沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩349 沖縄と日本 28

2011年12月29日 09時09分52秒 | 政治論
 今回の「夜討ち朝駆け」は、彼ら政府・官僚とりわけ沖縄防衛局が、アメリカとの公約実現のためには手段を選ばないことを内外に知らしめたし、今後公有水面埋め立て許可申請に当たっても同様の、更に狡猾な手段で難関突破を果たすものと思っていたほうがよいし、一方仲井真知事が、恐らくその時点(埋め立て許可)まで政府と「事前協議」したものと見做しておく必要があろう。
 つまり代執行に言及した知事の「(埋め立て許可を)承認せざるを得ない状況にはならないだろう」「(代執行を)実行するのは無理なんじゃないかと思う」という片言には、ニュアンスとして「聞き捨てならぬ」不穏な曖昧さを感じてもいいのではないか。
 いずれにしても言葉の表面上は「県外移設」や「公約」を言い募るが、この老人もまたかなりしたたかな、従って老獪な政治屋だということを肝に銘ずる必要を感じる。彼は振興策大盤振る舞いをもって彼独自の画期的な政治的成果としているに違いなく、恐らくは「普天間問題」の解決につき政治生命を賭ける気はさらさらないという印象だ。
 つまりここからは沖縄県知事仲井真弘多と政府・官僚・沖縄防衛局の「裏取引」による不透明な政治展開として、明年中に辺野古の海は「血の海」と化するに違いない。
 アメリカは日本の「国内問題」としてこれを冷酷に傍観するだけだ。一方本土人はまさしく「対岸の火事」視し続けるし、大新聞、NHK、その他多くのメデア・ジャーナリズムは恥知らずにも、これを「民主主義の危機」と捉えることもなく、堕落した戦後民主主義にどっぷりひたり、放射能浸潤する列島に破滅への片道切符を握って彼らの老後を全うする気だ。(中断)

詩349 沖縄と日本 27

2011年12月29日 00時12分20秒 | 政治論
 裏取引、というより実際は公然の秘密だったであろう、例の密談にみられる頂上会議こそ「沖縄と日本」という関係において戦後政治を形成した「密約、密室政治」という本質であったが、その張本人がこともあろうに地元の知事だったとは、なんともはや情けなくてやりきれない話ではないか。ここにも不透明な政治がまかり通り、民主党政権の当初のごくありきたりなマニフェストが、いともたやすく打ち捨てられたことになり、ここにきてこの政権の末期的症状があらわになった、ということである(党離脱者が続出するに違いない)。
 仲井真と交わした振興策の大盤振る舞いが日米間での公約たる「環境影響評価書提出」実現を約した結果、今回の夜討ち朝駆けしてまで成し遂げた沖縄防衛局の、薄汚く夜盗並みの「姑息にして卑劣な」行為ではあったし、提出された評価書については、事前に沖縄県が知事から指示された通り、むしろ滞りなく「受理」されたわけだ。これは仲井真と政府が全く独断で事前協議したということであり、従って、知事が少なからず沖縄県民を裏切ったことになる。何故なら、彼はそのことを、前もって県民に説明しなかったのだから。
 彼の懐柔はたやすい(と政府官僚は踏んだ)。今後公有水面埋め立て許可においていかに切り崩すか、政府官僚どもが暗闇で光らす虎視眈々狙い撃ちの眼を、県民は、不気味な現実味を帯びて感じないわけにいかない。(中断)

詩349 沖縄と日本 26

2011年12月28日 08時53分36秒 | 政治論
 仲井真君がむしろひょうひょうと公有水面埋め立て許可を承認しない旨発言しているらしいが、沖縄県民の心中にある、あらゆる為政者への根底的不信の念を慮ったら「環境影響評価書」提出の段階でこれを受理しないとして県民目線で事務手続き拒否の姿勢を示すのが礼儀だ。それを国が裁判沙汰にするなら最高裁までいってむなしく敗北するほうが潔い。この場合の法理を認知しないが、憲法9条違背の日米安保に基づく軍事基地建設の根源的違法につき最高裁の判断を仰ぎこの国の法精神の根本を問うのが筋である。彼の一挙一動が現在もこれからも国家対人民の対立軸に微妙な民衆的心情的影響従って抜きがたい民主主義精神の原理的振動を加えることを知らねばならない。(中断)

