池田晶子さんのエッセイ「人間自身」の最終回より

2007年10月25日 02時19分16秒 | 日記
ローマにある墓地にある方の墓碑銘に「次はお前だ」 と刻み込まれたものがある。
それを見た者は他人事だと思っていた死が完全に自分のものであったと思い出す。

池田さんは諧謔を解する軽妙な人物である一方、存在への畏怖に深く目覚めている
人物ではないかと想像する。

そして、池田さんが選んだ墓碑銘は「さて死んだのは誰なのか」
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20070604bk06.htm
----------------------------------------------------------
池田さんは彼女の書物やエッセイで死とは?と読者に問いかける。

死はいつも隣にいる。
誰もそれがそこにあると思って生きていないように見える。

ニュースで見る死は、隣岸にあって、自分とは関係のないものと
振りをしているように思える。

本当は誰もが明日、今日、1時間後に死ぬかもしれない。
交通事故、天災、人災、殺人。。。。。。

その圧倒的な恐怖・不安・心配に意味があるのだろうか?

なぜなら、それらに縛れると、人生はさらにそれらを引き寄せ、
より良い人生を送れないこととなると思う。

だけど池田さんは問う?

死があるからこそ、今を大切に生きろという意味か?

必ず死は来ると人間はわかっているのに、なぜ人間は生きるのか?
一生考える疑問だろうな。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