抵抗戦線

ブログを使用しての種々の論考

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詩349 沖縄と日本 35(環境影響評価書に対する意見の下書き 4)

2012年01月29日 12時10分51秒 | 政治論
 アメリカの情報網乃至情報分析能力が仮に劣悪な状況に落ち込んでいるとすれば、日本と沖縄、普天間、辺野古、民主政権に関して、問題解決展望において彼らが陥っているあり地獄は、沖縄にとって有利に働くのかどうかについて明確に把握しておく必要があろう。保守系評家どもが「衆愚政治」やら「ポピュリズム」やら、さも自分が「選良」か「高踏派」のごとく喧伝している昨今、彼らが陥っている「机上の空論」のどこにもはらの足しになる材料がないことを論ってもしかたがないが、少なくとも差し迫って重大な国家的規模の危機に関し、なんらの洞察も示さない日本のインテリどもにはほとほとあきれ果てる一方で、沖縄には差し迫って重大な危険きわまりないオスプレイの襲来に対し全県挙げて米軍を追い出すべく活動強化ののろしをあげているのではある。もし対アジア対日本のアメリカ戦略において現今推移が彼らに計算済みなら、6月以降県議会選結果という節目に因んで公有水面埋め立て申請は強行され、常識的には県知事の「不許可」を想定するわけでその後、どう動くのか、そこにあるのは米議会対策としての「アリバイ作り」だが、恐らく「代執行」はあるだろうと、想像する。その命令責任はオバマにある。オバマは大統領選対策の一環にイラク撤退、高所得者課税率増以外に、「普天間解決」という選択肢はさらさらないのだが、沖縄がこの弱点、つまり在沖米軍の地元反論による地位的不如意を突っつけば(結局名護市長の訪米駆け込み訴えしかない)、あるいはオバマを動かせるかもしれない。(中断)
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詩349 沖縄と日本 35(環境影響評価書に対する意見の下書き 3)

2012年01月29日 09時44分05秒 | 政治論
 国家と人民、この対立軸に外交がからむと極めて非民主的な情勢をかもし出すことが見て取れる。辺野古に新基地を建設するという、アメリカの、「瓢箪から独楽」並みの世界戦略構想実現契機は、アメリカにとっては願ってもないチャンスだったわけで、辺野古、名護市、沖縄県の人民が真に敵対すべきはアメリカであり、アメリカに追従する日本政府官僚などは敵ですらない。従って、政府官僚とアメリカが沖縄の頭越しに日米合意を強行するのなら、沖縄県もまた彼らの間隙を突いて、アメリカ内部へ深く潜行し、今回の訪米のような陳情を繰返すことだ。当然地元辺野古(高江もそうだが)では不断な「座り込み」が実施され、彼らの工事強行を阻止すべく体を張る。つまり、県知事の裏切り、代執行のいずれに対しても対応して行動しなければならない。マスコミは、沖縄の不安と焦燥を煽る政府寄りの報道に地道をあげているが、ああいうものに惑わされてはならない。彼らの報道内容のなかに、現在実施されている「環境影響評価書」に対する沖縄での「審査会」が突きつける、「評価やり直し」を求める、全会的な意見に関する報道は一切ない。これは、朝日、毎日、NHKいずれにおいても偏向する、「無関心」「無視」姿勢を示している。彼らのジャーナリズム精神が腐っている証拠だが、ここにも、沖縄が、日本全国的「対岸の火事」状態を繰り返さなければならない、不当にして許しがたい実情を生む、体質、罪過を見ざるを得ない。(中断)
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詩349 沖縄と日本 35(環境影響評価書に対する意見の下書き 2)