詩349 沖縄と日本 25

2011年12月26日 09時56分01秒 | 政治論
 47都道府県の一に過ぎない沖縄が、日本国という国家と実質的に対立する歴史的結果として、現代世界の種々の現実的局面において特殊な地位を強要されている、ということは、抜きがたい構造的差別という原理にあることを定義づける意味になる。
 「普天間問題」は、人民闘争上、この原理自体を基本的に認めない限りは、あるいは認めさせない限りは永久に解決も進展もしないのかもしれない。
 辺野古移設合意の根拠はない。根拠とは、論理的矛盾のない正当な、民主的な、当該地域意思に密着した理由、ということだが、今回沖縄県に提出される環境影響評価書は、その根拠の保証としての環境影響に関する事業の結果、責任を事業者自ら問うという意味になる。
 事業者は日本国だが、そこには日米安保という腐り切った関係主体が存在し、「普天間問題」の核心的地位を有する。
 日米安保は自衛隊同様、憲法9条に背反する軍事同盟、戦争準備行為乃至積極的戦争実行根拠たる内容を有する。当然乍ら「辺野古に新基地を造る」ということ自体、法治主義に反する、通常の場合絶対に許容できるはずもない国家行為であり、違法行為である。
 日本国は遵法精神に則り、「国内問題」たる憲法9条により、自衛隊・日米安保がこれに抵触することをまず明らかにし、外交態度を決しなければならない。「敗戦国」縛りにより戦後まもない国情に基づいて、むしろ暫定的に執られた対米依存の国家方針を時効的に解消し、一種の国民評議会を通じた国防に関する決定声明を内外に発しなければならない(日本国国会は「代議士」という実質を有しない議員たちの恣意に依存している。従って直接民主主義実質になるこうした評議会が必要となろう。尤もそれもある程度の代議員が実務的には要求されよう。仲井真知事は「環境影響評価書」提出を、諮らずも「法に則った」単なる事務手続きと言ったが実際上矛盾している。少なくとも記者団に洩らす片言ではすまない重大な内容を含んでいる。)(中断)

詩349 沖縄と日本 24

2011年12月25日 09時08分33秒 | 政治論
 さて、週明けから官庁御用納めまで、沖縄県庁においては、稀代の、環境アセス許可書提出阻止行動が執り行われる。県知事が、とぼけた面をさらしながらツラーっと「これは事務手続きですから法に則って粛々と」提出を容認するという、言わなくともいい、又はむしろ提出しないでもらいたいというべきニュアンスにある状況を無視して言い放った、甚だ遺憾な公人行為のおかげで、このたび沖縄防衛局は足早にニタニタしながら自動ドアを開くのだろう。閣僚を歴訪して振興予算の謝意を触れ回ったざまは、そのまま普天間移設容認を内外に知らしめたという意味にしかならないことを、この疲れた老人は認識してないにちがいない(札束積まれてホクホク顔だ)。つまり民主政権は、ついに沖縄懐柔を政治的に成功させたのだ。最早、こうした、政権難問に解決の糸口を与えた失政は県民の許容を超えている。即刻リコールすべき案件だ。かかる取り急ぎの対応を行動で起こさなければ、この国は明らかにアメリカとともに「普天間固定化」を実現するだろうし、彼らにとっては、実に願ったりの政治決着である。しかしながら本土の大新聞がこぞって、こうした知事の発言を「環境アセス提出容認」という、大向こうを誤解させる(チョット見に)見出しで報道するこのやり口は、彼らがいかに沖縄差別に充満しているかをまざまざとみせつけている。沖縄と国家の対決はいよいよこれからだ。まず自ら選んだ首長の首をとらねばならない。どの道この環境アセスは許可し得ない内容であることは既に自明のことで、残余は国家専権事案化を巨大な抗議行動で断ち切らねば成らない。行政代執行を如何に食い止めるか、だ。(中断)

