沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩347 その8 日本の戦後2

2011年08月31日 12時43分35秒 | 政治論
 還暦を超えた彼の人生は少しも明るくなかった、といっても誰も同情はしないだろうし、今更「君の贅沢な嘆きを聞いても全くピンとこない」といわれるがオチだろう。日本の政治が保守停滞気味か、全く時代に逆行しているように感得されるのは、彼ら政治家が大方老境に達しかつ功成り名遂げた前半生を居丈高に掲げた得意絶頂な時期という、おそらく国民人民大衆にはなんの関係もない個人的傾向に彩られた政治が横行している風潮こそどうやら実態的には頷けるものがあるといって、それが全面的に否定されるべきものともいえないのは言わずもがなだ。かかる個人的傾向など知ったことじゃない。笛ふけど踊らずよりはましだ。死に体政権民主党など愚にもつかぬ。彼らの政治生命は終わったのだし歴史は正当にこの体たらく政権を酷評して終わるだろう。野田がさっさと解散総選挙するなら彼の仕事は完成だ。短期敗戦処理内閣をどう組むかくだらない思案に悩むのも一興か。いずれにしろ被災地も沖縄もこいつらには殆どなんの期待もしてないし今後国政が劇的に改革されようとは思ってもいない。この2年間で懲りたのだがこの絶望感は実に日本の戦後の精神的主調音だったことを思えば今更どうということもない。しかし彼にしてみれば同世代のある意味期待感もあった団塊世代の政権交代がかくも無残な結果に終わったことがどうも信じられないのだが、彼等もまた戦後民主主義の欺瞞的体質に浸潤されていたかと認識し彼らに対する無意識の依存性を恥じることになったわけで、自らの不明を悲嘆している現在があり、今後どう体勢を整えるかが課題というわけさ。但し民主党の惨敗は彼らの責めのみに帰すわけではなく、多くの戦後処理の不備が拠ってきた旧帝国官僚どもの恐らくは戦前的発想にからむ皇国思潮こそ未だに延々とこの国を薄汚い自尊心の虜にしてきた結果、複雑にして不可解な従って密約的不透明さを基調にしながら戦後60年余を閲したものと心得る。(中断)

詩347 その7 日本の戦後

2011年08月28日 17時20分11秒 | 政治論
 沖縄を軽視する日本の構造的差別からすると沖縄戦は県民総ぐるみで激烈な戦闘の末ほぼ玉砕した「英霊」による美談的模範であり「尊い犠牲」、「感謝する」対象として見られることになる。勿論「集団強制死」は「玉砕」の手本、但しいくらか勝手に自裁して果てた印象の特殊な「愛国」的表象と位置づけられる。沖縄の反戦意思が無視されたときここは間違いなく第2次沖縄戦の舞台、主戦場となり、自衛隊米軍多国籍軍が集結、北朝鮮乃至中国との覇権争いが核戦争の強迫を随伴して繰り広げられるだろう。この戦争の、国費を投じ税金を浪費する大掛かりな準備が防衛省を中心に米軍共々着々と進んでいるのが現況展望だ。彼らにとって今更辺野古は目じゃない。南西太平洋海上覇権を巡る初めは小規模な小競り合いがあり陰謀と情報操作によって画策された外交的決裂の末、沖縄を真下にみながら大陸と太平洋の上空をあまたのミサイルが飛び交い、県民は再びこの腐りきった日本本土の防波堤として焦土と化す沖縄諸島を見るであろう。我々は想像しなければならない。この国とアメリカが人間の住む島々を軍事要塞とし住民を救う手立てさえないままに彼らだけの都合で始める戦争が「普天間」など知ったことじゃないとでも言いたげにいよいよ強引に強制的に「一歩も退くことなく」沖縄を我が物顔に牛耳っていくことになろう。今そういう関係性において沖縄と日本国政府乃至アメリカが対峙していると認識し、沖縄の憤怒の嵐は金輪際彼らを許してはならない。彼らは如何にしても天皇言質を盾に沖縄島嶼を防共最前線基地たらしむべく決して妥協しないのである。(普天間固定化は初めから仕組まれていたし「負担軽減」に尽力したという政治的アリバイの意味しかない)日本の戦後における沖縄の特殊な待遇は今後どう転んでも改善されることはない。先の大戦での沖縄の苦痛は決して癒されることはなく却ってその遠慮がちな心根を逆撫でする本土政府の機械的な「日米安保堅持」路線をひた走るであろう。憎むべきはアメリカであり蔑むべきは日本政府であり追及すべきは昭和天皇だ。そして優秀なる事務手続きのスペシャリスト「大日本帝国官僚」の残党とその子孫にはいかなる天誅を下すべきか、惜しむらくはあらゆる災忌が「最弱の民衆」においてしか顕現しない不条理をいかんせん。(中断)

