沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩 15

2007年05月31日 22時03分08秒 | 手記
 彼の思春期はどうでもいい、間違いだらけの間違い探しはつまらない、しかし今ではその間違いも間違いでないような錯覚を覚える、ただその中に飛び込んだら、もう一度間違えるように思う、

詩 14

2007年05月28日 02時54分01秒 | 手記
 戦争に引きずった優等生たちは瓦解し、そしてすぐによみがえった、国が敗れたということはいったいどういうことなのか、国際社会という場が敗残の民にも希望を与えたのだろうか、希望する方への成長を許容したのか、そうではあるまい、人間を捨てればいかようにも生き延びられる、エコノミックアニマルもどうやら字義以上に辛辣なんじゃあ......置き去りにされた「人間」は真裸な赤子のように泣きくれているんだろう、作者の脳髄は錆付いた自動機械のように先へ進めない、

詩 13 あの頃

2007年05月26日 18時39分42秒 | 手記
 東京大学東京教育大学の入試中止があった年、安田講堂騒動のころ、彼は受験生だったが、彼の思いのなかには大学という場はどうでもいいというのと、学問には学生という身分は必要ないというのと、親の金を使ってまで行くところではないというのと、これらがそこへ行く彼の意志に微妙に作用し、ある地方の大学を受験し合格したがとうとう何の意味も見出せぬまま中途退学した、すでに学生運動は赤軍事件の終結とともに各地で下火となり、ある不完全燃焼を印象したが彼にはどうでもよかった、彼には通常の生活の営みが全てを決するように思えた、思想的行動の可能性さえうかがわせたあの運動は、その「悪霊」的結末を経て一切の真摯な活動の根底を戦後日本の堕落した精神構造によって汚濁化したと、いうことであろうか、爾来このかた、麻原事件にみるおどろおどろしい愚行に帰結するにいたり、日本の精神構造は恐ろしい絶望的状況を現出することとなる、