沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩168

2010年08月31日 16時15分55秒 | 政治論
 日本政府と、協議と称した懐柔策の場に一切同席せず、県民意思の大半が辺野古移設反対であることを前面に掲げ、沖縄を65年間不動の植民地的地位に貶め続けたアメリカ覇権主義の罪過につき告発し、沖縄島しょの安保体制からの離脱を宣言し、今後いかなる妥協案にも応じないことを告知する。安保体制は沖縄にとって戦争の継続という実質を意味し、その敵は決して実際には見えてこない。この戦争は、基地の存在及び基地公害米兵犯罪によって表現されるあらゆる危険性が日本において突出した確率に置かれている沖縄の真実の状況を表現する。従って沖縄においては戦後という表現が有名無実な状態にあり本土の平和乃至戦後とは一線を画す。沖縄は日本国の中で極めて特殊にして不公平な立場を強いられている。一方又本土の日本人はこうした沖縄の実情につき一切無頓着であり基地負担に関してこれを全く意に介していない。そのため一貫して沖縄救済の政治的進展はこれを逆撫でする結果のみ示してきた。その代表が鳩山前首相の「国外県外移設」公約に対する今5月の裏切りであった。戦後一貫して示されてきた日本政府の沖縄に対するこうした裏切り行為は、沖縄県民の矜持と人間性をずたずたにし、県民の内面を土足で踏みにじり、かつてアジア各地で行った蛮行を性懲りもなく繰り返しているのと同断である。ここに明瞭な事実は、日本政府がアメリカに追随する限り沖縄は完全に日本国から隔絶したアンタッチャブルとして生き続けなければならない、ということだ。つまり強者におもねる外交姿勢をアジア主体の協調外交に転換しない限り、自主的な戦略のもと独自の自律的歩行を可能にする事はできない。沖縄は今一点に集中して辺野古移設反対を唱え、沖縄県民の意思を無視して何事も不可能だという事実を政府ののど元に突きつけている。政府は速やかにこの事実を受け入れ、速やかに日米合意の無効を宣言し実現可能な方策を検討する協議の場を再度設けること。

詩167

2010年08月30日 00時02分20秒 | 政治論
 2006年の日米合意とは何だったのか。アメリカがベストというこの合意が、単に政権交代と鳩山の茶番劇程度で脆くも崩壊寸前なら最初から実現不可能な合意だったわけだ。現にグアム移転自体インフラ整備の立ち遅れやらグアム政府の資金返済拒否やら問題山積の状態が露見し、グアム統治さえままならぬ実情を暴露しているではないか。このでたらめさ加減は最早二国間協議というレベルを逸脱しアメリカの独断専行やりたい放題の同盟だということを証明している。少なくとも現在の日米安保体制はすでに両国国情の変容変質が基本的に再考されるべき時間経過を戦後史の中で示しているのであり、ここを素通りしてさながら既定の揺ぎ無い同盟関係のごとく無批判に持続されようとしている事は、ある意味世界性のスタンダードな基準に照らして著しく不健康な外交関係を示している。何故この男めかけの不健全な外交関係がアメリカの思いのまま持続できるのだろうか。それは日本国政府ならびに日本国民がおもいやり予算や多額の資金提供により無批判にアメリカを飼い馴らし、アメリカがまたこの潤沢な経済負担のおかげで国内の批判をかわし思い通りに軍事的展開を可能にしているということなのだ。要は最大の原因が日本国民の無批判な国防問題の丸投げであり、その最大の被害者が沖縄県民というわけだ。従って沖縄県民の本当の敵は本土の日本国民そのものだというしかない。

