新約聖書を読む 5

2019-01-28 15:54:13 | 

 「耳のある者は聞きなさい」(マタイによる福音書11、15)。

 この言い方は、聖書に繰り返し出てくるイエスの決まり文句だ。聞く耳を持たない者は、聞かなくてもよい。シュペングラーはこの言葉に注目し、「イエス自身に、キリスト教を世界宗教にするつもりはなかった」、「キリストの教えと、キリストについての教えは、違う」、「本来のキリスト教とヨーロッパで発展したキリスト教は、違う宗教である」、と主張している(「西洋の没落」)。

 実際、「生前のイエス」は12人の弟子に、「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊(※ユダヤ人)のところへ行きなさい」、と命じている(マタイによる福音書10、5~6)。

 だが、「復活してからのイエス」は、弟子たちに違うことを言い出すのだ。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイによる福音書28、18~19)。果たしてこれは、弟子たちの創作だったのか、どうか。

 いずれにせよこの言葉は、後のヨーロッパ諸国(キリスト教国)が世界支配へと驀進する時の、理論的な支えとなったのではないか。キリスト教徒を増やすためなら、侵略も許される。いや、むしろ侵略すべきだ。専門家は、ルカによる福音書14、23「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」(入るように強制せよ)という言葉を重視しているが(たとえば山内進「北の十字軍」)、表現があまりにも遠回しだ。聖職者以外にはわかりにくい。

 前にジャーナリストの北丸某が、ラジオで「キリスト教を迫害した江戸幕府はISと同じ」、とか言っていたが、とんでもない。現代のISができなかったことを、かつてのキリスト教徒たちはやってのけたのだ。

 
 
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