2012年01月27日 10時36分44秒 | 政治論
 2011年3月11日、突如として東日本沿岸部を襲ったM9の巨大地震とその後の大津波は、この地域を壊滅的被害の惨禍に落とし込んだが、中でも福島第一原子力発電所において発生した核爆発による放射能飛散、汚染が齎している尋常ならぬ脅威は、恐らくソ連崩壊の引き金になったチェリノブイリ事故と同等以上の稀に見る国家的(あるいは世界的)危機を醸成しつつあるとみなしておいたほうが、後悔は少ないだろう。現今政府が企図する「放射能影響情報緩和策」としての区域解除ないし規制緩和は、半永久的に汚染された大地と大気のなかに帰還し生活することを選択させようという、恐るべき殺人行為としかいいようがない。ここにあるのは、この日本の政府が、彼らのさまざまな思惑の中から、「国体」という根も葉もない彼らの贅沢の温床を、人民の生存実質よりも優先させよう、という企図に出たことを意味する。そして現今被災地の多くの被災者の苦痛に満ちた生活実態を垣間見ると、この日本の政府は決して彼ら人民のためには機能しないという現実を知らずにはいない。ことほど左様に、アメリカ合衆国のために、又己が贅沢の温存のために「国体」護持を画策して日米安保の無批判な継続を決して止めないこの日本の政府は、沖縄県を犠牲にして己が本土の安泰を図ろうと、アメリカの詐欺行為、「普天間返還」と「辺野古新基地建設」(移設ではない)ワンセット強行路線を県民の頭越しに推進しようとこの環境影響評価書提出に踏み切った。つまりこれは、辺野古の住民の安定的福利を蔑ろにし、沖縄県民の矜持をズタズタにし、恐らく人類が希求してやまない「平和」追求の意思を踏みにじったという意味になる。つまりここにも、この日本政府が人民のためにはなんら機能しない実質実態現実をさらしている。そしてこうしたこの国の為政者の決定的無責任体質の本質こそ実体のない押し付けられた「天皇制」幻想信仰に他ならない。しかしながら、こうしたこの国の不愉快にして不如意な精神状況は、政府ないしトップダウン的意思決定傾向に少なからず依存している有権者の怠慢もまた看過しがたい内容を醸している。沖縄はこの怠慢と馴れ合うわけにはいかない当事者であり、当然抗議行動はいじましいほどに持続され、「非暴力不服従」という言辞さえきれいごとに見えるまでに到っているが、国家権力横行を拒絶するためには是が非でも命がけで油断なく今日も「座り込み」する。
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詩349 沖縄と日本 35(環境影響評価書に対する意見の下書き)

2012年01月26日 00時18分47秒 | 政治論
 「第二章戦争の放棄 第9条 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」  「国際紛争を解決する手段」という文章に自発的交戦権を排除しながら、「自衛の手段」について曖昧な含みを与えたことは否めないが、2項で「戦力はこれを保持しない」と明瞭に詠っている以上「自衛権」すら放棄したと解釈するのが自然である。又外国との同盟において軍事的双務関係を締結する事自体1項にも2項にも抵触する実質であり、「交戦権」も「武力による自衛権」も放棄した9条に違背する故、具体的には現今陸海空にわたる客観的戦力である自衛隊と、日米安全保障協約はともに憲法違反状態にあるといえる。従って、沖縄県名護市辺野古の辺野古崎に規模的には一大軍事基地としかいいようのない新基地を建設しようという試みは、法解釈上も到底合法な評価には馴染まない。そして敗戦直後の「天皇メッセージ」が日本本土と沖縄島嶼の「不可分」な関係性に関しこれを分断する内容で米国政府に伝播し沖縄に関する半永久的な自由裁量の言質を与えた「沖縄差別」の端緒は、以降の日米両政府の沖縄に関する、とりわけ基地問題における看過しがたい非民主的な「植民地扱い」を醸成、推進、加速してきた歴史の核として認識される現実的影響力を実証している。一方、仮に日米安保がこの国の全国土において非合法ながらも安全保障の有効性を有しているとして、(ソクラテス的政治理念に依拠するなら)どこかに「普天間飛行場」の代替施設をしつらえるとすれば当然日本全県において公平に移設の「くじ引き」でもすべきところ、鳩山元総理が全国知事会で打診した結果は「自分の県に火の粉を振りかける気か」と叱咤された程度で立ち消えた経緯を全国民が知っている。「義を見てせざるは勇なきなり」という俗諺もあるが、つまるところ、この日米安保が、日本全国どこにも受け入れられない、という結論を既にこの国は自己表明のなかで下したということになる。にもかかわらず日米同盟をこの国の政府は最優先最重要関係と位置づけあらゆるマスメデアマスコミも一列に右倣えして日米同盟堅持を論う、まさにあげての翼賛体制へ突き進んでいる。この、恐らくは民意に乖離する国政国意というものに沖縄が賛同したかといえば、少なくとも90%は反対しているのであり、辺野古移設については議会制民主主義の「地方単位」ながら全行程において反対の意見議決に集約している。まして地球的環境破壊が懸念される現今情勢にあって憂慮される新基地建設中公有水面にかかる部分において、大浦湾の貴重な自然遺産に人間の欲得で壊滅的打撃を与えることは必至であり通常の一般国民的許容限度を超える蛮行としかいいようがない。既にオスプレイ騒音墜落危険性につき人間の住する空間に配備する非人道的行為はいうまでもなく民意において拒否される性質にあり、更に沖縄においては「沖縄戦」の教訓は、およそ「戦争、軍事基地、軍隊、軍事訓練、軍備拡張」行為を否定する状態により精神生活化しているのであり、肉化しているのであって、向後こうした日米政府による一切の世界戦略的「机上作戦」のトップダウンを肯じない本質となっているのである。従って、国民の血税を無駄に費消し続けている「普天間移設」という理念的形容矛盾を直ちにやめて、アメリカは本国に帰り、日本国はあらためて「自分のことは自分で守る」算段をしなさいという結論になる。
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詩349 沖縄と日本 34の3

