沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩の終わり 日米政府と沖縄の在り様 28

2019年01月08日 12時07分36秒 | 政治論

 「沖縄謀反」鳩山友紀夫、大田昌秀、松嶋泰勝、木村朗編著 かもがわ出版刊 2017年8月

 大田昌秀氏は2017年6月12日逝去

 絶望感というものを実感として味わうこの状況を例えば移住者の残された余生の中でどう考え対処し、解消すればいいのか。50年ほど以前、高校生の筆者はベトナム戦争の惨状を見聞きし、「ベトナムに平和を」のプレートを通学自転車の前に付けて登校することにした。道行く人は「これは大変なことになった」などと言っていた。当時、こういうことをする高校生は東北の片田舎ではまず殆どいなかったので、筆者は気恥ずかしさや決まりの悪さをいつも感じながら登校する羽目になってしまったのだが、何となく3年間これを続けることができた。程なく米軍はベトナムから撤退し、筆者の、最早文字すら消えかかったプレートは自転車から外された。同級生がそれを指摘し「外すのかい?」というので、「一応効果はあったから」と答えたと記憶する。

 説明するまでもないが、当時、国際世論も又「ベトナム反戦」の旋風が吹き荒れ、米国内でもこれが盛り上がっていたので、我々一般人にはある種の問題解決の「希望」が自然にあって、筆者のような若年者の発作的な「正義感」さえ引きずり出し得たのである。そこに例えば言葉にできる普遍的な標語など元々なかったのであり、「平和」という言葉の内容も何らかの実際的な検証を経たわけではなかった。つまり、その後、世は学生運動という時代思潮洪水が横溢し、まるで流行性感冒のようにパンデミック化したのだが、筆者は、大学入試中止となるような世情のなか、ほどなく一切の「希望」が個人的にも消滅する体験と共に、「現実主義」的な醒め果てた情感のうちに、若き日の愚行の走りである「正義感」からも逸脱していった。

 移住先の名護市の図書館で、今思えば一切の現在が始まったらしい。正確にはその図書館から借りだした数10冊の「オキナワ本」が、筆者の今を決定づけた、ということか。

 個人的な話はここまでだが、どうもみても個人的でない話がこれから延々と続く。それはいつか解消する「希望」を含む話でなく、到底及びもつかぬ「絶望」を抱えて這いずり回る話だ。勿論筆者には、戦争のことなど、何ら身近に転がっていたことなどない。高度経済成長期の前段階に「尋ね人」なるラジオ番組を耳にしたばかりで、総じて戦争の影はまるでやってこなかった。しかし、頭の中では毎年の8月15日の循環のうちに戦争意識は情報的に醸成された。沖縄は、本土内地ヤマトゥの生存生活の中には何ら、その姿を現さなかったが、先述の学生運動雰囲気のうちには「屋良主席誕生」のニュースも我々に届いたし、高校の同級生は少なからず歓喜の声を上げたのだった。しかし、成長するにつれ沖縄は忘れ去られた。恐らく団塊の世代もそれ以前、それ以後も、沖縄は本土内地ヤマトゥの日本人には「忘れ去られた」存在となっていったはずだ。しかしこのことが、実は今の沖縄の「絶望」に、重大で抜きがたい底流を加えている。そうとしか思えない

 本土内地ヤマトゥの日本人に拠って「絶望」的な境遇に置かれた沖縄(この言いぐさは沖縄の人には鼻白む臭い言いぐさだが)は、司法・立法・行政三権の非分立体制(安倍一強独行体制....恐らくは皆そう思い込まされた、内容も実体もないものだ)において現実に救いがたい囲い込みに遭い(実際辺野古は護岸工事で囲い込まれようとしている)、日本国憲法への復帰としての沖縄返還が今になって何の意味もなかった、という事態を経験している。だから、仲井真承認の撤回さえ、司法の「統治論」に斥けられる畏れを抱きながら今県の心根をじわじわいたぶっている。それは、民主制選挙の結果に関わらず強行されている辺野古工事に代表される、日本国家の明らかに「非民主的な」政治、思潮、情勢が然らしめた、沖縄特有の「絶望」として筆者には受け止められた。そしてその度し難い絶望感は、ほぼ知性の欠片もないpost truth現象の中で悶絶する気配だ。

