静岡市羽鳥に出掛ける用事があったのでだが、待ち合わせ時間より少し早く着いてしまったので、近くを流れる藁科川を見に行く事にした。牧ヶ谷橋の向こう側に、木枯らしの森が見えた。川の中州に「森」と名をつけるなんて、不思議だなあと思っていたので、インターネットで検索すると、いくつかヒットした。そのなかの一つを転記する。
<木枯らしの森>
木枯らしの森は、藁科川と安倍川が合流する地点からやや上流にある小高い島で、木々に覆われている。
清少納言の「枕草子」には「森はうへ木の森、石田の森、木枯の森・・・」とかかれ、有名な歌枕の森となった。この木枯らしの森は「山城国の広隆寺の東にある木島神社の森」だという説もある。
これに対して「古今和歌六帖」の(新後拾遺集)で
人知れぬ おもひするがの国にこそ
身はこがらしの森は ありけれ
と詠まれており、清少納言は「古今和歌六帖」を座右の書として使っていたといわれている。
また、江戸中期の国学者「本居宣長」は、駿府の国学者野沢昌樹の願いにより撰文をつくりあげ「木枯の森碑」を完成させた。撰文では木枯らしの森の荒廃を再興させた羽鳥村の名主石上長隣(藤兵衛)を称えている。
島の丘の上にある神社の脇には、本居宣長の撰文が彫りこまれた石碑が建っており、人々のこの森に対する思い入れを物語っている。
http://sunpu-rekishi.canariya.net/1gakukai/3hatori.html
ちょっと、面白そうなので、今度は、時間を作って、木枯らしの森を登って見ようと思った。でも、あの中州には、どうやって行くのだろうか。地元の人に、聞いてみることにしよう。
<木枯らしの森>
木枯らしの森は、藁科川と安倍川が合流する地点からやや上流にある小高い島で、木々に覆われている。
清少納言の「枕草子」には「森はうへ木の森、石田の森、木枯の森・・・」とかかれ、有名な歌枕の森となった。この木枯らしの森は「山城国の広隆寺の東にある木島神社の森」だという説もある。
これに対して「古今和歌六帖」の(新後拾遺集)で
人知れぬ おもひするがの国にこそ
身はこがらしの森は ありけれ
と詠まれており、清少納言は「古今和歌六帖」を座右の書として使っていたといわれている。
また、江戸中期の国学者「本居宣長」は、駿府の国学者野沢昌樹の願いにより撰文をつくりあげ「木枯の森碑」を完成させた。撰文では木枯らしの森の荒廃を再興させた羽鳥村の名主石上長隣(藤兵衛)を称えている。
島の丘の上にある神社の脇には、本居宣長の撰文が彫りこまれた石碑が建っており、人々のこの森に対する思い入れを物語っている。
http://sunpu-rekishi.canariya.net/1gakukai/3hatori.html
ちょっと、面白そうなので、今度は、時間を作って、木枯らしの森を登って見ようと思った。でも、あの中州には、どうやって行くのだろうか。地元の人に、聞いてみることにしよう。