2006年12月に沖縄県名護市に仮寓を得て以来ほぼ10年を閲した沖縄移住生活は、国頭郡今帰仁村の一角に居を構えて漸く5年を経過し、亜熱帯気候の大体が元々寒冷地に生息していた肉体に刻み込まれ、長い夏の熱帯夜や日中の暑熱(気温はほぼ27度~33度近辺を動かない)にも何となく対処できる(エアコンは使わない)し、短い冬場(といっても10度を切ることはほぼないし、20度に達する日も珍しくない)も、こちらは本土で得た記憶から導かれるもので何となくやり過ごし(兎に角寒さを感じない程度に数多く着込むということ)、どうにか恙なくここまできたというところだ。台風は情報に沿って事前の対策を怠らなければやり過ごすのは造作もない。後始末の方も2日くらいかけてゆっくりやる。壁面、陸屋根の洗浄、飛来し張り付いた木の葉や塵埃などを除去する。勿論その台風の風雨の威力は尋常ではない(沖縄県各地の農作物被害はいつも数億単位になる)。しかし一般家庭でそれ以上にがっかりするのは長い停電(時として2~3日続いたりする)であろう。まして真夏の停電は殺人的だ。夕飯もそこそこに何もかも忘れて寝てしまうが一番。
家で空を眺めているといつも雲の美しさに心が洗われる。抜けるような青空に様々な造形を見せる層雲や積乱雲が静かに立ち現れ流れていく。時にスコールがある。以前窓を開けっ放しにして諸物が黴にやられて以来、当家では降雨のたびに窓を閉めるので、このスコールのとき10個以上あるすべての窓を閉めるため何度でも家じゅうを奔走することになる。「いい運動になる」と言って慰める。
(今帰仁の)の人は何につけ親切で親しみやすいが、一種の矜持があり、おおらかな気風と優しさがこれと渾然一体となって微妙に人間形成しているように見掛ける。少なくとも本土で体感したぎすぎすしたものはまずない。これが人間関係上の救いだ。此処に来てこれが最大の特典だった。本土の田舎でもこれは残っているところがあるが比較の段ではない。
しかしここ本島北部やんばるの地も筆者のような本土からの移住者がどんどん増えている。団塊の世代が定年を迎える前後から沖縄では一般にこの傾向は加速すると予想されていた。その後どうなったか統計上のことは知らないが、偶々出会う人から普通に「本土から」という答えが返ってくることが増えたことは間違いない。しかし年間2万6千人程度移住するらしいがそのうちここに留まって南国気分を満喫するのは5千人くらいだとか。
先ず考えることはこういうことだ。「沖縄差別」というのはその来歴が(島津侵攻、琉球処分等に見られる)琉球王国以来の民族的文化的差異にあったことは間違いないが、日本国政府は公式には琉球民族の存在性すら認めていない。明治以来日本国に属してきた、という事実から民族的異種性はアイヌ以外認めないという立場だ。しかし国連勧告は(つまり国際常識は)琉球民族の存在性(アイデンティティ)を認めよ、というもので、この違いは決定的だ。しかし、沖縄県民の中の圧倒的な割合を占める同一民族系譜に属する人々と、例えば血脈的に混淆してきた本土系の人々とは、多くの点で「沖縄差別」の受け止めが違ってきている。文化的民族的混淆は次第にこの差別感を希薄化している。あるいは、琉球系の感じ方にも本土的な空気感が漂っている。
差別に関する「オール沖縄」ではないかもしれない実態は、微妙なくらいに差のない現在の原理的多数決手法の矛盾を露呈している(投票率が5割程度の選挙が、有権者の意向を十全に表現するとは到底思えない)。安倍晋三政権が沖縄軽視的蛮行を平然とやってのけるのは、否、むしろこのときとばかりこれができるのは、彼自身この多数決原理の不条理を内心認めているからであり、麻生の「ナチス発言」もこれと同等な意味合いがある。全有権者数を分母とした有効獲得票数が1割程度の政党に、割合からすれば明らかに不当に膨大な議席を与える現行選挙制度では、ナチス的手法しか実質的な政策実現の方途はない、と彼らが考えるのはむしろ当然かもしれない。だから彼らのあくどいほどの強行路線が暴力装置を駆使して国民を蹴散らしていく。
思うに「ヤマトゥンチュになりたくてなりきれないウチナンチュ」という二重に屈辱的な併合以降の琉球の民に、恐らくは絶えず付きまとう複合心理状態は、戦後アメリカー世を経て講和で本土から切り離され、完全な占領体制に置かれた1972年返還までの壮絶な島ぐるみの格闘の歴史の裡に、いつしか、さながら一個一個の小さな細胞が増殖するように成長していく沖縄のアイデンティティにおいて徐々にだが自己克服され、今では様々な市民運動に見る鍛え抜かれた「民主主義」を垣間見せる。
真に正常で正当で正確な民主制は、様々な市民の百色の顔を見せるのだろう。今帰仁にある場末のスナックのママがきっぱりと「基地はなくなって困る」と言った。その通りだ。困る人がいる。しかし、新しい基地はいらない。彼女は「客が来ないと困る」といっているのであって、日本人だろうがアメリカ人だろうが、客が来なければ商売が成り立たない。彼女がしまじりあいこに投票しても文句などない。でも、10万票の差は、世に言う圧勝のわけで、微妙な僅差というものではない。この伊波氏の獲得議席は自公系選挙体制からすれば決定的な、ウチナンチュの奪い取った沖縄由来の民主制の王座だ。だから安倍晋三たちは怒り狂い、その本性むき出しに琉球処分以来の傲慢な琉球制圧に、全警察力を使ってでも成功させようとあのような暴挙に打って出た。(つづく)