goo blog サービス終了のお知らせ 

日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

NHKの「日本軍とアヘン」ー100万人もアヘン患者がいれば関与するのは当然

2008年08月18日 | 歴史
NHKの昨夜の「日本軍とアヘン」はさも問題であるかのように番組を構成していた。いろんな文書の部分をちらりと見せて、麻薬製造工場とやらをちらりと見せて、軍票よりアヘンの方が有効であったから使わざるを得なかったとある人に言わせ、90歳くらいの農夫に70年前の思い出を語らせ、アヘン収入によって戦争を遂行したと断定した。日本軍は悪いことをしているという意識があったからアヘンに関する証拠を完全に隠滅したから殆ど残っていない。証拠は少ないけど彼らは悪いことをしていたのだという展開である。国民党はアヘンを禁じていたが日本軍によってアヘンは広がっていったといわんばかりである。
 台湾では日本が統治するようになったとき16万人のアヘン患者がいた。急にアヘンをゼロに出来ないから台湾総督府はアヘンの専売制を取り徐々に減らしていって10年でアヘン患者を撲滅するのに成功している。日本軍がアヘンの専売制度を実施したのはアヘンをコントロールして減らしていこうという考えから出た事である。日本占領地区に100万人のアヘン患者がいたといれば先ずやることはアヘンの専売制度を敷き、どこでどれだけアヘンが製造されているかはっきりつかまなければ撲滅はできない。専売制度を持っていたことが前世紀の英国のように犯罪を犯していたとにはならない。またアヘンによる収入が前年度より増えたから増産してアヘンを売って儲けていたとも断定できない。アヘンを扱っていなかった軍がアヘン専売制度を作ればある時点で収入が増えることもあるのは当然のことである。密造を禁止、摘発し、官許のものを増やせば結果として、阿片の軍の取り扱い量が増えることも十分あり得る。軍が扱う量が一時期増えたとしても阿片の撲滅が目的であったことを否定することは出来ない。
 番組のなかでアヘン収入の一部は傀儡政権の武器の購入に当てられたとあったが金額は大きな額でなかったかことを示している。このことを持って戦争遂行の資金になったというのはオーバーではないだろうか。傀儡政権の軍事力を日本軍が当てにしていたというようなことは聞いたことがない。
 番組の中でアヘン窟の様子が流された。いかにも日本軍が中国人を阿片漬けにして金を儲けていたといわんばかりであるが日本が統治するようになる前から数百万の麻薬患者がいたのである。それに当時の日本は麻薬患者はほぼゼロで日本ほど麻薬に厳しい国はないということも指摘しておかなければならない。
 こういうことを調査し、報道するのは戦後10年以内にするべきである。50年以上たつと風化して事実を発掘するといっても恣意的なとんでもない話になりがちである。事実と違う国家観をを広めようとするNHKの姿勢は明らかに歪んでおり、公共放送としての資格はないといわれても仕方がないであろう。

