱えたあなたの精神は癒されます。必ず。
そしてそれはやがて突破口へと広がっていきます。
先月に自分でブログを開設しましたが、今日の記事を書きながらtomoさんを思いました。記事の後半で、あなたのように苦悩する者に、じっと目を向けている存在があるということを書いています。
宣伝のつもりではないです。が、伝える手段が無いためアドレスを貼ります。
http://blog.goo.ne.jp/some_thin_good/e/e14accd1c617bc287cf87d0b69bccbc5
黒澤さん、読者の皆様すみません。どうぞご容赦を。
今の自分に何の抵抗もなくスッと入って来ました。
本当にどうもありがとうございました!!
心から感謝しています。
tomoさん コメントを読ませて頂き、
今の私は何も出来ないけれど、
ただただ応援しています。
ネットって不思議ですね。
最近、悪いことでしかきかないネットの世界。
相手の顔も知らない、会ったこともない。
それでも、こんなに嬉しくなる・・・。
ありがとうございました。
涙が出てきました。
さむさんの記事も読ませていただきました。本当にありがとうございました。
ありがとうございます。(^^*
こころ 旦
>お茶おいとくよ♪
やっほ~♪♪
旦(*゜▽゜)o プハー♪
温もるわ~ (*´ω`)oフフフ~♪
To tomoさん
>相手の顔も知らない、会ったこともない。
>それでも、こんなに嬉しくなる・・・。
わあ♪ 皆さんのレスで嬉しいエネルギーが湧きました?
それってtomoさんの未来にダイレクトに影響を与える、とっても嬉しい出来事ですね~♪♪ (*´▽`*)
tomoさんはネットの世界に「救いを与えてくれる依存対象」ではなく、
「気軽に胸の内を明かせる友達」を見つけたんです。
外部に依存する心は、さらに外部に依存せざるを得ない環境に自分を追い込みますね?
であるなら、
外部に心易い友達を見いだすものは、さらに自身に心を開いてくれる仲間との出逢いを創出するでしょう。^^
それらは究極的にはtomoさんの魂と境界無き一体のエネルギーですが…
んなこたぁどうだっていいよね!(笑)
2016年、tomoさんが素敵な扉を開いたことに心から祝福を!
*.゜☆+ヽ(*´▽`*)ノ+.゜*☆
こちらこそ、どうもありがとうございました♪
きっと‥
tomoさんの一生懸命というか、真摯なまっすぐな姿勢みたいなものが、
皆さんのハートを動かしたのだと思います♪
雲黒斎さんに感謝♪
tomoさんにも感謝です♪
いつも本当にありがとうございます♪