沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩398 沖縄からのメッセージ 18

2013年02月28日 07時37分47秒 | 政治論
 とうとう沖縄県国頭郡東村高江の米軍北部訓練場一部返還代替オスプレイヘリパッドの一つが完成してしまった(目取真俊氏「高江の様子」)。地元住民識者協力者の連日の監視抗議活動にかかわらず「銃剣とブルドーザー」方式はこの度も米軍植民地主義通りに一個の証拠品を我々の前に完成させてみせた。この世界的犯罪性に彩られたアメリカ合衆国の人権侵害事件は役たたずの国際連合を尻目に堂々と戦争準備訓練施設を我が物顔に横行させたわけだ。でこれで終わるわけでなく監視抗議活動は今後も「嫌がらせ」的プレッシャーを彼ら人面悪魔どもに加えるため継続して行われる。高江への参集を心から望む。宜野座漁協の辺野古埋め立て反対意思表明は名護漁協の屈折に活を入れる。俄かにアメリカ追随政権の辺野古圧力が加速的に加えられる状況になってきた。底流にある「非戦」意思を貫徹させるためにも、沖縄戦の悲劇を繰り返さないためにも、こうしたアメリカ国家エゴと日本政府の自主性のない対米追随精神がもたらす住民への人権被害を食い止める闘いは続く。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 17

2013年02月26日 08時24分23秒 | 政治論
 我々に加わっている圧力(重力含め主にストレスとして実感される圧力)は、我々が本来的に生き抜こうとする希望を奪って、我々の、否応なく死滅する運命的事実を確信させるという、この世の実相について語ろうとしている。
 彼ら(権力や外的な力)は我々をじわじわと殺しに来る。だが、我々はある日大挙して護送列車に詰め込まれ、例のガス室のある収容所に送られるのだろうか。
 ある日見知らぬ役人がやってきて、我々の中で死すべき者とそうでない者に振り分け、死すべき者は仕方がないと諦め、そうでない者は悪夢の通過をやり過ごす。
 誰も自殺しないし、誰も抗議しないし、誰も暴動を起こすことはない。我々は黙々と死地を指して歩き出す。我々に加わっている圧力は、本土が拒否し、政府がためらいなくこれを容認し、返す刀で米軍基地施設の建設増設拡張工事を、つまりは沖縄特化で受け入れさせようという本土政府と、これを黙認する本土のありふれた普通の小市民的日本人の、本人が自ら気づくこともない薄汚れた手によってもたらされた。
 県本島の2割近くを米軍基地が占めようという、異常な植民地状態にあるのが現在の沖縄県である。国土展開の74%にのぼるそれをここに押し込んだ当然の結果だ。
 尤もそれ以前に、戦勝国軍隊であるアメリカ人が、銃剣とブルドーザーで文字通り住民を蹴散らし、その住空間を奪い取って作り上げたというのが紛うことなき原点である。
 「オール沖縄」が本当に実体を体現しているかどうか知らないが、事実上、現今代議制に信頼を置くなら、議会制民主主義の多数決原理によればこれはその通り全県的であり、全市町村議会及びその首長と県議会県知事まで、選挙で代議員となった全ての顔において「辺野古移設反対」乃至「県外移設」が確定している。
 普天間問題がかかる事実に据え置かれているのにかかわらず、安倍晋三はじめ沖縄以外の現今国会議員の大多数が移設先は「辺野古」だといって譲らないのはなぜか。いやこれは形容誤謬であり、彼らは「自説」を譲らないのではなく、そこに力関係など存在せず、ただ本土一流の政治状況を無批判にかつ無関心にやり過ごし、民意の関係しない「日米合意」を鵜呑みしているに過ぎない。
 彼らに理屈はない。ここが重要だが、この沖縄に関する本土の無知無関心無責任は、到底彼らの政治的オーソリテイーを我々には示しえない。
 我々は黙々と死地を目掛ける(寿命という軌道においてのみ)が決して彼らの手で殺されはしない。日米安全保障条約は基地に対し、その不動産提供を当然に要求するが、本土では殆どの行政区でこれを拒否し追放した。つまり彼らの言う日米安保の重要性は本土の人間には全く理解されてない証拠だ。何故か。実際にその効力を証明したことがないからだ。「ともだち作戦」がこれを示すというなら自衛隊は直ちに災害救助隊に編成しなおすのが常套手段であり、火器弾薬軍事訓練は不要なはずだ。
 彼らに理屈はない。既得権益と産軍複合構造による赤字穴埋め継続実質という内容である。財政危機から防衛費の大幅削減が進められているアメリカでは既に軍事による世界覇権構想が暗礁に乗り上げ、在沖米軍はじめ在外基地の維持管理費削減方向は決定的と見られる。日本国政府だけが馬鹿の一つ覚えを持続している。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 16