又してもーNHKと朝日の協力ーアヘン問題の捏造

2008年08月17日 | 歴史
平成20年8月17日NHKがスペシャル番組を放送する。「日本軍とアヘン」「軍の関与を示す証拠発見」「アヘン王の証言」「麻薬工場の跡地」などとある。なにやら南京大虐殺、従軍慰安婦、集団自決と同じ雰囲気である。性懲りもなく日本軍が犯罪を犯したことにしたいのである。こんな捏造を繰り返す放送局には受信料を払うことはできない。
朝日の2年半前の報道のときに書いたブログの記事を採録する。
-------------------------------------------------------------------------
今日平成18年1月4日の朝日新聞に
「日本が戦前、中国東北部につくった旧満州国で実施されたアヘンの専売制度をめぐり、同国の中央銀行だった「満州中央銀行」が、生産や販売に資金を提供するなど制度確立に重要な役割を果たしていたことが明らかになった。愛知県立大の倉橋正直教授(末尾に紹介してます)が、中国・吉林省の公文書館にあたる「档案館(とうあんかん)」が保存していた同銀行の内部文書を入手した。」という記事がのった。そして「同国は建国当初からアヘンを歳入の柱の一つとしており、背後にあった当時の日本のアヘン戦略の全体像を解明する手がかりになる可能性もある」あるいは
「1912年のハーグアヘン条約などでアヘンの輸出は国際法違反とされていたが、日本は国内で生産したアヘンを、アヘン戦争以降も多数の中毒患者のいた中国大陸に大量に流通させた。満州国でのアヘン専売は、同国を日本の傀儡(かいらい)政権とみなした国際連盟から厳しい非難を浴びたが、制度自体は敗戦まで継続した」という解説記事を載せていた。この解説のおかしいところを指摘しておこう。
1.満州国はアヘンを歳入の柱の一つにしていたというのは嘘。
2.満州国建国は非難されたかもしれないがアヘン専売で国際連盟から非難された  事実はない。
3.中国大陸にアヘンを流通させたというのは嘘。
朝日新聞(永井靖二という署名あり)はいつどのような内容で非難されたか明らかにすべきである。
 「背後にあった当時の日本のアヘン戦略の全体像の解明」などと大げさに書いているがインターネットで「日本のアヘン戦略」と入れて検索しても1件もヒットしない。つまり「日本のアヘン戦略」など全く存在しないことを意味する。ありもしないことをさもあったかのように解説するのはでっち上げである。永井靖二は何かを解明することに関心は無くただ日本のアヘン戦略があったかの様に一般大衆に思わせることが目的である。でっち上げの朝日新聞体質が現れた記事である。
 日本が台湾を領有したときに16万人のアヘン中毒者がいてその根絶に台湾総督府は苦労した。急激にゼロに出来ないため一時期アヘンの専売制をしいたがそれはアヘン絶滅が目的で、アヘンで利益を上げる目的ではない。実際10年でアヘン中毒者を根絶している。
 この記事のもとになった資料は「レイプオブ南京」や「ラーべの日記」と同様、中国共産党の捏造である可能性がある。イギリスはアヘンを中国大陸に流通させ、歳入の柱の一つにしていた。日本はイギリスのような野蛮な国ではない。この資料は初出である。最近捏造された新しい資料であろう。

倉橋正直(愛知県立大)教授に関するメモ
慰安婦問題を研究。従軍慰安婦には売春婦型と性奴隷型があると主張。また日本軍の女性蔑視が背景にあるとも主張。慰安婦関連が下火になったので最近は満州において日本がアヘン栽培でもうけていたと主張するあやしい方向を模索中。これまでの7冊の著書に対して誰もレビュウ記事を投稿していないので著書の内容、質は不明。

邪馬台国論争は決着がついている。

2008年07月12日 | 歴史
邪馬台国論争と言うのがある。これは邪馬台国がどこにあったか。卑弥呼とは誰か。邪馬台国と大和朝廷の関係はどう考えるか。をめぐってさまざまな解釈が行われたことであるが大方は決着がついている。それぞれの立場があり勝敗をはっきりさせない日本的風潮のなかあいまいにされているが大方決着はついているのではなかろうか。結論を言えば
 1.邪馬台国は北九州にあった。
 2.卑弥呼とは天照大御神である。
 3.天照大御神の5代後の後継者が東征し大和に至り初代天皇、神武天皇として即位した。3世紀末のことである。
 古事記、日本書紀に記載されている天皇とその名前はすべて実在であり、殆どが3世紀の日本のことを述べている。「神話であり、殆ど信用に値しない」というのではなく「一部に嘘が混じっているが殆ど何らかに史実に基づいており、貴重な資料である」というのが正しい。古事記、日本書紀を軽視してきた勢力の敗北に終わっている。
 次の中学校の歴史教科書では邪馬台国等の古代史に関して以上の明確になった事実を反映させてもらいたいものである。

