masaring

自己チューの進行形日記でshow。

『定年後』。

2017年07月18日 | お薦めの一冊。



【ベゴニアのプランターの花道。】

私のPCと音楽部屋への両脇は、ベゴニアのプランターの花道。
冬はビオラだったんだよ。
夏はやっぱりベゴニアだね。
情熱っぽくて気分を高揚させてくれ「やるぞ!」という気持ちが
自然に湧いてくるよね。



【間伐した表の柿畑の花壇部分。】

毎年ベゴニアを植えていた表の柿畑の花壇部分。
今年は「ぐんぐん大きくなるペチュニア」と
サントリーが開発した宿根バーベナの園芸品種で
雑草防止にも役立つという謳い文句のタピアンを植えた

どちらも面積を拡大しつつ、両者日々、互いに侵食しているが、
この勝負、どうやら軍配は
「ぐんぐん大きくなるペチュニア」に
あがりそうだ。



【濃い青色のデルフィニウム。】

長い花穂が華やかなエラータム系のデルフィニウム。
大好きな花だ。5月に一度満開になったが、短く切り戻したら
密度は少ないが昨年同様この季節にも咲いた。

本来は多年草だが原産地が山岳地帯なので真夏に枯れる。
残念至極である!! 



【ベルガモット(モナルダ)の藤色。】

ベルガモット(モナルダ)。ハーブである。
和名はタイマツバナ。赤色はまさしく松明だ。
暑さに負けず、力強く咲くのだが、
繁殖力の強いハーブのミントと同じ所に植えたせいで
赤色は消え、藤色も僅かとなってしまった。





【赤色のキンギョソウ。】

鮮明な色彩と色幅のバラエティに富み、
春めいたにぎやかさを感じさせる花だ。
本来5月の花だが、切り戻しをしたら、
ほぼ周年咲く嬉しい花だ。

しかし、真夏の高温多湿の蒸れで枯れてしまう。
一年草扱いだ。惜しいな。



【今年もフウラン(風蘭、富貴蘭)の花が咲いた。】

フウラン(風蘭、富貴蘭)は、日本原産のラン科植物のひとつで、
樹木にくっついて生活する着生植物だ(寄生植物ではない)。
我が家は庭のシンボルの松の幹で咲いている。
成長は極めて遅い。

この大きさから推測すると、
多分亡祖父が80年程前に着生させたものだ。
花が美しく香りも良いよ!!





【実に久しぶりに、私、まっちゃん。本を読んでいる。】

2017年4月発売で、現在9刷14万部のベストセラー。
楠木新氏、著の『定年後』である。

のっけから「人生は後半戦が勝負」。凄い!
私、まっちゃんは勿論当事者。

文章も楽しく、サービス精神が効いているこの本。
今後の人生の指針となれば幸いである!!

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「神去なあなあ夜話」。

2013年10月29日 | お薦めの一冊。

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【今作↑。前作「神去なあなあ日常」のブログ記事←左クリック。
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椎間板ヘルニアによる左足の激痛で苦しむ毎日。只今休業中。
でも、何かをしたいという心の余裕が生まれ、以前感銘した
「神去なあなあ日常」の続編で、
長い間積んでおいた「神去なあなあ夜話」を読んだ。
これは、滅多に無い林業青春小説のパートⅡである。
爽快な読後である。非常に落ち着ける。
三浦しをんさんの世界は優しい。
煩悩に塗れた生活の中で「ふっ」と安らぎを感じる!。
昔から大事にされてきた人の根底にある「何か」を感じる!。
オアシスのような作品だ!。

私が18の頃、この本が発刊されていて読んでいたとしたら
今の私は全然別の人生を歩いていたかも知れない、、、。

「神去なあなあ日常」が映画化され来春公開される。楽しみだ。
しばし、足の痛みを忘れることができて良かった。
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3