 いずれにしろ、かつてベトナム戦争における米帝国主義への世界中挙げての闘争が勝利したように、日本政府が馬鹿の一つ覚えで繰り広げる、何らの正当性もない辺野古工事のかつてない蛮行は必ず大団円を迎えるだろう。沖縄の人たちを馬鹿にするがものではない。安倍ごときのへっぽこ恣意政治に誰が負けるか。移住者で、沖縄に脳手術された筆者は、最早、究極の「希望」に賭ける以外の何の希望もこれなきことを思う。しかし、未だに我が余生への確かな視野は開けていない。(つづく)


詩の終わり (再掲)翁長雄志第7代沖縄県知事の死が意味するもの

2019年01月08日 11時55分35秒 | 政治論

 15年戦争の敗北(それは世界史的には、単なる国際間の相対的地位低下という意味しかない....つまりは競争世界でのごくありふれた一敗北事件にすぎない)は大和民族の有史以来の精神的選良意識(それは見方を変えれば単なる井の中の蛙、単純な島国根性にほかならない)や不敗神話の瓦解という結果を用意した。

 敗者が勝者に平伏する、という、児戯じみた関係性が今の日米関係である(これを自業自得の敗北主義という)。これが敗戦後自民系保守政治の専横と、旧帝国官僚体制の倦む事なき存続によって変わることなく持続されてきた。ここに形成された固定的な関係性がすべてを決した。

 米国の、日本に対する二つの原爆使用の罪過を糊塗するがための「平和利用」という名の欺瞞、偽善が、この関係性の中で「原発」54施設の建造という、強要され強制された亡国的対応を繰り返させた。その中心はおそらくは旧帝国官僚的官僚存続がもたらした、近代日本が陥った誤った国策の選択という官僚的差配であり、これを無批判に受容しなべて政治目途とした自民系保守政治家と、「現実主義」の美名のもとに体制迎合で礼賛した学者、そして便乗する産業界という、複合化した原発マフィアのなせる業だった。この質はそのままいわゆる安保マフィアに体現されている。

 こうした、通底するこの国の保守政治家の「敗北主義」は、彼ら自身の「歴史修正主義」という、とんでもないまがいものを公然とひけらかす事態となった。彼らには最早、通常の意味の良識は通用しない。通用しない相手に挑みかかることはドンキホーテ的行為というほかない。翁長知事の壮絶なドンキホーテ的行為は、氏自身の肉体を過酷なまでに痛めつけ、満身創痍のまま帰らぬ人となってしまった。保守政治家でもある氏が一身を賭して守ろうとしたのは何か。思想、信条、そんなけちくさいものではない。

 沖縄は、いずれにしろ翁長知事が守ろうとした同じものを守るために、ここまで闘い続けてきた。その通底する意思には感動的な草の根的民の、たゆむことない精神的高貴さがにじみ出ている。辺野古に土砂が投入され埋め立てられても、安部一派やヤマト的傲慢さが埋め立てえない、リュウキュウマブイがそこに必ず生き続ける。あらゆる局面で、安部一派やヤマト的傲慢さが間違っていることは、ただちに白日の下にさらされるだろう。

 翁長知事のいわゆるオール沖縄は、非政治的なものであり、この時点で氏は自身が政治家であることを実質的にやめたのだ。それは超党派の超政治であり、これに呼号しない他の政治家の存在性をいたく醜いものにしてしまった。県民は、この事実を痛いほど知っている。宜野湾も名護もこの醜い政治家たちをあぶりだした。敢然と本土内地ヤマトウの日本人に闘いを挑んだ翁長知事の、オール沖縄の足を引っ張り、体制と権力におもねる裏切りの行為でしかないことを、彼らは知っているだろうか。本土内地ヤマトウの日本人と同じ穴の狢にしかならないことを。