2012年01月22日 12時48分52秒 | 政治論
 下地などいう酒焼け男が自己保身のために繰り出す辻褄の合わない行動は、既に、愚にもつかぬ低劣なこの国の下男的使い走りにすぎず、本来なら一顧だに価しないと切り捨てるものなのだが、これも沖縄かと肯じて、「総じてなんぼ」の算段をするが身のためか。琉球が優勝劣敗の人間界法則により、より野蛮な猿真似国家日本によって欧米並みにアジア諸国同様侵略の餌食とされて(薩摩侵攻)以来、王府が途絶える「琉球処分」をはじめとして「沖縄戦」「米軍統治」「密約返還」「普天間詐欺」まで、この日本という国とアメリカという世界征服超絶蛮人国家によって「犯され」てきた歴史は、返す返すも残念な内容に満ちている。向後もこの惨状が続くかと思うと涙も出ない。今更、「同じ日本人として」慙愧に堪えぬなどと偽善的にのたもうても詮方ないが、ほんの数年前までは彼らと同じようにこの国の沖縄に対して繰返す到底許しがたい国を挙げての差別行為を半ば黙認、無関心を装ってきたことは、彼らと同じように断罪されるべきことであろうと彼は思う。沖縄の人たちが、己の県土に展開する米軍基地から、世界の紛争地帯に、飽くまで人民殺戮の戦争行為のために発進を繰返してきたことを自らの「戦争加担」行為とみなし自責する心情にあることなど、本土人は十分に知らねばならない。「普天間詐欺」は、無条件返還以外ありえない「沖縄基地負担軽減」という名分にあったにかかわらず殆ど脅しに等しい外交で「地位協定」並みに倒錯した居直り強盗の末、アメリカが世界戦略を口実に日本政府を誑かして、移設条件付与のふざけた詐欺行為に出たと考える必要がある。憎むべきはアメリカ、オバマである。しかしまさしくその片棒を、進んで担ぐ日本政府官僚は、アメリカ傀儡政治を地で行く情けなさだ。沖縄の海兵隊諸君が可哀想に、普通の心情では到底堪えられない人殺しを即座に実行するべく訓練しごかれ機械化し殺人マシーンとなり、イラク、アフガン、に送り込まれるはいいが、多くは精神異常を来たして軍隊的には使い物にならないという有様だ。彼らの中には自殺者が急増している。かつてベトナム帰還兵がそうであったように、戦争で経済を動かしている国家の国民は、貧困低学歴の故に軍隊に就職し、使いまわされ擦り切れてぼろ雑巾となる。およそあらゆる戦争はこうした社会的弱者の悲劇的人生なしには遂行されないが、世界の誰も有力な非戦言論も行動も起こさないという人類精神史の暗黒を目の当たりにし、人類などさっさと滅亡してしまえと思うのはしかたがあるまい。(中断)
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詩349 沖縄と日本 34の2