【本を読んでいる間中、神去ってこんな所!と想像した風景。】

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森のお店やさん。

2010年10月11日 | お薦めの一冊。

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【この吊り橋を渡れば「森のお店やさん」に行けるのかな?。】

※今回の記事に、上↑の橋は全く関係無いのですが、、。

Kigi

「森のお店やさん」とは、1998年に初版が発行された
児童書のタイトルである。

児童書であるが実は、現代という時代を生きる、おとなに贈る
メッセージ集であると思うのである。

林原玉枝さんの詩的で美しい言葉が、
はらだたけひでさんの絵とぴったりである。

森には、いろいろな動物たちが住んでいる。
その動物たち、実は、いろいろな「お店やさん」を
営んでいるという内容である。

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きつつきの「おとや」、たぬきの「おみくじや」。
はりねずみの「ぽけっとや」、きつねの「かげ売り」。
もぐらの「おやおやや」、かみきりむしの「空のおふねや」。
ぎんめっきごみぐもの「伝言板」。

音を売るきつつきのアイディアがとても愉快だ。
ほかにもたぬきやきつねなどが、タイトルどおり
それぞれの特技(?)を生かした
楽しいお店を開いているのだ。

ひとつひとつの話は短いのだが、
それぞれに森での
季節の移ろいも織り込まれていて、
心温まる1冊である。

この本、静かな秋から冬の夜に読むと
人間本来の心が取り戻せそうなのである。

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あみのむこうは、青い深い空。
あたらしい、銀色のあみの上に、
金色の糸で落書き。
「おはよう」
「だいすきな、あなたへ」
「とどけよう森のうた」
「あいしてる」

最後の作品では、雪の森が出てくる。
そう、雪景色である情景が浮かんでくる。

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どれもこれも、生活に不可欠ではないけれど、
なんだか楽しいお店の数々。

みんなに楽しんでもらおうと、
森の中で動物たちが、
はりきって仕事している
様子が想像できる。

でも、現代社会で忘れられたこと、
実は生きていくうえで、忘れてはいけない
大切なことを、この本は再認識させてくれる。

そう、実は生活に不可欠なものばかりなのである。

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ある方が「眠くなる本」とブログで紹介しているが、
退屈で眠くなるのではなく、
この本のような世界が、人間の世界でも
築けたら、安心して眠ることができる。という
願いを込めて掲載しているのだと思った。

実に奥深い本である。
そして何度も読み返したい本である。

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【動物たちは、森の中から人間の営みを観察してるんだよね。】

Kigi

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ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘。

2010年09月18日 | お薦めの一冊。

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【本の3人の女性の心象風景は、上↑だと読みながら思った。】

Daria

「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘。」は
本のタイトルである。

タイトルが秀逸である。なるほど、、、。
「レレレ」と「ラララ」は、「ゲゲゲ」ほど
ピンとは来ないが、わかってしまえば
膝をたたきたい気分だ。

ゲゲゲの娘とは、水木しげるの次女。
レレレの娘とは、赤塚不二夫の長女。
らららの娘とは、手塚治虫の長女。

この本は、偉大な漫画家3人の娘による、対談集。
実に面白い。

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読みどころは、3人の巨匠の家庭での姿。
人間としてのホントの部分が書かれていて、
娘の視点は鋭いなあと感じた。

異次元のレベルで破天荒な赤塚。
マンガの隆盛とともに巨大化していく手塚。
あくまで「家業」としてマンガに専念する水木。

この本を読んで、私は3人の巨匠の真の姿を知った。
彼女たちは戦後漫画界の産土神、破壊神、創造神の
娘らである。

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しかし、これがなかなか苦しいものらしく、
タイトルで感じるほど大らかには
生きてこなかったようである。

蛙の子はカエルとはいかないのは想像に難くない。
人間の子は人間でしかないからだ。

神様とは他人にとっては実に有り難いものでも
あると同時に、肉親としてそばにいられたら
どう接していいか迷うことも多いと知らされる。

親が有名になると、「お父さんの話を聞かせて」と
気軽に聞かれ、改めて自分の父を、家族としてではなく、
有名人として認識し直さなければ
世間的に許されないという苦しさは、
(この本を読んでみなければ)わからなかった。

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特に、手塚ファンである自分には、ラララの娘の心情吐露と、
成人したのち手塚作品に向き合っている姿に
一番共感を覚えた。

手塚の女性感も冷静に語っているし、
作品の理解の仕方はなかなか深く、
かつては屈折も深かったと思われるが、
さすがラララの娘と思わせる。

手塚の隠れた秀作(!)「ペックスばんざい」を
「娘が選ぶ父の傑作漫画」に挙げているのにも
それは表れている。

この3人の父親は表現者である。
一種の職人や芸能者だと思う。

彼らは、今ここで何を表現できるか、に
存在自体をかけているところがある。
(締め切りという制約も含めて)
明日ではなく、常に「今」なのである。

修行して5年後に、とかでは意味のない
世界で生きてきたのだ。

手塚は「アーティストになるな、アルチザンであれ」と
いったらしいが、実に自身を知った厳しい言葉だ。

要は芸術家ではなく(あえて)職能者であれ、
ということなのだろう。そのキビシサが
3人の娘たちの発言からも伺える。

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「ゲゲゲの女房」の本が面白くて、この本に至ったのだが
妻は、苦悩と喜びが交錯する毎日であると同時に

その子どもたちも苦悩の喜び、そして自分と向き合う毎日が
日々連鎖していることを痛感したのである。

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凡人の子に生まれ、凡人に育った私には
その苦悩が羨ましくもあり、のほほん生活の私が
しあわせであるとも感じた次第である。

この秋、お薦めの一冊である。

Yuugure

【これからは秋の夜長。食欲の秋・芸術の秋・読書の秋である。】

Daria

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かいじゅうたちのいるところ。

2010年08月15日 | お薦めの一冊。

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【↑。この記事にピッタリの写真ですよ。Мさん撮影を拝借です。】

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「かいじゅうたちのいるところ」は
アメリカ合衆国の絵本作家
モーリス・センダックの絵本である。

1963年に出版されロングセラー。世界中で
現在、約2,000万部の売り上げだそうだ。

日本でも1975年に訳された絵本が出版されて、
約100万部のベストセラーとなっていると言う。
そんな情報を得て、興味本位でこの絵本を読んだ。

Ha1

物語は、主人公のマックスが大騒ぎしたので、
母親に、晩ご飯抜きで自分の部屋に放り込まれたら、、。

部屋の風景が一変して海に航海に
出かけるところから始まる。

そして、航海して着いたのが、
「かいじゅうたちのいるところ」なのだ。

いつのまにか、主人公はそこの王様になる。

でも、そこの生活にも心が満たされず
最後には、また自分の部屋に戻ってくるのだが、
部屋には、ちゃんと夕御飯がおいてあって、
まだ、ほかほか温かかったという結末である。

ハラハラどきどきするが、何かほっとさせられる。
やはり、我家が一番ということなのだろう。

この『かいじゅうたちのいるところ』。
実写版で今年映画化された。

DVDで是非観て見たいものだ。

En2

私の子ども達が幼い頃に、この絵本の存在を
知っていれば読ませたかった。

だから、孫が理解できるようになったら
是非、読み聞かせしてあげよう。

何と言っても、センダックの描く怪獣の絵が
細かくて魅力的だ。

それに「かいじゅうたち」は
「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪にも
通じるところがあるような表情をしているからね。

喜んでくれるか?怪獣の絵に怖がって泣くか?
アレレ、またもや気の早い、じぃじになってるわ。

Ha1

Photo

【夏の暑さにも負けずサルスベリは元気。百日紅と書く所以。】

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【それじゃ、野牡丹さんに、この絵本の読み聞かせをするね。】

En2

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