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日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

尖閣諸島の帰属について

2013年04月22日 | 歴史
 尖閣諸島の領有を中国が主張している。明の時代に防衛区域に入っていたと主張しているが小さな島で防衛すべき島と認識されていたとは思えない。また琉球36島には含まれていなかったから中国領だというがこれも小さくて36島に含まれていなかったがだからといってそれを根拠に中国領とは言えない。
 中国は琉球王国は500年間中国に朝貢していたから沖縄まで中国領土ということがある。沖縄が中国領なら尖閣は当然中国領だといいたいのだろう。しかし朝貢はそもそも領有を意味しない。これはベトナムや朝鮮が中国に朝貢していたから中国領とは言えないのと同じである。日本は1895年に尖閣領有を決めたが、その10年前から尖閣諸島を探検し利用していた。それまで尖閣諸島には人跡未踏で人の生活の跡はなかったとある。明とか清に所属していたことはないし中国人が住んでいたという事実もない。尖閣諸島には日本人の生活の跡しか存在していない。
 下関条約で台湾と澎湖諸島が日本に割譲されたが尖閣諸島は明確に台湾とは別である。その10年前から尖閣諸島は日本人の生活の場であった。日清戦争を利用して掠め取ったというのは当たらない。日本の敗戦により尖閣諸島は米国の施政権下に入り、沖縄返還の時に一緒に日本に返還されている。これは明白な事実である。日本政府が領土問題は存在しないというのは正しい。
 現在のウラジオストックは200年前には清に属していたが現在はロシア領である。条約によって移転したのである。尖閣は一度も明、清に属したことはない。中国人が住んでいたこともない。117年前に尖閣は日本領になり、一時米国の施政権下に入り、再び日本の領土として返還された。日本に所属していることは明白である。

台湾出兵と琉球と尖閣

2013年03月24日 | 歴史

 尖閣諸島問題で沖縄の帰属が注目を浴びている。俗に琉球は日清両属であったといわれるが実質日本の島津に支配されていた。江戸幕府が出来た頃、島津藩に与論島以北を割譲させられ、琉球王国の存続と清との交流を許されていたのであり、那覇には島津から代官が派遣されその監視下にあったことは周知の事実である。実質においては日本(島津)に属し、形式的に清に朝貢することを許されていたというのが正確であろう。
 その後1872年宮古島島民67人が台湾に漂着した事件を契機に、日本政府が清国に被害の賠償を要求したが「化外の民だから責任は負えない」と言う理由で賠償しないので征討軍を台湾に派遣した。宮古島民の被害の賠償を取り立てようという日本はしっかり国の務めを果しているのに対して、清国は自国民の加害の責任を認めようとしない。これからわかることは台湾を清国は十分服属させていないし、宮古島民の被害については全く何もしていない。沖縄が清国に属しているとは全く言えないのだ。一方日本国は宮古島民の被害の賠償金を取り立てるべくきっちり仕事をしているということが出来る。
 台湾出兵は清国が日本に賠償を払うことで決着した。賠償を払わなければ清国は台湾の宗主国ではないということになるから賠償金を払うことで台湾が清国に属することを示したのである。この事件は琉球が清国でなく日本に属していたという事実を明らかにした事件であった。
 先島諸島も沖縄も中国は領有を主張することは出来ない。


