沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩596 沖縄タイムス ツイート 辺野古現在

2016年07月03日 18時50分48秒 | マスコミジャーナリズム

4 時間4 時間前

7月3日午前11時半、キャンプ・シュワブゲート前では市民約40人が集会をしています。「19の春」の替え歌で「辺野古唯一は幻よ」と歌っています。#沖縄#辺野古

 
 
 
 
 

詩596 沖縄タイムス記事 木村草太の憲法の新手(35)改憲勢力の公約は「稚拙」 不合理な提案 疑念生む

2016年07月03日 18時40分29秒 | マスコミジャーナリズム

木村草太の憲法の新手(35)改憲勢力の公約は「稚拙」 不合理な提案 疑念生む

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=176409

改憲論が盛り上がらないのは、改憲提案が稚拙すぎて国民の賛同を得られないからだろう。あまりに不合理な改憲提案は、何か悪いことをたくらんでいるのではないかとの疑念を生むだけだ。(抜粋)


詩596 琉球新報記事 沖縄に夜明けは来るか 幸せ呼ぶ島の実力封じるな

2016年07月03日 18時33分18秒 | マスコミジャーナリズム

沖縄に夜明けは来るか 幸せ呼ぶ島の実力封じるな

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-309690.html

沖縄の基地負担の軽減縮小の体裁を取りながら、実のところは、古く、機能が落ちた施設を、移転地の提供、あるいは追加的な施設の整備などを条件に返還するという、有無を言わさぬ強者の論理が臭ってくる。

地位協定を読んだが、日本人全体が侮辱されている気がして、気が滅入る内容だ

人を幸せにできる島が、戦争と背中合わせのまま長く自由を奪われ、本来の実力を封じられている

アメリカの手先となって武器を向ける先が、かつて大きな被害を与えたアジアの国々。再び繰り返さないと誓った日本国憲法の精神にも背き、反省の薄い中枢権力に「恥を知れ」と言うしかない

 すがわら・ふみこ 1942年東京生まれ。俳優の故菅原文太さんの妻。2009年、山梨県北杜市で、夫妻と友人らで農業生産法人・おひさまファーム竜土自然農園を設立。完全無農薬の有機農業を営む。辺野古基金共同代表。ことし5月、本紙客員コラムニストに委嘱。

(以上抜粋)

 


詩596 dot.ドット 記事 沖縄二紙が「基地ばかり」を報道する理由 「偏向」批判に抗する記者たち

2016年07月03日 16時17分16秒 | マスコミジャーナリズム

沖縄二紙が「基地ばかり」を報道する理由 「偏向」批判に抗する記者たち

http://dot.asahi.com/dot/2016062900131.html

 なぜ、基地の問題にこだわるのか──。

 沖縄紙の記者たちにそれを問い続けてきた。

「すべての事象が基地につながるから」

 多くの記者がそう答えた。

だから書かざるを得ない。無視することなどできない。地元の記者が書かずして、いったい誰が書くというのだ。

 あるベテラン記者はこう漏らした。

「一方に大きな権力を持つ者たちがいる。もう一方に基本的な人権すら奪われた者たちがいる。その不均衡をメディアはどう報ずるべきなのか。そのとき、権力と一体化して奪われた者たちを批判するのであれば、それこそ恥ずべき偏向なのではないか」

だから、沖縄ではすべての問題が基地と地続きなんですよ。この島で新聞記者をしていれば、いやでもその現実と格闘しなければならないのです

(以上抜粋)


詩596 LITERA記事 安倍政権支持を訴える学生団体の正体は「統一教会」だった!

2016年07月03日 16時07分50秒 | マスコミジャーナリズム

安倍政権支持を訴える学生団体の正体は「統一教会」だった! 参院選で跋扈する宗教極右のダミー団体、日本会議も…

http://lite-ra.com/2016/07/post-2385.html

日本会議新潟県本部理事長・佐藤日出夫氏

日本会議は「日本の平和と自由と民主主義を守る会」なる架空の市民団体をでっち上げ、代理店業者に嘘をつき、民進党と共産党を攻撃する怪ビラ攻撃を行っていた

正式名称は「国際勝共連合 大学生遊説隊 UNITE」。そう。正体は、1960年代に世界基督教統一神霊協会(現在は世界平和統一家庭連合と改称。以下、旧統一教会)の教祖・文鮮明氏が設立した反共右翼組織「国際勝共連合」だ。

UNITEに参加している学生について調べてみると、合同結婚式などでマッチングされた旧統一教会信者の両親から生まれた2世信者が多いこともわかった。

(以上抜粋)


詩596 琉球新報記事 「哀悼期間」後、初の週末 街に繰り出す沖縄の米兵らは…

2016年07月03日 15時52分40秒 | マスコミジャーナリズム

「哀悼期間」後、初の週末 街に繰り出す沖縄の米兵らは…

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-309692.html

米兵相手に商売しているウチナンチュが、今何と言おうと商売や生活のためには極めて現実的なあたりまえのことで、基地がなくなりこの米兵が日本人に代わることで生じる何か、は又別問題であろう。しかし基地がなくなったからと商売が成り立たない根拠はない。少なくとも、現行、生じている基地被害は基地失くしてはあり得ないこと、基地あればこそ生じていることは間違いないことだ。基地ある故の被害者の視点で同じことを商売人に言ったとして、水掛け論にしかならない。しかし、この場合被害者は間違いなく基地はなくなってほしい、と言うはずだし、あらゆる事情(経済だろうが政治だろうが外交だろうが)の上に人の命はある(バングラデシュのテロの犠牲者は我々に何を言うだろう....安倍晋三の戦争法制が日本人の被害を増やしている、というのだろうか)。これが最大の現実だ。我々に人の命を別の何かと秤にかける権利も理屈もあるわけがない。だが、この安倍晋三政権は個人の命より国家が大事と言っている。菅の「痛恨の極み」という言葉は「あとの祭り」ということに過ぎない。この男の脳髄を開いてみれば、人の命の一つや二つ、7つや8つ気にしてはいられない、という程度の文言がみつかるのは造作もない。