詩349 沖縄と日本 23

2011年12月25日 00時28分40秒 | 政治論
 この、仲井真という知事を選び取った、多数決原理に基づく「複雑な内容」の県民意思は、多くの「沖縄特区」の選挙対策費(官房機密費も含め)を消費して、沖縄財界が方向付けた中央寄りの振興対策傾斜を醸しだしているが、今となっては、かつての名護市における比嘉市長の変節や、大田県政切り崩しのための卑劣な「札束ばら撒き」再現という、極めて愚劣な政治劇を演出するお膳立て、というしかない情勢となっている。
 こうした形勢は当初から予想された事態とはいえ、所詮「金でしか動かない人心」という、彼ら為政者が願ってもない、人間の「低俗な」真相を暴露しただけの、なんとも情けない人騒がせ事案というわけだ。
 してみれば鳩山のあの裏切り行為は、まさしく、文字通りの絶望的沖縄差別を表現した憎むべきしわざだったわけで、ここにきてこの国の政治が、驚くべき醜悪なる実相を示し始めた、と人民は悟る必要がある。
 よくあるように実際に「その時」が来ないと目が覚めない事態というものがある。否、こと原発事故に関してはそれが現在進行中でありしかも想定された確率的事変を無視してまでも強行された「推進」行為の結果でありながら、なお、他国に輸出しあまつさえ自国のそれの再稼動を検討するという、あきれ返った「馬鹿は死ななきゃ治らない」症状を醸しているわけで、更に謂うなら、敵国アメリカによって、自国の無辜の民を抹殺された、人類最初で最後?の原爆投下につき、国家的抗議の声を張り上げない、この国の「大和魂」の腐敗振りにおいてをや。
 辺野古大浦湾を前に老体を鞭打って座り込む「おじいおばあ」たちが、15年一歩たりと進捗させなかったこの国とアメリカの、人民にとってなにひとつためにならない軍事的蛮行が、ここにきて人民の敵どもの手によって無理強いに強行されようとしている事態を、本土の人間は少しも同情することなく眺めることだろう。ここにきわまったこの国の理念的堕落と滅亡の道は最早取り返しがつかない。だから何故かかる仕儀に到ったか大いに熟考検証する機会ではある。といって誰も振り向くことはないのだろうが。(中断)

詩349 沖縄と日本 22

2011年12月24日 13時25分41秒 | 政治論
 現民主政権の所謂マニフェスト破綻実情は、そもそも、マニフェストを基本的に保証する「理念」「イデア」につき、個物の感覚的表象を超越し、概念化した到達目標と捉えるなら、(マニフェストが現実的結果予測を正確に意味するのでなければ)オバマのいうように、あらゆる到達目標には段階的接近という政治判断が必要となるのは当然のことなので、彼らは結局、「裏切り」的経過の印象を払拭すべく「これはそこにいくステップです」というだけでよかったのだろう。
 鳩山の沖縄普天間移設に関する政治行動がもたらしたものは、結果的に沖縄県民の県内移設拒否の意思が全県あげての意思として明確になったということであり、(少なくとも民主的方法のみに拠って本土ならびに政府及び世界に対して)、日本の宰相がアメリカに対し物申すことにある「敗戦国」縛りという現実を、日本人に再度知らしめたのであり(沖縄同様本土もまたかかる隷属的状況におかれているということ)、一方本土人が沖縄に関し、おのれらの居住空間が「対岸の火事」形質にあるという常民的意識に定着し、かつ国の安全保障が有する他国軍事力依存実質を無意識に肯定黙認し(安保のただ乗り)、その保障地域としての最大の実質現実を有する沖縄(米軍基地の75%を集中させている)の実態については、自らの県に「火の粉が降りかかる」と言い放ってその本土人の正体としての差別性を露骨に表明した(全国知事会)という、甚だ前近代的な幼稚な、かつ犯罪的な内容の戦後日本人精神をあからさまに示しているということになる。
 だがこの反面教師的政治は、どちらにしても沖縄にとってただの裏切りに過ぎず、こうした本土の在り様は憎むべき悪徳以外のなにものでもないのは火を見るより明らかだ。
 沖縄が、戦後本土に齎された戦後民主主義の空中分解と同列の地平にいないことは、ここに来て見てここの歴史を学び、人間との触れ合いを通してようやく理解できることだ。
 従って、大田元知事が「その見識の高さに驚嘆した」という鳩山においてさえ、全く一顧だにしないアメリカと大日本帝国官僚という牙城を木っ端微塵に叩き壊すには、沖縄という「問題性」において(本土的似非民主主義でない)沖縄だけが育んだ「不服従非暴力主義」に基づく、最も戦略的効果的な理論的武器を保持する絶対的必要性がある。
 政治闘争の不毛性は沖縄に関してはない。ただ数代に及ぶ「沖縄問題」の悲劇的性格は運命的に気力を萎えさせる。「ナンクルナイサー」(なんとかなるさ)は哲学的にしか肯んじ得ない(楽天主義・楽観主義)。ほかならぬアメリカ映画に流れた「ケセラセラ」的楽天主義をよしとしても、日々の戦いはいつもどこかで誰彼となく血を流しているのだ。(中断)

