沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

この国の終わり 何がこの国をだめにしたか? 終章

2022年08月09日 10時50分06秒 | 政治論

 今から77年前、1945年8月6日午前8時15分、米機B29エノラゲイに搭載された原子爆弾リトルボーイが、抜けるように晴れた夏空の下、直下600メートル、広島市細工町(現:広島市中区大手町)の島病院の上ですさまじい光線を放ち炸裂した。焼失面積13.2 km2、死者118,661人、負傷者82,807人、全焼全壊計61,820棟の被害をもたらした。

 昭和20年8月9日(木曜日)午前11時02に、アメリカ合衆国は枢軸国日本長崎に対して原子爆弾ファットマン]」を投下した。この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の核兵器である。原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊した。

 人類史上最初で最後?(8月9日の長崎も含め)の大量無差別殺傷兵器が、現実に無辜の市民の惨たらしい阿鼻叫喚・地獄絵図を我々の前に開陳した瞬間だった。それは戦争の早期解決と自国米兵の犠牲を最小限にする(という言い訳)目的で米国大統領トルーマンが言わば禁忌の核のボタンを反知性的に押したからだった。現今あらゆる米国民は一部を除いてかかる歴史認識のもとその判断を是とすることに加担している。従って、彼らは原爆資料館を見た後も「それでも」と言ってそのように感想を述べるのが一般だ。日本人は、彼らの、国家を背にして無感情な言葉で締めくくるその態度に満腔の憎悪をもって対すべきであろう。

 キューバ革命の英雄エルンネスト・チェ・ゲバラは戦後、革命政府の要人として来日、このとき予定を変えてまでして広島を訪問、原爆記念館を視察し館の案内者に「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」と英語で問いかけたという。

 「はだしのゲン」の作者中沢啓治氏は生前「なんで怒りをぶちまけて、戦争を起こした奴を追及しねえんだと。戦争がなかったら原爆まで落とすことはなかったじゃないかと。それをしなかった。この日本人の曖昧さというのが大嫌いなんです」と語っている。

 一人の政治屋があれだけ「悪いこと」をやって何らの断罪もされぬまま、「強盗を見す見す目送する」形質で歴代最長在位まで許した日本人は、政教分離原則を何食わぬ顔で無視しつつ(反社的集合にほかならない連中を)集票マシーンとして利用する政治家たちなど永らく野放しにし、結局自公系政権として、割に合わない数の論理(全有権者数に対して2割程度の政権)で不当な多寡の権力の座に就かせ(圧倒的過半の議席献上)、就かせ続けるこの不可思議な在り様は、俄かに一国民として承服するわけにはいかない、ということ。戦後日本人は押し付け民主主義のまやかしに満ちた詐欺的横行の中でその日暮らしの「政治的無関心」層が半数を占め、残りは「他に適当な者がいないから」という、理由にならない理由で自公系候補に貴重な票を投げやり、結局、己の首を自ら締める行為を続けてきた。

 国土の中の多くの僻村に58基もの原発を造作すべく推進したのは自(公)系保守政権であった。但し、正確にはアメリカが作れと言った(1953年ドワイト・D・アイゼンハワー大統領国連総会で「平和のための原子力演説を行った)からそうしただけで、その功罪と安全性等の検証は当初から見過ごされていた(安全神話)。アイクの演説は自国が真っ先に開発した原子力エネルギーの使い道が戦後核兵器以外になくなることを懸念し、併せ原子爆弾の最初の使用者としての罪悪感を糊塗するためなされたとしか言えない。

 あの福島第一原発事故はどう言い訳しようが、被害の規模からして間違いなくこの国が、自公系保守政権が、推進した原発政策そのものの犯した国家犯罪であり、その時点で裁かれて然るべき状況にあったが、第2次安倍政権は原発セールスさえためらうことなく、国勢は再稼働やあろうことか新設まで実施しようとしている。つまりこれがこの国の在り様なのだ。当然原発から出る使用済み核燃料(プルトニウム)は核兵器の原料そのものだ。つまり世界の非核化に逆行する事実であり、これに唯一の被爆国日本は加担している、こういう本質からすれば一度の悲惨な体験くらいではこの国は何も感じない、学ばない、自己の先行きを考えられない、まさに精神年齢12歳程度の幼弱さということになろう。

 先の大戦に至る近代化後の日本という国を国民レベルで何ら検証せず追及せず、敗戦に至る過誤を断罪もしない戦後日本の国民は、「民主主義」など本質的に諒解してない国民そのもので、本土決戦をもって最後の一人まで玉砕覚悟で対すべきところ、天皇裕仁一人のための国体護持を約定せしのちは大和民族の矜持などどぶに捨てて顧みない(ポツダム宣言受諾、無条件降伏)、この醜悪な民族的在り様を一体どれだけの人が悔いたのだろうか?

 沖縄も広島も長崎も、この国の近代化を推進し結局のところ愚劣な敗戦に至らしめたこの国のえせ指導者たちに、特に昭和天皇に彼らの罪は決して許せないと声高に叫ぶ以外ないおのれの無力をこそ嘆くのだ。

 

 

 

 

 

 



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