後醍醐天皇は何代目の天皇

2008年06月14日 | 歴史
 今上天皇は125代目の天皇である。では後醍醐天皇は何代目かという問いにどう答えるであろうか。96代目という答えを聞いて「嘘だろう。40代か50代ではなかろうか」とおもったが実はこれが正解なのだ。後醍醐天皇より後の天皇の数の3倍以上の天皇がその前にいたのだ。
 後醍醐天皇の後が29人その前が95人なのである。神武天皇の即位が300年、後醍醐天皇がかつやくしたのが1330年とすると後が670年で29人、平均23.1年/人。その前は1030年で95人なのである。平均は10.8年/人である。平均在位年数が後醍醐天皇の前と後とでは11年と23年で違いがあるのがこういう違いを生んだのだと思われる。

朝日新聞の偏向記事「写真が語る戦争」平成19年10月7日(続く)

2007年10月07日 | 歴史
 先の投稿記事の続きに崔中石(77)の話しというのがのっている。「正門のすぐ近くに寄宿舎がありました。工場の周囲は高い鉄条網に囲まれ、逃げるものがいないかいつも監視員が見張っていました。労働は過酷だった。連日12時間のたち仕事。3年間、一度も外出を許されなかった」とあります。がこれは私にはあり得ないと思います。うそ八百と思います。米軍捕虜なら監視員が見張っていたかもしれません。犯罪者なら3年間一度も外出を許されなかったということがあるかもしれません。しかし一般の日本人(崔中石さんも当時は日本人)が鉄条網で囲われ、3年間も外出を許されないということはありません。「写真が語る」というタイトルになっていますが鉄条網の写真があるわけではなく、監視員の写真があるわけでもありません。事実ではないからそういう写真は存在しないのです。朝日新聞は「写真が語る」といいながら事実と関係のない写真をあげて事実無根のことを並べています。非常にたちの悪いやり方と思います。この件は崔中石さんが嘘をついているか朝日新聞が崔中石さんの名前をかたって嘘をついているかのどちらでしょう。
 最近韓国の結婚仲介業者が「ベトナム女性は決して逃げない」として国際結婚を募集していたことが問題になった。それを裏付けるように韓国人男性と結婚したベトナム人女性が「家へ帰りたい」といっただけで夫から殴り殺された。
 何も犯罪を犯していない自国民を鉄条網に閉じ込め、3年間も外出させずに働かせることは朝鮮人には起こりえても日本人にはあり得ない話である。

朝日新聞の偏向記事「写真が語る戦争」平成19年10月7日

2007年10月07日 | 歴史
 今日の朝日新聞の第9面を見て驚いた。「写真が語る戦争」の1面記事の真ん中に「奪われた何もかも」というのが目に入った。気になったので1面全部目を通した。
ひどいものである。でたらめのオンパレードである。戦争というと日米戦争や日中戦争はあるが日朝戦争はないのである。したがって日本が統治していた時代の生活ぶりを「戦争の話」というのはおかしい。戦争において朝鮮は日本によく協力している。朝鮮の多くの若者が日本軍に志願して、献身的に協力している。靖国神社には2万名を越える朝鮮人が祀られていることから明らかである。事実40年前に締結された日韓基本条約では経済協力を行っているが日本と朝鮮は戦争はしていないので賠償という言葉は使われていない。韓国が日本から独立したことに対する日本からのお祝い金として支払われている。朝日は「日本と朝鮮が戦争をしていた」という嘘の情報を国民に植え付けることを狙っているのではないだろうか。これは歴史の捏造である。
 「奪われた何もかも」というのは何をさすのだろうかと思って調べてみたが何をさすのか分からなかった。創氏改名で名前が奪われたというのであろうか。創氏改名は強制ではない。朝鮮総督府は朝鮮人が日本名を名乗ることを紛らわしいので禁止していた。日本名を名乗ることを禁止していては内鮮一体のスローガンに合わないので希望者には許可するというのが趣旨である。もちろん強制するものではない。5000キロの鉄道をひき、教育制度や、裁判制度や、保健衛生など多くのものをもたらしたのが日本統治時代である。全ての近代的な制度は日本がもたらしたのである。「奪われた何もかも」というのはどこから来るのか。実際に日本統治時代に朝鮮半島の人口は900万人から2300万人に増加している。ユダヤ人のようにガス室で650万人が殺されて人口が半減すれば「奪われた何もかも」と言ってもいいかもしれない。35年間で人口が2.5倍にも増えるということは暮らしが楽になり、安心して子供をつくれるようになったことを意味している。この時代の朝鮮人が希望をもって前向きに生活をしていたと考えても決しておかしくはない。家族が増えるということは愉しいことが多くなることである。
 単に人口が2.5倍に増えただけではありません。識字率5%未満の国民が35年間で90%以上が字が読めるように生まれ変わったことも特筆しなければなりません。
「奪われた何もかも」というのはどこからくるのでしょうか。「与えられた何もかも」の表現の方がより真実に近いといえるほどです。
 朝日新聞は嘘八百を並べて平気な顔をしているでたらめ新聞です。

一時の感情に負けて教科書の記述を自虐的にしてはいけない。

2007年10月03日 | 歴史
教科書の記述を元に戻せという沖縄県民大会で11万人があつまったという。民意に過敏になっている政府は教科書会社の申請があれば真摯に検討するという。可笑しくなってきた。特攻隊員が敵艦に突入するのは命令であったといえるであろう。しかし軍が一般人に集団自決を命じたというのは不自然である。この不自然なことが長い間教科書に書いてあったのである。この点を疑問に思った曽野綾子氏が関係者に会って聞いてみたところ命令を出したという確証は得られなかったと報じたことから始まっている。実際は軍の命令で自決したことになると遺族年金がもらえるということから赤松大尉に命令を出したことにしてくれと頼み込んで命令を出したということになっていたのである。真相は集団自決の命令を出していない、それどころか「手榴弾は渡せない、できるだけ生き延びてください」という意味のことを発言しているのである。戦争がなければ集団自決もないといえるであろう。だからといって集団自決を日本軍が強制したというのは正しくない。広島、長崎の犠牲者、東京空襲の犠牲者を日本軍が殺したというのと同じで正しい言い方ではない。よく日本軍は沖縄の住民を守らなかったといわれる。だから日本軍は敵であったと書くのが正しいであろうか。守ろうとしたが、守れなかったということもあるとどうして考えが及ばないのであろうか。戦後60年以上たったもまだこのような感情的でゆがんだ記述をしなければならないのは悲しいことである。このことは沖縄の人たちにも長い目で見るといいことではないと信ずる。
*追加
 この記事を書いた後、抗議集会の参加者の実数は最大で43000人であるという話を聞いた。抗議集会実行委員会は5万人を下回ったたら抗議集会として迫力がないからなんとしても5万人を確保したいという話を聞いていたから、目標に若干足りなかったということだろうか。11万人の参加者があったというのは沖縄のマスコミの作為のなせる業かもしれない。マスコミと情報操作は付きものであることを示している。

慰安婦問題の要点

2007年03月09日 | 歴史
米国下院の慰安婦問題に関する決議案に関して河野談話が問題になっている。ここで慰安婦問題の要点をまとめておこう。

1 慰安婦たちは兵士の100倍の収入を得ていた。家一軒分の総収入を得たものも少なくない。
2 彼女たちは募集に応じて自発的に慰安婦になったもので強制的に慰安婦にさせられたのではない。
3 彼女たちは慰安婦の仕事で命を落としてはいない。仕事の内容に応じてそれなりの高い報酬を得ている。
4 日本人の慰安婦も大勢いて誰一人訴えた者はいない。訴えるような性質の仕事ではなかったことを意味する。
5 慰安婦は何処の国にもいる。慰安婦がいたことで謝罪した国はない。日本にだけ謝罪を要求するのは著しく公正さを欠く。
6 米国下院はこのような事実に基づかない謝罪要求をするべきではない。米国に原爆投下の謝罪をさせることがより正義にかなっているし、道義にかなっている。