日本へは渡来人は殆ど来なかった。

2012年06月02日 | 歴史
「紀元前300年ごろ稲作技術を持った渡来人が大挙して来た」という話を聴いたことがあるが日本には6000年前に既にコメは作られていた事実が発掘によって明らかになった。さらに3000年前の水田の遺構が発見されている。そうすると紀元前300年に稲作技術をがもって渡来人が大挙してやってきたという話は嘘だということになる。稲作技術は日本の方が先にあった。稲は熱帯系の植物であるから南から北へ即ち日本から朝鮮へ伝わったと考えるのが自然である。このことは渡来人は殆ど来ていないことを意味するのではないか。
 弥生文化は渡来人のもので縄文文化が土着の日本人のものだと言われてきたがこれも疑わしい。最近になって縄文も弥生も土着日本人のものであるということが明らかになってきた。縄文から弥生へ時代と共に変化したものである。縄文人と弥生人の骨が違っているように見えるのは食べ物の変化により日本人の骨相が変化したものと考えればいいのである。これは戦前と戦後で食べ物が変化して日本人の骨相が大きく変化していることから理解できるであろう。さらにATLウイルスからの検証としてATLウイルスは日本人にだけあり、朝鮮人や中国人には全くないことが知られている。そうであれば渡来人が多く来たはずの九州でATLウイルスの濃度は低くならなければならないが実際はそうなっていない。九州ではATLウイルスの濃度は最高である事から渡来人は殆ど来なかったことが判るのである。
 遣唐使のころでさえ海を越えるのは非常な危険を伴っていたことから大量の渡来人が来たなどとは考えにくい。日本列島と大陸との距離はかなりあり殆ど渡来人はなく縄文文化から弥生文化へ長い時間をかけて移行していったと考えられる。
 過去1500年の間に渡来人が来たのは663年の白村江での敗戦の頃と朝鮮出兵で多数の陶工が連れてこられたがそれ以外は渡来人の数は殆どなかった。何れも難民や捕虜として日本人が連れてきたのである。これよりずっと前、弥生時代には海をわたるのはもっと危険であったろうから大量の渡来人がやってきたとは全く荒唐無稽であろう。日本列島は海で隔てられているので外敵の進入がなく、平和な暮らしが出来たと考えられる。それが天皇家が125代も続き、様々な独自の文化が育まれた理由である。当然のことながら騎馬民族征服説なども全く根拠がないことが明らかである。従来の考えが如何に歪んでいたかを教えてくれる。日本列島にあるものは全て大陸から流入したものであるという固定観念は間違いである。理論的には外から入ってくると同時に内から外への動きも考えなければならない。例えば1万8000年前の縄文土器が日本では出土している。これは世界で最も古い土器である。日本では8000年前に世界最古の漆器が出土している。これより古いものは外の世界には存在しない。こういうものを外から流入したと説明することは出来ない。
 朝鮮半島には多くの前方後円墳が存在するが日本で作られた時期より遅い時期に作られている。これを朝鮮から日本へ伝わったということは出来ない。例えば神道は日本の固有の宗教であるが世界の何処にも似たものが存在していない。
 文化も人も外から流入したとしか考えないのはあまりに硬直している。
 朝鮮を先進技術を持った国と説明するのが多いが後進国とも言える。例えばハングルはひらがなより700年遅れているし、最古の歴史書の古事記に相当するのは三国史記だが400年遅れである。日本語の書き言葉は1100年前に漢字かな混じり文が成立し、膨大な古典文学が残されているが朝鮮では書き言葉は未だ最終的な形が確立していない。それはハングル専用にするか漢字を復活させるか現在も論争中なのである。未だに自分の国の言語をどう表すかを決められない朝鮮は文化国とは言えないであろう。Es細胞の研究で有名になった韓国人教授の研究は嘘であったし、8000米級の山全てを世界で最初に踏破したという韓国人女性登山家も登っていない山があったことが判明した。こういう嘘を多く見聞きするととても先進国ではなく遅れた野蛮国としか言いようがない。

人生60年だ、日本の歴史は高々私の30倍に過ぎない

2012年03月30日 | 歴史
私は古希を迎える。私が物心ついてからの年数を数えると60年に過ぎない。60年がどれぐらいの時間かというのは体感できる。日本は悠久の歴史を持っているということを聞くが高々1700年である。神武天皇即位をAD300年ごろと考えると日本の歴史は1700年である。高々私の30倍程度である。大したことではない。そんなに日本の歴史は短かったのかということに驚く。これは記録に残された有史以来の年数についていっている。

