沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩 40

2007年10月28日 08時33分27秒 | 手記
 ふとしたことから会津の片田舎の、ある測量会社に勤め始めた、どうしようもないこととそうでないことが混濁したのだった、ある書き始めは意識しようがしまいが客体的の目から見られる、この場合もこうして出発の困難な旅のどこから手を付けたものかと思案することから始まった、複雑な思い、謎、ある欲望、生きる手立てを....混沌、学生運動、フリーセックス、ウーマンリブ、幼弱なモラルバックボーン、70年代、時代は少しずつ振動を緩め、やがては梃子でも動かぬガチガチの保守反動がしっかりと腰を据えるだろうと思われた、しかしある種の内面性が自ら制御し得ない溶岩を感じたとき、生きることは不本意ながら望まざる方へと彼を誘う、

詩 39

2007年10月26日 00時35分37秒 | 手記
 兄は大学の休みには実家に帰省し、その夜には父と何事か論じ合っていた、主に左翼思想の話だった、マルクスや共産主義、あるいはカント、ヘーゲル、などの名前がポロポロとこぼれた、小学生の彼には勿論何のことやらわからなかったのだが、当時安保闘争浅沼事件樺美智子等々あって一方では今の天皇夫婦の結婚などもあって大人の世界の諸相が背景にあるのだと気づくのだが、子供には別世界があるのにいつかそれを否定的に失ったのだった、子供の目はこの否定的な大人の頭を凌駕しなければならない、この兄は彼が小学校を出るころには大学を終えて、もう帰省して長く実家に逗留することはなかった、歳の離れたこの兄を兄弟や両親皆が慕っていた、つまり兄が帰って来ることは兄弟たちの喜びだった、だがいつのまにかそんなことさえ本当なのかもわからなくなっている、