2013年02月24日 08時48分49秒 | 政治論
 安倍晋三の所謂反動政治はいよいよオバマ追従とともにモロ出しに露わになってきた。と同時にこの政権下では、弱体化した革新系ジャーナリズムの無力な論陣を多方面に打ち砕く諸政策がゾンビのごとく甦り、一切を逆戻りさせる愚挙に打って出ることになる。文民統制力として自民王国へ「ダメ出し」した前回の政権交代の意味はここでその効力を失い始めているが、そのことを憂えるマスコミの発言力も徐々に消えかかっている。つまり一億総右傾化状況がいよいよ翼賛体制への足場作りに利用されようとしているわけだ。例えば普天間問題は安倍晋三にはただの政権ネックに過ぎず、日米同盟のためアメリカのためなら辺野古住民、名護市民、沖縄県民の倍加し固定化する「基地ストレス」など知ったことじゃないので、早々にこの足かせを取り除こうと、公有水面埋め立てに向け事務手続きを加速化する。あの密談で仲井真篭絡に成功していれば知事が県民と自分自身を裏切ってこれを裁可するのに手間ひまいらない。環境アセスなどなんとでもごまかせる。あとは座り込み連中を根こそぎ排除するばかり。これがこの自民政権の常套手段である。マスコミジャーナリズムが後出し苦言を呈してみても所詮後の祭りは虚しいばかりのから騒ぎ。原発ゼロ化方針のゼロベース見直しとは名ばかりで実際はアメリカお追従の再稼働新設方針転換にほかならないし、アメリカに追随してTPP参加に前のめっているだけだ。経済界の先物買いは自民政権逆戻りと同時にさながらバブル時代を彷彿させる愚劣な市場経済主義に浮き立っている。再びのバブル崩壊地獄に落ちるがいいと思っている人もいるだろうな。一方肝心のオバマの方はどうやら日本が置かれている奇妙な自家撞着の立場にはとんと同情心はなく、専ら対中対北以外にこの国と真摯な対話を交わす必要性を感じてないとみえる。安倍晋三は空中分解するだろう。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 15

2013年02月23日 23時23分06秒 | 政治論
 沖縄県民の矜持もささやかな自尊の念も、この国の政治とそこに住む人間によって屡々ズタズタにされてきた。これからもこうした人間攻撃が彼らの手で苦もなくされるというなら、沖縄は自ら首括って梁にぶら下がるべきだ。名誉を守るために。
 死屍累々たる県土の中に、獣面を曝した米軍の兵隊たちばかりがひしめいているという風景こそ彼ら本土人と政府、外務防衛官僚どもが待ち望んだ心象内面に違いない。何が楽しいのだろう。
 オバマと安倍晋三が顔突き合わせて、戦争準備の密談を交わす日米首脳会談というやつは、彼らが嘯き息巻いている「自由」や「平和」や「民主主義」などという、薄ら寒い嘘八百のオンパレードそのものであろう。
 ジュゴンなどいなくなったっていい、サンゴも死滅し、名護市民がオスプレイでノイローゼになったって別にどうということもない。一部の小利口な連中は大規模工事で雇用も満たし、振興策でガッポガッポ儲けるこった。尤も、本土の詐欺師たちに根こそぎ持っていかれるのがオチではある。俺たちはその隙に軍需産業で莫大な利権を確保する。万々歳ではないかいな。といった程度の人種に侵犯されるおのれの不明を恥じてさっさとこの世におさらばしたら?...ムザムザきゃつらに殺されてたまるか!!
 今にして思えば集団強制死は沖縄県民にあってはじめてありえた事件であり、本土の生なかなヘタレどもには到底できないことではあった。本土決戦も回避したし、沖縄県民だけを犠牲にして自分らは最後のヤマト魂をかなぐり捨てて、恥さらしな無条件降伏に墜落しやがった。
 なんのかんのと美辞麗句並べたところで、沖縄県民において肉親すら手にかけ、英米の毛唐どもの野卑な歯牙にかかって辱められることを拒否した行為に適う人間わざは、本土においては無理な話であったろうさ。特攻で散っていった少年たちに残されていたのは国でも天皇でも名誉でもない、その涙ぐましい情念の咆吼に聞き耳を立てれば、生存権を奪われた生身の人間の無慙な呻きが聞こえてくる。同じことを沖縄県民に強いているこの国とアメリカに、激烈な劫罰の下されんことを。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 14