詩166

2010年08月29日 14時02分40秒 | 政治論
 圧倒的な物量により有無言わさぬ軍事的優位を誇るアメリカが、冷戦終結以降あらゆる意味で世界の頂点に立っていることはあきらかだが、世界性やスタンダード、国際性、グローバリズム、といった基準において無批判にその動向が許容されるわけではないこともあきらかであろう。但し、この常識は現実の局面で容易に覆され、ごり押しがまかり通る場合も少なからずある。ここでもアメリカ対人民という対立軸を措定するなら人民はいかに自己保存を可能にするかという事について懊悩しなければならない。あらゆる国際機関の無力非力について例証する必要はない。人民を客観的に世界性において保証するものなどこの世にはない。これは最早完全な精神の問題だ。完全に無防備な状態で生きることを強いられている人民は信仰や哲学的精神的優位性においてのみ自己実現の可能性を探れるわけだ。沖縄はその歴史的経緯の中で専ら武力による制圧を受け自己統治権を奪われ、実態上日本国の属国的立場を強いられ、と同時に米軍基地により植民地的生活環境を押し付けられている。支配構造の二重性から事情はより複雑になるが、二つの国に絡めとられた檻の中の民族という状況だ。普天間と辺野古につき結論を出さない日米政府は絡めとったはずの民族に逆手を取られて二進も三進もいかない。この時代遅れの檻の格子を捻じ切るのは、敗戦のどさくさの中共産主義への脅威から沖縄を売り飛ばした昭和天皇の発言を撤回し、米ソ冷戦構造からの歴史的克服を成就した現代社会の最も民主的な常識に則り、現況実質的に一民族的拘束状態の沖縄諸島を人民の手に解放すべく、速やかに基地公害の元を撤去しその精神的肉体的自由を保証する国是を発すること。

詩165

2010年08月26日 21時45分07秒 | 政治論
 大東亜共栄圏の功罪を論じると際限ない文列を費やす事になろうが、欧米列強からの独立の一点で言えばアジア諸国において日本の目指した理念は著しく阻害されるものではないと思われる。それこそ「正義の戦争」といってもあながち的外れではない。しかし満州朝鮮中国他東南アジアにおける軍部の横暴が犯罪的侵略なのは疑いようがない。日本語の押し付けや皇民化教育などは自由独立の精神から逸脱し、過度な植民支配的意欲の現われだ。こうしたアジア各地での侵略行為をもって日本が国際理念から裁かれるなら甘んじて受けなければならない事実がある。しかし東京裁判は勝者が敗者を一方的に事後法を含め裁いた不公平な裁判だったことは明白である。原爆と無差別空襲などは当然同様に裁かれねばならない国際的戦争犯罪行為であろう。戦勝国のアメリカが戦勝気分で持続的に実行している覇権主義、「世界の警察」意識は法的常識を敷衍するなら国際法上侵略の内容を有している。いうならば沖縄の現在論議されている普天間と辺野古の問題は基地被害として認定されるべき騒音爆音兵士の犯罪等に対する明らかな反基地感情に全く有効な施策を講じない日米政府の姿勢に、沖縄に対する植民意識及び侵略的実質があるということだ。同じ日本国土にある沖縄が住民の強固な反対意思にもかかわらずアメリカに追従する日本政府によって植民地状態にありしかも実質侵略行為を持続させているというこの現状を一体誰が裁いてくれるのか。

詩164

2010年08月26日 09時12分32秒 | 政治論
 前原沖縄担当大臣、この男の任務は前市長容認派区長抱き込み名護市議会議員選挙工作であり、当然ながら機密費をつぎ込み確実に容認派議員過半数当選を成功させる。ねらいは稲嶺市長の退陣となる。前例は太田知事落選劇にある。今知事選も同様である。金で堕ちる人心を責める必要はない。金で堕ちると踏んで実行する政治家が責められる。彼らは代議士であり民意の代行者だからだ。この腐った構図を民主主義の危機と断じたところで性根は変わらない。金権体質は民主党も変わらないし、こいつらがいかにうそつきかはもう白日の下にさらされているし、今後自ら原点に還る可能性はゼロだ。少なくとも沖縄県民にとっては、現政権はあらゆる点で不倶戴天の敵といって過言ではない。しかし問題はアメリカである。彼らが自由と独立を重んじる国民ならば現在の辺野古騒動は理念に反する事態としかいえないのに何故みずから退こうとしなのか。多分ここにも政権の腐敗多重性があり、ブッシュ時代の愚昧な意向が反映されている。オバマがこの事態を知らないはずはなく、知らぬふりを決め込む理由もなかろうし、問題を複雑にしているのは日本政府の対米追従姿勢としかいいようがないが、一方では覇権主義と自称世界の警察意識が相変らずアメリカを席巻し支配している状況があろう。そうした傲慢な姿勢も財政事情の窮迫に伴いいよいよ崩れていく気配もないではない。日本政府が辺野古回避に舵を切りアメリカが応じて自ら退くだけの好状況が来ない限り沖縄の戦後は終わらないというのは文字通り沖縄の誰もが思うところだ。

