沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩196

2010年09月30日 17時40分32秒 | 政治論
 この、近代日本及び現代日本をどのように解読し総括し先の大戦の完全な戦後処理を遂行するかという、言わば実験場となった不幸な島沖縄は、沖縄戦での「人間が人間でなくなる」修羅場と、戦後の占領国統治、沖縄返還闘争、米軍基地の集中、米兵犯罪、地位協定の不合理、アメリカ覇権主義の第一の被害者、アメリカ隷従政府の人身御供、といった類稀な例外的立場を永続的にとらされ、しかもかかる国民的人道的人権的被害の不断な体験者という不条理な身分を強いられている。最早、本土の同じ日本国民の冷淡で無理解な態度に迎合する筋合いはなく、沖縄県民であり日本国民として日米安保の重大な弊害である沖縄の過重負担撤廃を声高に訴えねばならない。それはひいては本土の安保ただ乗り国民に対する責任所在を明示することになる。と同時に戦後日本の異常にして不健全な歩みへの重要な警鐘となる。こうした思想のもとになるのが、日本で唯一の地上戦という地獄を体験した沖縄の無数の悲鳴、叫び、呻き、だと思われる。それらは今も沖縄で日々生々しく聞かれる現実の声なのだ。(中断)

詩195

2010年09月30日 16時16分56秒 | 政治論
 元沖縄県知事太田昌秀氏の学者としての事跡をごく部分的にしか知らないのだが、沖縄に来て最も多くその著作に接した結果としての沖縄観や認識、歴史観、沖縄学、といった展開は実に興味を惹かれる事件だった。とりわけて氏が実際体験した沖縄戦とそれにまつわる沖縄概説は種々見解を新たにさせる真に革命的なインパクトを叩きつけた。生涯で最も実り多く示唆に富み、稀に見る邂逅だった。正直言えば沖縄には何一つ期待も希望も願望もなく、基地によって醜くズタズタにされた島という印象しかなかったし、異人種に毒された町といったイメージや裏社会の暗躍する奇怪な国、戦後民主主義が一時的に注目したときを除けばいつもその著しい差別的境遇を忘れ去られた土地など、少なくとも南国の楽園などという印象は全くなかったのだ。その本島に移住してきてまずはっきりと印象されたのは人間の出来具合だった。その内実を知らないが、言わせてもらえば本土の人間にみる煩悩の確執からくる醜悪な生存形態に、狂気と化した戦後日本の精神崩壊を想像させた。何故日本の戦後は本土と沖縄をその根底において相違させたかというと、敗戦を終戦として落着させ、戦後を戦無として認知し、沖縄にとって屈辱の講和条約により無条件の安保を手に入れた本土の日本人は、まっしぐらにエコノミックアニマル街道をひた走り、ついには人間としての本源の希求と定式化において自己を失い、利己主義の最も醜悪な結末に陥落し、他力依存による安穏な危機管理から自律的防衛機能を無効化し、正常判断と健全反応が欠落した自家撞着に陥ったのだった。沖縄は戦後も戦時体制に置かれ、異人種に統治され、永続的に占領支配される独自の運命を強いられることで、未だ日本的解決を完了しない戦争と敗戦及び近代日本の総括という問題の現場に強制的に放り込まれたのだ。こうして沖縄は未だに日常的に戦争を体験しているという、本土では想像できない現実を有している。(中断)

詩194

2010年09月27日 14時21分14秒 | 政治論
 日琉同祖論は願望でもこじつけでもなく遺伝学的に証明された事実といえる。アメリカの日琉異種論は科学的に覆されている。従って、彼らの敗戦後の沖縄施策は根底のところで間違っている。となると吉田と天皇の意思がアメリカの沖縄分離施政の根拠となっていると考えるのが筋であろう。現在も続行している沖縄差別にかかる基地負担不公平は完全に憲法違反であり、そもそも日米同盟の沖縄偏向は沖縄の住民に対する完全な人権侵害である。第一に普天間の危険性は国が国民の住環境を保障する内実で建築制限等の対策を講じるべきだったのであり大いに国の責任を問われるところだが、辺野古に新たな基地を作るという理不尽な暴挙は今回の中国の領土主張に似て実にふざけた住民軽視である。こういう滅茶苦茶な日米政府の沖縄施策について、何故日本国民は声を大にしてその差別的体質に抗議しようとしないのか。対岸の火事はやがて確実に自分に降りかかるのに。もっとも自分の周辺に影響が及ばなければ誰も声を挙げようとはしないのが人情だ。偏狭なナショナリズムから中国の脅威を煽り、日米同盟強化の視点から、なしくずしに辺野古強行がされるとすれば、自国国民を差別的に戦時的危険性に叩き込む日米両政府の非人道的姿勢は必ず国際輿論の非難を受けることになる。