「坂の上の雲」とイザベラ・バードの「朝鮮紀行」

2010年12月20日 | 歴史

 今NHKで司馬遼太郎の坂の上の雲の第2部の放映が行われている。これでは日清戦争と日露戦争が扱われている。特徴は朝鮮をめぐって戦われた戦争であるが朝鮮が殆ど出てこないことであろう。実際朝鮮は殆ど描かれていない。日清戦争の際に日本人が朝鮮王宮に侵入し朝鮮王妃を殺害したとドラマに突然挿入された。これは司馬遼太郎の原作には全く載っていないことをNHKが勝手に挿入したものである。この他では殆ど朝鮮は描かれていない。
 NHKは事実とは違う朝鮮王妃殺害等を勝手に挿入して左翼に奉仕しているのだがこのドラマに対して九条の会などの左翼団体からの反論が多い。いわく朝鮮侵略の事実が描かれていないとか反日義兵の行動が描かれていない、とか日本が国際法を忠実に守ったというのは事実に反するなどである。
 司馬遼太郎の歴史観は歪んでいるかについて考えるのに格好の本がある。イザベラ・バードの朝鮮紀行である。イザベラ・バードは英人女性旅行家で日本の東北地方や朝鮮や満州などを旅行して回って、其の体験記を本にした人物である。目的はモンゴロイドの特性調査で4回にわたって朝鮮各地を旅行しているから、いわば大英帝国の有能な女性諜報員というところであろう。この朝鮮紀行では日清戦争当時の朝鮮の姿が描かれていて面白い。司馬遼太郎は朝鮮紀行を当然読んで坂の上の雲を書く時の参考にしたと思われる。
 東学党の乱が勃発したとき朝鮮が清に出兵を要請し、清と日本が朝鮮に出兵すると日頃悠然と構えている清国人が慌てふためいて本国へ逃げ帰る様子が描かれている。清国人の間では清国が負けるのは確実に予想されていたと思われる。さらに日本軍は決して朝鮮人を殺さないことや徴発した物資には適切な金額を支払うことが何度もでてくる。日清戦争中に日本が支払った膨大な労賃で朝鮮人が急に豊かになり、朝鮮人の間で博打が流行していることも描いている。日本が国際法を忠実に守ったことは事実であることがよくわかる。特に清やロシアとは比較にならないほど綱紀が守られていたことをイザベラ・バードは書いている。これは坂の上の雲で描かれていることと矛盾しない。
 イザベラ・バードは最初に釜山上陸したときの印象を「釜山は何処から見ても日本人の町だ」と表現している。5508人の在留日本人の他に日本人漁師8000人がいる。銀行業務は東京の第一銀行が引き受け、郵便と電信業務も日本人の手で行われている。日本人の仕事ぶりは確実で信用がおけると書いている。朝鮮人のことを書きたいが日本人しか目に入らないのでご容赦願いたいという意味のことを書いている。イザベラ・バードはよく観察していて300年前の秀吉の朝鮮出兵時に日本が植林したものが立派な杉林になっていることと釜山の旧市街の中は300年前の日本人の設計により近代化されていると述べている。
 さらにイザベラ・バードは日本は朝鮮の独立のために清国と戦っている。或いは朝鮮の改革のために日本が努力している、そして日本はその改革に成功するであろうと好意的に書いている。殆ど日本人或いは日本軍に対する悪口は出て来ない。NHKの坂の上の雲にイザベラ・バードは何の違和感も持たないはずである。このような英国の好意的な見方が8年後の日英同盟に結びついてくる。さらに日韓併合にどの国も反対しなかったというより多くの国が祝福したという事実と結びついてくる。
 「坂の上の雲」の内容がおかしいと言う人たちの困惑は理解できる。左翼の歴史観では日本軍に朝鮮民衆が主体的に抵抗した歴史として描いてきたが実際には日清、或いは日露の対立の話しかないのである。NHKに抗議したいのも理解できる。坂の上の雲では日清、日露の戦争が全く肯定的に描かれていて左翼の歴史とは全く違う。司馬史観は明治は明るく、昭和は暗いという単純な描き方で問題がないわけではないが一般には大きく支持を集めている。
 日韓併合100年に対して行われた菅首相の謝罪発言と同様、左翼の人たちの歴史観が相当歪められていることをあからさまに教えてくれるいい本である。

 