2012年01月22日 09時21分27秒 | 政治論
 仲井真沖縄県知事が、評価書につきどんなゆるゆるの知事意見を盛り込むのか知らないが、既にできレースであるこの「年内着工」のシナリオは恐らく確実に実施されるに違いない。「代執行」を否定する「公約」は当然破られるので、「公有水面埋め立て」許可が下りなくとも政府はなんの痛痒も感じないだろう。「期限を切らない」という公言に関わらず「年内提出」を成功させた環境影響評価書のことを思い出せばよい。今後も未来においても永久に沖縄を「犯し」続けることには変更がない。この国の現象徴天皇の父王が「現人神」から「人間宣言」して自らヒトになった途端、まさに「自己保身」のためにマッカーサー及びアメリカ政府に媚を売り、沖縄を防共最前線として異国に提供し、事実上永久的に軍事基地諸島化すべくアメリカに「魂を売った」行為以来、沖縄は、日本国でなくなり、日本人でなくなり、日本本土の奴隷的人間盾にされたのだった。沖縄の敵は中国でも北朝鮮でも「テロ」でもなく、アメリカ合衆国と日本国である。本土基地新設が全く考慮されてない以上、辺野古ならびに沖縄県内新設は強行されるのであり、アジアの軍事拠点としてのアメリカ世界戦略構想は、沖縄からの撤退などありえない話になっている。しかし戦後66年、沖縄返還40年、日本人は今こそ沖縄県民に対して続行しているこの犯罪的差別行為を止めなければならない。福島県民に対し現在行っている暫定的殺人行為(区域解除、帰還許可、県産品アピールによる放射能浸潤蔓延)同様、おのが精神を蝕む罪深い政治姿勢を改めなければ「マヤの2012年12月21日」ではないが、確実に亡国的運命を辿ることになろう。実際、民主党の短命内閣は全て、沖縄施策の失政を病原としてきたのだ。つまり、本質的精神的「先送り」を繰り返せば、政治不毛はもとより、議院内閣制や議会制民主主義は完全に機能しない抜け殻と化すであろう(同じ日本人である沖縄が同じ国の中で特区化されているのだから)。この国が滅亡しても人民は生き残るが、本土の日本人によって(アメリカ合作で)ズタズタにされた沖縄県民にとっては実にやりきれない話ではある。日本復帰は沖縄にとってまさしく両刃の剣に他ならなかった。しかし「守礼の邦」「非武の島」「平和外交の国」だった琉球全盛は、アメリカのエゴイズムである世界戦略構想による軍事最優先を決して受け入れない実質に貫かれている。(中断)
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詩349 沖縄と日本 34

