masaring

自己チューの進行形日記でshow。

welcome home。

2009年10月28日 | 音楽!何でも大好き

 

20091018nowagaya_001

【木山裕策さん。41歳にして1stコンサートツアー。初々しかった。】

彼について以前こんな記事を書いた⇒右をクリック。「Memolial。」

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

その木山裕策さんが、初めてのコンサートツアーを行ったのだ。
ツアータイトルは、、、。
木山裕策1stコンサートツアー2009“welcome home”。

私は当然、大阪。サンケイホールブリーゼ会場へ行った。
「お帰りなさい。」タイトル名が彼らしくて良いよね。

「welcome home」。はっきり言ってすごく感動した。
年齢層が幅広くて、小さな子ども連れの家族。そして
私より遥か年上の人達もたくさん来ていたのです。

初めてのコンサートツアー、前半ちょっとぎこちなかったけど
途中からは、すごくノリノリで手を振ったり手拍子をしたり
感動し涙を流したり‥している姿を見ました。

当然私も、すごく感動しましたよ。
41歳で、どうしてあんなに初々しく歌うことができるのでしょう。
歌は勿論上手だし、すごく声が綺麗でしたよ。

聞き惚れてしまいました。
CDより生の方の歌声が良い人ってあまりいませんからね。

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

木山さんは、大阪・京橋出身だそうです。
現役サラリーマン腰の低い課長さんをしているみたいです。

ありがとうは仕事柄よく使う言葉だけど
心の底から「ありがとう。」と言ったことはあまりない。
「今日、言わせてください。」彼は言った。

「僕を産んでくれてありがとう。」
「僕を育ててくれてありがとう。」
席を立ってスポットライトを浴びている、
ご両親に木山さんが『産んでくれて、ありがとう‥』
感動しお母さんは涙を流していました。

ご両親は観客席のみんなに何度も頭を下げていました。
そう、会場の最前列には彼の両親が来られてたのです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

大阪で生まれ、大阪外国語大学を出て24歳で東京へ。
歌という夢を追い求めて親を心配させた。
会社の健康検診で甲状腺に腫瘍がみつかり手術。
一時は声が出なくなるかもと言われた。その時、彼35歳。

この35歳の時の病気と四男の出産をきっかけに
歌手への想いが捨てきれずにチャレンジしたそうだ。

頭で決めた事は損をしないけれど、
心で決めた事は後悔をしない。

彼は会社では前述のように課長職。
当然、音楽活動は土・日曜日に限定される。
安定した生活を過ごせば、損することはない
だけど、心で決めた夢に向かっていくのは
リスクがあっても後悔はしない。

彼は家族を家庭を大切にしながらも夢を諦める
事がなかったから、40代にして夢は叶ったのだ。

welcome home。彼のコンサートにふさわしいタイトルだった。

1.Good morning
2.ミックスジュース
3.幻
4.horori
5.Lie
6.【新曲】
7.桜並木
8.イルミネーション
9.【アコースティック】
10.【アコースティック】
11.ありがとう
12.永遠
13.home・・・。そして、2度のアンコール。

