私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

行ってきました

2014-05-04 06:03:08 | お出掛け日記
富岡製糸場に行ってきました。
5月3日に出掛ける事は以前から決めていたのだけど、何処に行くかは決めかねていました。

世界遺産勧告で話題の「富岡製糸場」について調べてみると木骨煉瓦造りと言う特殊な構造の建物である事を知り興味が湧き出掛ける事にしたのですが、平時の道のり検索でも片道4時間掛かる行程に家人からは「やめる?」と言われ、気が落ちかけたのだけど其れなら一人で出掛けようと当日朝4時30分に家を出たのでした。

そろそろ東名高速道路の清水I.C.に乗ろうとした頃携帯電話に「着信アリ」。

家人は「行かないなんて言ってない」と言い急遽帰宅。5時頃家人を乗せて再出発の運びとなりました。

ところが東名清水I.C.から新東名に行って見る余りにも多い車両に目的地に到着できないんじゃないかと思えるほどで、連休に出掛ける愚かさを痛感するのでした。

それでもこのまま帰るのも癪なので行けるところまで行って見る事にして、そのまま進むと少しは流れが良くなり少しは気分よく目的地に向かう事にしたのでした。この時はこの後おこる悲劇の事など思いもしませんでした。

東名海老名Jctを北上し圏央道を走れば簡単に関越自動車道の鶴ヶ島Jctに行けるように前日購入したロードマップには書いてあったので行って見ると道路は未完成で相模原愛川で下ろされてしまったのでした。

落ち着いて地図を見直せば高尾山I.C.と相模原愛川I.C.間は14年初夏開通予定と囲み文字が有り地図は先行して開通するなんて知りませんでした。(笑)あらら大失敗と反省。やれやれ。

既に出発時刻が遅くなっているのにさらにアクシデントの上乗せで気分が落ち込んで行きながら無言で運転を続け、仕方なく八王子街道を進み何処から圏央道を探しながら行くと「あきる野I.C.」の看板を見つけホッとするのでした。

この後更に関越道の渋滞にはまり更に藤岡Jctから上信越自動車道の渋滞を見たらウンザリして藤岡I.C.を降りる事にしたのでした。この時既に9時を過ぎ、高岡市が用意した無料駐車場が満車で入れないんじゃないかと気を揉み始めているのでした。

国道254号線を富岡に向けて走ると信号が少ない上に最近見なくなった田園風景が広がり高速道路とは全く違った心の安らぎを与えてくれるので、田舎のドライブに来たんだと切り替えて運転を楽しむ事にしたのでした。

富岡製糸場ホームページの案内図通りに無料駐車場に行くとその広い土地の半分ほどしか駐車されておらずあと150台くらいは駐車できそうで上州富岡駅(上州電鉄)付近にこんなに広い空き地が有る事がある意味羨ましく思いました。




ボランティアの解説員が30名ぐらいを一塊として構内を案内してくれる無料ツアーに同行するのだけど声が良く聞こえないうえに不慣れなようで楽しめないので半分聞きながら写真を写しつつ同行する。

前夜読んだホームページの解説通りの説明にちょっと引き気味にもなるけれど、ポイントを聞き逃さないように聞き耳を立ててはいる…。



此処で感心するのは明治五年に建築された木骨の杉柱が一本で(継が無い)屋根まで通しである事と杉木の中心が柱の中心に成る様に製材している事です。現在では有り得ない構造に驚きます。明治政府の力の入れ方が垣間見えます。

更に感心するのは柱と柱の間の煉瓦を日本の職人が習いながら作りセメントが高価だった時代日本の漆喰を代用して繋ぎ合わせて作られている事です。漆喰の白さが煉瓦をより綺麗に見せています。

また、ガラスと蝶番は当時日本には無かったので全てフランスからの輸入品で当時柱に塗った塗料もフランスからの輸入物だそうです。古い木造なのにシロアリにやられていないのは凄いと思うのでした。

洋館をそのまま建築するのではなく、日本の風土に有った高床式と日本瓦葺に煉瓦壁。
和洋折衷が見事に調和している不思議な建物です。
ポール・ブリュナ氏の考え方(日本には日本に合ったもの)にも共感するのでした。