世界史に於ける日本の役割

2006年09月19日 | 歴史
 しばらく留守にしていて、10日分ほどまとめて朝日新聞を読んだ。総裁選ま近で、靖国や歴史認識の問題が盛んに論じられていた。日本の歴史認識も主として否定的な面だけが議論されていた。いわく「過去を過去として率直に認める」という言葉に象徴されるように日本が侵略を行い多大な否定的な役割を果たしたことを認めよと迫る議論が主である。歴史には光と影があるがどうして陰の面しか議論されないのであろうか。
世界史における日本の光の部分を論ずる時には日本が開国して世界と大きくつながりを持つようになった時代の世界の状況を見てみなければならない。アジア・アフリカのほとんどはヨーロッパの植民地になり、独立国は日本とタイだけといわれるほどになっていた。ヨーロッパ人とそれ以外とは大きな違いがあり、まったく対抗できないと思われていたのである。「犬と中国人はいるべからず」という看板に象徴されるようにヨーロッパ人以外は動物と同じに見られていた時代であった。そしてその考えを誰も否定できないと考えられていたのである。中国人だけでなく、インド人、ベトナム人、インドネシア人、中東の諸民族、アフリカの諸民族はみな人として扱われず奴隷として扱われていたといっても過言ではない時代であった。そういった世界観にただ1国、日本だけが挑戦した。文明開化を推進し、教育を施し、憲法を制定し、軍隊を作り、世界最大の陸軍国ロシアを破って見せたことは世界史の大きな事件ではなかろうか。これにより虐げられていたアジアアフリカの諸民族を勇気付け、将来への希望を与えたことは日本の世界史における大きな正の貢献であろう。国際連盟の設立に際しては人種平等を主張し、ユダヤ人に対しても公平で人道的な扱いをすることを国家として決めている。
第二次世界大戦では民族解放を掲げ、英、仏、蘭の植民地に進攻し、戦後ほとんどの国が独立するきっかけをつくっている。インド独立のために行ったインパール作戦では日本は10万の将兵を失っている。英国の中学生の歴史教科書では「日本の戦いのおかげでアジアだけでなくアフリカの諸国まで独立してしまった」と書いている。
敗戦後は30年で再起し、1990年頃にはアメリカやヨーロッパを経済的に、技術的に凌駕するまでになった。このことはあらゆる面で、もし教育が施され、条件が整えばアジアアフリカ諸国でも欧米と対等な立場に立てるという希望を与えると同時に欧米諸国にも条件が整えば対等な立場に立つ可能性のある民族として非ヨーロッパ系民族を尊重する考えを生み出した。その意味で地球を平等でより民主的な場所にするのに日本ほど貢献した国はないといえるであろう。
文化的にも浮世絵やすばらしい工芸品でヨーロッパを魅了し、戦後はアニメや漫画で世界を魅了する日本は世界を楽しく、感動的に、より人間的にするのに大きく貢献しているといえるであろう。こういったプラスの面も歴史認識の一部である。日本が残虐なことをしたのは事実であるがイギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、中国などの残虐さに比べればまるでひよこである。おだやかなものである。慰安婦の問題は古今東西どこの国にもあることでことさら日本だけを問題にするのはおかしい。南京大虐殺は完全な捏造で実際の数はラーべの日軍犯罪統計にあるとおりで50件以下に過ぎない。たとえ日本の残虐性が中国、韓国の言うとおりだとしても日本のプラスの貢献に比べれば全く取るに足りない。
日本を信頼できると思うかというアンケートに対し、台湾、ベトナム、インドネシア、マレーシア、インドネシア、ミヤンマー、インド、パキスタンでは軒並み90%以上の人が肯定している。これに対して中国と韓国では肯定的な解答をしている人の割合は10%以下である。
2006年に米国メリーランド大学と英国放送協会(BBC)が行った共同世論調査で世界に最も貢献している国は日本であると考える人が一番多かったという。こうしてみると中国と韓国の見方こそが偏っていて孤立していることがはっきりしてくる。中国と韓国が日本の否定的な面だけ見て、他の諸国が素直に、ありのままに見ている結果である。別の言葉で言えば中国、韓国が何か下心があって意図的に否定的な面だけ強調しているといえるであろう。
「事実を事実として認めることが必要である」という言葉は日本に対してではなく、中国、韓国にこそ相応しい。