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

私もこの人生、夢を諦めずに生きて行こう。

20091024_006

【我がhomeで飲む酒はやはり旨い。ピラカンサスは我が家産。】

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄紀行、総集編。

2009年10月25日 | ちいさな旅。

Okinawa20091012_0942

【万座ビーチの夫婦岩。対岸に結婚式専門チャペル。納得した。】

Okinawa20091012_147

【世界遺産「今帰仁城跡」。中国の万里の長城を彷彿とさせた。】

Okinawa20091012_193

【首里城の正殿の屋根。中国・韓国・日本文化の交流を感じた。】

Iro

※今年の正月、長男から初めて彼女を紹介された。
 結婚の意志も聞かされた。結婚式の計画も聞かされた。
 まだまだだと思っていたが、10月はあっと言う間に訪れた。

 親として、結婚に際し長男に何もしてやれなかった。
 反対に沖縄への招待旅行をプレゼントしてくれた。

 
そして、それは全国各地に離れて暮らす家族が遥か遠くの
 沖縄の地で、久々に全員揃うという粋な計らいでもあった。


Iro
 Okinawa20091012_229

【沖縄の空と海はどこまでも青かった。同時に心も透きとおった。】

Okinawa20091012_283

【那覇空港では、勿論人々の守り神シーサーが見送ってくれた。】

Iro

※長男夫婦はすでに新しい旅をしている。社会生活という旅。
 理想と現実はあきらかにかけ離れている。

 親として願うことは、この人生という旅、
 ふたりで寄り添って、苦労も共に乗り切って欲しい。


 素敵な「沖縄紀行」。の記事を書かせてくれた
 ふたりに心から感謝します。ありがとう。

 沖縄紀行、ひとまず完結であります。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄紀行、其の六。

2009年10月22日 | ちいさな旅。

Okinawa20091012_006

【沖縄花紀行。一泊目のホテル、花も出迎えてくれました。】

Okinawa20091012_004_2

【南国代表のブーゲンビリア。ホテルの中、花で一杯でした。】

Okinawa20091012_076

【結婚式昼食会場も沖縄の花のアレンジメントでお化粧です。】

Okinawa20091012_135

【二泊目のホテル。今度は、色とりどりの蘭が迎えてくれました。】

Sandanka

【「ひめゆりの塔」の横に真っ赤なサンダカの花が咲いてました。】

Okinawa20091012_258

【沖縄の民家屋根にはシーサー。庭は南国の花が印象的でした。】

Sakura

※桜前線という言葉がある。そう、桜は日本の南から咲いて
 長い期間を経て日本の北へと満開の旅をする。
 日本共通の植物もあれば、そこでしか目にすることが
 できない植物もあるのだ。
 だからこそ人々は旅をする。花紀行。日本はやはり素晴らしい。

 沖縄紀行、総集編へと続きます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄紀行、其の伍。

2009年10月20日 | ちいさな旅。

Okinawa20091012_070

【沖縄食紀行、結婚式の昼食会。沖縄料理の盛り合わせ前菜。】

Okinawa20091012_073

【沖縄ミーパイ・車えび・アオリイカのコラボレーションです。】

Okinawa20091012_074

【沖縄県産豚バラ肉の赤米煮込みと彩り野菜の取り合わせ。】

Okinawa20091012_167

【やはり「沖縄そば」は外せない。名護市の「中山そば」。旨い。】

Okinawa20091012_204

【国際通りの民謡ライブ居酒屋「地酒横丁」です。泡盛が旨い。】

Okinawa20091012_291

【お土産は、泡盛・主(ぬーし)。と、さーたーゆ、それに四季柑だ。】

3nin

※食の文化もそれぞれの地域で異なる。長い歴史と風土の上に
 その地域の「食」も確立されたのである。
 確実なことは、人は食べるという行為をする生き物である。
 「食」、「飲」、そして「宴」を通してその地域の文化にふれるのだ。
 太古の昔から、夫々の地域にそれぞれの文化がある所以だ。

 沖縄紀行、其の六。に続きます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄紀行、其の四。

2009年10月18日 | ちいさな旅。

Okinawa20091012_184

【沖縄は歴史・観光・平和を考える所。首里城。歴史だね。】

Okinawa20091012_178

【首里城では毎日舞いのステージ。観光スポットなんだよね。】

Okinawa20091012_240

【平和祈念公園。TVでは知っていたが身近で見ると胸に迫る。】

Okinawa20091012_245

【ひめゆりの塔の横の千羽鶴。平和のありがたさを感じた次第。】

Okinawa20091012_270

【沖縄戦跡国定公園。付近には、さとうきび畑が広がっている。】

Okinawa20091012_2592

 

【沖縄島最南端の岬「喜屋武岬」。戦争の歴史は繰り返さないで。】

Akahana

※人々がたくさん訪れる場所には、それぞれの理由がある。
 単なる景色の良さだけでは無いはずだ。
 栄華の歴史、戦争の歴史、鎮魂の歴史、発展の歴史。
 そう、断言できることがある。こうして人々が集うのは
 先人達の英知と苦労、そして様々な犠牲の上に成り立っている。
 人々の命のリレーを、絶やしてはならないのだ。

 沖縄紀行、其の伍。に続きます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする