沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩の終わり 上が馬鹿なら下は命懸け

2020年11月29日 08時13分50秒 | 政治論

 GoToがいつまでもコロナ感染拡大に影響を及ぼし続けるのは誰の目にも明らかであり、即座に全面停止乃至中止を宣言し、同時に、国が国民向けに、的確で当を得たコロナ禍対応のメッセージを発していれば、と言うことは当然に的確で有効で迅速な経済対策と困窮への早急の援助、補助乃至その約束のメッセージを力強く打ち出していれば、ここまで国民を不安にさせることはなかったであろう。その不安もどちらかと言えばどっちつかずの曖昧さの中にあり、はっきり言えば国の態度が明確でないためにあらゆる国からの情報発信に信用が置けないばかりか、あっちこっち右往左往で気の休まる暇もないという、そうこうするうちに気のゆるみは結局コロナ罹患も大したことはないと多寡を括り、マスク無し、大声会話、市中を闊歩し、菌のまき散らし、まさに「ええじゃないか」様相を呈するのは時間の問題、まことに上がバカなら下も馬鹿、一億総馬鹿になって今年も何となく愚かしく暮れ行くという有様だ。桜騒動も安倍の大ウソに司直の矛先もあきれ顔でどうなることやら、それどころじゃないかつてない大規模なコロナ禍がそこまできているというのになんで、安倍なんかに相変わらず振り回されているのか、どこそこのボケおやじ並みの菅なんぞに国政を任せていたら、一億総ボケ状態で、メデアもマスコミもジャーナリズムも情けなくも何一つすっきり解明はっきり解決がなされぬまま、国民はただじっとこの嵐が過ぎ行くのをひたすら我慢の「いい子」で過ごす以外しようもない。

 既に日本国民にはこのコロナに対する抗体ができており(そういう説もあり)、挙って大騒ぎの割には重症化、死亡数など確かにたかが知れており(例年のインフルエンザ死亡例の方が多いというデータもあり)、国家政府が不思議に落ち着き払っているのは感染数の爆発化など問題でなく(軽症者、無症状者の方が圧倒的に多数で)、要は医療従事者のかつてない困窮ぶり以外問題らしい問題がないと踏んでいるとしか思えない。大向こうが言う通り、安倍さくら事件など本来ばかばかしいほど下らない事件で、安倍をむしょに放り込むだけで済むことであり、菅なんぞは菅おろしの大合唱で引きずりおろせばいいのであって、今や、この国の本質は上がバカなら下も馬鹿という連鎖で出来上がっているていたらくだ。こんな国、あってもなくともよい、国なんざなくしちまえ。(つづく)


詩の終わり 現代という時代を超えて生きる withコロナでもコロナ後でもなく

2020年11月24日 15時44分35秒 | 政治論

 「吾人は須らく現代を超越(せざるべからず)すべし」、とは、高山樗牛の箴言だが、超越するにはその「現代」をはっきりと見据え、認知し、かつ正確に認識しなければ事は現に実を挙げる事にならない。

 「現代(げんだい)は、その時代言及される時点において、現に今、進行している時代」

とウィキペデアは記述しているが、これは正確には「現在」であろう。時代として捉えられる「現代」は多分現在進行形に限局せず、既に過去に属しながら現在に強い影響を及ぼしている時代をも含めるのが妥当だと思われる。

 しかして、現にその過去を事実として改竄し、あったことをなかったことにし、あるいは所謂「修正」を加えて自家規範のうちに組み込み別の歴史をでっちあげる、ということが行われている。この動きに連動しかつ帯同する「post truth」なる世界的現象がこの10年弱の「現代」で、見るから顕著になっていった。そこに見るのは大方「嘘」、あるいは個別的価値観からの既成(既定)価値観への攻撃と讒謗、誹謗中傷、つまりは暴力的劣性分子の騒擾、街宣行為、といった、理論も何もないし当然に論理的な説得力や倫理的な感応力などかけらもない、そういうモブ(全体主義に加担する大衆、烏合の衆)が蔓延る時代を目の当たりにすることだった。