2013年02月21日 12時49分04秒 | 政治論
 日米安保による不作為の牽制、所謂平和憲法の同じく不作為のアピール、在沖米軍基地の存在、これらが3すくみで合奏するところに、恐らく日本の戦後安泰状況がいずれにしろ何げに保たれているというのが偽らざる真相ではあろう。
 存在と行為は勿論質を異にする。存在性が醸す相手任せの力学は計算式に組み込まれる。この計算式は有事想定を前提し、所謂「仮想敵」の設定によって考慮される「安全保障」にほかならない。
 現在日米安保は、この「仮想敵」を中国、北朝鮮、テロ国家に定め、軍事的には当初の「極東」から広くアジア太平洋地域に概念シフトし、更に「戦略的互恵関係」構築のための硬軟両面プログラムにより、アメリカから見て(西)太平洋の海上覇権を優位に占めようという構想に則って、日本・韓国・豪州など有力国における基地展開を画策している。
 上記アイテム3すくみは密接不可分の関係にあり、しかも相反位置にすらあり、場合によっては相克し合っているので、こうした矛盾錯綜過誤状態から安泰する国家の民というのは、半分気違いじみた考えに取り付かれそうだが、そういうことには何故かなっていないようだ。
 所得倍増、高度経済成長、バブル、バブル崩壊、日本における資本主義経済の倫理的破綻、一億総エゴイズム、阪神淡路大震災、9.11、東日本大震災、福島第一原発事故、この戦後日本の一つの大きな流れに沿ったエポック的な事件は、明らかに人民を直撃し重大な局面を開いてみせた。我々は、これらが人民において透過し、事実上の政治的政策的顕現がなされてないなどと憂える必要はない。ただ専らその権力構造によって甚だ見えにくくなっているだけで、制度的暫定性におかれた未だ立法化しない諸事に関し、可能性と希望の兆しが全くないわけではないのである。
 辺野古アセス住民意見非反映事案に関する判決が那覇地裁で下され、例によって木を見て森を見ない下級裁判所の事務的な処理姿勢が露骨に示された。当然訪米する安倍晋三の思惑も含まれる。3月にはどうやら間違いなく埋め立て許可申請を提出するだろうし、この国の司法行政立法が独立性を喪失して、恐るべき翼賛性に動き出している実態が垣間見られる。
 戦後日本ではこれらの非情な証明を、検察警察裁判所がご丁寧に実例を挙げて開陳してくれた。人民はそれらをはっきり見ている。法の番人が法を捻じ曲げる例には事欠かない。人民はこれを目の当たりにしてその目にこれを焼き付けた。選挙制度の不備にも気づかされ代議制の重大な欠陥にも直面するようになった。所謂多数決原理の持つ人民乖離の本質に行き当たった。
 米軍展開が高江のひと塊の住民と豊富な自然遺産に襲いかかり、これを駆逐せんと躍起になっている。許し難い行為が今沖縄では日常的に実行されていることを少しづつ本土にも伝播され始めた。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 13

2013年02月20日 07時40分27秒 | 政治論
 確率というのはデータの集積の多寡に応じて精度を増減する、つまりは微分計算に積分的集合体形成を企図するようなものだが、先頃露国に飛来し1200人ばかりの人々に人体的被害(波動衝撃)を与え、かつその他の物的損害を加えた例の「隕石」もまた、地球衝突の観点から考慮すると、被害の規模を段階的に分析し最終的に人類滅亡という劇的な事件生起の確率として捉えるなら、推定、恐竜絶滅時に起こったであろうそれが、つまりは2億年に一度のものだという説は、当然たった一回だけのデータ?に過ぎず、しかも推定の域を出ない(恐竜絶滅はあの巨大隕石の衝突による地球環境の生物学的激変によるのではないかと言われる)以上、明日にでも起こらないとは限らないものでもあるわけだ。
 これは「不安」を煽ることになるだろうか。人類の滅亡というのは、むしろある意味どこかで「諦めがつく」事件である。この場合運命論さえなんとなく説得力を持つ。丁度人の一生が80年程度の時間で個人的には100%終了するように。
 ではそれが我々に不安を与え怯えさせる事柄とは一体何か。「滅びいく生存実質」といえるもの、それを目の当たりにすることだ。人が絶滅危惧種を論うのはつまりはこの体験による。世界遺産、自然遺産などという発想は、己の滅亡への畏れを逆手にとって他種の存亡を憂えるというだけのことで、要は何物かが消え去る現象への限りない愛惜乃至黙認視に堪えない人性の顕現なのであろう。
 政府は辺野古埋め立て申請を3月にも沖縄県に対し行うらしい。予期された愚行であり驚きもしないが、こうして順次外堀を埋め本丸に攻め入った日本政府の性懲りも無い沖縄いじめを、この国の識者たちはこの度もゆるゆると見送っていくというのか。
 つまりはアメリカ国家安全保障国策に追随し、自国の民を犠牲に供して顧みないこの無情な官僚的発想を何の手立てもなく許容していく、日本の戦後民主主義のあからさまな醜態として世界中に晒すのだ。
 さて、この県知事に一任された許認可権限において、これ(辺野古移設)を是とする確率はいかほどか。
 嘉手納以南の基地返還を速やかに実施する条件闘争の結末は、自民政権下において殆ど80%の確率で首長の誤判を生じせしめたことから、この度も仲井真氏あるいは稲嶺氏佐喜真氏の驚くべき変節を目の当たりにする、県民の悲嘆を体験することになるのではないか。
 東村高江では、自然破壊行為として、まさに絶滅への愛惜すら顧みない米軍北部訓練場オスプレイパッド建設が、さながら殺人的強行として実行されている。折しも財政難からの国防費削減強制執行が、米国軍事マフィアたちを慌てさせているらしいが、当然在外基地負担も槍玉にあがろうという状況下、事態は激変の予感すら漂わせているにはいる。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 12

