世界宗教史4

2012-10-22 19:30:14 | 

を読む。ミルチア・エリアーデ著。ちくま学芸文庫。

 「神学の開花」。「ルネサンス以降、合理主義哲学は三位一体説に反対を唱えた。しかし、三位一体神学は、日常的な体験と通常の論理の範囲からキリスト教徒を解き放つことによって、大胆な思想を鼓舞してきたことを認めなければならない」。

 三位一体。これは、ギリシア・ローマ神話にも出てくる。森の神ダイアナと月の神ルナと呪術の神へカテは、同一の神の三つの面を表している、という。

 文化が進歩するほど、神の数は増えていくらしい。最初は世界に充満する不可思議な力(マナ、とか)だったものが、どんどん具体的な姿を獲得していく。神話の二次創作、三次創作・・・・・・が続き、神話の登場人物(神)は増えていく。だが、他方で、原初的な統一性こそが至高のものだとする人もいて(プラトンとか、老子とか)、宗教はこの「統一」と「分化」の間を、常に揺れ動いている、らしい。

 時計の針が一回転して、一神教にもどったのがキリスト教か。だが、一神教といっても、かなりいい加減な一神教だ。三位一体説もそうだが、「聖母マリアは人か、神か」、という問題もある。一神教と多神教の間で、揺れ動いている。

 西洋の厳格な合理主義、科学的思考はキリスト教に基づいている、という説は、厳密にいうと間違っている。それらは、少数のエリートが、キリスト教のいい加減さに反発して生み出したものではないだろうか。

 
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