詩193

2010年09月27日 00時01分06秒 | 政治論
 中国の理不尽な外交姿勢を戦略と捉えるなら、あらゆる明瞭でない不合理な外交について対抗して論陣を張る根拠がなくなる。戦略という名の実戦的現場を一般人がどう評価しようというのか。字面を追っても解決法がないことを知るべきだ。彼らが外交という舞台で役割を演じているという誤解を捨てる必要がある。今あるせりふもしぐさも台本はないのだから。そこであらゆるメデアマスコミ報道関係は、戦略的外交の報道ではなく、基調としてある事実関係のみを忠実に伝える努力をすべきだ。つまり表面上理不尽と捉えられる一切を生々しい「過程」として押さえ、外交論理に添って結果報道に徹するべきだ。何故そういうかというと今やあらゆる媒体を通じてリアルタイムに現況報道が万人に伝達される現状では、一種のパニック症状を群集心理と相俟って生じること疑いようのない実態があるからだ。

詩192

2010年09月24日 02時00分45秒 | 政治論
 新聞読者人口の規模を知らないが、大方の一般家庭では標準的には何紙かの朝刊購読をしているものと思料される。こうした最も自然でありふれた読者を持つとりわけ本土の大新聞が、普天間問題の反戦性と基地問題により派生する軍事優先国家への嫌気といった、国民が最も健全にかつ未来志向的に把持し得る心情に訴えるいかなる企画も影を潜め、むしろ好戦的ともとれる記事を満載し、ここ数ヶ月は沖縄が普天間で注目されたあの半年は何だったのかと疑いたくなる様変わりである。どれもこれもアメリカの思惑への傾斜と政府の日米合意賛同かつ日米同盟無条件容認としかいえない論説で占められている。少なくとも沖縄に同情的な論調はなくむしろ「むずかしくなった」「地元同意はきびしくなった」系の一体何が言いたいのかわからないような冷めた見解で占められている。仲井真知事も「県外移設」に舵を切ったがこれを評価しようという論説は一切ない。地元紙も専ら当然の成り行きと見ているが、本土の有力紙がこれを「辺野古」絶望という捉え方で報じないのはどうかしている。

詩191

2010年09月23日 11時38分34秒 | 政治論
 戦勝国アメリカが専ら再軍備監視と非武装保障のため沖縄を27年間人質に取ったこと。日沖分離策により沖縄をアメリカ覇権主義のアジア西太平洋における要塞指定し、軍事的支配の足掛かりにしようとしたこと。こうした思惑の実際的継続は返還後、38年間のうちに様変わりしたのかというと、結果的には乃至アメリカの沖縄に対する姿勢にはペンタゴン的思考形式に65年前となんらの変更も見出せないという驚くべき事実がある。これはどういうことかというと、第一には、人種的民族的に日本人ではないという見解の持続、第二には沖縄群島の西太平洋における軍事的重要性には永続的な評価があること。以上の理由で沖縄はアメリカのアジア太平洋地域の最重要軍事基地であることに解釈上の変更は一切ないのである。しかし、それはアメリカ単独の利益誘導であり日本政府の了承を得ているものの沖縄自身が、第一の理由に納得するはずもなく、また基地公害により被る戦後65年間の異常な日常的苦痛の除去願望は年々増大しかつ臨界付近に達している。普天間を巡る14年間の右往左往は様々な理由から結局住民齟齬を盾にアリバイ作りと偽善的な配慮姿勢と日米同盟の過不足ない持続という所期の方針通りに事が運んでいる、という結果を準備している。一方本土の大新聞は名護市議選の稲嶺派圧勝時にほんの挨拶程度に触れた以外はまず一切普天間問題に口を閉ざし民主方針に乗っかり、本来の公平性や新聞機能の効力発揮にはなんら顧慮することなく経過している。本土の国民の意識の中には最早普天間も辺野古も米軍基地もない。報道も政府もアメリカも中国も一切が軍事優先方向へ片流れしている時何故この国の有識者や学者は無言なのか。文民統制とは本来こういう国や国際情勢の変化に呼応して大いに論陣を張り、制御機能を発揮することではないか。