2013年02月18日 08時01分20秒 | 政治論
 度し難い現政権の「沖縄詣で」が首相訪米の布石とは言え、余りに露骨な偽善(負担軽減)を繰り返す彼らの、モラルが決して問われることがない沖縄特例というものに注目すると、この情報化社会乃至グローバリズムあるいは世界性の日常的席巻から当然に射光される「事件の真相」が、どうやらここでは数十年前レベルでアナクロニックにかつノスタルジックに又、センチメンタルにさえ、人をある尋常ならざる空間や時間へ誘うのかと思われる。
 沖縄が「沖縄戦」を論う程に本土、政府、はこれを利して70年近く以前の風土のなかに回帰して、現代性を停止させる奇妙な倒錯を良しとする異常な状況に易易と潜航してしまうのか。
 本土には本格的な地上戦はない。地上戦があった沖縄はそれだけで特殊化し、本土と区分けされる。戦後処理において非日本化(北緯29度線以南)され、中国身売り(蒋介石はそれどころじゃなかった)まで議題に上り、施政権剥奪(もしこれが日本の敗戦賠償罰というなら、沖縄が日本でないことはなかったわけになる)、軍民政府支配、潜在主権、天皇メッセージ(沖縄生贄)、ニミッツ布告(軍事植民化)、返還密約(返還実質の事実上の虚構性)、海兵隊集結(本土からの海兵隊掃き溜め)、県内移設(県内たらいまわし差別)、沖縄振興策(アメとムチだが、実際はアメだったことなどない)、集団強制死、大陸からの関東軍配備(南京事件当事者どもの沖縄戦参加)、戦争参謀本部の作戦ミス(台湾に主力を送ってしまう)、本土決戦回避(一億玉砕の不埒な不実行)、こうした戦中戦後日本での沖縄事情は、到底現代政治的人間的モラルに耐えない、重大な原初的人間的罪業として捉えなければならない問題性にある。
 ところが日本人は戦後、このような人間的質に関する真剣な着眼をどこかに回避したか、あるいは精神的堕落へ落ちたか、「人間」であることをヤメたか、いずれにしろ「見て見ぬふり」を決め込んだふしがある。
 彼らはこうした沖縄に対する自己の大いなる矛盾を、日本とアジアの安全保障という仮想の脅威を口実にごまかしているが、この国家による「安全保障」優先という考え方は日本固有のものでなく当然に米国流れであり、この場合もどこかで「人間性」を欠損している。
 つまりは、アメリカ合衆国によって日本人乃至日本の政治風土は、その戦後の精神的荒廃を余儀なくされた、というよりも、異種文化異物混入という精神的体験時に、人間が当然に採る「抵抗」「あがき」「地団駄」「野蛮なジタバタ」「愚かな錯誤」といった「醜態」を無難に避けたとき、受け取る理念的実質は肉体化されず、いつも取り繕った付け焼刃なものとして永続的に残存するという人性が真相ではないのか。
 人間80歳を越すと途端に「成長」を自ら終了させ自己改善をやめるというが、それは死にほかならず、その意味では敗戦とともに日本人は精神的成長を止めて死に至ったと言わざるを得ないわけだ。死せる国、日本に希望などあるはずもない。沖縄はこのような日本に「復帰」するのでなくむしろそこから独立する方向へ行くべきだ。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 11

2013年02月14日 19時10分05秒 | 政治論
 一朝有事に際しては日米以外の諸外国は、日米軍事同盟の破棄と自衛隊の災害救助隊編成替え等がされぬ限り、憲法理念と9条に従って自衛隊の軍事発動はおろか米軍出動要請さえ事実上不可能な状態にある日本国に対して、他国にしてみれば紛れもない国軍たる自衛隊と米軍乃至米軍基地への武力行使をためらいもなく決断することになるに違いない。自国の憲法に違背する行為を半世紀以上継続して倦むところなかった国にとっては残念ながら自業自得というほかない。例によって神風が吹いて「神の国」たる面目躍如の僥倖を祈ろうか。彼らの住むところだけが戦火にまみえるのなら「対岸の火事」さながらに傍観して止むかもしれないが、やたら米軍基地が蔓延っているこの島が真っ先にロックオンされるに決まっているので逃げる場所とてなく「だから言ったじゃないか」と嘆いて見せても後の祭り、いやはやこの国自身に殺されるのかと考えるほどに憎々しいこと夥しい。いずれにしろ国家の安全という考え方には当然「絶対」はないし、彼らがいかに日本とアジアの安全保障などとほざいても、例えばこの沖縄は完全に無視されて基地負担を押し付けられているのだし、本土とてそこに基地がある限り北朝鮮の弾道ミサイルが頭上に炸裂する悪夢を見ないとは限らない。つまりは憲法に武装放棄と戦争手段の絶滅をうたっているおかげで、諸外国ににらまれることもなく戦後70年近くを平穏裡に経過しつつあると言ったほうがいいのであって、彼らの言う「抑止力」の嘘であることがバレた以上、日米安保体制が鉄壁の防御体制を敷いて日本を守っているなどと勘違いしてもらっては困るわけだ。とは言え産軍複合経済にドップリとひたっている日本とアメリカは、如何にしても誤魔化して、軍事基地温存と軍需産業振興に血道をあげることこそ至上命令であるわけで、原発行政同様に「ムラ」構造の戦争屋たちから彼らののりしろを奪還するのは実に容易ではない。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 10