詩349 沖縄と日本 21の6

2011年12月18日 23時42分28秒 | 政治論
 劣悪な政治とはたとえばこういうことだ。この民主政権は、鳩山の「普天間問題」での宗旨替えで、沖縄を日本国における格差社会のどん底に突き落とし(沖縄なら許容される政治的裏切りの実践という認識)、日本国常民の地位から追放し(本土なら通用しない嘘が沖縄なら無事に済むという感覚)、アメリカとともに、琉球島嶼を日本国本土の常民たち(無意識な安保ただ乗り根性)のために共産主義の盾として軍事要塞化し、順次あらゆる目くらまし(実効性のない振興策を装った沖縄特区)を駆使しながら法体系において県民県政をがんじがらめにしつつあるが、野田に到って、この理念なき総理において官僚たちはいよいよしたい放題に国政をあやつり(官僚の言うとおりにしか動けない自動ロボットたる宰相)、憲法違反に始まった日本の国防母体(日米安全保障協約、自衛隊)を生みの親として、人民の思惑意思希望願望の一切を断ち切るべく特措法、代執行を通じて法治主義民主主義によらない恐怖政治(犯罪的襲撃を目論む国家権力行使)を臆面もなく断行しようとしている。
 この有様は少なくとも沖縄に限っては、戦前の絶対天皇制帝国主義としての大日本帝国を再現踏襲しているというしかない。沖縄に関してはまさしくこれを劣悪な政治状況(責任所在を有しない官僚の、機械的民的施策をそのまま実行する衆愚政治)というのだ。
 しかしながら繰り返すなら、本土の日本人たち(福島県民と県民だった避難者)も同様の仕打ちを原発に関し受けていることを君たち常民(本土人)は真剣に考える必要がある。
 恐らくNHKはじめメデア・大新聞等の流す情報よりも、ネットメデアの種々の情報にこそ有効なものがみつかるという時代なのだ。果たしてどれほどの人が、政府発表「収束宣言」の明らかな欺瞞性に富んだ愚行を断固として切り捨てられるか。避難区域解除の危険性を認知できるか。あるいはすでに人間が住むところではない土地になってしまったと判断できるか。
 とはいえ恐らくは「それでも帰郷を」望む避難民が高齢者には多いのであろう(この人々は自らの先のない将来における放射能悪影響をほぼ寿命的に回避できると踏んでいる)。チェルノブイリを引き合いに出すまでもなく、未だ「収束」してないフクシマ原発は今後ますますこの土地を害毒が浸潤していくに違いなく、「除染」など焼け石に水であり、第一に生活手段の供給自体途方もない時間と費用を要求するのであり、食っていくことができないとしかいえないのである。(中断)

詩349 沖縄と日本 21の5

2011年12月14日 15時31分58秒 | 政治論
 行政代執行は今更沖縄にとって真新しい用語でもなく決定的な行政行為でもないし(最高裁までもつれ込んでこの国の似非民主主義実態を世間に曝け出させればいい)、「やるならやってみろ」といった類の国家的暴力行為の象徴的意味しかない。政府答弁書は官僚が事務的に作成した多くの法的可能性のなかの一例を挙げたに過ぎないが、この政府がいかに官僚支配へ逆戻り(最初からそのままか)したかを如実に示している。今更ながら戦後直ちに解体解消すべきだった旧帝国官僚組織の腐った遺産が沖縄を苦しめ続けている実態を感じないわけにはいかない。「ブルドーザーと銃剣」で県民の私有地を問答無用で分捕り次々と飛行場、基地を建設していったあの戦後すぐのアメリカ方式をこの国は辺野古で再現しようとしている。あるいはそう見せかけようとしている。何のために??官僚の考えそうなことは結局「恫喝」「煽情」「圧力」といった、陳腐でヤクザな「官尊民卑思想」に基づく時代遅れの知恵のない方途ばかりさ。その全施策の醜悪さときたらとても現代の我々にとって見るに堪えぬ代物であろう。(中断)

