三島由紀夫が、市ヶ谷の自衛隊駐屯地本部総監室前バルコニーから、自衛隊員に向けアジ演説をかましたのは昭和45年11月25日、40年以上前のことだが、彼の出身階級が官僚一族とは言え、必ずしも家柄的に貴族性を帯びていたわけでもなく、恐らくはプチブル的富裕層以上の階級的特徴はほぼ無いに等しく、従って彼の政治的言動とその思想に粉飾を付け加えるなら、祖父が東大法卒内務省畑の官僚、父は東大法卒(同期が岸信介、我妻栄)、高等文官試験をトップで通過した農商務省の官僚という、この国の最上級クラスの知識階級であり、かつ政治的には体制側の批判的順応家系、という程度のものだ。
昭和20年時、偶発的「徴兵のがれ」の始末が、彼を「英霊の声」に誘導したことは心理的に頷けるが、学習院首席卒業恩賜時計拝領、昭和天皇謁見という僥倖は、やや、うがちすぎる関連付けと見える。
さりとて彼が、天皇乃至天皇制に少なからぬ心理的傾斜を持するのは自然の成り行きとでもいうべきところで、恐らくはそこに明瞭な説明など必要とされてない。実際、天皇制を語る彼の言説を少しく辿ってみても一向に埒があかない、ということがある。
もしかすると其の辺に彼の限界が潜むのかもしれない。いずれにしろ彼は大学で法律を専学し、概してその厳格な論理的思考法を学んだというが、そこに、彼自身が属した時代(戦前戦中戦後)の時代的背景と、個人的体験からくる、生死に関与する思想的集積が育んだ行動哲学から、戦後日本の構造的矛盾を剔出し、明快に自己完結を目論んだわけだが、実を言えば、日本の戦後の右翼思想の中途半端な発露は構造的革命に至るのでなく、純然たる「再軍備」つまり戦前の軍隊保有国家に戻るということ以外、三島の「憂国」とはなんの関係もない。
極めて微妙なことを語るなら、現代史上最大のテーゼ「コミュニズム対カソリズム」対立は、米ソの冷戦終焉とともに消滅したわけでなく(あるいはヨーロッパの東西陣営の壁崩壊とともに)、「東洋対西欧」の内実で実質的な米中対決に移行したのであり、と同時に、急激な中国の擡頭が米国の覇権主義に挑戦的に対峙すると、西太平洋の軍略的構図の塗替えが否応なく進むという見方になる。
変な話、米国従属の日本は、中国から見れば沖縄を手がかりに徐々に奪い取られるべき位置にあり、これを包含した西太平洋全海域と空域を中国が把捉するという方向性がなんとなく見えてくる。
勿論米国側の韓国が、かつての対中服属関係を復活させ、アメリカを裏切ることも考えられる。現に中韓での接近外交が既に始まっているらしいし、最も戦争したくない状態にある米国としても、日米安保による逆の縛りに不自由をおぼえ、これを自ら破棄しようとするかもしれない。つまり米国による安保破棄が日本を外交的孤立に追い込むという事態になりかねない。日本が「戦争出来る国」になるには日米安保の廃棄乃至解消又は双務的改変なしにはありえないのだが、米側から切り出すなら願ってもないわけだ。(つづく)