筆者はここ沖縄に移住して5年にしかならないし、しかも大変に不勉強なので自分の居住地が如何なる土地なのかにつき、恐らく多くの移住者に比しても無知の部類に属すると自負?する。まず知ろうと努力したこともないが、ウチナーグチという沖縄の方言についても全くお手上げ状態である。これを自由に操る沖縄人には殆ど敬意さえ表したい。
沖縄は何に付けいたって平穏無事だ。ちゅらうみをみると、ここに満杯のアメリカ戦艦が集結したとは想像すら覚束無い程だ。あの戦争が現代によみがえることは沖縄の魂にとって堪え難いことであろう。
しかるにこの国とアメリカは仮想の脅威を煽ることで無闇に神経を刺激し、思い出したくもない悲惨な戦争記憶を繰り返しほじくり出させる。つまり沖縄にとって軍事とは、安全の保障でも確保でもなくただただ一般の民衆を惨たらしく葬り去ったあの史上最悪の戦争を連想させるだけなのだ。
しかも本土の老若男女一切合切、その(沖縄戦で実際に体験したあの戦争の)凄まじい残虐さについて、殆ど無知である。だから心にもない感謝だとか謝罪だとかいう、一辺倒な、半可通な言葉や態度で一件落着して終わる。「そうなのですがしかし日本全体の安全のためには」....この文言のなんという残酷さ。沖縄が頑迷に拒否と拒絶と反対を続けているとしか見ない。
確実に言えるのは、この国は原発政策で決定的に亡国的錯誤を犯した、その結果ひとつの県土を殆ど永久に使用不能に陥らせ多くの「故郷を失った」民を路頭に迷わせている。これを国家的犯罪行為という。
同じことが沖縄で66年前に参謀本部のでたらめによって引き起された。ことほどさように現今普天間問題で彼らはバカの一つ覚えを繰り返している。国家は間違える、しかも決して間違ってはならない立場にありながら「無責任ケセラセラ政治」権力はこの国を絶えず誤った方向に誘ったのだ。
そこで琉球人民は、さすがに同じ惨苦を味合わないよう偽物情報を見破り破棄し、この日本という国家と完全に対立する道を選ぶことにした。???まだ選んではいないが。国家と対立するということはどういうことかというと、人民が憲法による人権の保証をする環境で自己実現の自由を得たということだ。つまり人民の意思が国家を凌駕し得るという意味になる。
特措法の根拠は、明らかに誤った事態を打開するという国家意思になるが、普天間の場合、多くの年数をかけて確定的に屹立した県民意思を凌駕する国家意思はないという情勢になりつつあり、それでも強行される国家行為こそ反民主民的暴挙といえるのだ。(中断)