 ネトウヨ、日本会議、歴史修正主義者、あるいは政権における私家政治の横行、嫌韓嫌中思潮、沖縄琉球差別、官僚の国策的思考停止(辺野古唯一)、原発再稼働、原発セールス、核禁止に関する原爆体験国の不可思議な在り様、優生思想と淘汰主義、大企業優遇政治(アベノミクス)、あり得ないトリクルダウンによる国民騙し、モリカケサクラ事件、学問の自由への牽制、メデアマスコミへの政治干渉、批判的ジャーナリズム力の減退、政府による国家危機への劣悪対応、こういう現象事案は現代の、最も容易に見つかる負の部分に違いない。

 米国大統領選でトランプが事実上敗北したのだが、バイデン同様彼もまた7000万票以上を得ているわけで、これは米国民主主義の圧倒的勝利というようなものではなく、従って世界のpost truth現象に決定的な終焉を告げたものでもない。

 ある種の声にならない声や叫喚、「ええじゃないか」といった理屈で測れぬ情念の迸りは、無茶苦茶な暴動やpost truth的でたらめでなく、正当な社会運動として成立させるに、当然一定の指導的理論を導き手として必須のものとする。しかし現代的特徴はかかる英雄的先導媒体を集中的に支持する基盤の不成立に結果する。

 一人孤高をもって悦に入る、悲嘆にくれるといった屈原の絶望は、その重さにおいて現代ではより複層化した苦悩として精神界の諸相にシジフォス神話的に現れていると思われる。

 ところで最も現代的で致死的な病的傾向と言われる悪性新生物の襲撃である癌腫の出来は、過剰な繰り返される生活上の習慣的な行為が多く原因として考えられるというエビデンスがある。喫煙、飲酒、塩分過剰摂取、運動不足、野菜果物不足、などだ。又、それはその出来から10年程度あるいはそれ以上の時間的経過をもって増殖期に入り、目に見えて症状化する。つまり所謂早期発見というのは1mm程度の大きさ(増殖期以前)になった時点での発見で、其処に至るには何年かの時間が積みあがっている。そして最も重要な事実は、それの(大きさでなく)侵食程度が如何ほどかという判定によってある程度生死を分ける深刻さに見極めがつくということ。

 現代という癌腫はそれが我々にどれくらい深く関わっているかで絶望の度合いを決すると思われる。ここで考えられる最も重大な危機的事案は言うまでもなくコロナ禍であり、その対応如何でどこへ行くかもわからない、癌腫以上に厄介な、長期に亘る自然界の襲撃と見做すところだ。

 少なくとも我々は、コロナ禍を予防的に臨床治療的に、あるいは症状軽減や後遺症対策の完全な解決という視点で見たとき、人類がこれにほぼ全く至っていないことを何となく知ってしまっている。従って、国家政府や識者、専門家などが現在執り行っているあらゆる発言公言の数々を殆ど信用ならないものとどこかで感じているし不幸なことに、歯止めの効かぬ政治環境(機能不全の政権下の劣悪な政治環境)が我々の首を真綿で絞めているという、そういう馬鹿げたジレンマ実態に置かれている。

 つまり、現代は我々を身動きならぬ不自由な生存生活状況に封じ込め、いよいよ絶望的な環境の中に窒息せしめようとしていると考えられる。withコロナ、コロナ後への夢見がちな逃避、いずれもこういう、現実に無理筋で馴化しようとあがく我々自身の倒錯した精神状況を表している。

 現代と言う時間軸を超えると言う事、それはできないことではない。時間が相対的なものである以上、我々はむしろ易々とそうすることができるのだ。だが、意味もなく超えるわけではあるまいし、そこに超えるべき必然がある。捲土重来、自己救抜、衝動、いずれにしろ現代を超越することは、飽くまでも「自由」を手にするためであり、「色即是空空即是色」の惑いと眩暈へ決別するためだ。