2012年01月19日 16時16分25秒 | 政治論
 沖縄県北部、「やんばる」といわれる「山原」つまり字義通り亜熱帯原生林が広がる地方、恐らく1時間もかければ一周してしまうこの狭小なしかし貴重な希少価値である「自然」に満ちた一帯に、訓練形式によらず、昼夜を問わず、爆音響かせながら確実に飛び交うであろう、機能的危険性に満ちたオスプレイ(垂直離着陸高速飛行可能特殊ヘリ)のためのヘリパッド、あるいは飛行場を米軍西太平洋プレゼンスのために殆ど無作為に提供しようというこの国の為政者どもは、如何に贔屓目に見ても沖縄県民、地元名護市民、辺野古住民の大方の拒否権を無視した、対アメリカ外交、日米同盟無批判受容、憲法9条抵触行為、「民主主義」有名無実化政治を繰り返しているとしかいえないのである。この、沖縄県民の米軍拒否意思は、2年前の政権交代によってたきつけられたとは言い条、15年間内包されていた全県意思であり(名護市民投票はとうの昔に反対表明されているが)、真実の心情意見が今まさに白日の下にさらされているということである。普天間「国外移設」はアメリカの意向で、この政権の初っ端から「論外」とされ、この政権が「鳩山ドクトリン」により「県外」を模索する振りをして沖縄県民の期待感を引きずり回した結果は、「日米安保」に基づく米軍基地の国土展開が、日本全国全県の事実上不可能な民意によっている、という、言い換えれば「基地を押し付けられた沖縄差別待遇」の真相を、余すところなく披瀝することとなった。この情勢に鑑みて、現在この国の権力の手先ども(沖縄防衛局)が強行しようとしている「高江地区」での蛮行は、戦後まもなくアメリカ軍が「銃剣とブルドーザー」で沖縄県民の生活の資である土地を奪い取って次々と基地を造っていったそれに同じい。又辺野古移設に関する「環境影響評価」は多くの関係者、識者、にこき下ろされた愚にもつかぬ「不評価書」であり、到底「評価」に値しない内容に終始していることは既に誰の目にもあきらかなことだが、いっかな強情なアメリカの飼い犬どもは喰らいついたら放さないたちらしく、相変わらず「苦渋の選択」やら「沖縄の理解」という心にもない言葉を駆使しながら恥ずかしげもなく、己が腰抜け加減を糊塗している。アメリカは今や、財政危機に面して、海兵隊8000人グアム移転計画自体事実上不可能な状況に陥った(グアムの大規模インフラ整備等費用の膨大な負担に音を上げたのだ)。つまり「普天間返還」は計画倒れになる。米海兵隊がどこに行こうと知ったことじゃないが、沖縄という、異国の、普通に一般人が140万人も住している一国の地方行政単位である土地に、我が物顔で戦争準備訓練、発進基地を展開する、このアメリカという国は、世界史上にも類を見ない厚かましさを持った、低劣な愚連隊、ならずもの国家というべきであろう。たとえこの日本の腐った保守主義者どもが、「思いやり予算」やら貢物で歓心を買っているとしても、通常であれば自ら身を引くべきニュアンスにあろうものを。(中断)
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詩349 沖縄と日本 33

2012年01月18日 09時25分05秒 | 政治論
 連合国に屈服させられた結果としての「押し付け」日本国憲法、という視点と、絶対平和主義理念に基づく9条、という基本認識と、いかに相克しあうとしても9条は前文が醸しだした国際社会において追究されるべき理念を、実践的に法定化した実効支配する事実上の「掟」なのであって、戦争意思を擲ち、戦争手段を放棄し、「非暴力」を明言した高度な「理想主義」「人道主義」による、日本帝国主義的軍事思想からの「回心」という意味合いになる。もしこの「回心」の意味が喪われるなら、もともと「懺悔」も「反省」もなかったということであり、現今の実態は連合国主導の戦後国際社会における西側組み込み、防共最前線、「欧米に追いつき追い越せ」、「経済大国、核保有戦争準備軍拡路線」が、この国のむしろいじましい政治傾向を指し示している。そしてこれは、自民党一党支配の戦後体制において政官財学一体化し、強固にして巨大な一大保守王国を築き上げた根底的なこの国の運命的境遇というものだった。半世紀以上かけて力学的構造(権力支配)を浸透させた国体は今や、恐らく他のどの国も及ばない揺ぎ無い岩盤を有している。勿論今次民主党による政権交代が稀代の期待感を持って民意に望まれながら幼弱な「悪あがき」をしただけで終わったのであったし、単なる政権交代では到底突き崩すことができない仕組みに出来上がっていたという事実は白日の下に晒されたのだった。これを、あらゆる現状矛盾の打開改革を基本方針とする政党単位の実効性のある政治によって変更するには。当然のことながら、一党支配の過去の遺物が問題なのではないし、政治成果として画期的な実を挙げ得なかった現政権に託されたであろう「民意」が、図らずも示したこの国の不如意に関する明らかな改変の意思というものは、いくつかの断面を露出せしめ、向後の政治指針やヒントを暗黙に了解させたものと解釈される。つまり、析出されたものは「民主主義」なり「民主制」なりが実際は民を主とせず、官の「官尊民卑」による「情報操作」と「大本営発表」、が幅を利かす、事実や真相に背反する「欺瞞性」に基づく政策によって、どちらかといえば誤った方向へ誘導する国家性向であった。国家の過ちは、人民の悲惨を生む。しかも決定的に不幸な結末を実証しているのが、明治維新以降の日本史であった。この国に「民主主義」はない。「国家対人民」の対立構図においてその本質は歴然とする。この関係性は戦前も戦後も一貫している。戦前は「天皇制」絶対主義によって、戦後はアメリカ一辺倒施策において。しかも「天皇」も「アメリカ」も、決してこの国を実効支配し、実力行使したわけではない。全ては時の為政者たちが「仮託」した、幻想的国家思想に基づく「押し付け」ナショナリズムによって、恰も現にそこにある「かのように」見せかけた木偶人形にすぎなかったのに。「天皇」は戦後「ヒト」になった。アメリカも、いつか脆弱な「老大国」に変貌するであろう。(彼らが展開している沖縄の基地は彼らの経済的要求のみを充足する「張子の虎」となる。沖縄は、必要のない米軍基地を追放し、戦時的危機に覆われたこの島を解放しようと、彼らのあらゆる軍事的行動に断固拒否の構えを取る。勿論沖縄防衛局や現政権の、根底的無責任体質による国家行為などは、徹底的に粉砕しなければならない)奇しくも大震災の被災地には、地元に自生する「共同体思想」が徐々に発芽し、この国を根底から変えようとする真の「革命的」エネルギーに昇華しようとしている。こうした「草の根」拡散によってのみ「民主主義」は理念的に生かされる。そうでないものは近代日本の踏んだ轍を馬鹿の一つ覚えで繰り返し踏み続ける。(中断)
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詩349 沖縄と日本 32