日韓併合をホロコーストや原爆投下と比較する異常! NHK討論会

2010年09月02日 | 歴史
 8月14日に行われたNHK討論会「共に語ろう。日韓の未来」は見ていなかったが動画サイトに公開されたものを見た。部分的にしか見ていないが、予想どうりというか、相変わらずという韓国側の一方的な偏った話ばかりで全く「日韓の未来」については話されることはなかった。徹頭徹尾過去の話に終始したのも異常であるが、討論の中で日韓併合をユダヤ人虐殺や米軍の原爆投下と比較するくだりがあり、その異常さにあきれた。ドイツはホロコーストを謝罪しているが日本人は謝罪していないという論理である。27歳の日本人、古谷経衡氏が「日本人はホロコーストは犯していない」と訂正したが韓国側は「日韓併合がホロコーストと同じ極悪非道の行い」だと主張しているのであって反論になっていなかった。その後古谷氏が植民地を持つのは普通に行われていた時代であったと述べ、「日本は韓国人を嫌って併合したのではない。やむを得ず併合したのだ」と話した。これに対して「米軍がやむを得ず原爆を投下したと言えば肯定できるのか」という反論があった。この例え話は韓国側は「日韓併合は原爆投下と同じ極悪非道の行い」と考えていることを示している。これもとんでもない話だ。
 日韓併合は日本側から見れば「韓国人を日本人として受け入れた」ことを意味し、人種的な憎悪或いは偏見が基になっているホロコーストや原爆投下とは全く異質のものである。比較出来るものではない。これを異質と考えられない韓国側に恐ろしさを感じる。
 日韓併合と比較するのはいくらでもある。近くは日本の台湾領有、ロシアとウクライナの合併、中国のチベット領有、或いは英国のインド領有などと比較すべきであろう。なぜホロコーストや原爆投下と比較するのか全く日本人には理解不能である。これは台湾人にとっても同じであろう。
  先日の菅首相談話で日本は36回目の謝罪をしたという。しかし韓国側はドイツはホロコーストに対して真摯に謝罪したが日本人は日韓併合に対して一度も謝罪していないと言い続けることであろう。
 ユダヤ人は「ナチスのユダヤ人虐殺は比類ない悪で、歴史上これに比べられるものはない」と言っている。原爆投下もホロコーストも広島やアウシュビッツが世界遺産に登録にされて、評価は定まってきているといえる。これに対して日韓併合は負の歴史としてではなく、輝かしき例として残ってもおかしくない。日本統治の35年間に識字率4%から61%にあがった。小学校の数は100校から5000校に増えた。人口は900万から2300万人に増えた。経済が安定し、収入が増え、結婚して、安心して子供を作れるようになったのである。日韓併合時代を生きた韓国人は知らないはずはないのである。韓国における戦後教育の野放図さ、教養の無さのせいであろう。このような偏見を作り上げ、対外的に突っかかって顧みることを知らない韓国人の異常さ、野蛮さ、バカさ加減の現われたものである。古谷氏の意見表明に「君は歴史を語る資格はない」と攻撃して、京大の准教授にたしなめられた崔洋一氏の傲慢さ、低能ぶりが鮮やかであった。小倉准教授の言う通り「どんな歴史観をもってもいい」のだ。「そんな言論封鎖をするなら、あんたこそ発言する資格はない」と反論されてお終いだ。崔洋一氏を典型として韓国人の精神年齢を10歳の子供に等しいと表現してもおかしくはないであろう。韓国人は日本人を理解できない。そのレベルに程遠く、話しても無駄であろう。疲れるだけである。我々はこのことを理解して隣国としてうまく対処する方法を考えるべきである。
 その一つの方法として
 ● 日本と韓国は歴史と文化が違うため、考え方も違い、相互に理解し得ないことを確認することを目標とすること
 ● 討論会を韓国人の為に「彼らの論理的矛盾や自己欺瞞を親切に指摘してあげる競技」の場と考えること
を提案したい。間違っても日本人の考えを理解してもらう場などとは考えてはいけない。そのためにはできるだけ韓国側と意見の違う人を意識的に選んで議論が白熱するようにもって行くことである。それが日韓友好を考えるのであれば最適の考え方であろう。

民主党政府が日韓併合100年で「おわび」検討。先人の顔に泥を塗る権利はない。

2010年07月17日 | 歴史
 菅直人政権がが日韓併合100年で「おわび」を検討しているという。過去に日本は日韓併合については合法であったということを日韓基本条約に記している。お詫びしたことはない。日韓併合は100年前の先人がしたことだ。先人は謝っていないことを当事者でない100年後の民主がお詫びすれば先人達は悪いことをしたと宣言するに等しい。先人を犯罪者と宣言する権利が民主党にあるのか。先人達は「朝鮮のために日韓併合を行った。日本はいいことをした」と考えている可能性だってあるのだ。客観的に見て日韓併合に際して日本は経済的に膨大な持ち出しを行って朝鮮半島を近代化している。日本は両班からに分かれていた階級制度を廃し、ハングルを普及させている。教育を普及し、保険所をたくさん作り衛生状態を劇的に改善している。物々交換に近かった経済に変えて近代的な貨幣経済を導入している。世界的に見てこれほど良心的な植民地経営は存在しない。先人達の顔に泥を塗ってまで朝鮮に迎合しないといけないと考える民主党にあきれる。

