日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

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古事記1300年。古事記の原文を読めば訓読みの広範な広がりを目にすることが出来る。

2012年10月14日 | 日本語

 今年古事記が編纂されて1300年である。以前古事記の原文が載っているので買って置いた古事記倉野憲司校注を取り出だして、訳と原文を対照して見たがいろいろと面白いことに気付いた。原文には様々な注がしてあることである。
 前にも書いたが「日下」を「くさか」と読むことや「帯」を「たらし」と詠むことが既に誰でも知っている常識であると序文に書かれていることに驚いた。これは訓読みの一種であるが古事記では日本語が扱われているので訓読みが基本である。従って訓読みをする場合はわざわざ訓読みをせよとの指示はない。音読みをする場合のみ指示がしてある。訓読みで普通の読み方である場合は指示がないが特殊な読み方の場合は指示がある。
例えば「常」は普通は「つね」であるが「とこ」と呼ぶ場合もある。現在でも「常夏(とこなつ)のハワイ」と謂う言い方がある。こういう場合は原文の中に読み方が指示がある。また「石」は通常は「いし」であるが「いは」とよぶ場合もある。そういう場合も原文に「伊波(いは)」と読むように指示がしてある。
 先にあげた「日下(くさか)」や「帯(たらし)」は誰でも知っているからわざわざ注を付けて読み方を指示しなかったと古事記の序文にある。似たような語を上げれば「飛鳥(あすか)」、「長谷(はつせ)」、「春日(かすが)」などがある。最初の文献の古事記の中で既に漢字の訓読みは広範囲に広がっており、現代と変わらないほど使い込まれていると言える。日下公人氏の「日下(くさか)」は古事記より古い由緒のある名前であることがわかる。
 よく日本語の専門家が書いた本で「日本人が漢字をあまり知らなかったから古事記は帰化人が編集した」と云う記述を見ることがある。古事記の原文を読むとその読み方が余りに日本的であることから帰化人などが出る幕でないことがわかる。古事記を帰化人が編集したなどというのは全くあり得ない話なのである。日本語の専門家でありながら、古事記の原文を読まずに発言しているのではないだろうか。
 

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1 コメント

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マルテンサイト千年サムライイノベーション (グローバル鉄の道)
2024-08-31 22:39:18
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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