詩347 その6 日本の敗戦6

2011年08月22日 08時31分29秒 | 政治論
 我々の心の何処かに「それでも未だ戦争は身近に起こることはなく今後もほぼ変わりなく平穏な時代を過ごすことになろう」といった具合の油断はひとつくらいありそうだ。これは我々が平和主義者だろうが軍国主義者だろうが無関心派だろうが、恐らくは戦争を経験しない世代には必ずや想定される精神状態の一種なので勿論体験者が大方寡黙をもって戦後を生きたこととは180度相違する。愚物ブッシュに肩入れし自衛隊イラク派遣を決行した小泉政権、憲法改悪を実行しようとした安部政権などでは体験者が戦時体制の再来の予兆を微妙に嗅ぎ分けたらしいが、我々は小泉の大衆人気を暢気に受容し彼の靖国参拝もさして問題にしなかったのであり(構造改革で欠陥政権実質を曝したが)、坊ちゃん安部晋三などは腰砕けに終わったからいいものを「美しい日本」などいう欺瞞言辞を弄して軍国主義礼賛へ突き進もうという風潮が現れたのにもかかわらず危機感をもってこれを打ち砕こうとした「ドンキホーテ」はただのひとりもいなかったのだ。美辞麗句に近い「マニフェスト」をぶちあげた民主党政権はその全てを骨抜きにし旧政権と変わりないレベルにまで落ち込んで終わったが、その根本の病弊が日米安保にあることを現実的に認知してない幼弱さたるや、今次大震災大津波原発事故という「天与の鉄槌」を脳天に食らってさえ覚醒しない「平和ボケ」加減からしてどうやらその度し難さときたら語るに落ちたとしかいいようがない。といって果たして戦後世代戦無派たちは今後新たな意匠を凝らした国家主義がジョーズまがいの襲撃をかけたときこれに対抗する素直な嫌気の表現ができるのだろうか。できはすまい。見よ、利権利害がからみさえすれば放射能汚染の真っ只中にあるこのときにさえホッカイドウ知事は原発再開にゴーサインをためらわないではないか。日本の敗戦は日米安保体制という漁夫の利を目論んだはいいが結局アメリカ世界制覇の野望に巻き込まれて魂を抜かれたという実態を生んだ。(中断)