2013年02月14日 09時44分31秒 | 政治論
 沖縄県国頭郡東村高江で、当gooブログ内、目取真俊氏「高江の様子」(海鳴りの島から)で報告されているところでは、オスプレイヘリパッド建設現場で発生した工事に伴う法面崩落、土砂流出につき、村及び県の立ち入り調査と住民説明が行われ、事前に移植された数種の樹木が壊滅的被害を受けたことがわかり、赤土流出による水瓶への影響とともに、「やんばる(山原)」と呼ばれる亜熱帯樹林地域の貴重な動植物への深刻なダメージが懸念される事態となった。
 折しも辺野古大浦湾環境アセス補正書に対し、日本自然保護協会と市民団体が、到底アセスの名に値しないその内容につき、厳しく指摘した意見書を沖縄防衛局に提示したのだが、こうした当たり前の民意による公的な表明活動も、例によって「国家安全保障」の名のもとに右から左で処理されるのだろう。
 事ほど左様に沖縄県から発信される環境アセス的警告・抗議意見というものは、「地球にやさしい」だとか「美しい日本」だとか言挙げするスローガンだけが飛び交う、本土の実質性に欠けた偽善的傾向そのままに、必ず虚しく闇に葬られる運命にある。というよりはアメリカ軍事植民地主義の日本国凌駕実態が、沖縄県において最大限表出されている、という意味合いを持つ。
 「多少の」人的環境的犠牲は仕方がない、と言うのが彼らの言い分となる。だがこの言い訳が正当性を持つとは今更県民の誰も思っていないし、恐らくは人間なら誰も頷ける事態のはずだ。何故なら鳩山氏も森本氏も、退任後「軍事的必要性」の範疇に沖縄が属さないことを(本音として)洩らしているではないか。
 つまりは、軍事基地が米国本土にあろうが絶海の無人島にあろうが、彼らの基地に関する「国家安全保障」要件は、人間に対しては無害な実質で充足可能なことを正直に証明しているということになる。従って沖縄県の反基地反米反日本政府行動というものの普遍妥当性は、人性の正直な表現としてあらゆる懐柔篭絡弾圧施策に対して、文句なく敢然と立ちはだかっているわけさ。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 9

2013年02月12日 09時13分15秒 | 政治論
 1995年、沖縄駐留3米兵(いずれも有色人種)による12歳の少女に対する暴行致傷事件が発生し、地位協定の不当性が問題になると、同時に沖縄県民のなかの反基地心情、あるいは反米反日本政府感情が一挙に噴き上がり、今日の所謂「普天間問題」に至る契機となったことは周知の通りだが、この問題を通観すると、日米政府によって県民市民住民側の基本的意見は常に無視されてきたこと、所謂民衆の頭越し政治が通用してきた「非民主的」実態が浮かび上がる。
 この事実に対して日米政府が採る弁明は、必ず日本含めアジア地域の安全保障のためというものだった。その軍事的根拠として喧伝してきた事柄は「抑止力」「地政学」「海兵隊展開の戦略上の要件」などであり、ときの政権中枢から最終的に全て否定されたファクターにすぎない(沖縄でなければならない理由はない)。
 沖縄県民有識者、協力者地元有志がこのために否応なく学ばされたのは、結局彼ら日米政府外務防衛官僚、財界、一部地元容認者などは、なにがなんでも辺野古新基地建設、オスプレイ配備、普天間固定化?の強行を目掛けて突進するばかりで、そのやり口には「民主的」な穏当さも「近代的」開明さも欠けているのであり、「話してもわからない」連中であり、もしこちらがそのために諦めたならこれ幸いと楔を打ちに来るだけのヤクザまがいの地上げ屋に過ぎず、結果この大衆行動の基本は「不服従」「実力阻止」「水際で食い止める」といった方向で見るも無慙な、くそリアリズムに突入してしまったわけだ。
 そこには、議会制民主主義の根本が実質上人民の意に沿わない内容で横行する、常軌を逸した現代日本的政治状況がある。グダグダの戦後民主主義と、自民保守王国実情の中にいかなるプラス思考に資する材料も見いだせない。これが現代日本の悲観的閉塞状況を醸し出しているのであり、そうした本土的堕落傾向の悪影響として沖縄問題がある。
 その根本は、日本国がほかならぬアメリカ合衆国属領地域と化す原因である日米同盟だ。そしてこうした流れを止められない最大の悪弊は、近代日本自体が犯した「近代化」の重大な錯誤乃至失敗であり、敗戦総括の機能不全と理念的精神的不毛性である。(つづく)