詩349 沖縄と日本 21の4

2011年12月14日 08時45分15秒 | 政治論
 「敗者」だから裁かれて「軍国主義」として片付けられ、以後一切の軍備はこれを、自衛のためにも「放棄」させられたという見方は憲法改悪論の根拠となっているのだが、いずれにしても、人類史上におけるありふれた愚行としての国家間民族間の喧嘩、戦争は、理念的倫理的向上に資するものなど一切なく、ただ新たな意匠を凝らした次の戦役を生むべく、連続する愚かな、「人間的余りに人間的」行為を用意するだけの「復讐劇」にすぎないといえる。
 それが「劇、ドラマ」である以上は作劇術くらいは論じてもいい。その根本にある「カタルシス」というものは、「他人の不幸は蜜の味」といった類の単純な動機に裏打ちされ、自らに火の粉が降りかからぬ限りは、いわば単なる「ストレス解消」実質なのだが、この原理を国家や民族間の戦争におきかえると、「観劇者」たる参謀本部が、机上で手持ちの駒をスティックの先で操っては、「ああでもないこうでもない」と、「作戦会議」という遊戯に没頭している姿が見えてきて、この高給取りの戦争屋たちのために、駒となって地上をのた打ち回らされる兵士は、当然ながら、そうした実際の戦争の真相を事前に目の当たりにして憤怒にかられるなどいう暇もなく、「国家のため、民族のため」とすかされながら空しく散っていくという運命にある。
 自衛のための軍備は憲法違反にかかわらず、日本ではなし崩しに自衛隊として現存することになったじゃないか。(どこに憲法に対するコンプライアンスがあるのかね)改憲という、偽善的言辞で目くらまししているが、この国は、所詮、かつても今も徹底的におのれらの国の「敗戦」を総括してないし、押し付け憲法すら守ってはいないのだ。
 吉田ドクトリンの、奇妙な錯誤結果(あるいは時間的な意味の無実化)を我々は見せられている。防衛支出の軽減という計算が合わないのだ。つまりアメリカ占領統治の実質的継続が安保であり、本土がこの矛盾(経済的負担軽減のうそ、地位協定の不当性、おもいやり予算という下等朝貢外交)を批判的に受け止めようとしないがために流れてきたのが沖縄海兵隊だし、その後の、この島嶼に対するでっちあげられた「地政学」??である。
 つまり参謀本部の机上の遊戯は、今まさに現況実行中であり、当然ながら本土にあっては直に「火の粉がかからない」わけだし、どうやら観劇並みのいい見ものだし(本土のカタルシス)、一方沖縄にとってはまことにふざけた話のわけだ。
 そのアメリカが辺野古移設停滞事情を「日本国内問題」と言い張るなら、この現下の状況を沖縄対日本政府という対立軸に措定するとして、彼ら政府が合意案を堅持するなら沖縄は「辺野古拒否」を益々強固に言い張るだろう。
 彼ら政府が強制執行等実力行使に出るなら、沖縄は座り込みで「三里塚」を再現するまで。どの道戦後日本のでたらめさは歴然としているので、沖縄が「民主的」「非暴力不服従」な姿勢においてこの基地反対行動を継続するのは、はるかに筋道を通した「正義」に違いない。つまりはどこからみても「非の打ち所がない」大衆運動として歴史的評価を得るだろう。
 一方なりふり構わずアメリカ「たかり」根性の言うなりにお追従を繰り返して恥じることのない日本政府ならびに本土の日本人は、明確に歴史的には断罪される対象にすぎない。すでにこの問題の題意は尽くされているので、この問題を扱う文民統制的意味は徒な消耗戦でしかない。
 つまりは明らかな国家の対人民的敗北を宣言することで決着を諮るのが人間的尊厳を守ることになるというわけだ。それ以外は対米追随、対米朝貢外交、「敗戦から何も学ばない」愚行、「大震災対応不能政治」(その被害者の現状は沖縄基地被害者のそれに等しい)という実質を曝すことでしかない。(中断)