 つまり、永遠性という意味では、翁長知事のことは、普遍的な価値の生きた証という表現以外にない。この価値は、県民の宝だ。一粒の麦がもし落ちて死ななければただ一つでしかない、死ねば多くの実を結ぶ。氏の死はそういう意味がある。(つづく)


詩の終わり (再掲)あるエスペランチストの生涯と死

2019年01月08日 10時52分58秒 | 政治論

 「我が身は炎となりて」 佐藤首相に焼身抗議した由比忠之進とその時代 比嘉康文 2011年新星出版

 比嘉氏が今から51年も前(1967年11月11日)のこの事件を取り上げたことについては、(興味はあっても探求の手を繰り出すことがなかった)筆者には曰く言い難い印象を持たせたのだが、考えてみれば団塊世代近似の筆者の感覚(つまりあの当時10代後半20代前半の人間の感覚)からすると、あの当時我々が否応なく置かれたきわめて特異な時代性に引き戻され、様々な事柄がまさに走馬灯のごとく去来し、次々と符牒する事実関係のその中にあって、この一人のエスペランチストである老人の焼身自殺のことは、他のことに比しそれが一瞬時が止まったかのように冷厳と立っている様に驚かされるということが出来した。

 つまりは、一身を賭して抗議する、諌死ということが、その印象としての古めかしい封建時代的在り様にかかわらず、又、時代が、ときが、ひとの忘却機能が本来ならこれを易々と通り過ぎるべくあったとしても、もう一度意識的に具に振り返ることによって、今あったことのように鮮やかに同時代的によみがえるということだ。死はこのように、いつもひとを、時を止めてその瞬間に引き戻すだけの意味を持たせる。偶々翁長知事の死に際して感じた同じような死に対する感懐を持たされたということ。翁長氏の死は病死だが諌死に近い。あるいは見方を変えれば憤死、というものだろう。

 佐藤首相は安倍晋三の大叔父にあたる。この宰相の当時の在り様は今の安倍晋三によく似ている。「沖縄返還なくして日本の戦後はない」は、大見得切った役者の独壇場に見えるが、安倍晋三と同じで中身は体のいい「裏切り」であった。又、ベトナム戦争を全面的に支持したこの宰相同様、安倍晋三もまた米国大統領に加担する文言を無批判に繰り返す。三島事件も長寿政権の中で起こったが佐藤の感想は「狂気」だった。佐藤も安倍もおのれらが唯一まともで他はそうでないものとして処理されている。「辺野古唯一」はこちらから見れば馬鹿の一つ覚えだが、彼らには既成概念の一つに過ぎない。バカ殿に諌死する忠臣は美談の主だが、由比氏の死は果たして永遠的などんな意味があるのだろうか。死が齎した確固たる常識と良識の定立は、揺動する人心の人事の中で、確実に精神において「正義」となり終わる。我々が受け取るのはこれ以外ではない。「やっぱり君らは間違っている」と、安倍らに言えるのは、そのためだ。

 見よ、さすがの強権政治家安倍晋三一派も翁長氏の死の前に立ち往生しているではないか。辺野古は今どうしようもなくストップしている。(いつまで続くかしれないが)この事実は、諌死の決定的なインパクトを証明している。まさに一粒の麦は落ちて死ななければならないのだ。要はここからどれだけの実を結ぶかだ。翁長知事の死を無駄にしてはならない。由比氏の死は他の死同様、ベトナム戦争の悪を木っ端みじんにし、米帝国主義を粉砕したのである。但し征服民族アングロサクソンの蛮行はその素質のゆえに今でも、残虐な覇権行為を繰り返している。我々の常識と良識の戦いに終わりはない。生きている以上。(続く)


詩の終わり (再掲)南風(バイヌカジ)の吹く日 沖縄読谷村集団自決

2019年01月08日 10時50分18秒 | 政治論

「南風(バイヌカジ)の吹く日」 沖縄読谷村集団自決  下嶋哲朗著 童心社1984年発行

 集団自決のチビチリガマで「肝試し」。心霊スポット化する沖縄の戦跡 https://www.huffingtonpost.jp/2017/09/16/chibi-chiri-gama_a_23212026/

(HUFFPOST2017年9月21日記事)