 

歴史を見据えるのは簡単ではない

2006年08月13日 | 歴史
平成18年8月13日の朝日新聞の社説で「侵略」と「責任」を見据えてという社説がでていた。朝日は簡単に見据えると言うが歴史をきちんと見ることの難しさを指摘しよう。この中で「あの戦争で日本人は300万人、アジアで2000万人が亡くなったといわれる。」とある。この2000万人の内訳として10年以上前の高校教科書に載っていた内容では中国人1000万人インド人350万人とあった。この中国人1000万人は戦争直後に国民政府や米軍によって公表された数字に比較して過大である。インド人350万人については日本とインドは戦争をしていないが日本がビルマを占領した結果、それまでビルマから米を輸入していたインドは米が輸入できなくなり、350万人のインド人が飢え死にをしたというのである。飢え死にはインドで発生した飢饉が大規模だったというだけのことでビルマから米を輸入できなかったからではない。インド人の350万人の犠牲者数は零に修正してもどこからも文句は出ないと思われる。インドから来た留学生に聞いてみたがインド人が日本軍に殺されたと言うのは聞いたことがないという返事であった。南京大虐殺で30万人を虐殺したと言われるが南京陥落後の3ヶ月間についてのラーべの日軍犯罪統計と言うのが発表されていてそれによると死者数は50人以下なのである。アジア人の被害者2000万人や南京大虐殺30万人説などは殆ど資料的な裏付けは無く、マユツバとも言っても過言ではない。従来日本軍の犯罪と言われていた張作霖爆死事件や盧溝橋事件も日本軍の犯罪ではないという資料が続々公表されている。歴史を見据えるというが歴史の実相は従来言われてきたのと大きく違っている可能性があり、簡単ではないのである。
 最近気になることは民主党が安部首相を意識して、靖国参拝をしないことを公約に掲げる方針に切り替えたことである。対華21か条要求や満州事変などを例に侵略であることは明らかであるとして、だから靖国には参拝しないという論法である。
 靖国にA級戦犯を合祀するから侵略と認めていないとは必ずしもいえないことである。靖国合祀は行政的な意味もあり、東京裁判を受け入れた上での後処理としての意味もあるのである。靖国合祀を行ったから東京裁判を否定しているということにはならない。
 こういう時期であるから安易に歴史認識と靖国神社参拝を結びつけて政争の具にするべきではない。野党が争点にすれば争点になる。小沢一郎は民主党の利益のために国の利益を売り渡す売国奴への道を歩いているように見える。
 

昭和天皇の考えは左翼的で少し変ですね

2006年07月21日 | 歴史
「私は 在る時に、A級が合祀され その上 松岡、白鳥、までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は 平和に強い考えがあったと思うのに親の心子知らずと思っている
 だから私はあれ以来参拝していない、それが私の心だ」
これが富田氏が残したという天皇の発言に関するメモである。
「松平は平和に強い考えがあった」というのは「A級戦犯を靖国に祀るのは
平和に反する」という考えであり、左翼の単純な考えそのままである。
また自分は局外に置いて他に責任者を探し出すのも左翼的である。
昭和天皇は先の戦争の最初から最後まで中心的な役割を担っており、局外者ではなかった。昭和天皇は戦争をとめられなかったことに自責の念を抱いておられて
A級戦犯に責任を押し付けて、A級戦犯を靖国に祀らなければ万々歳という無責任な考えはされないと思う。
 昭和天皇は生前、自分の意思をできるだけ出さないように心がけておられた。それが立憲君主の努めと考えておられたのである。この点に関しては戦前も戦後もかわっていない。例外は2回だけあった。天皇が自分の意思をはっきり出されたのは226事件に対して「反乱軍は逆賊である」として鎮圧を指示された時、と終戦に際して閣議が割れて戦争終結か戦争継続か決められなかったときに「万民のために太平を開かんと欲す」として終戦を決められた時である。
 このメモにあるように松岡、白鳥、松平と個人名をあげ、「慎重でない」とか「親の心子知らず」とかこまごまとしたことで不快感を表明するなどとそれまでの昭和天皇を考えれば不自然極まりない。
 このメモは天皇の権能、天皇の役割、或いは昭和天皇に無知なものの作文と考えるのであるがいかがなものであろうか。