 超越した時間上の自己にあって、宇宙の無限やら、ビッグバンやら、数十億の地球の破壊と創世の歴史やら、あるいは古代ローマの人々の暮らしぶりやら、大和の国の古代人の生業やら、我々の視野には大方人間の歴史や地球の歴史、宇宙創造の物語など、数限りないほどの知的精神的広がりが見透かされ、尽きない興味に溺れ死ぬ勢いだ。

 安部がさくらで検察に眼を付けられ始めた。今の検察が司法の一翼を担って、公正で明瞭な捜査手際を見せてくれるか疑問なしとしないが、一応それなりの「やってる感」は見えないこともない。GoToは明らかに国家政府のコロナ対応の不手際、乃至感染症に対する「両是論」めいた愚策を打ったという、どちらかと言えば失政を意味している。日本式は確かに一種の抑制を効かせた効果と言えなくないが、PCR等検査体制については諸外国の方が理にかなったやり方で感染拡大を防いでいる。しかしいずれにしろ、世界はコロナで恐慌状態に陥っているとしか言えない。この現代の閉塞と危機的状況は当分収まりそうもなく、人間の生業も限定的にしか展開しない。しかし精神は必ず自由を求めて、その本来の力を発揮しようと超越的にこの束縛の現状を打破する。

 弁証法は現代を具に分析しかつ止揚して飛躍する。現代を超越するのは、多分不可知論において「無知の知」から発した「知」による翼以外はない。「知」を否定する輩からは何の答えも得られはしない。(つづく)

 

 

 

 

 


詩の終わり 菅政権の没落とpost truthの終焉

2020年11月19日 09時41分59秒 | 政治論

 菅内閣総理大臣の行く末が安倍前首相同様のものだとすると、安倍が、コロナ禍に対する極めて危機管理能力に欠けた愚策の連発で墓穴を掘った事例からして、この今の日本学術会議新会員任命拒否案件は、就任初っ端に墜落した「説明したくても説明できない」無理筋の私家政治行為で、これをきっかけに主に対コロナ禍の無策を積み上げて失速、瓦解ということになるのか、いずれにしろ、並べ立てた「自助」「共助」「公助」が専ら「公助」が全く機能せず、「自助」段階で国民疲弊、自滅、崩壊というあり得ない亡国的玉砕に破裂する話となり行くらしい。

 未だに56%の支持率(朝日新聞11月調査結果)を献上する日本国民の愚かしい在り様から、上記シナリオは事実上折り込み済みの話で、最早待ったなしの自決的覚悟が要求される事態だ。トランプは何故拒否されたか、この現行米国有権者の意思はどこにあるのか、コロナ禍に対するトランプの乱暴な精神論(玉砕的楽天主義)、その政権に明らかなpost truth的非科学的不見識な性格、人種差別的在り様、その他見るから低劣な政治姿勢に嫌気がさし、自律的自己救済ののろしを上げた結果だ。ある意味、菅のいう「自助」は、自分を救いたければ、お前さん方を助ける気もない私を否定しろという意味にもなる。奴がそう考えるわけもないが、意味はそういうことになる。

 さて、その第一の問題である日本学術会議新会員任命拒否案件は、確かに滝川幸辰事件や天皇機関説事件に相似た傾向を示唆しているものだが、本来、野放しの学問の自由からこそ国家国民に必要な生存生活の有効で有意な資材を提供する結果が期待できるわけで、そこに、本来取捨選択の客観的資格の要件を満たさないはずの一介の政治家風情がその恣意的私家政治的力学的影響を加えれば、国家国民が享受しうるべき学術的恩恵を確実に損ねることが予見され、到底国家国民の諒とするような性格のものでないことは明らかであろう。

