masaring

自己チューの進行形日記でshow。

流れついた神様。

2008年08月28日 | masaringは、芸術家!??

Kinokawa01

【今回は私の地域の民話。民話を次代に伝えるのも大事だね。】

先ずクリックして歌を聴いてネ。
      ⇩

流れついた神様のテーマ。

むかし むかし そのむかし
紀の川を ざんぶり 紀の川を ざんぶり
流れついた神様 神様のお話 

■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回

地域の民話を地域のこども達がミュージカルで演じた。
冒頭の歌はこのミュージカルのテーマソングだ。

私のライフワークのひとつの第一弾の元はこんな民話。

Tori

むかし奈良に都があったころ、八歳の聖徳太子が
薬師如来の仏像を一夜のうちに作りました。

この仏像は、聖徳太子の父・用命天皇から十九代の間、
大切にまつられてきました。

今から七百年も前、わが国は南朝と北朝に分かれ
戦が起こりました。後醍醐天皇は戦をのがれて

大和の国・吉野に宮殿をうつされました。この宮殿を
吉野の人々が力を合わせて守りました。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

天皇はお喜びになってお礼として、薬師如来の仏像に
正一位大明神の高い位をおくり、大和の柏木村へ
氏神として授けられました。

延徳三年(1491年)、村の人々が森の木を切り出したところ、
翌年に恐ろしいはやり病が広まり大勢の人が亡くなりました。

村の占い師は「これは氏神さまのたたりだ。」と申しました。

村の人達は、「俺たちを守ってくれない神様なんかいらない。
村から出て行ってもらおう。」と言うことになりました。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

その明くる年、この仏像にニワトリのもんのひたたれを着せて
はねつるべの井戸に入れて責め苦しめた上、真夜中に

吉野川に投げ入れました。仏像はやがて紀の川へと
流れて行きました。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

それから三年後のある夜、紀州滝村の桂川さんという人が、
「大薮村のあたりに、仏像が流れついている。」と、
夢で神様のお告げを受けました。

桂川さんは、さっそく山を下りて紀の川の畔へやって来ました。

川岸であちらこちらと探したところ、少し川上の中洲に
どうもそれらしいものが目に入りました。

急いで川をわたり、こもの包みを開けてみると
やっぱり仏像でした。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

桂川さんは不思議な夢におどろきながら、仏像をきれいに
洗い清めました。帯で背負い野道を帰って行きました。

途中、柏木村の宮の岡というところの大きな石の上に、
仏像を下ろして、ひとやすみしました。

ふたたびこの仏像を背負おうとすると、石の上におすわりに
なったまま動きません。いたし方がないので、桂川さんは
仏像をそこに残したまま滝村の家へ帰りました。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

その後、柏木村の左近さんという人が、仏像を大石のすぐ北の
小高い丘へ移しました。大きなクスの根元に、小さな祠を建てて
おまつりしました。これが紀州の柏木神社の始まりです。

江戸時代の初めごろ、正一位大梵天王宮の位を受けてから、
この神社を「天王社大明神」とも呼ばれています。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

お宮の神様が薬師如来の仏様であるということは、
まことに、めずらしいことなのです。

薬師如来様は、この紀州の柏木村大和の国の柏木村
景色が大変よく似ているので、懐かしく思われたのでしょうか。

大きな石の上から動かなかったのも、この土地に心ひかれて
御座所と決められたのでしょう。本当に不思議なことです。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

お社の宮ノ岡は日当たりのよいところで
紀の川までながめることができます。

流れついた神様をおまつりしてから500年の間、氏神さまに
守られて、村の人々は平和な日々を過ごしています。

Tori

 

このお話。24年前に初演。6年間隔で4回上演した。
ストーリーを楽しくするため少しずつ脚色を変えたが。

現在。大和の柏木と紀州の柏木の交流があるらしい。

人々は歴史を刻みながら、今を生きている。

■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回

むかし むかし そのむかし
紀の川を ざんぶり 紀の川を ざんぶり
流れついた神様 神様のお話 

それでは、最後にもう一度この歌。下↓をクリックしてネ。

「流れついた神様」 詞・曲・演奏は私。 歌は柏木の子ども達

■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回

8151_004

【人の心は移ろいやすい。でも花の心で次世代に伝えたい。】

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀河の未来。

2008年08月27日 | masaringは、芸術家!??

810_005

【大宇宙の中で花を咲かせる花虎の尾。これも一つの奇跡だ。】

Iro

今日の記事は、私の詩と歌です。ダラダラした前説は無し。
ただ言いたいことは、

同じ時代に生まれてくれて、ありがとう。

そして、知り合えてありがとう。

Tyei

『銀河の未来』    by  masaring

生きていくことは たいへんだけど
空いっぱいの 星をみつめていこう

青い地球を照らす星屑
あしたのしあわせ 思いながら

あなたとめぐりあう喜びを
今、感じはじめた 遠い銀河の
光に感謝しています

銀河のかなたまで みんなで歩こうよ 
明日を夢見て 

  

   あなたと生きていく喜びを
   今、つかみ始めた 遠い銀河の
   光に感謝しています

   銀河のかなたまで みんなで歩こうよ 
   明日が開ける

   みんなで歩こうよ 明日が開ける 

Tyei

それでは音楽です。もちろん「銀河の未来」。
聴いていただける方は、下↓をクリックしてください。

銀河の未来

8151_006_2

【銀河系の地球で私達は生きている。理屈抜きでありがとう。】

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Expressions。

2008年08月22日 | 音楽!何でも大好き

20080821_004

【『Expressions』直訳は“表現の数々”。今日もCDの話題だ。】

Akahana

今年1月15日から、竹内まりやさんのオフィシャルHPと
CDショップとで彼女の、なんとデビュー30周年記念の!

