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学習

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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今日、うちの奥様の本棚から一冊の本を借りて会社に向かいました。

通勤途中の電車のなかで読んでいたのは、苫米地英人さん著の『英語は逆から学べ!』という本。

僕、「こくさい」と名乗っておきながら、言語感覚がてんで「国際」的じゃないものですから、そろそろお勉強してみようかと思って(笑)。

で、ペラペラとページをめっくておりましたら、すごくいい言葉に出会いましてね。

「うんうん、そうだよね!」って、もの凄く納得したことがあったんです。


この本の冒頭で、日本人が英語が苦手な理由として、「日本の英語教育における根本的な間違い」をいくつかあげているんですね。

その中に、こんな一文がありました。


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どうしてもやってほしくないのは、日本語を使った日本語による英語の学習です。

それは、英語を学んでいるのではなく、英語について学んでいるだけ。

当然、英語ができるようになるわけじゃなく、英語についての知識が増えるだけ。

これが日本の英語教育の現状なのです。

*****


そうだよなぁ~って。

これ、すっげー大切なことじゃんって思ったんですよ。

「そうだよそうだよ、確かに今まで、『英語』を学んでいたんじゃなくて、『英語について』学んでいたよ!」って。


でね、同時に、「これって英語に限った話じゃないよな」って事も感じたんです。

宗教性や精神世界的な事だってこれと同じようなことじゃないかと思いましてね。


たとえばですよ。

「汝自身を知れ」というこの言葉。

これを取り違えてしまえば、上記の英語教育の過ちと同じことが起きてしまいます。

エックハルト・トールさんの著書にもあったけど、「私」を知るのと、「私について」を知ることは、似て非なるものなわけですよ。

同じように、「精神性」を学ぶことと「精神性について」学ぶことは、似て非なるものなわけです。

「宗教性」を学ぶことと「宗教について」学ぶことは、似て非なるものなわけです。


これ、結構陥りがちな、大きな落とし穴だなと思って。


「精神性について」や「宗教について」いっぱい学んで、頭でっかちになってる人って、実際たくさんいますよね。

「神と話せる」とか言いつつ「人とまともに話せない人」とか、精神性を高めようと修行しながら、妙に目をぎらつかせて「お前より俺の方が精神性が上だぜ」という風になってる人、いるもの。

っていうか、それは僕か?(笑)


「英語について」学んでも、「英語について」の知識が増えるだけで英語が話せないのと同じように、「スピリチュアルについて」学んでも、「スピリチュアルについて」の知識が増えるだけですよね。

うん。概要を知ったって、本質を押さえてないんじゃ、どうしょうもない。

「英語について」を考えているより、実際に英語に接することの方が大事ですもんね。


僕たち酔っぱらいは、何かとこういう「似て非なるもの」を混同してしまって、いつの間にやらズレているって事が多々起こってしまいがち。

お互い、気をつけましょうね。



←押したらどうなるのかを考えるのではなく、実際に押してみて欲しいのです。
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