沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩 46

2008年01月17日 23時11分47秒 | 手記
 沖縄返還の年彼は関西辺を放浪するフーテンだった、昭和天皇が戦後沖縄を一度も訪れてないことなど知る由もなかった、沖縄戦さえ知らなかった、ヒメユリノトウははかなくも美しい戦場にさいた一輪の花という認識にすぎない、そもそもそこが日本だという意識がなかった、遠い離島の隔絶した異文化、薩摩の属国化した琉球王朝、被抑圧民族性、....この最果ての地に何らかの希望があったのだろうか、35年を閲した今の彼には現実として眼前にある小さな島(一日かけずとも一周してしまう手のひらほどの島)がやや長い晩年に多大の影響を及ぼすであろうことを感じながら、静かに己が胸中を探っていた、しかしながら小さいがために十全に把握してしまうことができそうな気もしていた、ライフワーク、そういう気持ちもあった、

詩 45

2008年01月12日 01時54分17秒 | 手記
 何が必要か、perspectiveつまり洞察なのだが、いっかな一度横転した人生には困難をきわめる、それが天に近いものなので地を這う蛇にはおろちか龍にでもならなきゃあ伝説的にむずかしい、しかしながら自ら神にしたいという古い願望から進化したであろうこの堕落の底には祈りという最終手段がある、虚仮の一念という、ただし虚仮の実像を承認したときだけだ、彼は「あの瑠璃色の海にはそれを映す太陽が光り輝いている」まさか無傷であれを手に入れるわけにはいかないが、それでも万難を排し、....ええいままよ、得られるのは結論ではない波しぶきがキラリと光って消えるあの無限旋律、...とかなんとかつぶやきながらチュラウミの邦に花を捜した

詩 44

2008年01月02日 22時31分24秒 | 手記
 沖縄に来たけれど沖縄は遠かった、まず目の前に飛び込んできたのは日米軍事同盟であった、しかも同盟は名ばかりで沖縄を奴隷にした日本政府の更にアメリカへの隷属と言う有様、愚弄に次ぐ愚弄、軽視とシカト、そして飴とムチ、この本土並み返還後の実情からして変わらぬ待遇、基地は沖縄の恥辱の象徴、屈辱の証、琉球人の被抑圧の歴史を究極したもの、と内地人は思うのであった、この現状は大日本帝国がかつて間違いなく実行し今も多大の痕跡をみせるアジア朝鮮中国に対しての侮蔑的侵攻に変わらない、その内実は欧米列強に対する劣等感であり、その裏返しとしての攻撃性であり、沖縄や朝鮮はその矢面に立たされ続けた、今もまさに同様の仕打ちを加えるとはなんという残忍さか、飴をもらって喜んでる連中が上に立っては救いがたい、かつて少年だった彼の目にも映った瀬長亀次郎の偉業を今沖縄は学ばねばならない、