詩398 沖縄からのメッセージ 8

2013年02月11日 07時22分51秒 | 政治論
 我々人間は、如何に刻苦修学してさえ「砂浜の砂の一粒程もこの宇宙について知りえない」ということは間違いなく言える。それは万有引力の法則を発見したニュートンの言葉らしいが、哲学を学び始めるに際し耳にする話として、華厳滝に投身した第一高等学校生藤村操の「嚴頭の感」に曰く、悠々たるかな天壌 遼遼たるかな古今、五尺ほどのからだでこの大きさに挑んだが哲学などなんの足しにもならずついに悟ったのはただ「不可解」の一事だったという。彼は到底知悉し得ないこの世の不条理に懊悩した結果悔恨に満ちた自死を選ぶ。ところで、数年前に移住した先でのこの地域に対するこの国の対し方について、いくら考えても理解できない仕組みになっていることを事あるごとに感じていた。歴史、伝承、口伝、報道、ジャーナリズム、評論、研究、様々なものに触れたつもりが実は真相には殆ど達してない気がされた、とはいえ、かつての一本土人として改めて沖縄という土地つまりは琉球諸島を眺め返すと、理由なく米軍基地が偏頗にこの地に存在しかつそのことが大方の県民によく思われてないということだけは了解されるということだ。それにしても不可解だったのは、民主政権における首相の180度変節行為(国外県外から辺野古へ)がこの沖縄でも本土でも、さほどの混乱も生じることなく何げにまかり通ったことではあったが、それもまさに沖縄にあっては「非暴力不服従」のストレートな現れかと思った次第で、それで自身の中ではこの疑問については否応なく落着したのだった。一方本土でも「政権交代の交代」で元の木阿弥に本卦還りしたわけで、日本の言論の自由が本音のところで押さえ込まれている実質的な力学を、とりわけアメリカ圧力(日米同盟)の存在を確認するという形でなんとなく納得させられてしまった。いずれにしても沖縄問題はいよいよ複雑怪奇、魑魅魍魎の跋扈する、摩訶不思議な混沌とした苦海を連想させるが、この問題には本当はこのような奇天烈な内容などどこにもない。日本政府とアメリカ合衆国は、沖縄島嶼の住人に、日本国憲法上の同国人と感得しない潜在的支配者意識によって対処しているのであり、そこにある彼らの揺るぎない自信が一体どこから来るのかまずもって理解できないということで、「国家安全保障という名の、なりふり構わぬエゴイズムに凌駕される辺地」なる構図が見えてくる。西太平洋における制海権に鑑み、アジア重視という名の帝国主義発想つまりは軍事植民地主義がアメリカ合衆国の基本政策であり、在来基地を有する沖縄本島についてはこの国が住民感情を無視して続行する「日米同盟堅持」の方針を捨てない限りは、その財政的恩典にちゃっかりと乗っかり最大限利用する楽な道を歩むに決まっている。沖縄を担保にアメリカと因縁あさからぬ同盟関係性に長くい続けたいこの国は、到底対等たりえぬ関係性に甘んじる「敗戦国」縛りを打破しようもなく「集団的自衛権」なる軍国主義亜流路線へシフトしようとあがいてみせる。それにしても移設不可能な時効成立状況に達した「辺野古移設」推進をどこまでも掲げる日米政府は、結局何の役にも立たない「国際の連合」なる嘘つきグローバリズム状況とともに?驚くべき政治詐欺「普天間固定化」というジョーカーを切ったというのが本当のところだ。(続く)