詩349 沖縄と日本 21の3

2011年12月11日 19時58分06秒 | 政治論
 大国の思惑通りにことが運ぶことはないと教訓を垂れたのがベトナム戦争であり他の民族紛争であったのだが、沖縄における「普天間移設」に関しては、とりわけ米軍再編という、冷戦解消後の世界軍事制覇思想の新たな構築実現を目論むアメリカ欧米アングロサクソン覇権主義が、新意匠により実行されようとする防共対中北テロ戦略に基づく、琉球島嶼の、軍事基地最前線要塞化構想のほんの一環に過ぎず、オバマのラッキョウ頭蓋の中には、消し粒ほどの「辺野古」が目をパチクリさせているという感じなので、共闘する反基地運動という、一種の民族自決主義が有する根強い民衆の底力に結局16年経てさえ一歩も前進しえない普遍的な必敗理由があるとアメリカが認識するには、かなりの時間がかかると思わねば成るまい。現今野田政権がごり押しする事務手続き上の進展(環境影響評価書、公有水面埋め立て許可)は丁度実体のない法律行為(国家間合意のみで地元人民が許容しない案件)が決して実際の効験を示さない法治主義の原則(物的証拠のない立件の不毛、実体のない法律行為の無効性)からすれば、国家行為としても実に無駄なものとして槍玉にあがるべき事案といえる。にもかかわらず本土メデアジャーナリズムが本質的論難をこの政府行為について言上げしない一種の自堕落さは沖縄からみると文民統制的には実に情けない惨状である。(中断)

詩349 沖縄と日本 21の2

2011年12月06日 10時56分22秒 | 政治論
 国連人種差別委員会が昨年3月に日米政府に対し、沖縄に関する差別的不均衡な取り扱いを是正するよう勧告したことは余り知られてない事実だが、これに対しこの二つの国が現行実施しているあらゆる手法が「勧告無視」であり、事実上世界的に認定された沖縄処遇の犯罪的実質に関し、尋常ならぬ続行意思を表明している彼らの悪魔的精神は、このパクスアメリカーナが如何に世界の精神的暗黒を醸成しているかを如実に物語っている。(それは単に「辺野古移設」の件だけを取り沙汰しているのではない)
 彼らがこれを半ば無視できずに繰り返している「馬鹿の一つ覚え」の似非「負担軽減」文言は、誰が見ても「大嘘」であり世界精神を欺くための方便にすぎないことは沖縄県民が熟知しているので、彼らの「非論理的」「非人道的」不条理な施策には決してだまくらかされることがないのだが、それにしても大アメリカ世界帝国が早々に滅び去ってくれることを願わずにはいられない。
 親米感情が80%超えとはつまり本土の感情であり、対「トモダチ作戦」の過剰反応にすぎない。しかももしこれが日米安保の「ただ乗り」的無知が無意識に彼ら本土を席巻しているなら、まさしく差別的不均衡に基づいた本土的常民レベルの、一般的実態として沖縄は糾弾しなければならないし、これに便乗して、専ら琉球島嶼に軍拡を強行するこの国とアメリカの殺人的蛮行は、国際社会において中国以上に断罪しなければならない要件だ。要は米中大国どうしの覇権争いに沖縄を巻き込むなということで、こいつらのやっていることにはなんらの精神的価値もなく、世界的文化的レベルにおける人類の内面的向上に資するものはひとつもない。まさしく「暗黒」の時代を演出する彼らの堕落した欲望に加担することを沖縄は拒否する。(中断)

