安保デモ:海外が注視 BBC「若者は目覚めた」 独TV「市民の反対増加」
http://mainichi.jp/shimen/news/20150831dde001010065000c.html?fm=mnm
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1951年9月8日第二次大戦戦勝連合国47か国と日本との間でサンフランシスコ講和条約が締結され、同時に吉田全権は旧日米安全保障条約に署名し、連合国中米国単独で日本列島に在日米軍として駐留することを承認した。
戦後処理的に締結された旧安保を現実的に改定しようと、数年前から米側と交渉した岸内閣が中心となって1960年1月19日新条約が調印された。この先行調印された安保をめぐる国内の承認取り付け騒ぎが所謂安保闘争だ。この時の国内挙げての反対運動はその内容、規模等においてまさにこの安倍政権における安保法案を巡る紛糾に酷似している(結果的に強行採決された)。それはこの条約も法案も米国主導の戦争参加意思表明と批判されたことに拠る。だがこの頃は与党内にも反対派がいたし、概ねシビリアンコントロールが有効性を保っていた(憲法9条の縛りが現実的にも効力を持った)という事情から、70年安保闘争も含め、運動自体は一過性なものに終始した、と言える。60年代では戦争の記憶が反戦的厭戦的な傾向で国内コンセンサスを保持し、現在と違って未だ十二分にその効力を発揮していたため、戦争に直結するような危機感に覆われるというようなこともなく、概ね米ソ大国間の冷戦を傍観する立ち位置を(核の傘と言う)幻想的にだが可能にしたのだった。しかしどのみち日米間のこの取り決めは軍事同盟以外の何ものでもなく憲法に違背することは火を見るより明らかなことではあったので、戦後民主主義の潮流としては、この安倍政権の出現が示した、憲法自体はもとより理性や知性に対する破壊的な軍事的試み(安保法案)につき、多方面からの市民レベルでの反発と危機感で、最早時代的な逆流行為と見做され始めている。
問題は、この法案が、かつて安保闘争時に批判されたところの、それ(軍事同盟)が有する戦争誘発要素をほぼ現実に具体的に備えている(集団的自衛権行使容認)ということ、かつ対テロ戦争宣言(と法案は規定されている)の反作用としての未分化テロ誘発危機とテロ主体による標的化、更に基地を抱える自治体にとっての差し迫るミサイル攻撃危機(辺野古闘争の核だ....と同時に沖縄では一層の非自発の戦争加担罪悪感を甘受する立場に追い込まれてる)、この三つの不安材料が市民レベルで取り沙汰されるに至った、ということだ。見たところ、国民は大部分戦争未体験世代で占められている。従って、この反対闘争は多分に理念的知的傾向において支持されているとみてよい(当然主に婦人層では戦争への嫌忌感、恐怖感があるだろう)。それは安保闘争時も同じだった。当時と違うのは、現在の自分乃至その周辺の生存空間を確かに守らんとするものは、己の意思一つしかないということに常民レベルで気が付き始めた、ということかもしれない。つまり個々人の自由意思において、憲法理念がどれだけ戦後の自分らを空気のように支えてきたかを認知した瞬間だ。しかしこうした認知に拘わらず、恐らくは国家による手練手管の権力的威圧、恫喝、マスコミ封じ込め、情報操作等により、戦前並みの官憲的治安維持(悪法)が謀られている結果、この国の形勢はなお度し難くも不穏な混とんとした雰囲気に包まれている。
安倍政権の危険な暴走によって、現時点でこの国が採用している、公職の選挙制度に基づく多数派による「多数決原理」によって全てが進行していく、というところで断ち切られようとする「民主政」原理の方が、ずっと危険な状態に追い込まれている。しかもこの政権には「万機公論に決する」覚悟も備えもない、彼らの言い分が国民を納得させることは永久にないだろう。しかもこれを彼らは、愚民の頑迷として暗黙に切って捨てることで強引に既成事実化を進めようとしている。菅官房長官の言う「誤解」は残念ながら国民の方にはない。そして彼らが国民に誤解されるほどの卓越した国家ビジョンを有しているとは到底思えない。そこにちらついている国家主義には、一度煮え湯を飲まされた(敗戦)私怨私憤以外存在しない。しかも彼らのうちの誰一人戦争を認識の粋として経験したものはなく、従って彼らの戦争は机上に想定した血も涙もない遊戯以外ではない(実際彼らの仮想敵である中国に関する確定的な見解など世界中どこにも見当たらない)。彼らに欠けている戦場のリアリズムは、国民が彼らを信用してはならない第一の理由だ。それは辺野古の海を汚そうと企む彼らの腐った精神にも容易に見つけられる。こうした碌でもない政権が作る法律など政権交代後直ちに廃棄してしまうことだ。(つづく)
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http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-248112-storytopic-11.html
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http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20150830ddlk45010232000c.html
この加藤清隆という男の脳髄の中のでたらめさ。これがヤマトゥ常民の上前を撥ねる、右翼の先鋒にはありふれた在り様だということは、つまり、それだけ沖縄を理解しない、できない、あるいは知らないくせに知ったような暴言を敢えて平然と言い放つ彼らには全くありふれたものとなっていることがわかろう。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-248072-storytopic-53.html
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