巴川河口付近を歩いていると、清水港の満潮に出会った。
そうなると、何処かに海水が上ってきたりしてと思って歩いていたら、それがあった。堤防の扉の隙間から海水が浸み込んできて、道路が濡れている。そして、近くの排水溝に流れて行く。排水溝は巴川と繋がっていない様で、まだ、流れ込める余裕あった。
開閉式の扉の内側にあるコンクリートの塊(二段の階段)が、他の所では全部塞がっていて海水が入らないようにしてあった。ここだけ切れているのは、どうしてなのだろうか。不思議だ。
そうなると、常念川はどうだろう。道路の高さと、川もの高さがほぼ同じ。辛うじて排水溝からの逆流は無かった。よかった。
でも、これは雨がまったくない時の話なのだから、降ってきたらと思うと、気が気ではない。
常念川
そうなると、何処かに海水が上ってきたりしてと思って歩いていたら、それがあった。堤防の扉の隙間から海水が浸み込んできて、道路が濡れている。そして、近くの排水溝に流れて行く。排水溝は巴川と繋がっていない様で、まだ、流れ込める余裕あった。
開閉式の扉の内側にあるコンクリートの塊(二段の階段)が、他の所では全部塞がっていて海水が入らないようにしてあった。ここだけ切れているのは、どうしてなのだろうか。不思議だ。
そうなると、常念川はどうだろう。道路の高さと、川もの高さがほぼ同じ。辛うじて排水溝からの逆流は無かった。よかった。
でも、これは雨がまったくない時の話なのだから、降ってきたらと思うと、気が気ではない。
常念川
「流通大橋も昔は舟で通るとすれすれだったが、どんなに沼がいかってもこの橋だけは出ていた。」(松永繁雄『北街道と巴川』より)
などと書かれていて懐かしいです。
この写真を見て
「やいやい、はあ満潮になっただけでいかりんきてえるじゃん」
などとこのあたりに舟を横付けして瓦の積み卸しをしていた祖父なら怒って言ったと思います。
清水弁を標準語に変換するソフト希望。
水害の多い地域固有かもしれませんね(笑)
上記の松永さんは上土の生まれ育ちです。
もうひとり狩野さんという静岡弁で何冊か本を出されている方の本では「いかり」が名詞として登場し、巴川沿いで水面に岸から覆い被さる草を「ぼさ」(毛が長いことをボサかぶるという語源)といい、ボサかぶって増水で水没している水辺のことを「いかり」と書いておられました。
氾濫する河川の治水工事と共に滅び行く方言かもしれませんね。
ネットで検索しても出てこない(仲間と作った清水弁ページでも抜け落ちてる)(笑)
最近仕入れた方言の本にも表記が無かったので、狭いエリアの言葉かと思いました。
幸いにも、床下浸水にあった事もなく、「いかる」を聞く事もありませんでした。
「おまっちゃぁ、なにょお~しちゃぁいるだか」は、よく言われました。(君たちは、何をしているのですか?)
しかし、常念川の水位は驚きました。画像を見ているだけも落ち着かない気持ちになります。
道の左側は、清水小学校の運動場で、同時に遊水地も兼ねています。水害対策ですね。この道は、大雨が来ると水没し、通行止めに成ります。