沖縄県を基地公害や、国家の差別的待遇で苦しめて止まない日米安保体制は、日本国内どこでも任意に基地を置けるという、何とも素敵に厚遇された割安(思いやり予算)な軍事展開の資を、ほぼ特典的に使い放題使う異国アメリカの自由意思(旧態然の地位協定で守られながら)で動いているが、残念なことにこうした屈辱的ビップ待遇で対米外交を展開する日本の国家体制は、基地負担の公平性(全国一律性)を全く顧みず、むしろ米軍のためにどこまでも国内犠牲的処決を固定的に優先させ、結局、負担にあえぐ自治体(沖縄)の住民の生存、生活権等人権を憲法精神(主権在民、基本的人権、幸福追求権)に反する境遇のまま放置するという、政治的機能不全状態に持続的継続的に陥っている体制、という評言が当てはまるものとなっている。しかも高江辺野古では更に新たな総合的軍事基地を造作しようという、(沖縄戦の惨禍を体験させられた自治体に対する)到底人間業とは思えない野蛮な国策が、県民意思を無視し行政を蔑ろにして、市民の強制排除という暴力を伴いながら臆面もなく随時進行しつつある。
しかもこの日米安保体制は、明確に軍事同盟関係(憲法違反)を基本構成するが、一旦戦時に際して実際は全く即戦的に機能することはなく(米国議会の承認を経なければ稼働しない)、むしろ在アジアの一般米国市民の救済が第一義的に考慮され、当の日本国民の避難救済(どこから?どこへ?アジアの戦争では日本人に逃げ場はない、戦争を仕掛ける米国は安全圏に住し、日本と朝鮮半島だけが戦禍に塗れるのだ)は第二義に位置づけられ、精神的経済的な基地負担の間尺に合わない内容となっている。
この国家体制の大きな矛盾はしかし自民系保守政権が頑迷にも推進強化、絶対的固定化の方針を執り続けることで、正しく矛盾として扱われることがなかった(つまり国民は何気に印象操作されているのだ)。今、北朝鮮の弾道ミサイル技術は米大陸すら攻撃目標にできる段階に入り、用心棒である在日米軍海兵隊など全く意味のない無用の戦略用兵となっている。だが誰もこの驚くべき実態をまともに取り上げず盛んに脅威のみ煽り、安倍が米国大統領と共に名指しに挑発して戦雲を暗くする方向へ走り続ける。
米軍抑止力というのは最早有名無実、核の傘も全く張子の虎と化した(北朝鮮が核保有国となったので)。巷間では既に朝鮮戦争再開による在日米軍基地への総攻撃、あるいは首都圏ミサイル攻撃や原発攻撃のうわさがまことしやかにささやかれ、愚にもつかぬ国会茶番劇を横目に見ながら、我々自身の自己防衛手段さえ考え始めざるを得ない状況となっている。それもこれも安倍晋三一派の軍国主義が齎した、なくもがなの愚劣極まりない墓穴掘りのせいだ。その愚かな行為の最先端の前線に立たされているのが、米軍基地が集中的に存在する沖縄本島であり、従って、県民は言わば今にも爆発せんとする煮えたぎる噴火口の淵に立っているのである。これこそまさに「今そこにある」脅威なのだが、本土内地ヤマトゥは底知れぬ平和ボケから覚めることなく、まるで自分で考える力を失ったとでも言うように軍国主義者安倍一派を温存し続けている。戦争を知らない若年層や世襲議員、あるいは夢破れ堕落した元革新系、老残を晒す時代錯誤グループなど、およそ戦争のはらわたに考えが及ばぬ卑怯者どもが作り出した空想的国家像が蔓延っているわけだ。(つづく)