エンディングノートの作成 早いに越したことは無い 記憶と記録

2024年05月02日 | 家族
佐久バルーンフェスティバルが3日から始まります。
今朝のNHKのラジオでも放送していました。

昨日は天気予報通り、昼頃から雨になりました。
ほんと、よく当たる天気予報です。
野良仕事に行けない夫と、エンディングノートのための土地の確認作業をすることにしました。
さすがに私だけではわからなかったから。

そしたら、夫は名寄帳にナンハーリングした公図まで整理してありました。
う~ん、私古い書類から拾い出していたのにね。
さすが跡取りだわ、私の知らないことちゃんと知っているもの。

それぞれの公図に但し書きならぬ、細かいことまで注釈書き込みました。
ここまで書いておけば次世代バタバタしなくても済むでしょう。

ついでに権利書や古い書類も確認して、用済みの分は別にしました。
それでも、何か調べたいことがあるかもしれないので、すぐには破棄しません。
こんなの忘れていたわ。
敷地の中に青線(水路)が通っていたのですね、そこを市から払い下げてもらった権利書がありましたその買取人が、息子、当時7歳。
もう笑っちゃいましたね、私?夫?の発案だったのでしょうね。
その書類が出てきて、ようやく胸に落ちました。しかし権利書13㎡、名寄帳12㎡ってどうなんでしょうね(笑)
その差は前面道路の後退かな。

もうついでのついでということで、義父が管理していた書類も紐解きました。
なんか面白そうな古文書が見えます。
夫が「今それを開いたら先に進まないよ」と。
まことにその通りです。
義父もいろんなこと書き残してくれていました。
なるほど、そうなんだと。もう知る人もいなくなっているからありがたいです。

巻物2本どこに仕舞ったのだろうということになりました。
記憶が定かではありません。
断捨離が趣味の私でもさすがに処分はしてないはずです。
お軸の場所以外考えられない、という結論に達しました。
箱書きにちゃんと書いてありましたよ・・・・・慌てたわ。
何年か前、整理して写真も撮って中身も分かるようにしたのだけど、記憶は当てになりませんね(笑)
その巻物は菩提寺と神社の由来が連綿と書かれたもの。もちろん読めません。
古文書を解読できる方が、解読してくれました。その文章さえじっくり腰を据えて読まねば読めません(笑)
その読み下し文が、義父の書類からでてきたので、急に思い付いたのでした。

あ~、これもエンディングノートに書き残しておかねば。

どんどん書き残すことが増えてくるのです。

記憶より記録だわね。
何事も早いにこしたことはないと思ったのでした。

読みいただきありがとうございました。

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