 日韓併合に「おわび」するような事実はなかった。日韓併合に関して韓国側から感謝決議があってもおかしくはないという人もいる。第一お詫びを要求する韓国側もお詫びをしようという民主党も日韓併合の当事者ではない。当事者でないもの同士が行うお詫びに何の意味があるのか。両者とも日本統治時代の朝鮮について何も知らないのではないだろうか。
 お詫びしたところで朝鮮人は満足しないであろう。かえって悔しさが増すだけではないのか。お詫びをしてかえって憎まれるようなバカバカしいことはやめるべきだ。

 当時日本と朝鮮の間には100対1ぐらいの経済力の違いがあった。朝鮮人の中にも合併を望む勢力があったことは周知の事実だ。日韓併合は朝鮮にとって不利な選択ではなかった。当時としては歴史の必然ともいえる。国際的に祝福されこそすれ非難されるような事実は全くなかった。

 民主党のやるべきことは連立相手を捜すこと。44兆円と言う枠を超えて国債を発行して景気対策を打つこと。
 国民は景気をよくしてもらうために民主を政権に就けたのだ。根拠のないお詫びをさせて歴史を歪めるために政権に就けたのではない。

 民主党は連立相手が見つからなければ菅内閣だけでなく民主党政権そのものが崩壊する危機にある。不要な、根拠のない「おわび」など検討している場合ではない。 

即位20周年、天皇陛下の記者会見での発言について

2010年01月05日 | 歴史
 昨年11月12日の即位20周年の記者会見での発言で注目すべき内容があった。その部分を引用しよう。

  〈天皇陛下〉
 今、日本では高齢化が進み、経済が厳しい状況になっています。しかし、日本国民が過去に様々な困難を乗り越えて今日を築いてきたことを思い起こす時、人々が皆で英知を結集し、相携えて協力を進めることにより、日本が現在直面している困難も一つ一つ克服されることを願っております。 私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです。昭和の時代は、非常に厳しい状況の下で始まりました。昭和3年、1928年昭和天皇の即位の礼が行われる前に起こったのが、張作霖爆殺事件でしたし、3年後には満州事変が起こり、先の大戦に至るまでの道のりが始まりました。第1次世界大戦のベルダンの古戦場を訪れ、戦場の悲惨な光景に接して平和の大切さを肝に銘じられた昭和天皇にとって誠に不本意な歴史であったのではないかと察しております。昭和の60有余年は私どもに様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って未来に備えることが大切と思います。 平成も20年がたち、平成生まれの人々がスポーツや碁の世界などで活躍するようになりました。うれしいことです。いつの時代にも、心配や不安はありますが、若い人々の息吹をうれしく感じつつ、これからの日本を見守っていきたいと思います。

 太線にした部分はこの通りであるが始めて天皇の言葉を通して言われたことは意義がある。昭和天皇は常識的な元首であったことが知られている。満州事変に対するリットン調査団の報告書について「これでいいではないか」と言われている。また美濃部達吉の天皇機関説についても「私は天皇機関説でいいと思う。何も問題はない」と発言されている。「昭和の初期から20年までの歴史は昭和天皇にとって誠に不本意な歴史であった」と言うのは今上天皇にとっては誠に率直な感想であろう。