詩347 その5 日本の敗戦5

2011年08月17日 09時57分01秒 | 政治論
 国政は、選挙権を持つ国民が選んだ代議士が国会審議を通じて多数決により立法化した法律に基づいて行われる。選挙、代議士、国会、多数決、これらはひとつのルール、数学でいう公式の類である。しかし絶対的な公式でなく改善改良変化を可能にするもので、ここでは「法治国家」という大原則があって法律の改正により実施され向上していく仕組みといえる。バランスをとってみよう。我々は常に最善の道を選ぶわけではない。「選挙」は従って違法行為がないとすれば最初の「選択」のうち立候補者の中から誰かを指名する、あるいは誰も指名しない、という選択を行使する権利保留状態に置かれるが、ここで我々が有する選択権は必ずしも最善を望んで満足されるものでない以上選択結果効果という視点からすれば所詮「代議士」委任行為による間接的参政の実質は目に見えて即効性のある政治を期待することはできないし、ましてやこの「代議士」が個別の政党党派政治集団に属したときはその集合体の何らかの規制制限場合によっては無意味な縛りさえありうるわけで、「国会」の審議とは言い条「多数決」の原理が働くときこの「代議士」がいよいよ選挙民から乖離遊離するのは初めから見えている。彼らが地元に帰って釈明に奔走するのは実に滑稽だが我々には笑えないていたらくだ。こうした弊害を取り除こうとすれば結局我々が直接参政し人民会議でも開くしかない。地方分権はその取っ掛かりだが権限委譲は徹底して行われなければならない。現行日本国政治実態での最大の疑問点で疑惑の根源たる国防安全保障上の国家専権思潮について分権された地方の意向が無視されている沖縄問題から考えると明瞭な差別の視点を析出せざるを得ない。繰り返すと現段階で差別の理由を探せばどうしても敗戦後の天皇発言に突き当たる。そして彼がこうした発言に至った心理的な背景には薩摩侵攻琉球処分以来の琉球異人種意識乃至日本人内異分子の差別的精神作用があると想像される(そういうものが日本人の中に巣食っている節があるという意味で)。こうした「偏見」によって国内米軍基地負担の8割近くを賄っている沖縄という地方自治は「不当」な差別的状況に置かれている事は明白だ。そしてこの視点からだけ見ても「安全保障」に関する国政はこの国の政体自体の「矛盾性」を端的に帰納している。逆に言えばもし沖縄が過激にかつ正当に自己主張する内面的成熟を可能にするなら、もしくは強靭な指導的理論と革命的情熱を手中にしたなら間違いなく沖縄から戦後日本の本質的革命と近代日本の根本的更正が可能になるはずだ。すなわち戦後アメリカ主導の世界警察連合に両手を差し出して自首した精神的敗北から脱却し「日米安全保障体制」を反故にし「天皇制」の呪縛的幻想的宗教的欺瞞から覚醒し「人民主義」に立ち返り、「国の政治に関する議論」を「瓦礫と廃墟」のなかから繰り返し立ち上げること。オキナワからフクシマへ、震災と津波と放射能の被災者へ。ヒロシマナガサキを忘れるな。第5福竜丸を思い出せ。久保山愛吉氏を。「舌のねが乾かぬまさに真っ最中」の今ホッカイドウは原発再開するというが気違い沙汰だ。日本の政治は間違っている。日本の敗戦はこの国をどんどん地獄へ誘導している。(中断)

詩347 その4 日本の敗戦4

2011年08月11日 23時53分51秒 | 政治論
 日本がナチスドイツ並に歴然たる国家規模の犯罪的ファシズムで語りつくせるなら事は意外に容易な決着を図れるのかもしれないが、「持たざる国」の殖産の発露として国外市場開拓に乗り出しアジアにおいて謀略に満ちた「侵略戦争」を展開し拡大していく過程では「大東亜共栄思潮」が眉唾物でも一応のレーゾンデートルを醸しだす勢いを暫くは保全した。しかしアジア各地で日本兵により繰り広げられた戦時の異常集団心理乃至異常思考傾向に基づく蛮行、対ゲリラ恐怖感に衝かれた無差別殺戮、は通常戦争行為を逸脱した「非人道的犯罪行為」であったことは間違いない事実だ。沖縄戦で日本兵がこうした経験により沖縄一般住民たちに繰り返し「米軍は男子を八つ裂きにし女子を強姦して殺す」というまことしやかなデマを流したのはむしろ彼ら日本兵が自分たちの大陸での野蛮な行為を想起すればむべなるかなであったろう。こうしたデマに恐怖感を増幅させ米軍の投降呼びかけに逆の反応をした住民が「捕虜となり殺される」よりも自決することをためらわない心理状態におちるのは自然の理だ。「軍官民共生共死」は単なる軍部のでまかせ思潮であり実際は完全な軍支配の絶対的君臨であり文字通り一木一草に至るまで軍管理のもとで束ねられた。例の貴重な軍事物資である2個の「手榴弾」の非戦闘住民への配付がこの場合、これを使って敵と戦い「死ね」という意味以外に何もあろうはずはない。畑の芋を食っただけで即処刑するといった類のめちゃくちゃなやりかたは軍がいかに住民を極限の状況に押し込んで顧みなかったかを示している。彼らの行為は中国人民に大陸で繰り返した虐待行為と同様の差別感に満ちた沖縄県民蔑視の非文明的な野蛮な心理に裏打ちされた許しがたいものだと断じなければならない。我々はヨーロッパでナチスドイツが行った人類史上稀に見る残虐なホロコーストのことを知っているが何百万という命が虫けらのようにかき消された忌わしい犯罪が国家計画として遂行される狂気についてはその形成経緯を全く知らないし単一の思潮が一旦全体主義の波に乗ったなら想像しうる一切の鬼畜的行為が目前に平然と横行することを多くの体験者や証人の言葉から学ぶ必要があろう。(人肉嗜食、放り投げた赤子を銃剣で刺し殺す、日本刀の試し斬り、など枚挙に暇がない。これらは日本軍が実際に中国や東南アジアの住民に対し行ったものだ。)(中断)

