沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩 43

2007年12月18日 23時29分21秒 | 手記
 自尊心、自負心、矜持、これらの精神状況は人が生きていくうえで黒と白くらいの差を生むが、ばかげてると軽んじると事態は益々気詰まりにして憂鬱な人生へ落ち込んでいく、しかしてこの事態は多分比較の対象があり、そこから自己審査が加えられ誤って自己断定を下し、全てがそこから出発し帰着する、劣等感も優越感も同じ誤謬には違いない、要は比較の対象に正確な診断を下しそこから速やかに離脱することだが、一方自己の回復はそんなに容易ではない、開放展開試行錯誤回復到達、どれほどの時間を要するのか、しかも何をもって救いの表象とするのか、

詩 42

2007年12月13日 17時10分18秒 | 手記
 テロルの正当性(???) 頭がガチガチの到底変革不能な政治家、官僚、その強烈な破廉恥な大嘘つきが公金を吸い取り税金を巻き上げ、厚顔にも公共の場で己が冷酷無慈悲無感動を棚上げしてその小作りのニヒリズムにドップリと浸りきり、月給泥棒そのものの仕事ぶりを見せられては爆弾100本発注したい気持ちもわかろうというものだ、 

詩 41

2007年12月10日 18時08分58秒 | 手記
 見者(けんじゃ)たらんとしたアルチュールランボウは眩暈定着という企てに没頭したが、このことはやがてヴェルネーヌとの一件に現実的の決着をもたらしたとはいえ太陽の子の本然の姿に帰してやると予言したヴェルネーヌの言うとおり、完全な形と内容でランボウに実現することと相成った、地獄の季節に披瀝したとおり眩暈定着の秘教は言うより難解だ、私たちは彼の撒き散らした詩篇を拾い読みし詭弁を弄して論うが果たしてそれは那辺にありや、自己実現せずば何事もわからない、思うに我々はたとえ十数年といえ生きた時代と無用な慣習のなかに愚劣な蒙昧を植えつけられ、本然の資質を喪失する、自殺には理由がある、最高塔も白鳥もなかったなら自殺さえできない、眩暈のうちにこの世の果てを垣間見るなら朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりということ、
 さて