詩163

2010年08月23日 14時13分26秒 | 政治論
 戦争はなくならない、というのが子供の頃から聞かされてきた歴史的常識だったことは、恐らく多くの人々の共通な経験だったと思われる。そして現代の戦争を目の当たりにしているときこの常識の正当性は殆ど疑いようのないものだと確信してしまう。あらゆる反戦運動反戦思想は戦争がなくなることを目標にしているのであろう。そしてこの思想運動のこの無効性はただ個別の戦争に関する実際的な関係においてのみ打破できるという教訓を引き出している。つまり反戦運動は一般的な厭戦感情と無縁ではない。戦禍に対する想像力の欠如から始まる戦争は実際の悲惨を目の当たりにしてようやく反戦厭戦に到る。高いレベルの反戦思想や非暴力絶対平和思想はこうした戦禍の記憶の積み上げからしか生まれないのだろうが、それでも性向としての好戦性や実利的理由から絶え間なくある戦争戦闘行為テロ軍事優先政策などは絶滅しえない。ここに分析できる事実は戦争主体と非戦争主体(実際に開戦決定する国家とその国民)が民主国家では通常一つの対立関係を浮き彫りにするということだ。そして当然のことながら国家は国益国威を優先し国民に相応の犠牲貢献を要求する。平和憲法により戦争手段を行使しない国家としての日本は当然中立が前提となるが、軍隊を保持する国家においてはこの原則を免れない(自衛隊や日米安保は度外視する)。ここに落とし穴がある。国益とはなにか、国威とはという問いは国民の利益国民の権威という謂いでありそれ以外ではない。あらゆる為政者が陥るこの問題への誤解答があらゆる国家対国民の対立の原因なのだ。普天間はその典型だ。つまり国民の意思が反映されない国家などこの世に存在しないのであり国民がなければ国家もないのである。個人を無視した公的な実在などこの世に存在しない。多数決の原理とは別問題である。こうした理由から民意を無視した日米合意の実行行使継続は無効といえる。

詩162

2010年08月22日 08時20分12秒 | 政治論
 食物らしい食物はない。海には戦艦が所狭しとばかりひしめいている。魚も取れない。草を食む。塩は偶々あったりするのか。ともかく砲撃爆撃艦砲射撃あらゆる火器が火を噴いているさなかに暢気に食料調達などできない。だが飢え死ぬほど体を衰弱させなければただただひもじいだけで口にはいるものは何でも入れた。水さえままならぬ。飢え渇きはどこまでも付いて回る。4月、5月、2ヶ月以上この状態はますます悪くなるしよくなる気配すらなく、死はそこに転がっているか無差別に飛んでくる。死ぬのはこわくないがむざむざ敵弾に貫かれるのは悔しい。必ず敵さんの首一つでも戴かねば死んでも死に切れない。
 沖縄戦を想像的に疑似体験する試みといったことを、何度も繰り返すうちに県土に未だに埋もれている掘り返されてない兵士県民の遺骨へ鎮魂の思いを伝えたいと思う。移住して4年、沖縄は未だ遠く戦時の闇に閉ざされている。高度経済成長の中一億総中流、なんとか景気に沸き立っている本土とは裏腹に、沖縄は戦争を引き摺って65年明けやらぬ心の闇を抱えながら差別されたまま日本国の片隅で押し付けられた米軍基地の垂れ流し公害をずっと引き受けされ、今後もそうされようとしている。彼ら、県民の拒否の意思を無視し続けて表情ひとつ変えず辺野古の海に何本もの線を描きああでもないこうでもないと机上の空論を重ねる実務者たちに、一片でも慰霊の気持ちがあれば少しは人間らしい一瞬もないことはないのだろうが、望むべくもない。

詩161

2010年08月21日 09時02分42秒 | 政治論
 お目出度い連中が日本の国防の危機を煽り、対米追随を臆面もなくまくし立てる。一体こいつらは何だ?どこの回し者だ?こいつらは本気でそれを信じているのだろうか。何のために平凡な人々を脅しつけているのか。何も知らない人々を煽っているのか、理由がわからない。どこからそういう考えを仕込んだのか。何ゆえに信じる気になったのか。誰かに金品を戴いてそうしているとしか思えないが、だとしたらしかたがない。理解不能な人種に手を触れる気はしないが、金に目がくらんだならわからぬでもない。となるとこの金品をばら撒いている大元が問題だ。それで沖縄知事選で官房機密費が容認派に大量に流れ、稲嶺が当選した。彼は案外知っていたかもしれないが「知らない」といっている。ただこの要望は沖縄側から来たということだが、さもありなん、沖縄財界などは間違いなく容認派なのでこいつらがばらまいたのだろう。どこへ行っても汚い連中はいるもので、このマチノダニが沖縄を晦渋にしている。市議選知事選金が動くぞ。税金さえもが不正のために使われる。こっちのほうがよっぽど日本の危機じゃあないかいな。