昭和天皇が戦犯合祀に不快感を示すはずがない

2006年07月20日 | 歴史
昭和天皇が靖国神社にA級戦犯が祀られたことを不快に思って靖国神社に参拝しなくなったという意味の故富田宮内庁長官メモが見つかったという。靖国神社の松平宮司が軽率にも祀ってしまったことを非難しているという。
 不思議なメモである。天皇は相撲のひいきの力士の名前も明かさなかった人である。存命中の人に対する個人評も迷惑をかけるかもしれないといわれなかった。その天皇がはげしく松平宮司の軽率な行為を非難されているという。昭和天皇がA級戦犯を戦争犯罪人と考えているかのようなメモである。勝者の勝手な私的リンチではなく正当な裁判であったと考えているかのように思わせるメモである。股肱の臣を犯罪者と考えるということは昭和天皇に限ってありえないと私には思える。昭和天皇は一人で戦争の責任を取ろうとされた方である。第一の責任者は自分である或いは自分が第一の責任者にされてもおかしくない立場にあったと考えられていた方である。昭和天皇は自分の身代わりに戦争犯罪人になってくれた人達とA級戦犯を見ていたと考えるのが自然である。昭和天皇はむしろA級戦犯が靖国神社に祀られたことを内心では喜んでいたと私は考えている。
 富田宮内庁長官のメモは捏造のにおいがぷんぷんとする不思議なメモである。はっきりと具体的な発言が昭和天皇らしくない。「それが私の心だ」という押し付けがましい発言も昭和天皇らしくない。
 昭和天皇もそれを聞き取ってメモを残したという富田宮内庁長官も既になく、死人にくちなし。確かめる方法がない。しかしどこかで捏造であることがはっきりするであろう。

靖国神社には吉田松陰や坂本竜馬が祀られている。

2006年07月20日 | 歴史
 小沢一郎が「戦争で死んでいない人が靖国神社に祀られているのはおかしい」と言っていたが祀られているのは全てが戦死者ではない。対馬丸で疎開中に死んだ学童や樺太でソ連の侵入により服毒自殺した電話交換手達も祀られている。戦争で死んでいない人で祀られている人はかなりの数にのぼる。その代表的なものは維新殉難者と昭和殉難者である。前者には吉田松陰や坂本竜馬がいる。吉田松陰は密出国を企てたという理由で幕府に処刑されたものである。坂本竜馬は佐幕派により暗殺されたものである。吉田松陰や坂本竜馬は広い意味で国のために活動していたと認められたものであろう。幕府に処刑されたのと連合国に処刑されたのと同じようなものである。