 つい先だって、ほかならぬ沖縄生まれの少年数人が「肝試し」と称して所謂「チビチリガマ」に入り、中にあった折り鶴等器物損壊の罪で逮捕された話は、未だ耳新しいニュースとして流布しているが、日頃沖縄に関する様々な心痛む話を聞かされている者にとっては、どうにも複雑な心境にならざるを得ない話として、これが心中奇妙にくすぶり続けている。事実上少年たちは少なからず「反省し」謝罪文など公表したが、一方で、こうした戦後生まれの戦争知らずの世代や、弱年者に対する沖縄戦等史実の伝承が、どうやらうまくいってないことを如実に物語る、今の沖縄の現実を示す結果となったようだ。恐らくこういう傾向というのは、今の本土内地ヤマトゥの、所謂「戦争を知らない」世代の、ある歪んだ傾向と軌を一にしているものと思われる。要は沖縄の対戦争観、あるいは戦争に対する対し方が、何気に本土化しているような感じだ。この「感じ」はうまく言い表せない。

 かつて琉球処分後沖縄では、言論界、マスコミなど通じ所謂本土内地ヤマトゥへの「同化策」の嵐が吹き荒れた。「方言札」などというまがいものも、教育の現場ではまことしやかに行われていた。明治維新以来大日本帝国が、近代化の美名!のもとに(帝国主義的意味でしかない)富国強兵、殖産興業、欧化、といった流れの中で起こした日清・日露両戦役に奇跡的に勝利し、上げ潮ムードで勢いづいていたころ、皇民化教育と軍国主義が一体になって国民を一路、戦争肯定礼賛ムードに引きずり込み、沖縄でもこういう教育の中「護国の鬼」と化した人群を遍く生み出した。自ら開戦の口火を切った関東軍の謀略によりやがてその後泥沼化した日中戦争は、米英との太平洋戦争へ否応なくなだれ込み、引き返しようもない地獄のような業火の中へ日本国民を落とし込んだのであり、沖縄もまた、「マインドコントロール」された「鬼畜米英」一色であの悲劇的な「沖縄戦」を迎える。

 沖縄戦は戦略上歴史的評価の中では、明確に無駄で無益な、本来参謀本部が実行してはならない「犬死」戦争だった。これを、本土防衛の防波堤、本土決戦の時間稼ぎ、捨て石作戦、など、本土風情で単純に括ろうとするが全く真相を伝えてない。実際、敗戦まで約半年に及ぶ醜い戦争は、完膚なきまで破壊しつくされた「防波堤」沖縄の目も当てられぬ惨状をさらけ出し、「本土決戦」などまずもって不可能な時間経緯のうちにぶざまに「無条件降伏」したのであり、その内容は要するに「天皇国体」の護持を約束された天皇の、無責任極まりない戦争行為「投げ出し」にすぎなかった。

 しかし彼は、敗戦後「戦犯訴追」を免れ何の反省もこれなきままに、沖縄琉球を無条件で無期限的に米国に差し出して、平然と「戦後防共最前線にするよう」のたまうた。これ(極めて政治的外交的発言)を口にする権限も資格も天皇にはなく(と現行憲法は明確に定めている)、今でいえば明らかな憲法違反行為だ。しかもそれこそが現行沖縄差別の戦後的な意味の確定的行為だと、沖縄は言わねばなるまい。何故なら、敗戦後の本土内地ヤマトゥの日本人は、無批判にこの開戦責任真っただ中にあったはずの天皇制の存続を何となく許し、その制度の持つ自動的、自発的犯罪性を黙過することにためらわなかったからだ。かくして日米両国民は無反省にも、無益で無駄であった沖縄戦のその戦禍に、彼ら自身が叩き込んだほかならぬ琉球沖縄を、異国の軍隊と自衛隊による軍拡行為の最前線拠点とすることとなった。ここに大和民族の、法的に言えば「未必の故意」にあたる日米安保容認推進の、「沖縄を犠牲とする」黙認行為が明確に定置される。これはほかならぬ大和民族が抱える総体的な「不正義」であり、民族的堕落の抜きがたい因源だ。まさに返還を成した佐藤元首相が、「沖縄返還なくして日本の戦後はない」といったように、この不正義をこそ退治しなければ日本の未来はないのである(但し佐藤のそれは裏密約で覆われたまがいものだった)。