詩160 その6

2010年08月20日 14時39分21秒 | 政治論

 普天間飛行場閉鎖に関しての民主党政権による欺瞞に満ちた懐柔工作は悉く暗礁に乗り上げているが、普天間固定化の現実はグアム情勢からも数年は確実のようだ。又アメリカ自身の国家財政の危機感は在外基地の維持費軍事費に向けられ始め、海兵隊不要論も浮上して高々沖縄知事選名護市議選の結果程度では何も変わらないという、政権にとってはお手上げの状況がいや増している。少なくとも県民大会時点では沖縄全県政治党派を超えて帯同し県内移設反対の意思はすでに明瞭に示したというのに何故この政権は先送りで逃げ回るのか。というよりもこの政権の理念的破綻を認識し、アメリカのいうがままにしか動かない政府に見切りをつけかつ官僚の旧自民時代の安保堅持体質からさっさと脱却し、.......沖縄の自主独立を特別区域として承認させるべき時が迫りつつあるのかと思われる。アメリカの属国であることを認識しないこの国の無知蒙昧につきあってる必要はない。基地を全面撤去し琉球時代に戻るべきだ。


詩160 その5

2010年08月19日 12時44分48秒 | 政治論

 アメリカの内戦南北戦争を、例えば正義の戦争という場合、リンカーンのゲチスバーグの演説に見る理念について、客観的に見て「正義」と名づけうると判断してもさほど異論はあるまい。彼は、現在民主主義といわれる理念の最初の定義を行い、その政治的位置づけをした。この理念が日本国憲法前文「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであってその権威は国民に由来しその権力は国民の代表者がこれを行使しその福利は国民がこれを享受する」という一節になったが、南北戦争の基本的な意味は、奴隷解放や合衆国統一などあっても具体的にはやや複雑で、所詮その戦争としての罪過は、南北併せて60数万にのぼる最悪の死者数を出していることからも言えるが、いかに正義の戦争といえども苦しむのは一般民衆であり、一般兵士であり、犠牲になるのは真っ先にかかる立場の弱い部分に集中するということだ。正義の戦争を肯定する大概の論陣はトータルな戦争現実を直視せず、いたずらに危機感を煽り、しかも軍事専門家でもないのに軍事的戦略的視点から物申す愚を犯して倦むことがない。見て来たような嘘をいい、という国防に関する素人の数多の意見を聞いていると暇人がよういうわ、とでもいうしかない。(つづく)


詩160 その4

2010年08月18日 01時13分28秒 | 政治論

 他国の領土において戦闘行為をすればいずれにしろ侵略と言えます。日本の基地から他国での戦闘に赴けば、その基地を使用するアメリカは永続的に日本を侵略しているのと同じです。

 日米地位協定とは、侵略国が被侵略国の施政権を奪う事をご丁寧に取り決めた屈辱的協定です。まず第一にアメリカは実際の戦争が起こった場合決して日本の守備につくことはない。彼らは自国のためにしか攻撃も防衛もしない。例えば沖縄近辺で小競り合いがあったとしても米軍が日本のために活動するなどあり得ない。

 沖縄から米軍基地が撤退した場合、例えば北朝鮮が沖縄を攻撃する理由はなにか。なにもない(資源も広大な土地もない)。中国が日本を攻撃する理由など最初からない。そもそもアメリカに軍事依存を決め込んで以来、やたらに脅威を煽ってしようとしている真の目的は何か。彼らは憲法を改悪し軍隊を持とうとしている。しかしこの軍隊は対米協力のための哀れな予備軍にすぎない。彼らが独自の戦略的展開を可能にする保証や可能性はどこにもない。いやむしろいうならば傀儡軍隊ともいうべき屈辱的な傭兵並みの扱いしか受けないであろう。それが彼らの目指す対等な日米関係だとすれば、開闢以来最も落魄した国家の惨状を目の当たりにするようだ。