初のコンプリート・ベストアルバムに収録する
リクエスト投票が行われていた。

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

彼女の話題を時々記事にしている私のこと。勿論投票した。
中間発表時点では、私の投票した3曲はすべてBEST5に
入っていた。要するに大衆が望む歌を私も好きな訳だ。

この投票PRのためのキャッチコピーが優れものだった。
『人生のところどころに彼女がいました。』

そう。私の人生のところどころにも彼女がいたのです。

5ben2

元気をもらったり、哀愁を感じたり。
人生の節目節目で彼女の歌を耳にした。好きな歌が多い。

だから、このコンプリート・ベストアルバムの発売を
首を長くして待っていた。ようやく発売日が決まったのだ。

10月1日だ。ところが全容が分かるにつれ予想とは違った。

なんとデビュー時のレコード会社から今の会社までの
レーベルの垣根を越え、収録曲は全42曲だと言う。

Akahana

1枚のCDと思いきや3枚だと言う。おまけに初回限定盤は
ボーナス・ディスクまでついた4枚という情報だ。
収録曲42曲は、竹内まりやさん本人がセレクトしたという。

『人生のところどころに彼女がいました。』の趣旨から考えたら
まあ、それもありかなと思い直した。

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

タイトルは『Expressions』。訳せば表現の数々だ。
30年の彼女の集大成なのだ。

私がまず思ったのは、お値段。高いだろうな。と・こ・ろ・が

30年間の感謝を込めたサンキュー・プライスだ。
初回限定盤、通常盤ともに同じ価格の3,980円。ビックリ。

5ben2

まりやさんは自身を「シンガーソング専業主婦」と称するように、
音楽と家庭を両立している人だと、私は勝手に思っている。

ゆっくり自分の音楽を熟成してリスナーに届ける、
そんなスタンスの中だから沢山の名曲が生まれているんだ。

身近な環境に目を向けた曲、はたまた大人のラブソング、
時が経っても廃れない青春ソング・・・。

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

CD収録曲を眺めて、まりやさんらしいと再認識したのだ。
だから、42曲収録が許せる。嬉しい。何しろ名曲揃いだ。

それに最新リマスター音源で音も良くなっているとのこと、
おまけに、まりやさんや山下達郎さんの解説が載る
ライナーノートも見所のようなのだ。そ・う・で・す。

色々言いながら、すでに私は限定盤を予約したのです。

Akahana

『人生のところどころに彼女がいました。』どころか、
10月1日からしばらくは、まりやさんの音楽に

毎日どっぷり浸っている自分が想像できる。

音楽何でも大好き人間、これだから困る。↓をクリック。

彼女に関し私自身が書いたお気に入り記事「再び、人生の扉。」

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

20080821_003

野牡丹。人生のところどころに花がいる。歌も花と同じだね。】

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盆踊り大会でライブ。

2008年08月15日 | masaringは、芸術家!??

20080815_003

【家の庭では白とピンクの百日紅が盆踊り。今日も昔の物語。】

■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回

盆踊りは歴史的には村落社会において、夏の夜の
娯楽と村の結束を強める機能的役割を果たしていた。

私の住む地域でも25年位前までは小学校の運動場で
地域の青年団が主催して「盆踊り大会」を開催していた。

もっと遡る。私が子どもの頃は町内会単位で開催。
我が家の二軒先のお寺の境内でも開催されていた。

私が地域の青年団に入った頃は、すでに青年団も
斜陽期に陥っていたが、各小学校単位で開催されていた。

この時期。私たちは毎晩、役員に連れられて各地区の
盆踊り大会の会場へ車で走った。

■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回

「お互い様」とはニュアンスがちょっと違うが、自分の
地域の盆踊り大会にも来てもらうための表敬訪問だ。

もちろん、各地区の青年団員が輪の先頭になって踊り、
青年団員の後を子どもがそして女性層が、さらには

昔とった杵柄とおっちゃん達も輪に入って踊り
踊りの輪は二重・三重と広がり、どの会場も賑やかだった。

私の盆踊り用の青の蝶々柄の浴衣も毎晩大活躍だった。

どの会場でも夕刻からスピーカーで盆踊り曲を流す。
夕闇と共に提灯に灯をともす。開会時刻に主催者の挨拶。

そして踊りの始まり。各地区共踊りの曲は四曲程度だった。
ポピュラーな「炭坑節」で始まり、ご当地「かつらぎ音頭」。
昔から伝わる「やっちょんまかせ」。そして「河内音頭」。