詩398 沖縄からのメッセージ 7

2013年02月08日 23時15分13秒 | 政治論
 オスプレイの配備に危機感をもって反対意見を提示する地方自治体は本土46都道府県のどこにもない(琉球新報政治記事)。日米安保体制を支持するものは本土だけで71%にのぼる。(沖縄の負担軽減について、すべきとするものが51%だそうだ。)沖縄では安保反対が90%を占め当然オスプレイ配備にも同様の結果を示している。こうした数字上の際立った対立性には殆ど意味がない。誰でも己の身に降りかからぬ「対岸の火事」は傍観者の目でしか眺めないし、誰でも現状維持することを「安全圏」と無意識に思う。現状、とは米軍がこの国の安全を保障し危難に際しては米軍が出動して敵から日本国民を守ってくれる、という一種の神話信仰状態(日米同盟の約定には有事即対応要件はない)乃至、事に対する決定的な無関心(安保条約に対する)である。つまり実際上の根拠がないところに発生している無意識の信仰で、例えば神国日本は神風によって元寇を撃退し大国清露に勝利し、爾来一旦事あれば必ずや国難を排除することになっているという思い込みが先の大戦を引き寄せたのだが、こうした科学的論理的根拠を持たないところで無意識に納得している日本人の精神性はかつての同盟国ドイツ人と真逆な性向を示している。思弁的傾向が伝統的に顕著なドイツで何故単なる弁舌効果に過ぎないヒトラーの詐欺が通用したのか不思議だが、「狂熱」というべき、情念の深所を貫いた、人間の最大の弱点を見出すことは、ある種の人間には比較的容易ではある。日本における「狂熱」は詐欺よりも弾圧、特高脅威、非国民扱い、といった周辺事情から発生した。従って「熱」はない。情熱のない愛国主義こそ日本人の精神性を表しているのであり、「発狂」というにふさわしい症状を示している。妄想、幻想、錯覚、精神分裂、仕舞いには幻聴すら聴こえたのであろう。欧米人が理解しがたい「特攻」精神や玉砕行為はまさに「発狂」の極みであり、しかもそれは熱のない一般人にあって次第に醒めたとしても、将官将軍参謀たちにとって至極当たり前な通常戦略の一環でさえあった。「発狂」している上層部を戴いた日本は真に不幸ではある。しかしこれを繰り返さんとする安倍政権乃至日本の為政者連を性懲りもなく生み出す日本人は、最早、不幸不運不首尾で済まされるがものではない。沖縄の憂いはそこにある。また繰り返すのかあの大惨事を、と。しかも彼ら為政者の「発狂」は大部分民衆の突き上げから派生する。そして多くの民衆的錯誤は周辺の所謂知識人層の不用意な扇動的言辞に拠っている。マルクスではないが「大衆」に運動エネルギーを与えるのは集団化を促す一定の「理論」でありこの始源的な原理はこの場合にも通用する。見よ、おのれに降りかかる火の粉とみられた日米安保の実質的担保たる米軍基地が存在する所とそうでないところ(火の粉が降りかからない)との集団化する正反対な傾向を。71%の日米安保支持者は事実上の不労所得者、従って非当事者であり、90%の反対者の反応が日米安保体制当事者の正常な表徴と言える。(中断)

詩398 沖縄からのメッセージ 6

2013年02月07日 13時38分57秒 | 政治論
 情報というものを半信半疑で受け止めざるを得ない民衆は、とりわけネット社会化が加速し種々のインフォメーションが横溢している世界性にあって、アメリカ合衆国国家安全保障路線から発信するあらゆる情報を無関税で輸入する無頓着に馴らされるわけにいかないのはもとより、日本政府とりわけ外務防衛方面から漏れ出す不確実な、一定の思想操作を加えたであろう統制情報についても「眉唾物」の受け止め方で対処するようになる。これは何も大震災原発事故当初の民主政権の「大本営発表」が、特に際立って政治的隠蔽体質を露呈したというものでなく、むしろ代議制を執っているあらゆる政体にあっては必ず考慮すべき性格のものであり、図らずも「国家対人民」という局面を措定せざるを得ない「人民乖離政治実態」が最も顕著にかつ不可逆な事態として顕現する沖縄では看過すべからざる重大要件となっている。中国海軍艦船から尖閣周辺に展開していた海上自衛隊護衛艦及びヘリなどに射撃用管制レーダーを照射したという事件は素人目に次のような想像を起こさせる。自衛隊護衛艦も中国艦船もそれが基地以外に配備されれば相手国にとって有無言わさぬ「戰爭」のための武器に相当する。無作為に漂流する無人船じゃあるまいし、言わば尖閣を巡って領海侵犯すら辞さない勢いで対峙する両国戦闘態勢武装集団にあっては「何があってもおかしくない」状況にあるという直感が働くものであろう。「命令下達」形式で射撃手に伝達された下命どおり彼は管制レーダーを操作する、そこにぬかりはなく当然ながら「不測の事態」に備えていつでもワンプッシュで攻撃できる状態に固定するだろう。これは一触即発などという生易しいものでなくまさに今尖閣周辺はある意味戰爭状態にあるのだと考える。当然現在沖縄中に爆音を響かせているオスプレイの飛行、物品吊り下げ、降下等の訓練は海兵隊を戦場に派遣するための戦争準備行為にほかならない。米軍のこの動きも中国を刺激している。彼等が想定するのはつまり魚釣島でのちょっとした小競り合いであり、何人か死ぬだろうとも予測している一種の小さな牽制にほかならない。この小規模な戦争が沖縄島嶼全体を巻き込む局地戦に変貌するのも有り得ないことではない。何故ならそこに展開しているのがほかならぬ本来の敵米軍である。日本は大国どうしの外交的駆け引きの齟齬が軍事的衝突を生むだろうと想定し9条縛りの中で平和外交を立ち上げる必要がある。自衛隊が他国からみて軍隊そのものであることはどうにも否定しようがない事実である以上、尖閣海域にこの軍隊を出動することの重大な意味を凝視する必要がある。但し中国も軍隊を派遣しているのだから米軍が第7艦隊の艦船を出動させるのが筋というものだ。それができないのなら日米同盟は日本にとって有名無実の張子の虎にほかならないし、一方日本の領土内で米軍が戦闘に関わることさえ9条違反なわけだから、日本政府は公式には米軍に出動要請してはならない。とすればひたすら「協調外交」「棚上げ論」「平和外交」という低姿勢が最も有効なものとなる。(中断)