 国連がこの国に勧告するように、異民族である琉球民族を「同国人」と偽ってその人権を剥奪するかのような米軍基地偏在化に勤しんでいる大和民族の政府は、21世紀における最低最悪の非民主的国家機関と言わざるを得ない。当然「普天間代替施設」と称しながら、既に60年代に目論んでいた一大辺野古新基地の建設は、日米両政府が画策する詐欺的な国家的国際犯罪、というべきであろう。

 このだいぶ以前に書かれた「チビチリガマ集団自決」に関する報告書は当時のこの事件に対するこの国の在り様なども醸し出しているが、それとは別に、その後慶良間諸島での「集団自決」にまつわる裁判沙汰と判決結果から、「集団での自決」、ではなく旧日本軍による強制死という言い方に変えられるのかもしれない。米軍上陸のかなり初期的段階でのこの悲劇は、読谷村がまさに本島への最初の米軍上陸地点だったこともあって、まさに「ためらいもなく」実行された集団での自裁行為という印象を与える。「報告書」は、軍による直接的な命令があったわけでない、と断りつつ、当時の一般住民が置かれた状況、立場、成行きからすれば、「生きて虜囚の辱め」を受けるより死を、という心情、心性に傾くことは容易に推察され、取り分けて同じ壕にいた日本兵(大陸で自ら南京事件も経験しているはず)の、米兵による残虐行為の空恐ろしい結末への扇情的言辞が、当然に自ら死を選ぶべき雰囲気に誘っただろうことを述べている。そのとおりであろう。

 一家掃滅(全滅)、という文字が並ぶ、各戸別死亡者名簿は、この国が起こし無駄に長引かせた必敗の戦役がいかに残酷な結果を示すか、明瞭に伝えている。そしてこの国とアメリカ合衆国が、今持ってこの地に居座り内国植民地化し、琉球の人々の生存生活環境を蹂躙しているその非人間的な、傍若無人で無神経な有り様には、到底これを黙過・黙認・許容し得ない憤激しか起きてこない。歴史的事実への真摯で謙虚な態度さえもてば、風化するどころか今そのまま眼前に広がる悲惨な光景が、我々現代の人間を激しく打ちのめすのだ。誰がこれを見て、今の日米国家政府や政治家、官僚、国民たちのような無関心無反応で済むか。

 大和民族は、こうした、先の大戦の引き起こしたむごたらしい事実にはっきりと目を向け、今自分らがしていることのいかに罰当たりなものか、よくよく反省しなければならない。筆者から見ると、豪雨洪水熱暑等甚大な被害を避けえない、無残な自然災害にひっきりなしに襲撃されている本土内地ヤマトゥの日本人が、まさに天の怒り、天罰を受けているようにさえ思えてくる。あなたがたが見聞きし読むべきものは、この国の犯した過去の過ちに関するもの以外にない。(つづく)


詩の終わり 「考える自由」を自ら捨てる人々

2019年01月04日 14時45分32秒 | 政治論

 現場近辺に活断層が走り、調査結果マヨネーズ並みの軟弱地盤と言われる大浦湾辺野古崎の一角に、これに先立ち、既に全国警察警視庁機動隊警備会社数百人を総動員して市民活動を排除し、暴力的に高江地区に設けたオスプレイのためのヘリパッドを有する、不要地返還という詐術を弄して縮小強化された北部訓練場と併せ、沖縄島北部一帯を広大な軍事拠点とする一大新軍事基地をでっちあげようという、日本国家政府の所謂「国家専権事項」(国家にそんな専権性の法的根拠はない)たる安全保障は、どうみても二重基準に基づく砂上の楼閣づくり(見た通り自然災害に弱くかつ自然環境を徹底的に破壊し、周辺航空機離着陸許容高さ基準に沿わない多数の建造物を等閑視した、滅茶苦茶な新設軍用飛行場)にしか見えず、多くの意味合いで安倍一流の「やっつけ仕事」(在任中に是が非でも仕上げたい懸案事項の私的な強行解決手法)という印象を拭えない。それは「オキナワ」に特化したこの国の偏頗で狭小な国策、明治以来の欧化的劣等感または対アジア優越の特権的思い上がりによる、甚だしく不健全な島国根性的国家施策にほかならず、それの最たる犠牲者である「琉球民族」の、留まるを知らない虐待弑逆境遇こそ、他の日本人が、おのれらの怠惰にして無責任な無関心から生じている、「未必の故意」的な犯罪性の高い事態だと自覚すべきものだ。