盆踊りは一部と二部があった。一部が終わると休憩。
主催者が参加者にアイスクリームと団扇の振る舞いだ。

久々に会った人達の談笑の輪があちこちに出来た。
そして第二部。終了はどこの地区も午後10時だった。

■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回

昭和52年(1977年)。我が地区の青年団の団長の提案。
「今年の盆踊り大会。何か変わったことしょうらよ!」

その2年前は会が始まるまで、また休憩中も岩崎宏美さんの
発売されたばかりの「ロマンス」を流しつづけ好評だったのだ。

昭和51年に私は結婚した。その頃の常識として、結婚したら
青年団を退団するのだが、どういう訳か私は盆踊り目当てで
まだ活動していたのだ。(家族のブーイングは凄かった。)

そして盆踊りの休憩中のイベントの計画を密かに開始した。
運動場の隅に選果場からリフトでパレットを運び舞台を作り、
バックネットに照明器具を取り付けた。

舞台の上では、「まっちゃんバンド」がフォークギターを
エレキに持ち替えてスタンバイ。メンバーの弟にドラムを頼んだ。

一部が終わった。会場の提灯の灯りが消えた。会場真っ暗。

突然バックネットに用意した照明が一斉に点灯して
「まっちゃんバンド」のライブが始まった。

《当時はライブとは呼ばずコンサートと呼んでいたネ。》

♪渚に揺れながら、、、。みんな唖然としていた。
その間スタッフはアイスと団扇を参加者に振舞った。

わずか15分のライブ。皆さんご存じの「およげたいやきくん」
「ビューティフルサンデー」等を演奏したと記憶している。

そのライブが盛り上がったかどうかは想像にお任せしよう。

それから6年後、我が地区の青年団も消滅。盆踊りも消えた。
今は小学校も移転し、小学校跡地は新興住宅地となった。

盆踊り大会でライブをしたその場所。昨夜通ったらそこに
家を建て越して来た親子四人が庭先で花火を楽しんでいた。

そう、あのライブを覚えている人はもう誰もいない。
しかし、まっちゃんの青春は確かに存在したのだ。

もしかしたら、心だけはまだあの頃のままかも知れない。

■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回■■回

それでは音楽。確かオープニングの曲。あれ以来、虜になり
カラオケの機会があれば必ず歌う。下↓をクリックしてね。

センチメンタル・カーニバル

 

817_002

【私、もうひと花咲かせられるかな。モミジアオイ様如何です?】

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も祖先をお迎え。

2008年08月13日 | masaringの内緒話

813_004_1

【盆帰り。我が家では今年も先祖をお迎えし、接待している。】

Ie

よく「盆と正月がいっしょに来たような」と言う。忙しいことの
例えである。この時期に休みをとることが多いサラリーマンに
とっては、死語のように思えるかもしれない。
《私は仕事ですが、》
しかし一時代前迄はこんなに実感をともなう言い方もなかった。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

●盆も正月も「家」に神さまを迎えるのが原型だった。
 盆の場合は「お精霊(しょろう)さん」、
 正月は「年神(としのかみ)」などと呼ばれるが、
 どちらも先祖の神、祖霊と考えられている。
 その祖霊が迷わないように目印として、
 盆には篝火をたき、正月には門松を立てて
 祖霊を迎えたのである。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

●お盆の場合、座敷に特別の
 魂(たま)棚(精霊棚)を設け、
 食事を供える。どの家にも
 お精霊さん用の食器があったことを
 ご記憶の方も多いだろう。

812_001_1_3祖霊の送り迎えからその準備、
さらに接待と忙しかった。

だから「盆と正月がいっしょに
来たような」だったのだ。 

←の写真は、法界(ホウカイ)さんを

ご接待の図。

   

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

●そればかりではなかった。
 盆と正月は働きに出ている若者が
 一時帰宅する「藪(やぶ)入り」の
 時期でもあった。嫁いでいる女性も
 この時ばかりは実家に帰るのが
 許されたという。
 魂棚でいつもよりは狭くなった家で、
 一家が忙しくとも楽しい語らいの時間を持ったのである。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

●その盆と正月も今や変質した。
 魂棚を作る家がどのくらいあるのだろう。
 しかし、藪入り、つまり帰省の風習だけは
 しっかり残っている。
 海外旅行も増えた中、汗だくで親元へ急ぐ。
 そこには日本人のDNAを感じるし、
 ホッとさせられるような風景でもある。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

●今年も、お精霊さんを迎え接待している。
 我が家では、しっかりこの風習は受け継がれている。
 もちろんお精霊さん用の食器を使っている。
 ただ、我が家の子ども達のDNAは少し違うみたいである。

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

都会に出ていった若者たちが
少しでも長い時間、故郷で過ごし、
「家」について考えてもと思うのだが
我が家では、誰も帰省しない。

Ie

やがて、私もお精霊になるが帰る精霊棚の風習は
その頃も、残っているのであろうか。

今は私に与えられたこの世での役目を全うしよう!!

+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+

810_001

【庭に咲く赤いホウセンカ。葉は虫が食べた。これが自然界。】

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする