masaring

自己チューの進行形日記でshow。

誕生日を別角度から。

2007年12月06日 | masaringの内緒話

20071205_005

【誕生日。今日の音楽は何かな?PCへ音源取り込み真っ最中。】

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今年も誕生日が訪れた。生きてたら当たり前だよね。
著名人は、亡くなった後も「生誕○○年記念」ってのがあるけど。

今日、50を超えて何回目かの誕生日。
昨年の今日の記事を読めば年齢がすぐバレルけどね。

ずっと現役世代でいたい気もするし、、、。
早く定年にならないかな。それまでは無事にと思うことも。

ブログを始めて3年7ケ月。
掲載数は他のブロガーより極端に少ない。
でも、「誕生日」の日の記事は欠かしたことが無い?。

例年、同じ年齢で活躍している人の生き方を紹介してる。
でも、今年は!。へそ曲がりのmasaringです。

山田風太郎氏の著書に「人間臨終図鑑・上、下巻」がある。
私の年齢で亡くなった方。ずらりと紹介。でも上巻に掲載。
下巻まではまだ長く生きる必要がある。
まだまだ生きて、苦労せよということか。
ということで、私の年齢で亡くなった歴史上の人物を紹介。  

Ya_2

  
五十★歳で死んだ人々(著者の文を転載)

◎足利義政(あしかが・よしまさ)氏

相つぐ天災、飢饉をかえりみず豪奢な趣味生活にあけくれて、
ついに応仁の大乱をひき起こした足利八代将軍義政は、
大乱が起ってもこれに傍観者の立場をとり、
権謀好きで驕慢な妻、日野富子とも断絶し、
晩年にはいわゆる室町芸術の粋をつくした
東山山荘の建築に没頭した。

実に、この無責任な将軍は、しかし、建築、庭園はもとより、
能、茶、花道、絵画、連歌など、およそ時代の名冠する
あらゆる日本文化の中で最高峰ともいうべき、いぶし銀の如く
幽玄な室町文化の完成者でもあったのである。

果てしない大乱を見つつ、彼はニヒルの極北とも、
禅的な悟りとも、芸術の法悦ともつかぬ心理状態に
あったのであろう。そのころの彼の歌。

「何ごとも夢まぼろしと思ひ知る
  身にはうれひもよろこびもなし」

その東山山荘の全容がまだ完成しないうち、彼はそこに
移って工事のさしずをしていたが、文明18年50歳のとき
軽い中風症状を起し、また小便が近くなった。

そして、山荘の一部としての銀閣寺の建築にとりかかった
延徳元年の4月12日、脳溢血が再発して半身不随になった。
その年の暮には言語障害が甚だしくなり、
翌延徳2年1月5日から危篤状態におちいり、7日午後4時ごろに
死んだ。江戸城を築いた、太田道灌が殺された4年後のこと。

奇しくも、享年は2人共同じ年齢である。

~最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う。・・・風太郎~

【私がこの時代、この地位にあったら同じ事してたと思います。】

Ya_3

それでは、今日の音楽です。私の誕生日です!!。我が町誕生
40周年イベントの時のテーマ曲にしましょう。歌詞に町名が!
聞き流してね「FOREVRR  我が町。」下↓をクリックです。

Forever かつらぎ

200712022_007

【誕生日。温泉に行けないから、裏庭の紅葉でも眺めてましょう。】

 

コメント (4)
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