 彼らは安保によって生じている日本の被侵略現状及び非独立状態から目をそらし逃げているのだ。この事実から現実を歪曲してはならないはずだ。日本が国際的に何者かを目指すならこの日米間の安保同盟関係を解消することに全力を傾注することだ。我々日本国憲法下の国民はまさしく戦争のプロでは今後ともありえないのだから、まずこの日米同盟がもたらす住民被害の解決を断然優先しなければならない。(つづく)


詩160 その3

2010年08月17日 11時32分26秒 | 政治論

 民意には、元々戦争放棄を国是とする日本国では、戦略的仮想敵の軍事的観点を考慮する範囲が含まれることはなく、又そういう観点を要求される筋合いにないし、軍事的視点の代替として経済的要求を突きつける権限も持たないと考えるのが論理的である。従ってこの国の沖縄に対するあらゆる安保押し付け論は、こうした民意に関する専門的の視点を完全に喪失し無視しているし、いわゆる容認派の根拠もどちらかというとこじつけに近く全く論理的でない。国家は最も民主的な根本課題対象である民意を無視して、他国となんらかの取り決めを交わす非民主性に十分な警戒心を持つ必要と義務、責務がある。つまり軍事的視点のみを強調したとき必ず民意が無視される現状から、沖縄の負担軽減という、事実上明白な形容矛盾が生じたことを国家は顧みる必要がある。

 沖縄の負担軽減は基本的に米軍基地の完全撤退乃至普天間無条件撤去である。それ以外にはあり得ない。今流布する、名称だけ先行する「負担軽減」は沖縄以外の第三者(本土内地ヤマトゥ)に向けられた姑息なアリバイ作りという位置づけしかできない。何故なら沖縄は、この政府の所謂「負担軽減」交渉の場に当事者として参加する機会も余裕もないのだ。島尻愛子に投票する心理は一面民主党政府への絶望と表裏一体である。この結果は知事選にも起こりうるらしいが、沖縄の民意の現れ方は本土のような単純なものではない。

 65年間少しも出て行こうとしないアメリカにその免罪符を与えたのはどう見ても昭和天皇(天皇メッセージ)である。国民を戦争の惨禍に叩き込んだのもこの天皇乃至天皇制である。あるいはそれを利用した近代日本の帝国主義的軍国主義だ。いずれにしろ沖縄は本土の政府、天皇、国民に裏切られる歴史の中で、本土には到底理解されない県民土壌を作らざるを得なかった。

 周辺軍事情勢を想像的にでっち上げ恐怖感を煽り、軍事の専門的観点を素人に臆面もなくまくし立てるやつらの顔に唾したい。「おまえさん、そんなに戦争したいなら自分で志願して先頭きって戦う覚悟はあるんだろうな」といってみたところで、どうせ敵前逃亡がおちだろう。旧日本軍並みに「俺たちはお前たちのために戦っているのだ。その住んでいるところから今すぐ出て行け、作戦の邪魔だ」とでもいうのだろう。(つづく)


詩160 その2

2010年08月14日 23時20分15秒 | 政治論

 父ブッシュの湾岸戦争で所謂ピンポイント爆撃を話題にし、これをもって無差別攻撃の謗りから逃れようとしたのは、太平洋戦争でのアメリカの原爆や都市部空襲の免罪符に近い。いかにかような戦略的技術の誇示を目の当たりにしても、断罪されもしなかった過去を消し去るわけにはいかないし、今後このアメリカという国の精神的傾向に人間的発ガン物質を感じるのは無理からぬところがある。

 裁きの場(東京裁判等)でもないところで、あの二個の原爆を戦争終結の正当な手段として公認しようというアメリカ世論の異常を当事者たる日本人は明瞭に実感しなければならないし、これを核実験含め正当に断罪する意思を持ち続けなければならない。ナチが実行して倦むところがなかったホロコーストとなんらの違いもない、かかる大量破壊兵器にはこれを使用するべき正当性など元々ないのだ。核廃絶を口にするならそれを実行した自分の行為が間違っていた事を認めなければならない。そうでなければそれは明らかな論理的破綻ではないか。同じような間違いを当の日本の首相までもがやっている。こういうのを偽善者、嘘つき、二枚舌というのだ。だから人民はこの大嘘つきどもが自分たちに苦痛しか与えない戦争の不当性をどこまでも訴え続けているのだ。(つづく)