 安倍一派の右傾化は日本会議を母胎とする戦前価値復活、皇国史観踏襲、自民改憲草案通りの国民滅私奉公型国家主体のファシズムであり、「軍国化」「殖産興業」「大資本中心主義」を旨とする、トップダウン式馴化による「愚民化」策が基本の、先の大戦を招来した元凶たる所謂明治帝国官僚支配体制に立ち戻ることだ。我々は至る所でこの体制の基本である「官尊民卑」のデジャブ的光景を取り分けて沖縄において目にしてきた。取り分けて沖縄高江、辺野古、普天間、嘉手納等ではまさに「琉球処分」のデジャブそのものを体験する羽目になった。さながら昔日の、苦々しい日本国家による虐待の歴史が今に蘇る光景である。

 日本国民は、現在この安倍一派の動きを多くの政治的自己主張の一として見ている感がある。そして実際には彼らの実質的勢力は総体的有権者の2割弱にしか支持されてない。見た目よりはるかに、その時代錯誤は国民の眼には異様な、異常な跳ねっ帰りとして見られている、と思われる。だが、ヒトラーナチスのおぞましい実例は、こうした国民的良識乃至常識をいともたやすく組織的殺人的行為へ誘った、と教えている。つまり、ハンナ・アレント流に言えば、普通の市民的一般人が組織的に懐柔され馴化されれば、国家を上げた犯罪的行為さえ黙認黙過、剰えその実行協力密告等の裏切り行為に走ると警告する。つまり我々は、我知らず「仕方がないこと」として国家行為に加担するおのれの、「自由を奪われた」奴隷的な身分に、いともたやすく陥れられる危険にさらされているという現実があるのだ。

 どうすればいいか。既に歴史はこうした暴虐的巨魁に対してまるでそうすることが当然であるかのように抵抗し、闘い、不服従を貫いて痛ましく散った幾つかの実例を数えている。彼らもまた、普段はごく普通の市民であり、歴史に名を遺すような勇ましい烈士だったわけでは決してない。むしろその存在は消え入るような慎ましい生活に甘んじていた人たちだった。しかし我々は、彼らが何より大事にしたものが「自由」だったことを思い出すべきであろう。コルベ神父の話から学ぶべきは、彼が普段から心掛けた「考える自由」の全面的な支持とその確保のための勇敢な実践だ。神父のそういう生活態度から収容所での彼の捨て身の行為がいかに当然の帰結だったかがわかる。

 「自由」を得るために人はどんなに勇気を必要とするか、それは我々の普通の日常生活の中でいつも試されている。どんな暴力的権力者も思い通りにいかないのは、支配せんとする人間の、頭の中に芽生える「思考する自由」という敵だ。しかし多くの人は折角芽生えたそれを自分から否定し打ち捨てる、支配者の圧政によって。結果としてある種の組織に属する普通の職業人が、否応なく「悪への加担」という過ちを犯す。モリ・カケ・防衛省事件で我々は痛いほどその実態を見てしまった。勿論これを促す悪の張本人こそが最大悪なのは間違いないし、これを許容することは結局おのれの奴隷的身分を何気に忘却することでしかない。一方で、国家悪を「仕方なく」実行させられる組織的職業人には、多くのいじましい言い訳が残されているが、その行為の内容によっては「仕方なく」では済まない人間的な意味の責任問題に帰着する。

