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私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

久能観音道2

2008-05-01 14:05:33 | 旧久能街道
更に進んで行くと、道なのか、空き地なのか分りにくくなるのだけれど、古い住宅地図を見ると、はっきりした道になっていたので、更に進んでみる事にする。
住宅の隙間から見えた道路は、大沢川沿いに走る道だった。あそこに出ればいいはずだ。

道は更に狭くなり、蜜柑畑に入っていくような感じになるが、行き止まりにはならずに、畑と住宅を分ける狭い農道となり、住宅の軒先を通りながら大沢側の道に出た。(やれやれ、これじゃあ、空き巣と間違えられちゃう)

川の反対側を見ると道が続いているように見えるのだけれど、船越小学校の東側を通るだけで、新しく出来た道のようだった。此処から「力石」に向かい、久能観音道の復習をする。

久能観音道

2008-05-01 11:38:37 | 旧久能街道
静岡市清水区南矢部。ミニストップ清水川原町店の道路を挟んで向いにある道。
前回、久能観音道の終盤に隊長から古道がある事を聞き検証する事にした。

人が通る事がやっとの狭い道であるが、アスファルト舗装がしてある。これは、公道として、区が監理しているのだろうか。

力石

2008-04-14 16:13:34 | 旧久能街道
久能寺観音道をジャスコ清水店附近の石碑から南下する。
誓願時→白髭神社→山田池→玉泉寺まで来ると、道は寺で消えている。行き止まりかと思っていると、IYAさんが、こっちに道があって行ける筈ですと言うではないか。どう見てもそれは墓地を通る道で、これには隊長も、脱帽していた。

更に伊勢神明宮に参拝して婦池(船越堤)に出た。途中で、此処が道かと思えないような水路の上とか、家屋の軒先を通る事になり、ますます、怪しい三人組になってしまった。

夫池(船越堤)の東側を通り、「先日、船越堤の桜を見に来た時に、此処に車を止めて見に行きました。」と自慢げに言うと、そこは駐禁取り締まりのメッカとかで、「よく無事でしたね」と逆に感心されてしまった。幸運気を又一つ使ってしまっていたようだ。

火葬場から降りてくる道に出る少し手前に、伊勢神明宮があり(ここも?:静岡市清水区北矢部)、以前、この石をブログに載せた友人が力自慢をしようと言っていた事を思い出し、三人ならば持てるかなと思って近付いて石を見た瞬間、「無理」と一言。
最近の子供が、何もやらないうちから「無理」と言うのを叱れないほど、早い判断だった。三人とも「ぎっくり腰」になってら、笑えませんからやめました。

さて問題。この火葬場の道から、久能寺(現、鉄舟寺)までは、何処を通ったのでしょうか。古そうな道が無く、宿題として、書きとめて置くことにしました。隊長からヒントがありましたので、その繋がりを、近日中に歩いてきます。
そんな訳で、終着点のスイートママに向かい、コロッケパンを買うのだった。

あやしい二人

2008-04-13 17:07:16 | 旧久能街道
暫くIYAさんの案内で、旧久能街道を行くと、怪しい男と諜報部員が任務の打合せをしている所に出くわし、隊長の指示で、暫く様子を伺う事になった。

当時の街道と思われるところは、水路だったり、墓地の中を通る道だったりして、自転車を置いてきたことは、大正解だった。
ふと目を放した隙に、怪しい男と諜報部員の姿はなくなっていた。

現地集合

2008-04-13 16:26:29 | 旧久能街道
朝5時からパソコンのメールチェックをして、計画に変更のないことを確認する。
5時55分。宮下橋に着くとサドルに跨った隊長が、「さあ行くぞ」と言う顔をしてこちらを見ていた。後で聞いた話では、焼豚屋の「○平」の匂いで、腹がグーグーだったそうだ。
では、出発。チャリで、幻の「轆轤川(ろくろがわ)」の川筋を上り、途中でIYAさんと合流して旧久能街道の石碑(ジャスコ附近)から、山側の旧久能街道を行く事になっているのだった。

天候は、明るい曇り空で、これなら大丈夫そうだ。(塾長は、都合により不参加になってしまったのが残念)常念川に流れ込んでいた轆轤川は既に暗渠になっていて、その存在を知っている人は少ないと思う。北矢部2丁目イエロー帽子の東側で常念川が曲がっているが、そこが、轆轤川が流れ込んでいる所で、そこからマンホールと暗渠を頼りにロリエ月見町店の横を通り、更に清水では有名だったと聞く、とんかつの「とのおか」の横を通り、清水月見公園に出る。
隊長の説明では、「大沢川は此処を流れていて、常念川にくっ付いていただよ」と言っていたと思う。

IYAさんと待ち合わせの鉄塔に行き、チャリをIYAさん宅に置かせてもらい、散策が始まった。
これが…、あれが…と、IYAさんの案内で、石碑に到着。

「久能寺観音道」
この道標は、安永七年(1778)に妙音寺村の若者の寄進により造立されたものである。
ここに書かれている久能寺観音道は、この平川地から有東坂・今泉・船越・矢部・妙音寺・鉄舟寺(久能寺)に至る有度山麓を通る道のことである。


石碑近くにある説明看板に記載されていた。
此処から、旧久能街道の散策をスタートする。遠足の始まりのようで、ワクワクする。