詩349 沖縄と日本 21の1

2011年12月05日 19時48分50秒 | 政治論
 アメリカはじめ連合国に、戦争における敗北を喫したという事実に基づいて醸成された、日本人乃至専ら多くは政治的局面あるいは諸他の事案において、日本国が負っている「敗戦国である」という精神的負債だけでなく、弱肉強食・優勝劣敗の自然法則により、たかだか「同情心」を惹起する程度の緩和剤がありうるだけで、通常は所詮あらゆる豊穣さにおいて引けをとる大国アメリカに、「不平等」な関係を余儀なくされる実情にある日本国は、戦後66年経てさえ、今なお安全保障を他国の「虎の威」に依存するという「仮託」において自足し、国内的な「不平等」状態にある沖縄に、その肩代わりをさせている(戦争準備実行基地の集中)という現状である。
 まず歴史的時間の多寡を単純に推し量ると、66年という量は果たして全てをチャラにできる時間といえるかどうかだが、人の一生を75年程度に見積もるならその大半を占める量であり、この間、人がその悟性において憎悪と憤怒と復讐心を克服する(従って相手を許す)可能性はありうるとしたほうが人性的に妥当と、誰しも思うであろう。
 しかしながら情報化社会にあっては、過去の事跡が生々しく再現される方途に満ち、絶えず供給される新情報(歴史的には新とはいえないが)により、過去が現代にそのまま蘇ることも(従ってあらゆる感情も蘇る)可能な時代には、結局永久的に、ひとつの凝縮された概念において過去は残存し続けると言わねばならない。(日本の司法が殺人の公訴時効を廃した理由のひとつは、被害者の無念さに時効はあり得ないという判断にあったであろう)
 その概念といえば、極東裁判で論った「平和と人道」に対する罪に尽きる。但しこの復讐裁判の有する蓋然的な主観論を歴史的に淘汰しないと、現代は永久に誤った歴史観において「純粋理性批判」、「実践理性批判」を繰り返すことになる。それはいずれにしろ人類にとって停滞や後退の実質を温存させることだ。
 錯誤に成る行動規範が順次新たな不条理を生むのは当然だ。そこに論理も弁証法も実存もないのは既に「コミュニズム対カソリズム」の対決構造が解消した(ソ連東欧の崩壊)途端、世界が明瞭に「パクスアメリカーナ」化し、経済制裁、軍事弾圧、傀儡政府押し付けの偏頗な世界観で牛耳られ、「力の論理」(従って非論理である)がまかり通る恐怖の似非民主化時代を経過していることから判断できよう。
 まず事実として、「敗北したが故に侵略である」点につき、近代の明治建立日本帝国が世界の「平和」を脅かしたという理由であのときは裁かれた。しかし、もし勝利していたら逆のことが言われたかどうかだが歴史的論理性において誤っていない。
 因果的には、人道的見地から取りざたされる「南京虐殺」その他の「戦時」における「殺人行為」とないまぜにし、結局的に全面的に「侵略」として処断されたのだった。しかし「平和に対する罪」とは何かと問うとき、資本主義の最高段階としての帝国主義に基づき、市場を求めて欧米がアジアに非対称関係を強要した一連の歴史的行為群はこれに該当しないのかと反問されて、正しく言い訳できる国はあるまい。
 日本も中国も封建の惰眠からたたき起こされ、「平和」を脅かされた事実につき欧米に抗議しても、その正当性は争う必要がない(と一応言える)。現代においてイラク、アフガン、リビア等パクスアメリカーナ従属の多国籍軍が、「力」で「犯した」事案は、まさしく「平和に対する罪」である。
 裁き手がないこのパクスアメリカーナの帝国支配が席巻している以上、「世界」は停滞し後退する、精神の「暗黒時代」を迎えている、と評さねばなるまい。(そうした実態の局面を日本政府の沖縄に対する処遇から摘要することは比較的容易であるーそこには対米追随する日本国政府が、返す刀で国内最弱の地方自治体沖縄を、まさに「力」で「犯す」構造が見て取れるではないか)(中断)