日台戦争は存在しないーーーNHKの暴虐

2009年08月08日 | 歴史
 NHKの「Japan デビュー」の第一回で「日台戦争」なる用語が使われた。これは歴史の捏造に相当するとして8000人の多数の原告が名を連ねて訴訟事件へ発展している。日清戦争に負けて清国政府が台湾を日本へ割譲するのは寝耳に水で日本が台湾を領有することに反対する人たちがいた事は事実である。台湾民主国が作られ日本の領有に反対したが大きな抵抗勢力にならずに鎮圧されて日本側の戦死者は164人であったと記録がある。これを日台戦争とNHKが表現したのであるがその理由として戦死者の規模が日清戦争全体の死者の半分に達する大規模なものであったから日台戦争でもおかしくないと説明していたが戦死者だけ見れば日清戦争の十分の一である。台湾は亜熱帯で赤痢やマラリヤの巣窟であり、日本軍は5000名近くの兵士が赤痢やマラリアその他の病気で死亡している。赤痢やマラリアによる死者を入れて大規模な戦争であったというのはフェアではない。
 道路事情が悪く、橋もなく、移動に長時間係り、赤痢やマラリヤにやられて日本軍は悪戦苦闘したのは事実であるが日清戦争の半分の大規模な戦争であったと言うのは事実ではない。
 驚くべきことに当時の日本が台湾や朝鮮に行ったことは現在中国がウイグル、チベットで行っていることと同じであるという感想をもらす者がいることである。NHKの番組はそれを狙って作ったのではないだろうか。昔日本も台湾や朝鮮にひどいことをしたからチベット、ウイグルについては発言する資格はないとでも言いたげである。終戦時台湾では1300万の台湾人が居たのに対して日本人は60万人に過ぎない、日本人の割合は5%以下である。朝鮮では2300万人の朝鮮人に対して日本人は60万人で、3%以下である。ところが現在のチベット、ウイグルでは都市部では圧倒的に漢人が多いのである。ウルムチでは80%が漢人でウイグル人は小さくなって生きなければならないのである。そのうえ軍隊が出動し片っ端からチベット人やウイグル人を拘束し、刑務所に入れているのである。 NHKは国民の聴視料でまかないながら中国共産党のための番組を作っているのである。

自由社版ー新しい歴史教科書批判ー⑤五族協和は夢か

2009年06月23日 | 歴史
⑤満州国の五族協和、王道楽土のスローガンについて次のようなコメントをつけている。
  「満州、漢、朝鮮、日本、モンゴルの五つの民族が共存共栄する土地である」という意味。しかし、日本人は、そのリーダーが日本であるのは当然だと勝手に決めていた。日本との関係ばかりでなく、各民族間の利害も対立することが多く、現実は理想にほど遠かった。

  こういうコメントは必要であろうか。満州からロシアを追い払ったのは日本であり、現実に満州国を作り上げ、五族協和を掲げたのは日本である。日本以外に中心になるものはいないであろう。日本が中心になることを決めていなかったとしたらそれこそ無責任である。満州国ができて数年で五族協和が実現したとしたらそれこそ奇跡である。現実が理想に程遠かったとしても、五族協和の理念が嘘であったことにはならない。満州国は12年で日本の敗戦で亡んだが五族協和の理念が掲げられたことが重要ではなかろうか。

自由社版ー新しい歴史教科書批判ー④満州事変と満州国建国

2009年06月22日 | 歴史

④事変前夜の満州
 日露戦争の勝利によって日本は両党半島南部の関東州を租借し、ロシアから長春より南の鉄道の営業権を譲り受け、南満州鉄道を設立した。昭和初期の満州にはすでに20万人以上の日本人が住んでいた。その保護と関東州および満鉄を警備するため、1万人の陸軍部隊(関東軍)が駐屯していた。
 関東軍が、満州の軍閥・張作霖を爆殺するなど満州への支配を強めようとすると、中国人の排日運動も激しくなり、列車妨害や日本人への迫害などが頻発した。さらに日本にとって北にはソ連の脅威があり、南からは国民党の力も及んできた。こうした中、関東軍の一部将校は満州を軍事占領して問題を解決する計画を練り始めた。

  満州の軍閥・張作霖を爆殺というのは河本大作のことであろうが、これには「コミンテルンが爆殺して日本軍の仕業に見せかけた」という話があり、関東軍がやったと言うのは事実ではない可能性がある。列車で走行中に爆薬を線路に仕掛けて爆殺するのは非常に困難だからである。丁度張作霖が真上に来たときに地面に置いた爆薬を爆発させることができるであろうか。時速60キロメートルで走っていれば分速1キロメートル、秒速17メートルである。爆破の時間が1秒ずれれば17メートル目標は移動する。ぴったりの時間に爆殺するのは至難の業である。運よく丁度真上に来たときに爆発したとしても間に車体があり、直接張作霖に害が及ぶとは断言できない。
 破壊された列車の写真があるが、列車の屋根だけが飛ばされてなくなっていた。これは爆薬は線路上ではなく、張作霖の居室内に設置されていたことを示している。

 