詩347 その3 日本の敗戦3

2011年08月04日 23時25分07秒 | 政治論
 2.26事件が持つ意味を探ると皇道派青年将校と昭和天皇の間に生じた決定的な断絶が見て取れようが、21世紀の現時点で大雑把に俯瞰する限りこうしたギャップは「天皇の赤子」という感覚的関係措定においては一般的な「父子関係」を連想するものがある。「子」が「父」の認証した大臣たちを銃撃し殺傷するという行為はまさしく「父」に対する看過すべからざる反抗でありその社会的影響を慮れば死を以って償わせる以外方途はないと「父」が思っても無理は無い。しかし天皇の激怒は将校たちへ一片の同情も示してない。「逆賊」とし鎮圧すべき叛徒としたとき「父」は内心で多少の憐れみくらいは感じたものだろうか。帝国軍人として最高教育を受け秀才の誉れが高い若き将校たちへの少なからぬ哀惜の念はなかったのだろうか。国体の意味が最も正確に表出された昭和天皇はまさに国家、「朕は国家」だったといえる。彼が望むと望まざるとに関わらず彼は明らかに担がれた神輿ながら神輿であることに見事に忠実だった。彼の中に"人並み”の「父」をみた将校たちに"人並み"の「子」の報いはない。「父」は国家であり「子」は国家に奉仕する忠実なる臣にほかならないのだから。歴史は2.26事件という事件を歴史的事実として一連の昭和史に並行的に記述するが実はその内容に深い意味は元々存在しない。帝国陸軍内部の権力闘争に、財政逼迫する当時の社会事情を悲嘆し悲観した多感な青年軍人が巻き込まれ利用されこの国の破滅への道程に報われない犠牲を払ったというにすぎない。彼らの行為は「憂国」という言葉で括られようとするが残念ながら所詮「逆賊の汚名を着ても」し遂げなければならない「理論」はなかったし明治維新同様軍人のなかでも特権階級の彼らにこの国を根本で革える現実的動機はなかった。つまり大日本帝国は初期のゴタゴタを綯い混ぜながら戦争への一本道をまっしぐらに突き進む。(中断)

詩347 その2 日本の敗戦2

2011年08月02日 23時08分40秒 | 政治論
 ありきたりな人間的行為である戦争に負けた日本は「敗北感」において如何なる「価値」を喪失したと自覚していたか。ありきたりな戦争敗者の日本が特殊な敗者となるのはその戦前においていかに孤立的に自尊理由を保持していたかによる。この事情は同じ敗者ドイツでも生じるはずだ。イタリアでなくナチスドイツで何が起こったかを探るときユダヤ人絶滅計画やゲルマン優越主義は実に特殊な思潮として瞠目せずにはいられない。民族自決主義や排他主義は当時のドイツではむしろごく自然な風潮的傾向の思潮だったろうがこうした特殊な「英雄主義」はドイツ民族に際立つ思弁的性向に由来しないともいえない。ドイツ哲学の近世近代にみるヘーゲルらの所謂思弁哲学においてはドイツ観念論の脈々たる流れが見て取れる。この伝統的個別的性向がオーストリアのリンツ近郊に生まれたヒトラーにおいて彼の個人的野望乃至英雄主義と結託し稀に見る悪魔的犯罪性を帯びた無類の国家主義に変貌したときドイツは史上稀有な戦争犯罪国家として特殊化する運命を担った。最早言い逃れはできない。ドイツ連邦共和国の執拗で永久的なナチ犯罪追及の戦後史はかくしてドイツをこの一点でありきたりな敗戦国から未来永劫拭えない特殊な犯罪的敗戦国とした。一方日本は極東裁判を中心とするアジア各地での戦犯訴追裁判においてむしろごくありきたりな戦争責任の追究という性格に満ちたありきたりな軍法会議的報復裁判を繰り広げ結果こんにち多くの司法的不当性不法性を指摘される欠陥裁判に堕落した。連合国は日本の戦犯、戦争責任者において「天皇不訴追」を決した時点でこの裁判の理念的意義を喪失したといって過言ではない。というよりもこの裁判が復讐裁判の域を一歩も超えずこれをよしとした連合国の世界性への理念的怠慢が指摘されよう。といって優勝劣敗の法則によりこうした不服申し立てなど誰も相手にはしないので今更おおやけに自己主張しても甲斐はない。従って問題はひとつには北一輝以来喧しい国家主義がこの国の大東亜共栄思潮においてドイツ並みに観念論的に逆上したのかどうかだが、結果論から言えば圧倒的な物量を誇る欧米列強に敵うだけの国力を自国に有しない貧国日本のどこにも不敗神話の保障は無かったにも拘らず、アメリカの挑発に乗って片道切符の根拠のない必勝陣形で国民総ぐるみで滅亡鉄道をひた走ったことからいえるように、ヒトラー並の狂気がこの国の全体に覆いかぶさった。それこそが明治欽定憲法以来国民を唱導した皇民化教育と天皇神格化の悪しきマインドコントロールだ。(中断)

