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柔道、武道、剣道、弓道、書道、華道…

サムライの国、日本には、色んな「道」がありますね。

この「道」。

僕ずっと、「柔の道」とか、「剣の道」とか言うんで、

技を身につける・極める「道筋」の事だと思ってたんですが、違うんですね。

ホントは、「仏道」の「道」なんだそうです。


「仏道」の「道」は、「菩薩」「究極の真理」また、「それを捉える課程」を指す言葉。

つまり、柔道、武道、剣道、弓道、書道、華道の本来の意味合いは、

技を高める事ではなく、柔術・武術・剣術・弓・書・花を通して、

究極の真理を得ることを目的とする「行(修行)」の一つと言うことなんだそうです。

「行」ですから、「悟り」を開くための「手段」なんですね。



と、いうことは、

別に「滝行」や「座禅」などの、若干「特殊」と思える修行法だけが

悟りを開く手段ではない、ということが見えてきます。

もっと言えば、「方法なんて、なんでもいいんじゃないの?」ってことになります。


でも、なんでも良いからと言って、単にボーっとしているだけでは悟りは開けそうにありません。


では、どうすれば、どうなっていれば「行」と言えるのでしょう。

柔道、武道、剣道、弓道、書道、華道、そして、滝行や座禅に見られる共通点を考えてみると、

なんとなく分かってくるような気がします。

上記に「共通」する点。

それは、「その時(今)」という「瞬間」に「集中」するということ。

無心になって集中する、つまり「没頭」するということ。

「没頭」っていうぐらい集中してますから、文字通り「頭で考える事が無くなっている」状態です。


うん。そうなんです。何かに「没頭」さえ出来れば、それが「行」になるんです。

だから、「自分の生活に集中して生きる」ことが、僕たちが一番無理なく行える「行」のはず。

「今の自分を精一杯生きる。」


と、言うことで、ここで新しい「行」のスタイルの提案です。


( ̄一 ̄) 『私生道』



 ← ~for Beautiful Human Life.~(あ。これはカネボウか。)



P.S.
ええ、奥田民生ファンですよ。
いや! ホントだって!! 
「パクリ」じゃないよ、
「リスペクト」だよ!!!(←必死で言い訳中)
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