自由社版ー新しい歴史教科書批判ー③明治維新とは何か

2009年06月21日 | 歴史

③中国・朝鮮と日本との分かれ目 
 このような国際情勢の中で、中国(清朝)は欧米列強の武力による脅威を十分認識することができなかった。中国に朝貢していた朝鮮も同じだった。アヘン戦争に衝撃を受けたのは、中国よりもむしろ日本であった。
  中国は昔から自国の文明を世界の中心と考える中華思想があり、イギリスなどは世界のはての野蛮な民族であると見なしていた。そうしたこともあって、西洋文明を取り入れる動きは実を結ばなかった。その結果、清朝は次第に列強に侵食され領土の保全も危うくなった。
  それに対し日本は江戸時代を通じて、武家社会という面があり、列強の軍事的な脅威に敏感に反応した。とくに薩摩と長州の有力な藩が欧米諸国と戦争をした結果、欧米と日本の力の差を痛切に認識し、西洋文明を積極的に学ぶ方向に政策を転換した。P148

  概ね正しいが西欧の力を知る機会はアヘン戦争などで中国にもありました。西欧の脅威を認識する力に日本と中国では差があったことが大きな違いではなかろうか。その差はどこから来るかというと日本の識字率は50%くらいあったのに対し、中国は数%で非常に低かったことを挙げなければならない。多くの本が出版され、浮世絵なども庶民の楽しみとして流通するほど社会が発展していたことを指摘するべきです。蘭学として西欧の知識の研究は進んでいました。日本は金と銀の二通貨体制で毎日の金と銀の交換に関する相場がたっていました。米の先物取引が既に始まっていました。米国のシカゴで先物取引が始まる100年前です。それほど進んだ社会だったのです。西欧が浮世絵に魅了されたのは絵の美しさもありますが浮世絵を描く日本人の近代精神により多く魅了されています。美しいもの、魅力的なもの、描きたいもの、を絵にする、そしてその絵を大衆が支えるという絵の近代的な在り方に影響を受けています。それまでの西欧の絵は金持ち、王族、教会のために存在していましたが日本の浮世絵は絵の好きな大衆のものだったのです。日本の文学だって大衆のものでした。
  こういうところも書いて欲しいのですが無理な注文でしょうか。

 

 


自由社版ー新しい歴史教科書批判ー②白村江の戦い

2009年06月20日 | 歴史

 ②白村江の戦いと国防の備えー7世紀の半ば、朝鮮半島では、新羅が唐と結んで百済を攻めた。日本と300年の親交がある百済が敗れ、半島南部が唐の支配下にいることは日本にとって脅威であった。そこで中大兄皇子を中心とする朝廷は、百済を助けるために、多くの兵と物資を船で送った。唐・新羅連合軍との決戦は、663年半島南西部の白村江で行われ、2日間の壮烈な戦いののち、日本側の大敗北に終わった。日本の軍船400席は燃え上がり、空と海を炎で真っ赤に染めたと言う。こうして百済は滅亡した。新羅は唐と連合して高句麗も滅ぼし、朝鮮半島を統一した。
 いっぽう、百済からは、王族や貴族をはじめ、一般の人々までが日本に亡命してきた。そのうち一部は近江、一部は東国に定住した。朝廷は彼らをあつくもてなし、政治の制度の運営についての知識を得た。P40.

 この文章全体が何かおかしい。何かを隠そうとしているようです。百済は663年に亡んだのではなく、660年の時点で滅ぼされています。白村江の戦いは百済救援でなく、百済復興のための戦いであること、それに百済の遺臣達が百済復興の戦いを起し、日本に支援を要請したことが書かれていません。百済の遺臣たちの要請を受けて日本は軍隊を派遣したのです。そのことが書かれていないで漠然と半島南部が唐の支配下に入るのは脅威だと書けば、白村江の戦いの真の姿を隠してしまいます。最後の「彼らをあつくもてなし、政治の制度の運営についての知識を得た」のは真実でしょうか。亡びた国の政治の制度の運営について知識を得て何か意味があるのでしょうか。 当時の日本は百済の皇太子を人質として取っていたわけで、「あつくもてなし」というのは事実ではありません。それに「亡命」と言う用語は適切でしょうか。「避難」あたりが適当ではないでしょうか。
  「政治の制度の運営についての知識を得た」という文章は日本語としてなっていません。

 


 
 