詩160

2010年08月14日 14時50分22秒 | 政治論

 朝鮮戦争特需による戦後復興の加速化の中成長期を過ごし、日米安保改訂後の高度経済成長と共に青年期に差し掛かり、ベトナム戦争に対する反戦行動に青春の光と影を見、全共闘を横目で見ながら三島事件よど号乗っ取り浅間山荘事件あたりで大方の戦後民主主義を総覧したといえようか。

 この間沖縄はアメリカ世であり激しい本土復帰運動と屋良主席の誕生、欺瞞に満ちた返還と屋良知事の誕生という動きの中で独自のアイデンテテイを醸し出しながらも米軍問題に悩まされ続ける日々であったろう。ともかく戦後65年間ずっと沖縄は戦争状態を抜け出なかった。従って沖縄では戦争を語ることは過去を追想するのでなく今そこにある危機を語ることだ。

 戦争特番に世間が誘導されるなか実質戦争状態にあり敵は自国でもありアメリカであるとき、一般的にありきたりに戦争を論じる事は沖縄ではいかにも暢気な話になるのだが、言ってみれば、戦争を語ることはこの国の歴史に年々新たにメスを入れる事であり、この場合のこの国の歴史は恐らく明治維新以降ということになり、集中して扱うのは勿論あの太平洋戦争である。そして第一に問題になるのは、この戦争が侵略か自衛かだが、忌憚なく言えば論を待たずに間違いなく侵略といえる。この認識は、たとえ聊かでも自衛の感じがあるとしても本質において決して揺るがない。

 戦争状態で他国の領土内に戦略的行為をすれば即ち侵略である。この伝で行けば今の沖縄のアメリカは侵略的状態にある。たとえ政府間同意があっても住民に不同意があれば侵略といえる。これが民主主義の原理だしこれを超える非常事態は今のこの国にはない。

 ここでいう民主主義とは国民主権、民意専行、住民主体、の謂いでありその保証は憲法以外に存在しない。またこの原理を超える国家間の取り決めは両国国民の利益にならなければ無効といえる。これについては争点がいくつかありそうだが基本的にはゆるぎない定義といえる。

 侵略は国民乃至住民の生命財産基本的人権への脅威であり重大な侵害であり断じて許容できない犯罪行為といえる。こうして侵略者大日本帝国はあの戦争に関し、敗戦国として連合国により裁かれた。事後法だろうがなんだろうがこの裁判は間違いなく世界の歴史的判例となった。むしろ理念的先例ともいえる。法律的又は法理論的敷衍は邪道かも知れず一概に理念的評価はできないが哲学的倫理学的評価はできないことはなく、歴史的検証とその裏づけによりそれは可能だ。

 この歴史認識からすると、人道的な戦争犯罪は侵略か否かで決まるのでなくその戦闘行為につき個別に問われるべきで、その対象はこの戦争に係わるあらゆる国となる。しかし戦勝国が敗戦国を裁くこの法的無謀を敢えて実行する以上問われるのは常に敗戦国の行為の犯罪性のみであった。従って東京裁判はこの観点から十分に理念的とは言えず必ず後世の忌憚ない批判に曝される。その第一の槍玉にアメリカが実行した無差別空襲や原爆の使用が挙げられる。(中断)


詩159

2010年08月12日 17時27分03秒 | 政治論
 武士道がどんなものか果たして浅学につき詳らかにしないが、葉隠れの一節「武士道とは死ぬ事と見付けたり」が一切を表現していると思われる。松蔭の遺句として残された「大和魂」には同じ武士道のこころが託されたように見受ける。沖縄に「ヌチドウタカラ」というのがある。諸所散見するが「命こそ宝」という意味だ。詳しくは問わぬがこれも同様な民衆のこころを感じる。同様な、というのは同じ局面の究極の、人間の魂がありかを示しているという意味だ。投降を促す米軍の呼びかけに応じて一党の長老的としかさが「今はぬちどうたから」と一同をなだめ死に急がんとする若輩をたしなめてみずから投降する。彼は皇民化教育さえ受けない無学の人だがだからこそ余計な玉砕など眼中になく素直に投降して人の命を救った。松蔭は己が身の安全など全く意に介せず思うところの初志を行動で忌憚なく実行し失敗した。失敗は結果にすぎずその行蔵はやがて松下村塾においてあらゆる未来に向かって開陳する。かかる古い日本人の魂のありかを今人に問うて甲斐があるかは知らぬが、かつては間違いなく日本人のなかにあったこうした無私の精神を新しい価値としてどうにか蘇らすことはできぬものか。