日本の職人って凄いと思ったのは、明治五年に建築した繭倉庫(ひとつ前の写真)の壁の煉瓦と翌年建築された検査人館の煉瓦では完成度が高くなっている事です。色や形のバラつきが減り更に綺麗に仕上がっているのです。(写真↑)




いよいよ繰糸場に入ります。
明治5年(1872)建築。長さ140.4m、幅12.3m、高さ12.1m。平家建て。




場内は何組もの無料ツアー客でごった返していて説明する場所が渋滞していて先に進めないで居ると、後から来た別のツアーの一団が先に行きますと言いながら背中を通り過ぎて行くのでした。



声の大きい男性説明員のツアーの声が良く聞こえ、そちらにの一団に乗り換える事にして付いて行くと解説が分かり易く繰糸場内の機械が面白い物に見えて来るのでした。

どうもこちらの説明員はベテランで話し方が人を引き付けるものが有るらしく楽しくなって来たのでした。




3.11の時に此処も震度5の揺れが有ったそうですが被害はこの窓ガラスの左下2枚だけだったそうです。
未だに基礎も殆ど水平が保たれていて、地盤の良さと建築技術の高さが証明されている様です。本当に感心します。




フランス植民地様式の建築なので建物の周りにベランダがあり、天井はラチス状に隙間が有り湿気対策をしているそうです。ベランダが北側に有るのは日本では有り得ないと説明された。

背中と帽子の「富岡製糸場」が何とも誇らしそうに見えるから不思議です。

彼は大学でも講師をするそうで、学生は10分で寝てしまうけれど今日は40分も付き合ってくれてありがたいと言い、宿題としてパンフレットの「生き血をとられる」と言うデマが有った所を読んで下さいと講義の様な事を言うのでその場で宿題をやっつけました。(笑)




現存する煙突は鉄筋コンクリート製で昭和14年に建設され物で当時はかなり苦労したらしい。
初代煙突は鉄製だったのだけど明治7年に突風の為倒壊してしまったそうです。

高い煙突は石炭の燃焼効率を高めるためと石炭を燃やす際に出る煤煙対策の為でした。






東側に有る繭倉庫と同じ建物がもう一棟ある。

養蚕の収穫は年に一度だけだったので一年分の繭をここに貯えなければならなかった。しかし、繭を貯蔵する天然の冷蔵庫と言われている荒船風穴(下仁田)の冷たい風(2~3度)を利用して蚕種(卵)の孵化の時期を調整することで、春一階だけの養蚕が年2、3回行われるようになり、繭の生産が飛躍的に増えたそうです。(上毛新聞号外より)



2月14日から15日に掛けての大雪が群馬県では記録的な積雪となり甚大な被害が出たのは記憶に新しい。

その影響がこんな所にも出ていて蒸気釜所隣の乾燥場の小屋が完全に潰されていているのを見ると、世界遺産登録は大丈夫なのかと心配に成るのだけど誰もそれについては触れないので其の儘にして置きましょう。




富岡製糸場を出てしまうと何処でお土産が変えるのか全く分からないと言うより土産物屋が無いと言うべきかもしれません。
観光地として急に拡大して仕舞った為、小洒落たレストランなんか皆無だし小洒落てないレストランも見当たらなくて、有るのは昭和レトロな食堂だったりする。

テレビでも取り上げていた女工さんも食べていたと言うカレーを出す店には行って見ると如何にも昭和な感じで、個人的には落ち着く雰囲気が有り、冷たい水でほっと一息入れるのでした。



カレーライス。

小麦粉を炒めてルーから作っていますと歩行がちょっと不自由なおばちゃんが愛想良く持って来てくれて、テーブルに置きながら「何方から?」と尋ねるので静岡と答えておきましたが、ここは「清水から」と言った方が良かっただろうかと今思ったりします。(世界遺産繋がり)

子供の頃食べていたカレーは確かにこんな味だった。間違いない(長井秀和風もう誰も知らないか)
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