国際関係における、現代最大の、奇怪な軍事的片務関係の安全保障条約が日米のそれである。
奇怪な、ということは、現代外交常識にそぐわない奇妙なもの、という意味になる。その事実上の歴史的経緯は今どうでもよい。日本の政治家はじめ各界のお歴々、学者、有識者たちは挙って安保体制の堅持と、より強固な同盟関係、と言い募り、金科玉条の如くこれを拝み奉っている。あるいは、それが最善最高の国家安全保障を保つ唯一の手段であるかのように論っている。
この意見の多くは、極論するなら日米外交関係の担保としてこそ条約を堅持すべきと断じていることになる。つまり簡単に言えば、必ずしもそれは、極めて有効な軍事的安全性を担保することはないが(軍事的戦略的な最上究極の手段ではないが)、アメリカ合衆国という大樹の陰にいれば、あいまいながらも大概は安全性を保障しうるという観点から、あろうことか米国に己の一身を預託しているという意味である。
事の本質は、戦後日本の運命決定に加担した吉田ドクトリンの不作為な承継に過ぎない。何故この、時代環境の変動にも不動の地位を占める同盟は永続的に更新されてきたか。しかも、この国の輿論に見る圧倒的な支持がこれに無反省な後押しをしている現状があるというのだ(ただ一箇所の地方自治体を除いて)。
彼らは何故日米安保を支持しているか。恐らく理由はあるまい。理由、つまり日米安保が必要なものだという理由である。何故なら彼らは、多くの場合軍事専門家でもなくたとえこれを学術的に修学していたとしても、実際上の軍事的展望を自家薬籠中のものにすることなど容易なことではない。従って、現実的には彼らはなにも知らずにこれを支持している。日米安全保障条約の条文すら読んだことはあるまい。
一方、ただ一箇所の地方自治体つまり沖縄県にあっては、こうした他府県の現行事情と大差ない輿論実態にありながら、90%の反対意見を示しているのだが、これはいったいどういうことか。
この自治体には全国展開の74%の米軍基地が集中的にあり、しかもその基地公害を現在進行形で如実に体験しており、更にあらゆる議会制民主主義の手段を駆使して抗議反対しているオスプレイの強行配備を目の前に見せつけられ、かつは、この県の戦後の凶悪な米兵犯罪、米軍機事故とその直接的被害(宮森小学校)を目の当たりにし、更にはおよそ戦争に絡んだ一切の国家的行為が、必ず襲い掛かってきた避けがたい悲劇に関する人々の体験を見聞し、今や自然遺産にも登録されようという亜熱帯樹林を環境アセスもなく切り拓き、破壊しオスプレイパッドにしようとする米国政府の蛮行と闘っている人々がいる。ここが即ち、日米安保の、住民をその騒音爆音で不快にし耐え難い環境にしている現場である。だから、ここの現場の生の声こそこの国の正銘の輿論にほかならないのだ。アメリカの傀儡国家とその国民に一体なにがわかる、といったところか。(つづく)