詩349 沖縄と日本 20

2011年12月02日 21時39分36秒 | 政治論
 さて、大東亜戦争、太平洋戦争、第二次大戦の敗北によって、当然「武士道」的に滅亡すべきであった「大和魂」ってやつは、確実に戦後日本を逆説的に、堕落の一途に突き落としたが、今や抜け殻としか言えないこいつらが、超大国アメリカをはじめとする欧州並び中国、インド、パキスタンなどと肩を並べるべく、核兵器保有国としての準備を着々と進めていたことは、原発事故を通じて、原発の矛盾があからさまになり、其の所以を追究した結果明白になった事実だ(その証明は多くの反原発学者が既に示している)。
 処分してさえなお、地中に、いつでも、地震・火山・地下水漏出によって放射能を撒き散らすべく、「高レベル放射性廃棄物」が永久に存在し続ける実態は、原発事故を、ここ30年のうちに必ず発生するM8を超える巨大地震(東海、東南海、南海地震)によって、確実に引き起こされる状態にまで高めたこの国の、「馬鹿は死ななきゃ治らない」愚行を余すことなく示しているが、この自殺列島に住する我々人民はやはりどこかで人類救済の企てを放棄せざるを得ない状況に追い込まれた、というべきであろう。
 すでにさいは振られたのであり、引き返すにも方法はない。既に晩年を迎えた、高齢化社会にある戦後民主主義の申し子たちは(政治の中枢にいる連中含め)、当然自己の存命中はほぼ大過なく(多少落命時期が早くなるとしても)余命を数十年程度は永らえるだろうと踏んでいるのであり、大方破滅の一途を辿った大本営参謀本部よろしく、其の時が来たならば「死なば諸共」の玉砕精神が蘇ることになろう。
 もし彼らが其の時にも生き延びえると安堵しているとしたら、彼らの自宅の地下付近に強固な核シェルターを発見するのは実に容易いことに違いない。多くの団塊ジュニアはじめ若者が老後の年金保険に加担しない心理は故なしとしない。この人たちが「老後」という文言を語る時間は果たしてありうるのだろうか。(中断)

詩349 沖縄と日本 19

2011年12月01日 11時01分07秒 | 政治論
 沖縄県知事の裏切りは如何にして行われるか、あるいは彼を追い込む手立ては官僚たちによって如何に図られているか、環境影響評価の提出が期限きって知事の回答を待機する時間というものは県民の平常心を損ない、精神的ジレンマを醸し出し、殺人的宙ぶらりんを演出することになろう。
 この一片の情も示さない官僚的事務的国家姿勢はフクシマでも貫かれている。又緊急準備の臨時支出さえ被災地に向け稼動させない政治機能は、三流国家のそれとしか言いようがない。
 彼らが目論む日本国再建の意思は、欧米に追いつき追い越せの富国強兵時代にタイムスリップし、敗戦で失墜した国家的威厳を取り戻さんとして、再び欧米並みに核兵器保有・国軍再編の挙に出でんとしているわけだ。
 脈絡のない政治状況を凝視すると結局そういう意図のもとに動いているこの国の真姿が判然し、背筋が寒くなるが残念ながら事実だ。従ってアメリカがあきらめない限り又はアメリカのほうで動かない限りは「普天間返還」「辺野古移設」はセットで何年かかっても実現させようとするだろう。
 消耗戦である。おそらく一昨年の鳩山ドクトリンの無残な墜落は、あらゆる現状突破の企ては必ず烏有に帰するという現況官僚ドクトリンが存在することを証明したにすぎない。
 菅直人は真っ先に沖縄から手を引き、野田は一顧だに与えない。そういう仕儀になっている。国家権力が最終手段に打って出た場合人民(沖縄県移設反対集合)はいかにして自己実現を図るか。兵法的には短期戦か長期戦かで答えが分かれよう。
 議会制民主主義が正常に機能しているならば、長期戦も止むを得ないが、名護市議会、名護市長、沖縄県議会、沖縄県知事及び各市町村首長県民輿論すべてにおいて、政府方針に反対している事実においてなお、政府が方針通りの実行姿勢を崩すことがないとわかった以上(議会制民主主義が有名無実だということ)、「非暴力不服従」に基づいて直接現場に座り込みとなるが、こうした繰り返しがこの15年、間断なく続いた歴史は人種差別人権無視の汚名だけを残すことになろう。
 「高レベル放射性廃棄物」処理不能現実と、これらが今後何度となく襲い掛かる大地震によって、流動的に地表に漂い始めれば、日本列島は勿論、世界中が放射能汚染で死滅することは多くの科学者が絶望的に指摘しているのだが、ことほどさように、民主主義崩壊の実質と対沖縄蛮行の意味するこの国の末期的症状は、人々を「流浪民化」すべく作用するに違いない。日本人の精神は死んでも浮かばれない浮遊霊となって地球滅亡の日までこの世に未練を残すことになる。(中断)