 従って、独立的資格を付与されている、一般公務員の例外的存在である日本学術会議が選任しようとする新会員につき時の権力が何らかの介入をすることは、全く許容できない重大な侵害行為と考えるべきところだ。つまり、菅らのいう「総合的俯瞰的」見地というのは当然に独立機関(学術会議)が有する資格的見地そのものにほかならず、たかだか一介の政治家風情が客観的に無資格なはずの身分でありながら、したり顔に物申すような筋立てにはなっていないのだ。だから、彼らのごたごたしどろもどろに言い訳するその見苦しい茶番劇は、折からコロナ禍の切迫した情勢に全く逆行する無駄話であり、即刻国民がノーを突きつけ決着させるべき話に他ならない。

 ところが愚かしい国民の選択の自由(実際は知的不自由)は時に愚かしく過ちを犯し、先の大戦のような結果へなだれ込むが必定で、「憂国」は極まって国民の一人であるおのれの無力無策不甲斐なさに我知らず地団駄踏むという、情けない話になってきている。

 11月18日現在沖縄県発表コロナの状況

 入院中150人(重症者14人、中等症56人)、入院療養等調整中41人、宿泊施設療養中84人、自宅療養中56人、療養中患者計331人、死亡退院67人、累積感染者数3833人

 県警戒レベル3(感染流行期)

 直近一週間の人口10万人当たりの感染者数 16.0人(全国3位)但し累計感染者数は260.8人で全国一

 入院患者のベッド使用率35.7%(全国一) 25%を超えるとステージ3と判定される。

 現在国が行っているGoToキャンペーンが齎したというしかない全国の第三波感染状況は、日医会長が今頃になって指摘している通り現行自公政権の持つ危機管理の無能ぶりが明白であり、その発する国策めいた言動の無責任極まりない性格(先ずはGoToが第三波感染の引き金になった事実を認めず、自粛要請に当たらないという恐るべき玉砕宣言を発し、おのれらの悪策、愚策が国民に加える危難を全く顧みないのがこの政権だ)に国民はさっさと気づいて、選挙と言わずに今すぐ弾劾デモを全国挙げて展開すべき事態だといえる。

 しかし国民はそうはしない。ネトウヨ若年層の軽薄さ、国民活動の中枢を担う年齢層の政治的愚かしさ、更には無力な中高年齢層と、ほぼ過半を占める相変わらずの無定見ぶりが今後ともこの国の愚劣な現代的保守停滞主義で引き続き流れていくのは目に見えている。トホホ。(つづく)

 

 


詩の終わり 「自助」とは、国家は何もしないのでよろしく、ということ

2020年11月14日 01時41分46秒 | 政治論

 菅という人物は、日本国の憲法や法律がその権限と地位を定めるところの内閣総理大臣(内閣の長、三権のうちの行政府の長で内閣に属する国務大臣の一人)であり、国内はともかく?対外的には世界に向かって国(又は内閣)の「代表者」のイメージで対する者である。イメージだから実体が伴わなくともよい。問題はこの者の権限だが、当然に他の二権、司法と立法府に対してその長足りえず、二権に対して何らの権限も有しないと解される。つまり、「元首」という古い言い回しの権力者というよりは、どちらかと言えば頭一つ抜けた国会議員の一人と言わねばならない、それほどにその権限は限局されているといえる。むしろ限局されている故にこそあらゆる独裁的な権力的横暴は国家体制自体を揺るがすことになるといえる。どういうことか。

 例えば総理大臣が、その口ずから明確に「説明のできない(説明したらぼろが出る)」権力的采配を振るった場合(日本学術会議会員任命拒否案件)、先ずその法的裏付けについていえば、既に過去に中曽根元首相がこれを「形式的任命」と位置づけた先例があるのにかかわらず、現学術会議会長のあずかり知らぬところで勝手に事務方で(形式的任命権というものは)「任命義務とまで言えない」と解釈変更の謀議(というしかない)を凝らし(勿論、ある権力的上位者の支持なり命令に添って)、これに基づいて任命権者である首相、でない者(官房副長官で間違いない)が事前に6名を排除し総理大臣にあげた、という、まさに「説明のできない(説明したら必ず追及される)」経緯を辿ったということだった。