2012年01月12日 08時01分45秒 | 政治論
 現沖縄県知事仲井真弘多は、日米安全保障体制の必要性を信じている人物である。彼の、「県外移設」は、飽くまで安保体制の維持継続を前提に、その基地負担の全県平等配分のために、望ましい方向性を示唆するものと合点された知事公約、ということになる。彼の言動の中にはしばしば、「普天間固定化だけは避けたい」というニュアンスが恐らく強調的に滲まされ、「辺野古回避」や「県外移設」の文字通りの撤回さえあり得そうな口ぶりをする。「普天間廃止」が実現されるなら辺野古も止むを得ないという、「苦渋の選択」はリアルな最も有りそうな政治結末、といえそうだ。歴代の首長、宰相、らが全て同じ道を辿った事を思えば、彼の恐らく政治生命、政治家としての生涯が他に沖縄振興の実を挙げるという至上使命に掛かって、辺野古を犠牲に供する「裏切り」に終わるだろうと、想像されるのだが、彼が「環境影響評価書」に対して示す知事意見が、今識者、輿論、評家にあって根本的にこきおろされている実情に沿うものでなければ、次のステップ「公有水面埋め立て許可」申請は滞りなく事務的に申請され受理されることだろう。「スッタモンダ」があったとしても「普天間返還」「辺野古移設」はセットで確実に実施される。ここで繰り広げられる「法廷闘争」は、「辺野古」の海が埋め立てられているさ中に展開し、そこは現状回復など到底望めそうもない、荒れ果てた環境破壊状況を呈するであろう。こうして「普天間問題」は人民闘争の敗北によって醸しだされる失望感によって沖縄だけが悲嘆にくれる現実を残して、永久に過去のものとなる。普天間の住民はしかしある種の平時戦争状態から解放され日常的危険性から救われるだろう。知事の公約破りは現政権が厚かましくも次々と可能にした驚嘆すべき「公約破り」にならって、どんな演出のもとにしでかしても、その醜悪さは覆い隠すことができないに違いない。(中断)
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詩349 沖縄と日本 31