詩190

2010年09月22日 11時50分15秒 | 政治論
 情報操作という意味では、今回のなんでもない領海侵犯一般漁船海保巡視船衝突事件は例の韓国での哨戒艦沈没事件同様極めて利害国画策のにおいがして、北と中国を刺激するという意図が軍事関係の作戦とみても間違いがないような最近の成り行きではないか。米軍または自衛隊の動きには関連性を疑わせるものがある。沖縄はこうした戦略的動向に監視の目を光らせ、画策された情報による誤った心情的錯乱を警戒しなければならない。普天間移設棚上げ、日米政府よってたかっての懐柔作戦、軍備の強引な増強、既成事実の積み上げ、沖縄反基地運動包囲網、最後には武力行使、あらゆる文民統制の崩壊から始まる軍事優先施策が暴走する危険は日本人が一番よくわかっていることじゃないか。アメリカはそもそもアジア蔑視、日本人軽視、そして日本的敢闘精神への異常な警戒、及び沖縄軍事諸島の確保という米軍方針になんらの変更もない。西太平洋環状基地を保持し、アジアの覇権を握り、中国といかに対決するか。そのためには日本政府をいかに傀儡化するかであり、その方策は着々と実行に移されている。

詩189

2010年09月21日 13時43分20秒 | 政治論
 尖閣諸島を巡る日中間の軋轢のようなものは、例えば海保の巡視船に一般漁船が追尾衝突したといったごく一般的な刑事事件を取り上げてわざわざ脅威を煽る行動に出る右翼やその亜流たちには、砂糖に群がって急に集結する蟻のような印象を受けるが、沖縄を巡る中国の属国論は戦前戦後通じ様々言われてきたことで今更本気に捉えてどうしようというのだ。こういう騒動の背景には太平洋戦争にあってアメリカがその恐るべき情報網と研究体制により沖縄を完膚なきまで研究し尽し、薩摩侵攻以来琉球処分やら日清戦争等の関わりで沖縄が持つ日本における特殊性に言及し、中国に配慮する形でアメリカが沖縄処分を検討した経緯があり、そういう意味ではアメリカは当初から日本の敗戦処理を画策し日本列島の占領形態を細かく設定し、沖縄に関してははっきり日本でないような扱いをした。27年にわたる特殊な占領政策を沖縄に対し採った理由はここにある。しかし沖縄と日本の係わりは外国の思惑で決する程浅くなく、今更中国の属国に組み替えられてもその甚大な違和感をどうするのか。こういう論議こそ不毛の話だ。国際常識に添って論じるがいい。沖縄県民は誰一人中国に支配された歴史も経験もないし自分が中国人だと思ったこともない。しかしこれと先の戦争で大日本帝国が沖縄に対してとった重大な罪過とは別問題だ。中国のことは全く論外な話だが日本政府の沖縄に対する重大な差別的不当行為は絶対に許容できない現実の話だ。勘違いするな。

詩188

2010年09月20日 10時19分20秒 | 政治論
 文脈上の中国の沖縄侵略はアメリカの植民地占領意識とさほど変わりはない。しかし中国の警告は日本のアメリカ従属政策に対する警告と捉えても強ち遠くはないように感じるのはどうしてか。今や日本は極端に弱小国化しているが、アジア的視点から眺めれば、先の民主政権の普天間決着がいかに国際常識から逸脱しているかが明瞭に見て取れる。沖縄県民があらゆる機会に示す反基地意思を世界が黙視するはずがないと考える視点を日本政府はどうして持たないのか。今5月の普天間決着は論理性を欠いた科学実験というに等しい。「国外県外」の弾道がどうして真逆の辺野古着弾となったかその論拠がまるでないのだから、沖縄県民ばかりでなく国際常識からも不可解という印象しかないのだ。中国学者の沖縄発言の誤謬は今更言わずともよい。かかる外交駆け引きは数ヶ月で沈静化するだろう。問題は根拠のない抑止力というアメリカサイドの宣伝文句にまるで抵抗しない敗北感のない敗戦国の政治的無力を沖縄県民は歯噛みして嘆いているということで、立場上の発言権は民意にあり、「説得」という上目線こそ実情にそぐわないことを民主政権は認知しなければならない。アメリカとの外交交渉、つまり日米同盟の暫定停止に伴う対等な協議をこそ考えるがいい。