 事実関係は誰が見てもそういうことだが、ここで問題になるのは菅義偉という人物が内閣総理大臣で、その権限が局限されているにもかかわらず、専門性の高い独立機関という位置づけの、一般国家公務員と同列にはない日本学術会議の、専門的にしか評価のしようがないはずの会員に関する選任内実を、たかだか一介の国会議員に過ぎない見識(客観的評価に値しない)で一方的に決めつけ権力的に不当に評価した(官房副長官の意見に従って総理大臣が最終決裁をした)という一点で、その評価の「説明のできない」部分こそ、時の権力に批判的な意見の持ち主に対して、不当で非民主的な、時代錯誤の、結果的にはかつて横行した思想的弾圧というものを試みた(学問の自由に対する挑戦というほどのものではない)ということになる。菅他、官房長官などがしどろもどろにでたらめ答弁しても彼らのしていることは明らかに戦後民主国家体制への明白な背信行為、代議員に過ぎない輩の途轍もない越権行為、一種のテロといえる。

 一方今回の行政管理に関する越権行為の確信犯そのものであるこの杉田官房副長官は、まさに警察庁上がりの老獪で高圧的な「特高並み」のナチスヒムラー亜流であり、秘密警察並みの陰険さで官僚等支配の現体制を仕立て上げ、アベスガイズムの権力維持・独裁体制構築の立役者(陰の実力者、隠れた総理)と目されている。排除すべきはこの男だ。この男にある暴力団のドン的強権主義は、この国の戦後の悪しき保守主義路線が醸成した利権構造そのものの土台であり、post truth風潮をパンデミック化すべく機能する毒虫以外ではない。

 果たして論点すり替え学術会議攻撃は定めて様々な国家的民族的歴史的悪臭を放っているが、ネトウヨ、政治家ジャーナリスト等彼ら自身の軽薄で底の見えた正体を曝け出している。コロナ禍でも仕事をせず、おのれらの責任を「自助」責任にすり替えて専ら空虚な「反対の反対」論をでっちあげて悦に入り、そこにある答えのない答えに自己満足するていたらく。トランプといううつけの愚行に無意味な喝采を喚きたて、本来的価値を蔑ろにして倒錯した熱狂を喜ぶ。かつてナチスドイツの国民が陥った、理由のない、従って説明する論理的筋立てのない「ある声」に溺れたように、「何故熱狂したのかわからない」未来を先に立たぬ後悔とともに迎えることだろう。国民の猛省が求められている。彼らを選んだのはほかならぬあなただ。(つづく) 


詩の終わり 思考停止の官僚的差配と没落への道

2020年11月08日 10時28分53秒 | 政治論

 現状米国大統領選挙が、史上最悪の泥沼合戦(敗残兵の無駄な抵抗)になだれ込む様相が見て取れるが、事実上バイデン実質勝利は決定的で、トランプの悪あがき(降板後の自身の社会的転落を恐れて)が延いては米国の、ある種の世界的威信を失墜させるのは目に見えている。このような人物を押し戴いた米国民の民度の低さが目に付く。

 但しバイデンだろうが何だろうが、征服民族アングロサクソンの野蛮な軍産複合経済体制やら世界における警察的支配に何の変更もないことははっきりしているのだが、一方世界理念における米国の凋落はいよいよ目に見えて著しい。

 日本の場合、解散総選挙なしにはアベ・スガイズムの裁断は如何にしても先送りとなるわけだが、post truth現象の先行きは世界的にそう長引く様子は見て取れないようだ。所詮post truthは、21世紀の歴史の狭間にほんの数年現れた単なる一泡沫的現象形態に過ぎず、20世紀初頭以降の所謂「本質的な」悲劇的モブ現象に肉薄するようなことは、現代ヒトラー亜流をもってしても、到底歴史的潮流を変えるような巨魁となることなどできまいと思われる。