2012年01月10日 09時16分29秒 | 政治論
 環境影響評価書の内容は、到底、環境に対する、米軍基地の建設がもたらす影響を評価した実質を、有しないものらしい。「建設ありき」で「アワセメント」する官僚的手法が見え見えということだが、この、「建設ありき」がこの国の根本にある以上、「普天間返還」も彼らの「辺野古新基地総合計画」も頓挫する運命にある。これが彼らの所謂「普天間固定化」だが、「諸国民の提携」たる実質と権威、威力を全く有しない「国際の連合」が、本来「是正勧告」なり「差し止め命令」なりすべき「民主主義の危機」を無作為に放置している有様では、世界性を放棄した現代精神、乃至哲学的課題という視点の喪失状態にある人類史の、絶望的末期的症状と捉えつつ、殆ど「原始的」ともいえる「座り込み」による間断なき抵抗に「自己実現」を図る以外、人民が、国家の横暴、諸外国の侵略性に打ち勝つ手立てはないということになる。少なくとも、本土で横行する人民と国家の馴れ合い現状に対し、沖縄はその歴史において「自己実現」の方途として権力との馴れ合いによる解決策などあり得ないという経験則が染み込んでおり、「裏切り」「金銭的懐柔」「欺瞞的振興策」で全て彩られ「密室密約」政治に騙まし討ちされた戦後の屈辱的経験をいやでも「教訓」としなければならず、現今の、人民闘争形態に到ったということだ。確実にいえるのは、この、沖縄における闘争本質こそ、この国が政治によって改善される唯一の方法実例だということを、我々は認識しなければならない。我々人民は、根本的に無力であり、無力であることが、最善最大最良の武器だということだ。つまり、肩担ぎミサイルもいらないし、マシンガンも必要ない。だが、ゲリラであることにはかわりがない。果たして未明4時の奇襲に対する備えはなかったのか。(中断)
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詩349 沖縄と日本 30の2

2012年01月06日 23時45分36秒 | 政治論
 C・ダグラス・ラミス氏(要石:沖縄と憲法9条)によれば、普天間問題が問題化している現在、そこにいくつかの断層が現れるのだが、その諸層を闡明すると次の事実が分化する。其の一、純粋絶対平和主義(従ってこの世から戦争を絶滅しうるとする立場だ)においては普天間はじめ沖縄にある全ての米軍基地、自衛隊駐屯地の撤去(勿論無条件に)、が要求される。其の二、普天間無条件返還(従って移設先はどこにもない)。其の三、辺野古新基地拒否(従って県外国外移設)。この諸層のそれぞれが意味するところは多々あるが、いずれにしても答えは「ノー」にしかならない。この「ノー」は、日本政府乃至アメリカ政府に対する、辺野古に始まる地域住民、即ち沖縄県民大半の答えであり、この問題が究極的に有する日米安保という核について日本人70%が容認する一方で沖縄では7%しかこれを支持してないし、この数字に表れている「乖離現象」こそ、当事者(7割の基地を抱える沖縄)と、安保の受容者なのに当事者でないもの(本土の大半)との不健全な関係性を如実に示しているというわけだ。彼ら本土政府が「負担軽減」と口にする以上、この事実が有する日本と沖縄の地位的「不平等性」を認めたことになり、その改善意思があるのなら普天間基地を同じ沖縄の辺野古に移す本質的矛盾はどう転んでも(精神異常者でもない限り)あり得ないと思うのが自然だ。ということは、彼ら政府は「普天間返還」の理念的意思を「沖縄の負担軽減」においてはいない、又は置いているように見せかけている、つまり理由はほかにあるということになる。ここにあるのは、沖縄の実質的不法占領者アメリカが、従来から擁していた、沖縄基地構想の一環として見ていた辺野古総合基地計画(基地機能の集約的集中)を、普天間返還の条件として巧妙に「ただ同然」で実現してしまおうという、まことに狡猾なしかも見え透いた魂胆なのだが、「地政学」「抑止力」「中国北朝鮮有事、台湾有事」と出てくるわ出てくるわ、まことしやかなでっちあげの理屈を付して沖縄を騙し、日本人を誑かし、官憲同様「冤罪を被った無辜の民」並みに恫喝恐喝する。情報化社会にあってこうした筋違いの理由をいくらまくしたてても沖縄県民は最早完全に「ノー」以外の答えを捨て去っているので一切の懐柔策は無駄であろう。つまり、沖縄が向き合っているひとつの重大な軋轢、「沖縄と日本」、という差別性、からすれば金輪際「不平等な押し付け」には応じないという意思になる。更に、沖縄戦という貴重な特殊な体験に基づく確固たる「非戦意志」からすれば、基地が有する戦争当事者意識(ベトナム、イラク、アフガン、リビア戦争等々)は拭いがたく継続しているのであり到底この境遇には堪えられず、いっさいの軍事行為が忌避されるのであり、従って普天間移設は県内県外国外いずれにも許されないということになる。純粋絶対平和主義も含め、沖縄の新基地「ノー」はあらゆる断面において同じ答えとなっているわけだ。(中断)
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詩349 沖縄と日本 30