詩187

2010年09月19日 13時31分42秒 | 政治論
 日本政府への絶望は沖縄の絶望ではない。何故日米同盟などという前時代の遺物に固執し、この国の再編に着手しないのかがわからない。革命とほざいた民主政権当初の大言壮語は真っ赤な嘘だったことはこれでもわかる。鳩山一人の責任に終わらせたがあの沖縄への裏切りはこの民主政権全体の裏切りであり、看過し得ない重大な沖縄への失政であり謝罪で終わらせるには100年かかるがそれでも「説得」しようというのか。しかも「期待を持たせたこと」に政治解釈しようとしているが大きな錯誤だ。事は65年間の不公平な国民としての扱いに対する、沖縄の怒り抗議が現状を生んでいるのであって、今回の鳩山の失政自体が問題なのではない。その後の菅政権においても同じ裏切りを見せていることにどうして気づかないのか。未だ沖縄は決して日米合意に同意してないし、そのことはこの日米合意の非妥当性を証明しているし、これまで自民政権時代に可能だったかもしれない住民懐柔が最早県政の与野党総じて拒否の方向へ行っている。知事選の結果次第といっているがすでにその道筋は見えている。偽善と欺瞞にまみれたこの政権はその薄汚れた本性を現し、アメリカのために沖縄を捨石とするのだ。これじゃ65年前と同じじゃないか。前原、北沢が外務防衛の頭では絶対にそうなる。馬渕がどこまで自党の過ちを無私の精神で正そうとするかにかかっているが期待は薄い。

詩186

2010年09月17日 23時13分52秒 | 政治論
 代表選は沖縄票は小沢一色で、本土と乖離する内容だった。これを普天間問題への関心度から評価すると日米再協議を掲げた小沢への期待票が明瞭に本土と沖縄では相違する結果として受け取られるのだが、実はこの明瞭な相違こそ明らかに倫理上の文民統制が本土において欠落している実態を浮き彫りにしているし、この状況は戦後65年間全く変化しなかったこの国の戦後史の不健全な症状として絶えず沖縄県民が眼にしてきたのだった。それは安保問題を不変の国家優先事項として国民レベルの検証討議を一切してこなかったこの国の在り方自体に根がある。しかし住民闘争を惹起した沖縄においては安保はすでに国家の専権事項ではない。そのことを鳩山政権が浮き彫りにしたにもかかわらず、奇妙な不透明な胴体着陸後、国民レベルの問題としての普天間及び安保がまたしても本土と沖縄の意識の乖離として再現されたとき、地元は絶望感を濃くしこの国の情けない実態に空しく憤り相変わらない差別的不平等を実感せざるを得ないのだ。尤も彼もまた沖縄について何も知らない時代には基地問題が対岸の火事だったことは認めざるを得ない。というより基地被害という現実すら伝わってこなかったのだった。3ヶ月間何もしなかった菅を代表に選ぶのは結局彼が未知数だからだ。小沢が切られるのは彼が汚れたイメージでみられるからだ。所詮この代表選には実質的に評価されるものは一切ない。先行き検討もつかない新内閣を国民は大きな不安と共に眺めているが、沖縄に関しては最小不幸の一例にしないでくれと祈らずにいない。

詩185

2010年09月17日 11時40分34秒 | 政治論
 アメリカは自民政権時代に可能だった政府間協議の強行を民意に関係なくこの民主政権に期待しているらしいが、逆に民意がその強行を食い止める働きをしている現状では、民主党がいかにぶれようが客観的視点から合意案の実行は不可能だという解答がすでに出ているのだから、どうやらオバマ始めアメリカの政治家は極東特に日本の普天間には関心がないらしいが、そろそろはっきりした決断をしめさないと安保そのものに有効性を期し得ない事態が来るやも知れず、菅政権はこの点を踏まえて、11月の知事選以降日本の特に辺野古の実現不能性にはっきり政府公式認識を示すこと、ここからオバマとの首脳会談に臨むこと、そして自民政権時代の沖縄施策との相違を特に民意に関しこれを第一に据える方針との相違を鮮明にし、そのうえで日米協議の仕切りなおしを提示すべきだ。現状植民状態の沖縄に関しハーグ陸戦条約違反の事実を明確に訴え、その改善に日米双方が協力して当たること、第一には日米地位協定の完全見直し、経済的自律性を喪失した今の沖縄の実態を徹底的に検証し、基地公害というべき沖縄負担を最終的には完全除去すべく米軍再編の手直しを要求するところまで踏み込むこと。まあできるわけがないが心しろ。