詩347 その1 日本の敗戦

2011年08月02日 15時14分28秒 | 政治論
 「敗戦後の日本」という題名の漠然とした思考資材を措定し歴史的実質による検証と実態解明と問題点の分析、を試みる。どの道このブログは試作的創作的な個人的公開性の、可能な限り客観性を重視したひとつの見解にすぎないので何も気張りすぎることはない。大方の専門家が膨大な字数を費やして膨大な数の資料と論評と展望を示していることはもとより承知のことでここに欲掻いてある一隅を照らすことなど目論んではいない。一個人の吹けば飛ぶようなたわごとなど衆目に曝すことさえ憚られるが私的には人生的晩年を迎え自ら自らの悟性において己の肺腑にストンと落としておきたい願望に憑かれ狂気じみて遣る瀬無い境涯にあるようだ。日本の「敗戦」という事件の本質はどこにもない。人類が生れ落ちて群落を形成するころからすでに小競り合いは間断なくあり勝者と敗者があった。つまり戦争はこの現代においてさえ日常茶飯事に近いごくありふれた人間的行為のひとつにすぎない。もし一切争いのない世界があるとすればそれは我々の星はおろか悠久の自然界宇宙空間のどこにもその実例を見ることは永久にないだろう。日本の軍国主義を論うなら世界の覇権国家やら大戦戦勝国が、ある美名のもとに多くの戦争に自国の人民を駆り出しては膨大な民衆を殺戮する事実はこれとどう異なるのかを問えば少なくともその被害実態の内訳によって実質大差ないことを認めざるを得まい。つまり日本の敗戦は多くの敗戦のなかの一例に過ぎず戦勝国が極東裁判で報復的に処断したところの結果だけで「はいさようなら」が本筋のわけだが、日本とアメリカはそうはならなかった。まず天皇は帝国憲法上の大元帥としてこの国をマッカーサー率いる連合国の裁量に一切委ねると進言し、同時に沖縄を防共最前線として今後も引き続き占領統治してくれるよう懇願した。つまりアメリカは、こうした敗戦国意識でグチャグチャの脆弱な国体性に付け込んでその後の日本有効利用路線をとることができた。天皇不訴追決断も一定の効果を発揮し国民のなかの右翼的愛国的反乱分子を端緒において押さえ込むことに成功した。戦後民主主義は雰囲気だけ自由な傾向を演出し多くの「水を得た河童」連中が様々な「民主的行為」をアピールした。しかし三鷹松川下山など主に国鉄労組乃至共産主義に対する陰謀じみた画策が次々と頻発し「自由」や「民主主義」が根本のところで矛盾した現実的功利性に凌駕される実情を露呈するにいたりこうした戦後民主主義の内実が極めて理念性に遠い実態にあることを国民は知ることになる。アメリカ始め欧州連合はアメリカ主導で国連を牛耳り私物化し専ら反共軍事覇権戦略に基づいて軍拡核武装強化路線を邁進し、徐々に国際警察軍事体制による世界制覇目標を実現していく。日本は憲法9条に「戦争放棄」を謳ったその舌の根が乾かぬうちにアメリカの世界戦略に乗せられ自衛隊に至る事実上の再軍備に着手する。こうした歴史的事実に照らせばいかに戦後の日本がアメリカのいうなりになり同時に理念的堕落を平然と繰り返しきれいごとを並べる国家に成り下がったかがわかろうというものだ。(中断)