諏訪大社の下社秋宮は佐久から行くと、諏訪の入口に当たる。だからしばしばこの横を通るし観光で着たことも1度や2度ではない。
今回はじっくり見学ね、とやっぱり観光はここから。
神楽殿でお参りをした後、横から屋根のタルキを眺めていた私に声をかけてくる方がいらした。
観光ボランティアの方だ。わーラッキーだ。「説明お願いできますか?」となる。
現在の屋根は銅葺きだが、これを檜皮葺きに変えるというか元に戻す工事が来年から始まるという。その檜皮も50年位はもつのではとのこと。
りっぱなてりの付いた破風も替えられるのですか?、と気になるあたりはどうも職業意識が顔を出す。・・・・だってこれを用意するの大変だもの、とついつい。
神楽殿の軒先に鎮座しているのは、昭和25年時の御柱の木の元の方。すばらしく太い最近の最高の太さだとか。最近はこの栂の大木が少なくなってご苦労なされているようだ。
神楽殿でお参りして帰られてしまう方がほとんど。その後にある幣拝殿は、今は工事中で全貌は見えない。その四隅に御柱は立っている。一番柱は17mそして1mずつ短くなる。ここは普通の神社のような本殿はなく、幣拝殿の奥深い森の中にある「一位の木」がご神木だという。そのつもりでお参りを。
御柱の木落しや街中を曳く所はテレビで見ていたが、これを建てるのは見ていなかったので、「ひょっとしてレッカーなど・・・・」と御柱祭のイロハも知らずに聞いててしまったが。昔ながらに人力とロープを巻き込む道具(?)と周囲に立っている木を使って、それこそこれが一番のハイライトなんでしょうね。知らなくて恥ずかしいねえ。
幣拝殿の前に三葉の松、原産は中国北部だという。私も初めて見た。幹が日本の松とは全然違う。ボランティアガイドさんが、この3枚が崩れない葉がご利益があるというわけで、目を皿にする。そうすると周囲には人が集まり・・・みんなでご利益を探す。いいねえ非日常は。
ボランティアさんとお別れしてご朱印もいただき、春宮へ。こちらも大々的な工事中で何も見えず、仮殿でお参りだけ済ませ、「万冶の大仏」へ。
1974年に岡本太郎さんがすばらしいと評価されて日の目をみたらしいこの石仏。
1660年頃の物。当時春宮の石の鳥居を作ろうとしたら、血が出て・・・と、阿弥陀如来像になっている。たしかに大きな石の上にちょこっと乗ったお顔はとってもユニークだ。
左右の本当に小さい田んぼでは稲刈りも済んでいた。よくこんなところまで田んぼを作っている人がいるんだと感心したんだけど・・・・刈られた稲のいかにもという有様が????。
帰り道岡本太郎さんの「万冶の大仏」の石碑の説明文を読んで納得したなー。
その中に「田んぼの中の石仏」をうたった俳句があったのだ。だから観光のために田んぼは必要だったのね。それでも只植えただけって感じがありありで・・・・誰かご苦労しているんだろうなー。
今日はここまで。 続きは諏訪の5酒蔵訪問を。
依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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今回はじっくり見学ね、とやっぱり観光はここから。
神楽殿でお参りをした後、横から屋根のタルキを眺めていた私に声をかけてくる方がいらした。
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現在の屋根は銅葺きだが、これを檜皮葺きに変えるというか元に戻す工事が来年から始まるという。その檜皮も50年位はもつのではとのこと。
りっぱなてりの付いた破風も替えられるのですか?、と気になるあたりはどうも職業意識が顔を出す。・・・・だってこれを用意するの大変だもの、とついつい。
神楽殿の軒先に鎮座しているのは、昭和25年時の御柱の木の元の方。すばらしく太い最近の最高の太さだとか。最近はこの栂の大木が少なくなってご苦労なされているようだ。
神楽殿でお参りして帰られてしまう方がほとんど。その後にある幣拝殿は、今は工事中で全貌は見えない。その四隅に御柱は立っている。一番柱は17mそして1mずつ短くなる。ここは普通の神社のような本殿はなく、幣拝殿の奥深い森の中にある「一位の木」がご神木だという。そのつもりでお参りを。
御柱の木落しや街中を曳く所はテレビで見ていたが、これを建てるのは見ていなかったので、「ひょっとしてレッカーなど・・・・」と御柱祭のイロハも知らずに聞いててしまったが。昔ながらに人力とロープを巻き込む道具(?)と周囲に立っている木を使って、それこそこれが一番のハイライトなんでしょうね。知らなくて恥ずかしいねえ。
幣拝殿の前に三葉の松、原産は中国北部だという。私も初めて見た。幹が日本の松とは全然違う。ボランティアガイドさんが、この3枚が崩れない葉がご利益があるというわけで、目を皿にする。そうすると周囲には人が集まり・・・みんなでご利益を探す。いいねえ非日常は。
ボランティアさんとお別れしてご朱印もいただき、春宮へ。こちらも大々的な工事中で何も見えず、仮殿でお参りだけ済ませ、「万冶の大仏」へ。
1974年に岡本太郎さんがすばらしいと評価されて日の目をみたらしいこの石仏。
1660年頃の物。当時春宮の石の鳥居を作ろうとしたら、血が出て・・・と、阿弥陀如来像になっている。たしかに大きな石の上にちょこっと乗ったお顔はとってもユニークだ。
左右の本当に小さい田んぼでは稲刈りも済んでいた。よくこんなところまで田んぼを作っている人がいるんだと感心したんだけど・・・・刈られた稲のいかにもという有様が????。
帰り道岡本太郎さんの「万冶の大仏」の石碑の説明文を読んで納得したなー。
その中に「田んぼの中の石仏」をうたった俳句があったのだ。だから観光のために田んぼは必要だったのね。それでも只植えただけって感じがありありで・・・・誰かご苦労しているんだろうなー。
今日はここまで。 続きは諏訪の5酒蔵訪問を。
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軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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