聖徳太子はいた

2008年10月22日 | 歴史
 「聖徳太子はいなかった」というという説をなす人たちがいます。根拠を調べてみると余りはっきりしません。こじつけのように見えます。聖徳太子という立派な名前が気に入らない人たちがいるのです。歴史教科書では聖徳太子と書かずに厩戸皇子と書き直すことが一時はやりました。聖徳太子という名前は死後送られた名前だからという理由です。本当は聖徳というきれいな名前より、厩のくさい名前がふさわしいと思っているのだと思います。聖徳太子は日本の伝統と文化の中心にいる人物ですから、貶しめたいと思うのでしょう。「天皇制はいらない」という運動をしている人と同じです。
 お札に利用されている有名な聖徳太子の肖像は聖徳太子のものではないという説も紹介されていますが西郷隆盛の肖像画だってどれが本物かで諸説がありますからそういうこともあるでしょう。
 十七条憲法についても当時としては新しい考えが入っているので聖徳太子が作ったものではないという説をなす人がいます。また十七条憲法は豪族の反対で実施されなかったから存在していないなかったと同様であるという説もありました。日本国憲法は自民党の反対で実施されなかったから存在していなかったと同じであると主張するのとおなじです。
 聖徳太子は推古天皇の摂政だったというが摂政になったという記録がないとか当時は摂政という地位が存在していなかったから摂政になったというのは怪しいという話もあります。1000年以上前のことが全て公文書で裏づけがなければ信用しないというのもおかしな話です。
 こういう取り留めのない話を集めて聖徳太子は存在していなかったと主張するのです。
 そして聖徳太子がいなかったとしてでは誰が十七条憲法を作り、冠位十二階を定め、三経ぎしょを講義したかをあれこれ推論しています。あるいは非実在として何故聖徳太子を作らねばならなかったか、誰が何のために聖徳大使を必要とし、捏造したかなどを推論しています。無理な仮定のもとに、無理な推論を重ねて「聖徳太子はいなかった」という結論を導くことにやっきになっているような気がします。
 古事記や日本書紀を否定するのが学問的といわれた時代がありました。南京大虐殺や慰安婦を取り上げるのが良心的な日本人といわれた時代がありました。それと同じ系譜の動きが「聖徳太子は存在していなかった」という流行ではないかと感じています。

日朝修好条規は日米和親条約と似ているか

2008年08月22日 | 歴史
 歴史の本を読んでいると「日朝修好条規と日米和親条約が似ている」ということを指摘する文章を眼にすることがある。中学の歴史教科書には「ペリーのやり方をまねて、軍艦を率いた使節を送って朝鮮に圧力をかけ、日朝修好条規を結んで開国させた」とある。不平等条約を押し付けた点がペリーと同じだからペリーの真似をしたというのであろう。
 しかし両条約の中身を見てみるとあまり似ていない。まず第一条がかわっている。「朝鮮は自主の国であり、日本と平等の権利をもつ国と認める」と規定している。この条項は「朝鮮は日本と対等な主権をもち、中国に隷属するのではなく中国とも対等な主権をもつ」という意味である。この条項は130年後の現在の東アジアの状態と同じ状態を目指しているともいえる。日本は朝鮮の中国への隷属状態に同情し、日・中・朝の対等な関係が望ましいことを宣言していると言えるのである。
日米和親条約にはこのような先進的で普遍的な内容の条項はない。
 「ペリーのまねをして不平等条約を押し付けた」という一方的解釈には真の条約の狙いに故意に目をつぶり、「大日本帝国或いは昔の日本人の事跡のすばらしさにけちを付けたい」という人たちの卑しい心根が透けて見えるといえないであろうか。
 戦国末や幕末に日本に来たヨーロッパ人が書き残している文章の中に「日本人は地位の上の者と下の者が対等に話している。日本人は貧乏であることを恥と思っていない」という記述がある。日本人は昔から金のあるなしや地位の高さなどはあまり高い評価を与えずに暮らしてきた。それによって態度がかわることははしたないと考えてきたのである。浄土宗では善悪、貧富、女卑にかかわらず南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも浄土にいけるという革命的な教えがある。これも日本人の並外れた平等意識を示していると言えないであろうか。日朝修好条規の第一条は独立と自由と平等を愛する日本人の特性の現れたものと思っている。ものごとは素直に見たいものである。