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模索

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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すでにお気づきの事とは思いますが、ぶっちゃけ最近、今後のこのblogのトーンとか、話していく内容・方向性を考え倦ねておりまして…

どうにも吹っ切れておりません。

いえね、お話したいことや、いまだ説明しきれていないことってのは、山ほどあるんです。

ただ、それをどのように表現したらいいものか迷ってるんですよ。

って言うのもね、話が核心に向かえば向かうほど、ごくごく当たり前で、つまんない内容になっていくんです。^^;

「この人、こんな当たり前のこと、なに一生懸命語っちゃってるの???」ってな感じで、話が終わっちゃうのね。

でも、僕がずっとお話したいと思っている事は、その「ごくごく当たり前」というレッテル・思い込みの中に隠れている事なんです。

あまりにも当たり前すぎて、みんなが見なくなってしまった事。

見ないからこそ、発見出来ずにいること。


これも当たり前の話なんだけど、

ここで大切なのは、「見ないこと」なんです。

決して「見えないこと」ではないの。

本来「見える」はずのモノを「見ていない」ってだけの事なんです。

そこにあるのに、目が向いていない。気が向いていない。だからこそ気付けない。

これは、例えるなら…

う~ん。そうだなぁ。

あなたが通う会社や学校、またはご自宅などにある「壁掛け時計」のようなことかもしれません。

毎日のように見ているはずの、その時計。

でも…

不意に「その時計のメーカーはどこですか?」と聞かれて、「あれ? SEIKOだっけ? CITIZENだっけ?」ってなる、あの感じ。

見てるはずなのに、見えていない、あの感じ。





で、まぁ、考え倦ねていてもしょうがないので、面白いかどうかは分かりませんが、とりあえず当たり前のお話を暗中模索状態で、つらつらと書いていこうと思っています。

今後、ちょっと哲学チックになるかもだけど、お付き合いのほど、よろしくお願い致します。

<(_ _ )>



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