詩398 沖縄からのメッセージ 5

2013年02月05日 06時55分54秒 | 政治論
 沖縄県国頭郡東村高江地区に米軍北部訓練場一部返還に伴う代替施設として新たにオスプレイヘリパッドを設置しようという工事が地元有志識者協力者の監視行動座り込みの間隙をぬって断続的に実施されているのだが、この数日来伐開除恨作業と降雨の相乗で緩んだ地山斜面が崩落しているらしく周辺地域及び県民の水瓶を擁する水源ダムへの影響が懸念されている。この事態に鑑みれば環境アセス上人為的過剰行為としか言い様もない米軍軍事行動が展開するこの地にユネスコ自然遺産登録を企図することの異常さに誰もが気づくであろう。問題は自然遺産を名指す根拠が自然保護を第一とするなら、米軍の野戦訓練場としておよそ真逆な実態に置かれていることに対して批判することからはじめるものではないのか。逆に言えば貴重な動植物の宝庫であり豊かな亜熱帯樹林に覆われた地域全体を当然に不可触なゾーンと考えるべきところではないか。つまり現在行われているこの工事を即刻中止し、北部訓練場自体そっくり米国本土に移転すべきだと主張しなければおかしい。(中断)

詩398 沖縄からのメッセージ 4

2013年02月03日 09時20分12秒 | 政治論
 代議制の実質が充足されない日本の政治状況(民意の代理であるべき代議士が民意に乖離する存在と化している)は、実はこの国の大変特殊な国情を意味するのであり、例えばアメリカ合衆国が、二院制の伝統的政治形態において代議制を実質充足する間接民主主義に一定の評価を与えられるのは、曲がりなりにもこの国の政府が「良識の府」たる歴史的集積において、人民の意を吸い上げてきたいくつかの実績を示しているからであって、全体として国家として、最大級の成功を収めていると言えるのである。
 「驕る平家は久しからず」も真だが、「驕らざる平家」も同様に永らえない。こうした一極完遂集合体の滅亡事跡は、数千年の人類の歴史に深く刻まれてきた。「滅亡の視点」から人類史を後視するとき、人の生き死に同様に国家もいずれ滅亡する運命にあることがわかる。逆に言えばガリレオガリレイが「それでも地球は動いている」と言うとき、当代の人知が追いつけない真理などに何の意味があるのかという思いもあったに違いない。
 およそ人民の意を吸い上げない政府に「良識」などあるはずもない。そこにあるのは「国家エゴ」という名の自己保存本能(彼らに自己というものがあれば)だけだ。アメリカの言うなりになっている自民政権に、正常な政治的「判断力」を求めるのは「天動説」に凝り固まった当代の石頭どもに、「地球は回っている」と言い続けることと同断であろう。
 常識以前の真理たる「地動説」が天下に流布するのには更に永い年月を要したが、ある地域において90%の支持を得ている「常識」が、通じない国家政府というのはどう見ても歴史的視点を欠いた時代遅れの存在であり、到底民主的なものとは言えない。
 もしこの政府が、不動の権威において絶大な支持を得ているものならばむしろ代議制は成功していると言えるのだが、残念ながら真相はただの政局に過ぎず、次の選挙では甚だ容易に保革逆転という事象が発生するのだ。そこにあるのは実質民意が代弁される基盤の確保というよりは、烏合の衆が愚にもつかぬ離合集散を繰り返し、果ては、民意に乖離する頭でっかちの暴走を生む準備をするばかりだ。
 対中政策における予断を伴った軍拡行為には一定の歯止めが必要だが、この国の知識人に要求される文民統制力は決してその効力を発揮していない。何故か。100年河清を待つオブローモフ的厭世観に真実はあるが、「今目の前にある危機」に臆して別種の不安材料ばかり並べ立てては、逆転した危機感を煽るのに血道を上げているという話だ。
 ここでも国際感覚におけるバランスが重要で、アメリカも中国も北朝鮮も韓国もロシアもヨーロッパもアジアのどこも、いずれに対しても対等でなければ、必ず偏頗な極論に落ちていく。何故なら独立した国家は全てを相対化する権利と資格を有するのであり、それを行使しない限り必ずどこか磁力の大きい勢力に吸収される仕組みになっているのが国際関係だ。
 それにしても仲井真知事の変節が露骨に現れたという密談ではあった。「なるべく県外」って一体何だ???とうとうこいつの本性がさらされたということだ。県民90%が反対しているというのに(つまり絶対反対という意味だ)。(中断)