フクシマとオキナワが結びつかない。結びつけようとすると様々な相違点が見つかって結局まるで違うものだと納得せざるを得ないのである。福島から沖縄に移住した筆者にとって両者はいつまでも交わらない平行線のまま経過していく。「本土の目」で見ると、共に「国策の犠牲者」としてあるのだが、その様態は違ったものとしてしか立ち現れない。フクシマは国策遂行を望みはしなかったが拒否もしなかった(一部の反対運動はあった)。オキナワはかつて自ら望んだことはなく、必ず否定し抵抗し続けたにも拘らず国も米国もこれを蹂躙して止まなかったし、戦時戦後の民地の接収は強引に行われた。同じ日本人でありながら、国と米国の沖縄県に対する扱い方が福島県などとは全く異なっていた。抑々、日本本土から見て南西端に位置する僻遠の地沖縄県は、明らかに他県含め他の日本人の助勢なしに、単独で国家と米国に対峙させられた歴史を持つ国内唯一の地方自治体であり、その点で、オキナワの惨劇の歴史はフクシマの或る意味俄かに突発した地方の悲劇(その内情はほぼ東日本全体を覆い尽くしているが)とは質を異にするというべきであろう。永続する属領支配(傀儡国家)の断ち切れない連鎖としてある沖縄の基地問題は、全く個別に特化して抜きがたく繰り返される、重大で本質的な人権問題そのものにほかならない。もしフクシマとオキナワが同一地平にその肉体の一部を持っているとすれば、結局ともに一種の過疎地でありみやこに遠くローカルな扱いで終始する地域、ということになる。それは古代以来例えばこの東北地方が持っていた「征夷」すべき土地柄、人群という感触であり、琉球という異属視された海上の離れ小島群という見立てだ。
しかしながら原子核エネルギーの利用、その軍事的ニュアンスでは原発と核兵器が表裏一体だということがはっきりしている現状で、冷戦時の核開発、核実験、核軍縮、「平和利用」という名の電源開発としてあった原発の推進は、対日関係において、唯一の原爆使用国家としてのアメリカの原子力政策乃至トルーマン罪過の補填、倫理的隠匿、軍産複合環境醸成という流れで今日の原子力事情を作り上げ、これに対する人類の反省や忌避感、民衆的反攻、流れを変える力学的質量の増大などをほぼ凌駕する内容であり続けている。しかし原発立地として明らかに不都合な日本国土にこれを増設し再稼働する(米国国家安全保障体制に呼応する)ことは、日本国の国情にあって直接的な自殺行為ということになる。それをしも継続することの対米外交的不条理を指摘しなければならず、この点でも日米安保の瑕疵たる沖縄基地問題がフクシマと同一地平に並び立つのだが、並び立ちながら両者の自治体史は全く異なる様相で経過したことはいうまでもない。(つづく)