私の歴史認識

2006年05月06日 | 歴史
子供の頃、日本についての知識は新聞から得たものでした。「好戦的な日本」と表現されていました。周囲の軍隊帰りの人たちを見ていてとても好戦的とは見えません。普通のおだやかな日本人でした。「好戦的」という言葉をみると事実無根の日本の悪口を言われているようで憤っていました。
小学生の3年くらいだったでしょうか。天皇陛下とマッカーサーの会見に関する記事を読みました。そこで天皇陛下が「日本将兵の行ったことの責任はすべてわたしにある」といわれたというのを読みました。小学生の私はこれを当然と思いました。天皇に責任があるというのではありません。日本の一番上にいる人であれば責任があるというのは当然であるという意味と責任逃れをするのは卑怯だからという二つの理由からです。
なぜこういう感覚が育ったかと考えてみて学校で教えてもらった記憶はありません。ただ、ちゃんばらごっこを通して「卑怯だ」とか「卑怯なまねはするな」という言葉を何度も口にしていました。
従って「敗軍の将は潔くしなければならない」という考えは当然知っていました。私が天皇であれば同じことを言うだろうと思ったのはこういう背景があったのでしょう。天皇は日本文化の体現者であり子供でも当然と思うことを言われたにすぎない。その意味で戦後の一時期は調和が取れていたといえるでしょう。子供にもきっちり日本的精神は受け継がれていたのですから。
 東京裁判について詳しく知るようになったのはもっと後ですが、敗戦により見せしめに処刑された人たちで犯罪者ではないという認識は一度も変わりません。上にいた人たちだから処刑された。戦国時代の戦いは勝ったほうは負けたほうの指導者数人を処刑して後はお咎めなし。それと同じことが20世紀に行われたと認識していました。犯罪者だからではなく負けたから処刑された。これは殆どすべての日本人の認識であったといって間違いない。実際はそんな単純なものではありませんでしたがーーーーー。東条英機自身、日本を敗戦に導いた責任は認めていました。日本国家および国民に多大な困難をもたらしたという意味で「万死に値する」ことを認めていました。ただ東京裁判での判決を認めたA級戦犯は(東条英機を筆頭に)一人もいませんでした。 
現在靖国が問題になっているが中国共産党の政治的な宣伝工作であって、日本政府の対応のまずさによって大きくなったものです。中国共産党が倒れれば消えてしまう性質のものです。中国の主張を配慮することはA級戦犯を犯罪者として扱うことになります。これは我々の先人の意向に反しますし、歴史の真実にも反しています。日本の死者に対する扱い方にも反しています。共産党の政治宣伝に付き合う政治家は歴史から手ひどいし返しを受けるのはまちがいないでしょう。
 先の戦争に関して反日感情がもっとも強かったのはフィリピンです。この強い反日感情も10年すると嘘のように消えてしまいました。これが反日感情の自然な姿です。憎しみはそんなに長く抱き続けることはできません。60年もたって反日感情が燃え盛るなんて全く不自然で意図的なものです。これがすべて小泉のせいだと強弁する。こんな嘘の話にだまされてはいけません。
 ここで中国がこれまでやってきた国際工作を上げてみましょう。
 昔、北京とアルバニアと仲が良かったことがあります。次には中国とインドネシアが仲が良かったことがあります。北京ジャカルタ枢軸といわれていました。その間ずっと米帝国主義反対を叫んでいました。その後ソ連と仲が悪くなり、社会帝国主義を盛んに攻撃していた時期があります。このころは中国は日本に防衛費1%は少ない。2%程度にはするべきだと盛んに日本の再軍備を主張していました。ソ連と中国が戦争した場合に日本に助けてもらいたかったのです。
 その後ソ連が崩壊して、共産主義から資本主義へ変化してしまったので今度は社会帝国主義反対から日本軍国主義反対に変更したのです。常に外国に敵国がいないと困るのでです。日本の行為がどうだこうだというのはつけたしです。何か理由をつけて攻撃するわけです。まじめに考える必要はありません。 
 
 

中国の日米中の3カ国歴史対話を拒否について

2006年02月13日 | 歴史
 米国の日中に米国を加えた歴史対話提案に対して中国が拒否した。当然のことである。常識的な感覚の持ち主である米国が入って来ると中国政府が主張している数々の嘘が否定されることになるからである。日中戦争による中国人の被害について米軍調査による200万以下という数字が発表されている。現在中国政府の3500万人が殺されたという主張は間違いということがはっきりするであろう。さらに日中戦争は日本と国民党軍との戦いであり、共産党は主要な役割を果たしていなかったとことも中国共産党は触れられたくないであろう。「凶悪な日本軍を打ち破って中国を救ったのは共産党である」という作り話も米国は否定するであろう。
 米国に入って来られると中国としては困るはずで拒否せざるをえない。中国政府が東アジアは特殊であるから米国の介入は困るというのは日中関係が異常な状態にあることを示している。つまり日中関係において「中国は平気で歴史を捏造し、日本政府はその嘘に反論することができない」という関係にあるのである。これは中国政府がひどいのではなく。全く反論しない日本政府が悪いことは言うまでもない。米国が見かねて助け舟を出すまで、日中関係を悪化させたのは日本政府の腰抜け政治家と役人どもである。