 悪の巣窟、狼の砦(ヴォルフスシャンツェ)に極まった20世紀最大の暴力組織、一国挙げての犯罪集団であったヒトラーナチスドイツは、今となっては「ファウスト」中のメフィストフェレス的ゾンビ的暗躍とでもいった奇跡的な悪のシンボルにさえなりたがっているが、トランプに見る傾向的な精神的堕落勢力には、史上何時でも息を吹き返すだけの蝟集力が存在し、それはこの日本における近来のアベ・スガイズムにもはっきり見て取れる。ネトウヨばかりか若年層の政治的軽薄さ、壮年層のまともな社会性の希薄など、これを助長する塊はどこにでも立ち現れては、正常な議論の場を引っ掻き回す児戯に休む暇はない。

 菅がその基本的な政治能力やら国家理念の欠如、挙句は答弁能力にさえいちゃもん付けられてる有様では、そのどうしようもない非論理、非倫理、無知蒙昧、がらくたのようなぼんくらぶりがいよいよ手が付けられないほどにあからさまになり、一国の首相として救いようもない仕儀となり了すことが明白になってきた。ここに見る国柄の腐敗、醜悪化、堕落等、実際有権者たる我々日本人が深刻に憂えるべきものとなってきている。彼らを推薦しているのは我々だ。責任はある意味同等にあると思われる。

 そうした中、この国は官僚主導を政治的に是正しようという旧民主党の蠢きのインパクトがここにきて官邸主導に取って代わり、目指されていた政治主導は内閣人事局による官僚その他の人事権掌握以降、ついには官僚等力学的支配並び私家政治強行の狭隘な権力暴走を助長する羽目に陥った。つまりはこれがアベ・スガイズムの正体であり、当然に万機公論に決すべき政治弊害そのものというべきところだ。今回の日本学術会議会員任命拒否事例は菅が墓穴を掘った、官邸主導暴走の一実例であろう。但し、その所為明らかな確信犯であり、力学的には明白な言論弾圧、思想統制、戦前特高政治に酷似している。由々しき事態と言わねばならない。但し国民は多くこの事実を正確に認識していないらしい。

 官僚人事はともかく、官僚差配の国家体制の大元のところは決して実質上政治主導にも官邸主導にもなってはいない。そしてこのことがこの国の没落の最大原因となりうることは既に常識の範疇に入る。卑近なところでは沖縄辺野古事案(地域的優位性も軍事的要諦もほぼ皆無な政治的怠慢が引き続く前代未聞の負の遺産)であり、一体に対米従属、従米主義で思考停止した官僚差配の外務防衛路線が主役となっている(民主政権下鳩山首相がのち暴露している彼ら官僚の詐欺に近い行為は明らかな国家犯罪だ)。既にみた通り米国の失墜ぶり、凋落傾向から推しても落ち目の親分に付き従う子分の末路は、巷間の三流ドラマにも定番の在り様である。

 戦前戦中派が主体的な地位を占めていたころの戦後、返還後の対沖縄施策は、主に沖縄戦で過大で悲惨な経験を経た沖縄県民に対する哀惜哀情同情が漂うような在り様で実質的に決められていたやに聞くが、戦後戦無派がこれに取って変わるにつれその様態は真逆の傾向を明白にしていった。挙句は、沖縄県と言えば、高江辺野古に見る国家的弑逆の修羅場として我々には見えている。普天間嘉手納爆音訴訟には最早司法さえ体制権力側に加担する無様な様相が見て取れる。所謂国が自治体を訴えるという奇妙な倒錯した裁判形態がここでは日常茶飯だ。そこには沖縄戦禍にあった県民の過去を斟酌する国の誠実で真摯な態度は微塵もない。これがこの国の現在の国柄を露わにしているのであり、この一事をもってしても到底現行国家政治の民主的健全さはあり得ないものと考えざるを得ない。(つづく)