夏川草介さんの「私的十二論考」から。

2014年03月20日 | 読書
3月15日の信濃毎日新聞に掲載された、作家「夏川草介」さんの随筆。何も考えずに本文に直行した私です。出だしの言葉が「あら、使えるんじゃん」と思いました。

 その昔「お手紙名人」なる人に教えを請うたら、「人様からいただいた手紙のいいところを書き写しておく」ということだった。


 なるほど・・・・なるほど。

 貯金しなければ出せないのは、言葉だって同じなんだ、と目から鱗。何事にも初めの一歩があって、日々の努力の積み重ねなのね。

 「冷ややかな寒風の中に、新たな季節の気配を感ずる時候・・・・透徹した空気が満ちていた夜明けの安曇野には淡い霞がかかるようになり、北アルプスをその麓まで白く染めていた雪は日ごとにゆっくりと嶺上へ引きあげていく。・・・・・」

 情景が浮かぶようなきれいな気品ある文章が続いたのです。

 夏川草介さんは「神様のカルテ」の作者でありお医者様でもあります。

 信濃毎日新聞には月1回ずつの掲載で、12回目の今回が最終回。

 最後に当たり今回は今までとはちがって「文体論」「品ある文読み手に気品」をのせてこられたのである。

 18世紀のフランスの数学者ビュフォンの発言した「文は人なり」その言葉を引用。

 「著作を不滅にする条件は、内容以上に文体である」とビュフォンは文体論で述べているのだとか。

 いくら貴重な知識や発見を書き記しても、文章そのものに趣味も気品も天才もなければ、やがて著作そのものは滅びる定めにある、優れた文体にこそ不朽の人間性が表現されるのだというのが大意である・・・・と夏川さんは書いている。

 そして今巷にあふれている無数の文章は過激で刺激的で浮薄な言葉の数々だと。そしてその責任は熟年時代の側にあると言っても良い・・・自らは手掴みで飯を口に運びながら、子供に向かっては箸を使えと言っても、何の説得力もない。・・・・ここを読んで笑ってしまいました、うまい表現だわと。

 書き手の人間性は文体となって現れる。のみならず文章は読み手の人間性を育てる力も持つ。

 つまりは品のある文は、読み手に気品を育て、空疎な文は空疎な人をつくるのである。その言葉の力こそ、書き手の責務であり矜持であったはずだか、そんな道理も昨今では・・・・・・。

 夏川さんは最後に、1年間「文は人である」と常にこの自覚だけは忘れずに記してきた、と結ばれた。

 最近古典に触れる機会がなかったから、久しぶりに心にど~んと響いた文章でした。

 夏川さんの今後にますます期待したいです!!

                                      依田美恵子

軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家                          


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