詩184

2010年09月15日 21時41分53秒 | 政治論
 民主政権の政治主導は大嘘で沖縄県民はだれも期待しない。逆にこの国の頭脳の頂点で決して悪徳政治には染まらない高級官僚たちにまず金銭的非道を戒め、己が経済的優位を自覚し必要以上に裕福を求めず、仕事に全力傾注し、諸事にわたり的確な成果を産出すべくただ国民のため公僕となって仕えることを要求する。普天間代替施設の辺野古移設は明確に民意に反するが、こういう局面では役人目線ではいかなる方途がみえるのか。常識的にはこうだ。まずいかにアメリカが沖縄の地理的優位を喧伝するにしろそこに実際に市民が住しあまつさえ騒音、墜落危機、米兵犯罪、地位協定など、通常考慮対象にすらなり得ない公害が撒き散らされる現状にある基地を置くこの行為は、軍事関係者が最も避けなければならない作戦上の問題と捉えられる。「お前たちを守るために俺たちは戦っている」といってガマから住民を追い出した旧日本軍の考え方だけは現代人としてあり得ないことだ。従って、作戦の変更こそ提案しなければならないことになる。防衛省官僚としてはその戦略的頭脳を駆使して、住民第一の方針から考えられる最上の作戦を考案しなければならない。ある意味、辺野古乃至沖縄でなければどこでもいいわけだ。軍民共生を望まない現代日本で(安保の功罪)住民のいる近辺はすでに誰一人基地を歓迎しない状況では、どこか無人島にでも行ってもらうしかないのだが。

詩183

2010年09月15日 14時02分51秒 | 政治論
 日本の軍事専門家、戦争責任者、防衛担当参謀、こいつらの無為無策を誰も論わないが、普天間返還代替施設の問題と安保と国防に関し、戦争専門家たるこいつらが沖縄負担軽減の工夫努力を全く示さない理由はなんなのか。この国が総力を挙げて米軍基地負担の全国平等負担へ向かわないのは何故だ。アメリカが沖縄の地理的優位を主張するなら何故この国の官僚たちは沖縄の住民意識について説明しないのか。むしろ沖縄移設は無理だということを強調しなければならないのに、何故アメリカの主張にのみ重きを置くのか。しかも住民意識操作を画策してまで。あえてこいつらのアメリカ隷従姿勢についてはいうまい。いいたいのは専門家たるポリシーやらプライドやら普通に考えて当然あるべき精神的自尊の念がこいつらには欠片もないのかと軽蔑する。

詩182

2010年09月13日 17時07分00秒 | 政治論
 簡単な話、この民主政権は辺野古移設いよいよ不可能という状況でも一向に困らない、彼らは普天間固定化の原因を沖縄県民の辺野古反対のせいだといいのけてはばからないだろう。こいつらに沖縄に関する人間としての思い入れなど期待できないし、政治家としての問題解決の情熱は最初からないので、およそ語るに堕ちた話である。こういう場合、沖縄県民はどうすればいいのだろうか。政府が「住民に理解してもらうために粘り強く交渉していく」つもりなら、沖縄は「辺野古ではだめだ」とより粘り強く意思表示していかねばならない。持久戦はお手の物だ。65年間そうしてきたのだから。彼らはあの手この手で懐柔にかかろうが、あらゆる甘言は大嘘だし、あらゆる脅迫は根拠がないし、しろうとに軍事的戦略的理由が理解できるはずもなく、従って抑止力という大嘘こそ初めから聞く必要のない話だ。およそアメリカの都合、アジア地域の脅威などという話は知った事じゃないのだ。こちとらは日々命の危険にさらされている。君たちの言う脅威はまさに君たち自身だ。君たちが出て行けば少なくとも今そこにある危険は避けられる。彼らは自身の都合や役職じょうの都合でしゃべっているので、決してこちらに有利なことは頭にない。だから彼らの口から出てくるあらゆる言葉には絶対に沖縄のための言葉はない。沖縄の未来は彼らの与えるものからは見えてこないし、彼らの押し付ける基地こそ沖縄をだめにする根源なのだ。かくして政府機関との協議などということはないし、そんなところに出る必要もない。協議ではなく懐柔でありそれ以上でも以下でもないのだから。