 同じウチナンチュである沖縄県警機動隊が、おのれらのおじいおばあが老体に鞭打って座り込む基地ゲート前へ大挙して乗り込み、無礼にも痛々しいご老体をごぼう抜きにして強制排除する醜い光景は、こうした組織的非人間的行為に普通の職業人を連れ込んで止まない国家の恐るべき破壊的犯罪性を予感させる。この光景が常態化するとあらゆる「考える自由」が力なく萎え、やがてそれを無感動に眺める「物言えぬ」「物言わぬ」沈黙する民の国に成り下がる、既にそうなってきている。(つづく)

 

 

 

 


詩の終わり 辺野古の海が殺される過程は日本国民衰滅の一里塚

2019年01月02日 14時41分22秒 | 政治論

 既にこの自公政権とその内閣においては、本土内地ヤマトゥの、安全保障に関する日本国民黙認の国家政府防衛省が、その本土からは遥か僻遠の海中にある琉球島嶼を、恐らくは戦後すぐ昭和天皇が、絶対的なお墨付き(理屈の通らない問答無用のお触れとして)を日米政府に与えたであろう「防共軍事要塞化」に供する国策の一環として、与那国島、宮古島、石垣島に自衛隊という、国際的にはれっきとした暴力装置としての軍隊を配備し、沖縄島では20年来懸案として宙に浮いていた「普天間飛行場代替施設」としての「辺野古新軍事基地建設」に、今までになく具体的かつ現実的に取り掛かった。その在り様はとうの昔に民主主義をどぶに捨て、一民族に特化した顕著な差別主義に則り、自然破壊のそしりも物ともせず、やがて活断層の走る「マヨネーズ」海底地盤の上に異国の軍隊のためにのみ寄与する(果たしてそれは実質的に真逆の内容を呈している)「砂上の楼閣」の北部一帯一大軍事基地をでっちあげるのだが、それは言いたくないが安倍晋三一流のおふざけな「やっつけ仕事」と化している。しかし、国民は黙認している。

 辺野古で沖縄で、こうした国家政府の動きに抵抗する運動としてある一連の市民活動は、この昭和天皇お墨付き、問答無用のお触れが持つ金科玉条的錦旗的性格に包まれた日本国の所謂「国家専権事項」に対して、ほぼ本質的な意味での「無力感」だけを感じさせられる流れとなっている。それは同時に、70年以上を経た日本の戦後民主主義の完全な敗北、無効化として印象されるし、実際、所謂「post truth」的右傾化は、様々な局面様々な場所様々な現象において居丈高にずうずうしく「大きな顔」をし始めている。例のネトウヨに始まるヘイトスピーチなど、かつては確実に市民生活から排斥されたものらが「大手を振って」街を闊歩し、市民運動に罵声を浴びせかけ、けたたましい街宣でおのれらの不気味な相貌をさらし続けている。

 何故、見て見ぬふりをする本土内地ヤマトゥの日本国民とは明かに相違する反応として沖縄の戦いには弛みのない歩みがあるのだろうか?島津侵攻、琉球処分、沖縄戦、米国支配、密約核・基地付き返還、その他、沖縄琉球が自ら招いたわけではない、本土内地ヤマトゥの日本人が侵略的にやってきた結果として生じた不本意にして不如意な境遇、それらから自然に、立ち上がらざるを得ない自らの運命を認識しているからだ。少なくとも加害者にほかならない本土内地ヤマトゥの日本人は、そのことを弁えている必要がある。琉球沖縄は日本人によって繰り返し痛めつけられ、今後も彼らがそれを繰り返すことを既に知ってしまっている。「国家専権事項」などという法律はない。ところが彼らはそれを錦の御旗として、官軍並みに傍若無人に沖縄県土を蹂躙している。

 ところで、今沖縄でこの国がやっていることは、例えば辺野古の美しい海に薄汚れた土砂をぶち込んでいるような行為は、そのまま国としての滅びの道だと、冥土への一里塚だと、本土内地ヤマトゥの日本人は自覚するべきだろう。平成天皇の引退は同時に日本の正統な歴史的見識がその理念性を喪失し、行く当てもなくなった価値観が転びの泥濘にのたうつ時代が来ることを象徴している。(つづく)