2012年01月06日 09時57分50秒 | 政治論
 辺野古に新基地を造らせない、という運動は、三里塚の愛土心に似通っているが、この愛土心には、激越な沖縄戦体験が深く関わりつつ、15年の時間経過と事情錯綜が敷衍するところの沖縄原風景、環境への愛惜、はたまた住民蹂躙植民思潮が県土を軍事要塞化し、また、しつつあることへの警戒、不信、嫌忌、拒絶反応がもたらす、本土政府並びアメリカ政府及び本土の日本人一般に対する抗議と、不条理な対応への怒り、不平等な待遇に置き去りにして顧みない、不人情への嘆きと侮蔑、繰り返される裏切りと欺瞞に対するあきらめに似た倦怠、薩摩侵攻以来脈々と受け継がれた、本土の差別精神への嫌悪、侮蔑、が沸々と煮え滾っている。動物的忠誠心と称された皇民化教育成果としての「集団強制死」頻発は、いわば沖縄県民琉球民族絶滅計画に同じい。愚劣きわまりない「本土防衛の捨石」作戦の残虐にしてでたらめな戦略性を、軍隊論理の一般住民応用という国家犯罪にみなすなら、まさしくこの戦争が大陸南方戦線で暴虐の限りを尽くした日本軍の本質である「軍隊、軍事基地、およそあらゆる軍国思潮、軍拡行為が一般人民を守ることは絶対にあり得ない」真実をまざまざと見せ付けたのである。従って少なくとも現代戦争理論上からも軍事基地近辺の危険性は必然的に考慮されるべき事柄だ。今更いうまでもなく日米安全保障協約は憲法9条に違背する。従って法論理的に、軍事基地に他ならない米軍基地は日本国憲法における憲法違反施設である。これを講和条約の付帯条件として受け入れたにしろ既にその違法性は明白な以上、66年経過したこの時点でこれを解消すべき実質は確実だ。そしてまた、不幸な体験としてとうとう起こってしまった原発事故が図らずも証明した「経済的特別待遇」としての誘致のための交付税やら振興策が「死の危険性」と背腹の間柄にあるということだ。だから最早政府官僚が画策する「あめとむち」や「札びら切る」政治には絶対に加担すべきではない、と、沖縄県民も知っている。しかも振興策の公共事業の大半は本土のゼネコンが掻っ攫っていくことも既に熟知されている。つまり何一つ地域住民のためにはならないし、益々危険度を増すだけの米軍基地を、何が悲しくて受け入れなければならないのか。死んでもいやだ。と、辺野古の「おじいおばあ」は思っているはずだ。朝から夜10時まで海岸端にテントを構え「座り込み」をしているあの年老いた、弱弱しい人たちを君たちは平気に見られるかい?(中断)
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詩349 沖縄と日本 29

2012年01月03日 11時37分24秒 | 政治論
 明日4日、沖縄防衛局が昨年12月29日深夜未だ明けやらぬ頃合を見計らって持ち込んだという「環境影響評価書」の入った16個の段ボール箱を開梱し中身を検証するというが、既に政府防衛省と仲井真知事との密約済みの、暗黙の了解による段取り検証の末、滞りなく「受理」される手筈になっているので、県庁守衛室前に寝ずの番を続けた「反対派」の人々は、彼ら敵が運びいれ損ねた残余分が手続き上「未完了」「不受理」扱いされることはない故にその行為を「無駄な行為」とされるわけだが、およそ「国家対人民」闘争の常識としては十分に「戦略不首尾」と謗られる案件であるにもかかわらず「非暴力不服従」の理念乃至戦略においては間断ないボデイブローを敵に与える最重要作戦の故にむしろ最高級の評価に値するものと思量する。無論現在も今後も継続されている辺野古座り込みは、その主体たる「おじいおばあ」さまたちの命がけの「非戦意思」をまざまざと見せ付けているのだから、沖縄戦以来の沖縄を軸とする世界へ向けた反軍拡、非戦、非人道行為への抗議、の波動によりいかに冷徹な覇権主義も自律的向上心を失った保守反動政治家もその心臓を突かれることだろう。(中断)
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