万治の石仏です。
万治元年のフツトボールなんて題名の小説を読んだのは、はるか昔でした。
いいお顔しています。
製作年が掘られていますが、万治二年、とも四年とも読めるようですが、万治は三年で終わっています。
でも、あるんですよね、年号が変わったなんて下々に行きわたっていなくて、去年の続きの年号になっているの。
以前見たことがありました。
ちなみに万治は1658年から1660年のことです。
これを見た後、堂上の五輪塔を見に行きました。
堂上という地名は、土地の中でも尊重される場所を指しているのだそうです。
道路の拡張工事をしたら、五輪塔がでてきたのだとか。
室町時代初期の造立とされるようです・・・・・・その形から。この時期望月氏が活躍なされていた時期だったので、そうではないかとされるのですが、講師は資料がないと明言されませんでした。
南北朝時代1335年に小笠原貞宗により滅ばされています。
その後また復活したのでしょうか。
望月氏は1543年に武田信玄に滅ぼされています。
その時のお城が天神城。
現在の天皇が学生時代に卒論の調査で、天神城と五輪塔とお寺をご学友と見学に訪れたそうです。
講師はそのご案内をしたそうです。
その記念碑が両方に建立されていました。
その石碑を見ていた方が、この字なんと読むのでしょうか?と隣にいた私に声を掛けられました。
えー、そんな難しい字、というか難しいいこと書いてありましたっけと、しみじみ眺めました。
この石碑は五輪塔のところのもの
、さすがに裏を見てきませんでした。見てくればよかったわ。
こちらが天神城の石碑なのですが、上記と同じないようですが、反射してよく見えません。
おわかりになりますか、昭和の和が裏返っているのです。
この石碑にどんなドラマがあったのでしょうね。
なんていろいろ想像したのでした。
「氏子」の皆さんがこれを立てておくには、それ相応の理由があってのことなのでしょうね。
講師も初めて知ったとのことですが、決して間違いということではないだろうとのこと。
わー、この訳を私は知りた~いです、どなたか教えて下さい。
読みいただきありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。お帰りになる前に下の3つのうちの一つにポチッをしていただけると何よりもうれしいです、お願いします。
中島木材のホームページは こち
私も知りたい 裏返った和
長野県には石仏がたくさんあるイメージがありますがどうでしょうか?
以前、安曇野にて道祖神巡りをしました。
一昨年は諏訪湖に行った際には万治の石仏に行きました。
石仏に出会うと幸せな気持ちになり癒されます。
でも、それを調べて発表している地域は多くないみたいです。
みかけると近寄ってみるのですが、酸性雨もあるのでしょうか、風化していてよくわからないものもいつぱい。いちばんはこちらに知識がないからですが。
今回の地域は講師の方がいろいろ調査してくれていて、とても勉強になります。
公民館活動がとてもありがたいです。